【1-8】馬脚を顕わす!

  目が覚めた。

 今何時だ? 7時?夢のせいで早く目が覚めたか……せっかくの休み、もう少し寝たかった。でも無駄な二度寝はしない。

  起き上がった瞬間、一気に眠気が吹き飛んだ。

 ここはどこだ? なんで浴衣を着てる?なんで畳の部屋に布団で寝てる?

 ……そうだ、ここは社長の家だ。昨日の接待後に宅飲みして、泊めてもらったんだ。

  部屋を出てリビングへ向かうと、昨夜の酒盛りの跡がそのまま残っていた。昨晩見た散らかった部屋も、変わらずそこにあった。


「どうしよう……」


  今すぐ帰る? いや、それは失礼すぎる。社長が起きるまで待って挨拶してから帰るか……

 でも朝が得意ではないと言っていた。起きてくるまで何して待つ?


  布団をたたみ、浴衣を洗濯機に入れ、着替えてまた考える。

 洗濯と片付けでもしようか。でも、その前に朝ごはんか?

  でも、一人で食べに行くのは、ないな。いっそ作るか社長の分まで。この前、ホテルに泊まった時、社長は朝食を取っていた。多分食べる派だろう。

  寝ている社長に心の中で謝り、キッチンの状態を少し再確認させてもらう。

  お米、パスタ、乾麺 発見。基本の調味料発見。昨夜の冷蔵庫だけでの判断は甘かった。少しは料理をしているようだし、皿や箸の数が多いのを見ると、友達を呼んでみんなで何か作って食べるのかもしれない。でも、今ここに朝ごはんを作れるような材料は無い。一人で食べに行くより、買い物行って、必要最低限の材料だけ買って作ろう。出ている間に社長が起きてもいいようにメモを残した。


『鍵をお借りします。コンビニに行ってきます』


  最寄りのコンビニを探して向かうと、自分の身支度に必要な物と、朝ごはんの材料をカゴに入れた。

 味噌汁と玉子焼きにしよう。卵に、味噌、具になる野菜…… おまけで漬物。

  買い物を終えて社長の家に戻ると、まだ社長は起きていなかったのでメモを破棄した。バスルームを借りて、身だしなみをきっちり整えてさっぱりし、朝ごはんの支度に掛かった。


  お米はキッチンにあるものを使わせて頂く。ささっと研いで、炊飯器のスイッチを入れる。

 味噌汁の出汁をとりながら、具になる野菜を切り、玉子焼きの準備に入る。社長の好みが分からないから、甘いのと塩っぱいの両方作ろう。準備完了。仕上げは社長が起きてから。

  というより、この空間で朝ごはんを食べたくない。せっかく広くてスタイリッシュな部屋なのに、散らかってるのは残念すぎる。昨日の酒盛りの後から手をつけ、ゴミを拾い、出しっ放しの本を本棚に戻し、脱ぎっぱなしのジャケットをハンガーにかけた。



  炊飯器がお米が炊けたと知らせた時、洋室からごそごそ物音が聞こえた。

 時計を見るとまだ8時半。起きたのかな?朝は得意ではないと言っていたから、まだ寝ててもいいのに……

  でも、お米は炊きたて。玉子も今から焼くから焼きたて、味噌汁も今から仕上げる。一番美味しい状態で食べてもらえる。なんだかうきうきしていると、社長が部屋から出てきた。


「おはよう……」


「おはようございます……」


  げっ。どこからどう見ても不機嫌な顔だ。その顔を見た途端に、さっきの浮かれた気持ちはどこかに消え去り、頭は冷静に働きはじめた。

  何をやってんだ俺は…… 全部勝手にやった。片付けも掃除も朝ごはんも…… 喜ぶわけがない、怒るに決まっている。でももう時間は戻せない。しっかり謝ってちゃんと怒られよう。俺が全部悪い。


「申し訳ありません。お伺いもせず、勝手に片付けをしてしまいました……」


  深々と頭を下げると、返ってきたのは叱責でも冷めた言葉でもなく、優しい声だった。


「なんで謝るの? 片付けしてくれてありがと。翔太」


  驚いて顔を上げると、昨日の夜に見たのとはまた違う、柔らかで優しい笑顔があった。

 ドクンと、大きな音を心臓が立てた。そして、鼓動は速くなり収まらなかった。

  なんだこれは……


「あ、ごめん。勝手に呼び捨てしてて……」


「いいえ、構いません」


  そんなことはどうでもよかった。なんで心臓が早くリズムを刻むのかわからない。頭がグルグル、グチャグチャし始めたが、もう一つ謝らないといけない事があった。


「申し訳ありません、勝手にキッチンも使ってしまいました……」


「いいよいいよ。何か作ったの?」


  社長はまだ少し眠いらしい。あくびしながらのんびりと聞いて来た。


「朝ごはんを…… 召し上がりますか?」


「マジで? ありがとう。もちろん食べる!」


  社長はニッと笑った。怒られなかった…… 今後はちゃんと聞いてからやれ自分! と深く反省をした。

  気持ちが軽くなって余裕が出たせいか、社長の身形のおかしさに気づいてしまった。

  いつもきちんとセットしている頭はボッサボサ、いつもアイロンがかかってるシャツはよれよれでおまけにスラックスからはみ出ている。そして靴下は片方履いていない……


「その前に、どうぞ、シャワー浴びて来てください……」


  暗に身形のことを匂わせると、焦った様子で寝室に引き返した。


「あ、ごめん、こんなみっともない格好で……」




  また一人になった俺は、キッチンに戻り、混乱した頭を抱えたまま卵を焼き始めた。

 ……さっきのはなんだ? なんであんなにドキドキした?いつもと違ってピシッとしてなかったから、カッコいいってドキッてしたわけじゃない。だから……

  あぁ、もういい。もしも次にああなったらもっと深く理由を考えよう。もう忘れよう! 集中だ。

 卵が上手く巻けなくなる!

  一回深呼吸をした後、邪念を払い卵を一気に焼き終えた。そして味噌汁の最終仕上げに入る。

 味噌を溶いていると、社長が隣にやって来た。髪はセットされ、清潔感漂う私服に身を包んでいた。

 心臓は平常運転。やっぱりさっきのは意味がわからない…… もういい……


「よそうの手伝うね」


  そういうと、社長は茶碗と杓文字を出して来た。やっぱり、料理をしない人じゃない。


「お願いします」


「ご飯、これくらい食べる?」


  炊飯器を開けてすぐに盛り付けた!飯返ししてください!前言撤回。

 やっぱり、あんまり料理はしてない……

  で、どんだけお茶碗に盛るんですか?


「それは多いです……」


「ごめん、これくらい?」


「はい。ありがとうございます」


  そうこうしてる間に、味噌汁が完成した。

 よし、あとは……


「あとは何やればいい?」


  ご飯をよそい、箸と箸置きをセッティングし終わった社長に聞かれた。味噌汁は俺がよそうから……あれを忘れてた。


「漬物、よそってもらえますか?」


「了解!」


  敢えて触れず自然にやり取りしたけど、正直混乱している。

 社長の言葉づかい、表情、キャラがいつもと全然違うことに。

  ……この人は、本当にLOTUS製薬代表取締役社長、蓮見健一なのか?




  リビングのテーブルに、炊きたてのご飯、味噌汁、玉子焼き、漬物が並んでいる。


「美味しそう」


  向かいに座った社長は嬉しそうに言うけど、俺は若干緊張している。

 口に合うだろうか……


「いただきます」

「いただきます」


「美味い!」


  言葉通り本当に美味しそうに食べる社長の姿にほっと一安心。よかった……

 やっぱりこう言う人に料理を作りたい。一緒に食べたい。

  でも、やっぱり目の前のこの人はいつもの社長じゃない気がする……


「社長、あの……」


  呼んだ途端、寝起きと同様不機嫌になった。


「会社じゃないから社長って呼ぶのナシ」


  少し戸惑ったが、昨晩と同じ呼び方をしてみた。


「……すみません。あの、蓮見さん」


「なに?」


  不機嫌が治った。


「……まだお酒抜けてませんか?」


  途端に箸が止まった。


「……あ。……えっと、その話は後で」


  少し淀んだ空気を、蓮見さんが戻した。


「たまご、味2種類?」


「はい。お好みがわからなかったので……」


「俺、甘い派。でも、よくこんなに綺麗に巻けるね。俺絶対ムリだわ」


  そこに目が行くってことは、やっぱり……


「料理するんですか?」


「ちょっとだけどね。翔太みたいに上手くないよ全然」


 社長と呼ぶと機嫌が悪くなる蓮見さんと朝ご飯を食べながら、いろいろ話す。

 その間も、本当に酔ってないの? 実は双子の兄弟? 頭でも打った? とか有る事無い事考え続けた。

 あまりにも普段の社長と違いすぎる……


「ご馳走さまでした。美味かった。ありがとう」


「お粗末様でした。お茶、淹れますね」


「うん」


  食器を片付け、水に浸け、急須を探し始めたところで気づいた。

 待て! これは俺ん家じゃ無い。また勝手にやりかけた。


「すみません、また勝手に。お茶淹れてもよろしいですか?」


「あ、ごめん! お茶は俺が。皿洗いも俺がするから、翔太は座ってて!」


  かといって堂々と座っていられるもんでもない……


「お手伝いします」


「いいからいいから」


  若干の気まずさがあったが、これ以上言うのもアレなので大人しく座って待った。




  蓮見さんに淹れてもらったお茶を啜りながら、また向き合った。

  湯呑みの底を見つめたまま、蓮見さんは切り出した。


「もう酔ってない」


「すみません、変なこと聞いて……」


  深くため息をつくと湯呑みをテーブルに置き、頭を下げた。


「ごめん…… ずっと、騙してた……」


  ……え? どういう意味?

  蓮見さんは頭をあげて、俺の目を見た。


「会社でのあの俺が作り物で、今のこの俺が本物だ」


  この言葉が本当なら、俺が今まで見ていた社長は何だったんだろう。


「……クールなフリをしてたと言うことですか?」


  今まで見ていた社長は、感情が見えず人間味が感じられない人だった。でも今俺と喋ってるこの人は、「不安」という感情を露わにしている。


「そう……」


「いつからですか?」


「入社した日から……」


「ずっとですか?」


「うん……」


「なぜ?」


「入社する時、父に言われたんだ。そんな態度じゃ、喋り方じゃ、表情じゃ、舐められる。会社では普段の自分を殺せ、上に立つ者として振る舞えって……」


  確かに、上に立つ人がこんなフワッとしていたら、優しかったら、取り入ろうとか騙そうとか考える輩が出てくるかもしれない。でも先代社長は厳しすぎやしないか? 老舗とはそういうものなのか?


「……昔、俺みたいな主人だか社長だかがいて、店を潰しかけたらしい。父も俺よりは酷くないけど、ふわふわしてる性格だったから、そのせいで経営が傾いた。だから父は俺に厳しく言ったんだと思う」


  なぜか、久田さんの言葉を思い出した。

「創業時は『蓮見屋』で、次に「見」を「美」にして『蓮美屋』」

  なんだろう…… あれと関係あるのか?

 イヤ、今それを考える時じゃない。


「それに、ヘブンス側にいる姉と甥っ子と姪っ子が困らないように、ちゃんとしないといけない……」


  こっちの理由の方が、蓮見さんの重荷になってるんじゃないか?


「あと……」


  まだあるの? どんだけ責任重いんだ?老舗の跡取りって……


「みんなに、特に久田さんに、俺が社長になったこと受け入れて、許してもらいたい……」


  どういうことだ?


「俺は久田さんの出世を邪魔した。経営が傾き始めた時、同族経営の世襲をやめにして、久田さんを社長にって意見がたくさん出たらしい。なのに、父がそれを拒否して俺を後継者に決めた。俺も状況がよくわかんないまま、父の体調が不安で戻って来たのがいけなかったんだけど……」


  蓮見さんが本当の自分を殺して、クールで孤高な仕事が出来る社長のフリをするのは、これが最大の理由だ。そして、久田さんをなんとなく警戒しているのもこれが原因だ。間違いない……




  俺はあの大げんかした日、怒りに任せて蓮見さんになんて言った?

 とんでもないことを言ってしまった。


「ありがとうございます。全部話してくださって。そして、申し訳ありませんでした……」


  深々と頭を下げると、蓮見さんは慌てて俺を止めた。


「なんで翔太が謝るの?」


  「あの日、蓮見さんの気持ちなんにも知らないくせに、とんでもない暴言を吐きました。申し訳ありませんでした……」


「もういいよ。気にしてないから。そりゃ、ちょっとこわかったけどさ……」


  本当はこんなに優しい穏やかな人なのに…… 辛いだろう、キツイだろう……


「でも、あの時、翔太なら本当の俺でも受け入れてくれるかなって、ちょっと期待した…… で、あの日からちょっとずつ手探りで、試してた。ごめん…… あ、そういえば、昨日もほんとごめん。酔っ払ってだいぶ迷惑かけた……」


  やっぱりあの日がきっかけか…… 俺の短所の短気が功を奏した。終わりよければすべて良し、かな。

 喧嘩と酒が、俺と蓮見さんの仲を深めた。こんなことって、あるんだ……


「いいえ。楽しかったです。また、ご一緒させてください」


「……ありがと。あのさ、こんな俺だけど、ヘブンスから帰還命令が来るまででいいから、秘書続けてくれる?」


  答えは決まっている。


「はい。喜んで。今まで以上に努力します」


  本気だ。正式にLOTUSの社員じゃない俺だけど、蓮見さんの味方になりたい。


「……あと、二人だけの時は、このままの俺でもいい? 」


「はい。構いません。蓮見さん」


  ほっと安堵の表情を浮かべ微笑む蓮見さんに、俺も心の底から微笑み返した。

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