【1-9】千里の道も一歩から!

 休み明けの月曜日。今日は月イチの全社会議がある。

 俺は朝から忙しい。まずは企画開発部員の下っ端として、会議用資料の準備の最終確認をしなければいけない。

 次は秘書として、社長の資料の準備。各部署から出されている会議用資料のデータを印刷して全部に目を通し、社長が見やすいように部署ごとにホチキス止めし、マーカーを引く。

 9時半になった。社長が事務室に現れると、サッと部屋中に緊張が走った。


「おはようございます」


「おはようございます」


 全社会議では、社長は久田さんが使っている部屋全体が見渡せる席に座る。

 久田さんはその左隣に、俺は右手の奥の席に座って、会議用記録用のノートパソコンを開く。

 会議はまず各部署からの業務進捗報告からスタートし、そこにある課題や問題点の報告へと移った。

 そして部署ごとに社長からの質疑、各部長からの応答。


 うちの部署からは、まず胃薬の錠剤形状とパッケージの変更案件の報告。


「明日西方社長が見えるのでお見せしたいのですが、サンプルお願いできますか?」


  社長の質問に、小池部長が答える。


「はい。今日中に用意します」


「急で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。では、ハーブガーデンの件について、報告をお願いします」


 これは、俺が秘書業務をするので、松田先輩が発表。

 すでに部長OKは出ていたので、今日この全社会議の場で発表という形で社長提出となった。


「男性向けの商品を3点考えました。制汗剤、アフターシェービング用化粧水、乳液です。後者2つは梅村が考えました」


 大枠のアイディアは出したが、詳細仕様を詰めたのは松田先輩。秘書業務で離席することがよくある俺の後始末もしてくれている。

 なのに、俺に花を持たせてくれた。


「おー。若いエリートイケメンはちょっと違うなぁ」


「だよな。俺なんか剃りっぱなしだぜ」


 多部署からパラパラと声が上がった。

俺は肌があまり強くないから、日常的に使っている。

 自然素材と、ハーブの効能、そしてノンアルコール。

 そんなのがあれば、使ってみたい、というのが考えた理由。


 社長の反応を緊張しながら待つと、嬉しい答えが出た。


「内容は良いと思います。一度、このラインナップについて、池谷ファームさんの意見を伺って来ようと思います。……ただ、もう1、2品、老若男女問わない商品の案を追加できますか?」


「はい!やります!」


 松田先輩が威勢よく答えた。俺も心の中で同じように答えた。


「……では、部長OKが出たら、私に提出をお願いします」


「はい!」


 松田先輩は嬉しそうに親指立て、俺に満面の笑みを向けてきた。とりあえず会釈。嬉しいが、俺には余裕がない。議事録の為のメモ取りが遅れている!



「梅村、もっと喜べよー!」


 松田先輩にそう言われたので、大きな声で返した。


「ありがとうございます! すっごい嬉しいでーす! 」


 周りから笑い声が起き場が和んだが、社長はニコリともせずに書類に目を落としていた。

 今回は先月よりも盛りだくさんの内容。それを処理しないといけない社長の責務の重さを痛感し、同時に仕事っぷりに感心していた。


「この社用車全台点検と、PCメンテナンス費用ですが、少しコストがかかりすぎていませんか?」


 総務部への質疑報告に移った。この質問に総務部部長が答える。


「えー。それはですね……」


 総務部部長がグダグダと説明しているが、社長は表情を全く変えず、話を忍耐強く聞いている。

 でも俺の集中力は、メモらなくていい発言が続いたせいで切れた。


 社長曰く、この社長が作り物で、土曜日に朝ごはんを一緒に食べた蓮見さんが本物。

 あの蓮見さんは人間味で溢れていた。今、社長の仕事をこなすこの人は、カッコよくてデキるオーラは漂ってくるが、人間らしい感情が全く見えない。

 ……本当に同じ人?



「では、一旦10分の休憩を挟みます」


 総務部長のせいで淀んだ空気を、久田さんが断ち切った。各々休憩を取る中、赤城さんが社長に冷たい麦茶を出してくれた。


「お疲れ様です、お茶どうぞ」


「お疲れ様です。ありがとう」


「梅村くんも要る?」


「あ、大丈夫です。ありがとうございます」


 社長はお茶を飲みながら資料のチェックをやめない。まるで声をかけられるのを拒んでいるかのようだった。でも俺は声をかけた。


「お疲れ様です」


「お疲れ」


「申し訳ありません。資料見辛かったでしょうか?」


「いいや、大丈夫だ。ありがとう。この会議終わったら、上に来てくれ。金曜の反省と今日の打ち合わせしたい」


「はい。わかりました」


 いつもと同じ社長だった。土曜日のあれは幻だったのかな?


 休憩が終わると会議は後半戦に突入した。研究部の報告はかなり難しく、専門用語が飛び交い、頭の中にハテナがたくさん飛んだ。

 それをしっかり理解して的確に指示を出す社長にまた感心。そして必死に記録をする。


 久田さんからの総括を締めに、9時半から始まった会議は11時半に終わった。


「では、皆さん引き続きよろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 お開きになるなり、社長はそそくさと社長室に退散していった。自分のデスクに戻った俺は松田先輩とハイタッチ。


「おつかれ。社長チェック通過したよ!」


「はい! この調子であと2品、商品考えましょう!」


 嬉しいがあまり時間がない。昼休憩前に、社長室に行かないといけない。午後も予定が詰まっている。


「あ、すみません、社長に呼ばれてるんで…… 行っていいですか?」


「……えぇ? 今から? 午後イチも社長室だっけ?」


「はい。来客があるので」


「じゃ、俺たちの反省会と話し合いは、14時以降か……」


「すみません。久田さんに金曜日の報告をしないといけないので、15時以降でお願いできますか? すみません……」


 そのあと議事録を作らないといけない。やることが大量にある。でも、秘書業務と企画開発部の仕事の兼務は、両方きっちりとこなしてこそだ。やるしかない。


 そこへ、小池部長がやってきた。


「松田、梅村、お疲れさん。良かったな。引き続き頼むぞ。……梅村、社長室行ってこい」


「はい、失礼します!」


「あっ……」


 何か言いたげな松田先輩を残して、俺は急いで事務室を出た。


「……で、まーた松田は焼き餅妬いてるのか?」


「だから、部長。違いますって!」





 大急ぎで階段を駆け上がり、3階の社長室に向かう。上がった息を整え、身だしなみを確認すると、ドアをノックした。


「梅村です。入ります」


「どうぞ……」


 部屋に入った瞬間、俺の目に入ってきたのは椅子に座っているいつもの社長の姿ではなく、 来客用の長いソファーに突っ伏して、どこから持ってきたのか、クッションに顔を埋めている蓮見さんの姿だった。


「……え?」


 何があった? どうした?


「あ、あの、社長、大丈夫ですか?」


 異常事態に慌てふためく俺とは対照的に、のんびりとした返事が来た。これはさっきの会議に居た社長じゃない。蓮見さんだ。


「ごめん、大丈夫。めっちゃ疲れただけ……」


 あれだけ膨大な情報を処理すれば当然。それに自分を殺して、クールで隙のない社長を演じ続けた。疲れるに決まっている。


「コーヒー入れましょうか?」


「ありがとう、あ、でも、あったかい緑茶がいい……」


「はい。わかりました」


 社長室の隣にある給湯室で緑茶を淹れる。あの大げんかした日の前までは、来客にしか淹れたことがなかったけれど、あの日を境に、蓮見さんの飲むものをちょくちょく淹れるようになった。今日は緑茶。前は焙じ茶。その前は玄米茶だった。そういえば、コーヒーを入れたことがない気がする。どうやら社長はお茶が好きらしい。




「どうぞ」


 ソファーの前のテーブルに湯呑みを置くと、社長はソファーに寝そべるのをやめ、ソファーにちゃんと姿勢を正して座った。

 でも、頭はソファーに突っ伏してたせいで、ボサボサ。ネクタイは歪んでいる。いつも見ていた社長とは全く違う姿に、ついつい笑ってしまった。


「どうした?」


「髪とネクタイ、来客前には整えてくださいね」


「了解。あれ、翔太のお茶は?」


 ……やっぱり、二人きりのときは俺のことそう呼ぶつもりなのか。でも、苗字で呼ばれるより数倍嬉しい。その嬉しさが顔に出そうになったのをグッとこらえた。


「いただいてもよろしいですか?」


「もちろん。一緒に飲も。湯呑みかコップは…… 来客用の使っていいよ」


「はい」


 一緒にお茶。なぜか心が浮き立った。

 これからもここで一緒にお茶するようになるのかな?マイカップかマイ湯呑みを社長室に持参した方がいいかな?

 ……いや、一体何を浮かれてるんだ俺は。

 冷静になって自分のお茶を入れると、テーブルを挟んだ向かいのソファーに腰掛けた。


「さてと、まずは金曜の反省会。久田さんには後で報告を」


「はい」


 真面目で大事な話が続いたので逐一メモを取った。


「じゃ、続いて、午後イチのお客さんの予習」


「はい」


 これまた大事な内容だったのでメモ。

両方ともしっかり昼休憩前に終わらせた蓮見さんの手際の良さに感心した。




「じゃ、午後イチよろしくね」


 柔らかい笑顔でそう言われ、心が温かくなった。

 クールでたまに嫌味な社長の言葉や表情にイラッとしていたのが遠い昔みたいだ。

 こっちの優しい人間らしい蓮見さんの方が絶対にいい。

 仕事はどっちの社長でもバリバリ出来るんだから……


「はい。では、失礼します」


 部屋を出ようとドアノブに手をかけた時、呼び止められた。


「あ、ちょっと待って」


「はい。何でしょうか?」


「木曜日って、外出予定だよね?」


「はい。……私の同行は必要ですか?」


「うん、お願い。……でさ、あのさ、終わったらさ、一緒にお昼どう、かな?」


 おずおずと蓮見さんは、俺をランチに誘ってきた。

 断る理由なんてどこにもない。むしろ初めて一緒に外でランチできることが嬉しかった。


「はい。喜んで。よろしくお願いします」


 返ってきたのはすごく嬉しそうな笑顔だった。

 やっぱり、この人はひとりぼっちが寂しいんだ……

 上に立つこの人の孤独に、未熟な俺だけど、ほんの少しでもいいから寄り添いたい……


「じゃ、また後で」


「はい。失礼します」






 昼休憩の時間。今日は赤城さんと一緒にランチする約束をしている。

 庭に行くと、赤城さんが待っていた。


「お疲れ様です」


「お疲れ。さて、金曜日のこと聞かせてもらいましょうか」


「はい」


 大進歩があったけど、それは言えない。でも、初接待同行の成功、明後日の初出先でのランチは報告できた。


「よかったね! もうこれで初心者マーク取れるね」


「はい。ありがとうございます。でも、もっと頑張ります」


「頑張れ」


 蓮見さんはだいぶ踏み出した。俺も見習って、踏み出したい。赤城さんともっと近づきたい。長い時間一緒に過ごしたい。そのための一歩。


「……あの。今度の週末、空いてますか?」


 心臓の音がうるさい。耳に響く。


「空いてるよ」


「……ご飯行きません?」


「行こっか。あ、約束してたね、おごってあげないと。お祝いに」


 やっぱり後輩扱いかな…… でも……


「お言葉に甘えさせてもらいます。あ、せっかくなんで映画行きません?俺、奢りますんで」


 さらっと誘ってみる。イエスと言って欲しい……


「いいの? ありがとう。じゃ、土曜日にしよっか」


 受け入れてくれた!


「今なにやってるかな? 調べてからまた連絡するね」


「はい。お願いします」


 これで午後からの大量のスケジュールも、がんばってこなせる気がする!






 その日の後半戦は、来客対応への同席、久田さんへ金曜日の接待の事後報告、松田先輩との新商品企画の反省会と作戦会議。そして、全社会議の議事録の作成。かなり濃厚な1日だった。

 月曜日早々に疲れてしまったので、手抜きで冷凍してあるカレーを夕食にした。

 皿を洗い終え、明日の朝ごはんと弁当の仕込みだけは頑張って終えた頃、赤城さんからメッセージが来た。そこには、映画のタイトルと、『見たい!』と言っている猫のスタンプ。


 タイトルを検索し、出てきた結果に一瞬固まった。


 ホラーか……


 あんまり得意じゃないんだけどな…… 恋愛モノじゃないところを見ると、弟と一緒に観に行く感覚かな? 少し不安になりながらも返信した。


 そして、疲れてたから、いつもより早くベッドに入って目を閉じた。





 また夢だ……


 最近、頻度が上がっている気がする。


 夢の中の俺は、竹箒を手に縁の下で聞き耳を立てていた。


『若旦那さん、御用だすか?』


 その声は以前見た夢で聞いた声。夢の中の俺を叱って蔵に閉じ込めさせた怖い女の人の声だった。


『昨日、松吉が助けを求めに来た。もう自分の力ではもうどうにもならんて』


 松吉って誰だろう…… この声は若旦那さんだ。でも、いつもより低い気がする。


『……はて、なんのことでっしゃろ』


『しらばっくれな! ……のいじめのことや!』


 怒鳴り声にビビった俺は手に持った箒の柄をギュッと握りしめた。名前聞き取れなかったけど、それは夢の中の俺の事だろう。間違いない。


『一体何をしてんのや。仕事が出来るのを褒めんと、いじめるやなんて』


 いつもより声が低い理由がわかった。若旦那さんは怒っている。


『はぁ……』


『……なんや? 言いたいことあるんなら、言いや』


『御寮人さんも、若旦那さんも、あれを依怙贔屓しすぎだす。それがあきませんのや、図に乗りますさかい……』


『依怙贔屓なんかしてない。仕事がちゃんとできるから誉めてるだけや。あれがいつ図に乗った? あいつはそういう性格やない』


 夢の中の俺は、若旦那さんに可愛がられている。あの綺麗な御寮人さんにも……

 でもそれが周りが気に入らずいじめられている。必死に仕事を頑張れば頑張るほど、逆効果でいじめられる…… その情報がすっと頭に入って来た。


『仕事がちゃんとでけへんやつが逆恨みしてるだけや。そういう手代や丁稚の指導をしっかりするのが、おまはんの役目やろ。頼むわ……』


『へぇ……』


『……いじめが終わらへんかったら、その時はわかってるやろな?』


 その声は全く優しくない。怖い。さっきの怒鳴り声も、低く脅すその声も、どこかで聞いたことがあるのは間違いない。

でも、どこで聞いたのかわからない……


『へぇ…… 承知しました……』


 声音からして、承知はしてないだろう。これからどうなるのか。夢の中の俺は、不安でいっぱいだ。と、そこへ若い二十歳くらいの男性がやってきた。


『……居た。大丈夫か?』


『松吉はん…… すんまへん…… わて……』


 これが、松吉さんか……


『もう大丈夫や。きっと若旦那さんが守ってくれはる。わてももっと頑張るよって…… な?』


『おおきに……』


 夢の中の俺は、泣き虫みたいだ。涙があふれ、視界が滲んだ。


『何やってんのや、二人してそんなとこで』


 縁の下を覗き込んで、若旦那さんが少し呆れたように言った。

それはいつもと同じ優しい声だった。


『あ、若旦那さん。こいつの姿が見えんと、不安になって様子見に来ました』


『そうか。……松吉、おおきにな、知らせてくれて』


『いいえ。若旦那さん、こっちこそありがとうございます。……さ、行こか、仕事が残ってる』


 行く前に、若旦那さんの顔が見たい。どうしても……


『へぇ…… 若旦那さん。ありがとうございます。失礼します……』


 その願いはかなわなかった。頭を深々と下げた後、そのまま松吉さんと足早にその場を去った。俺の背に、優しい声が届いた。


『気張り、二人とも』


 嬉しい暖かい気持ちが溢れた。

と、同時に胸が酷く締め付けられた。

 嬉しいのに、苦しい。


なんなんだろう、この感情は……

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