【1-5】禍福は糾える縄の如し

「修理費の請求書はもう経理に出した?」

 

「はい。出しました」


  朝礼後、総務の小宮さんに書類を提出しながら昨日のことを報告していた。


「ありがとう。念のために、社用車一斉メンテするわ。結子ちゃん、手配お願い」


「はい。わかりました」


  これで報告は終わり。自分の仕事に戻らないと。

 昨日帰ってこれなかったせいで、仕事が溜まっている。


「あ、ごめんね。戻るついでにこれを松田さんに持って行ってもらえる?」


  小宮さんに引き止められ、黒いクリアファイルを渡された。

 隣の席の赤城さんが、何やらクスクス笑っている。

 よくわからないけど特に気にせず素直に受け取って自分の席に戻ると、松田先輩に手渡した。


「松田先輩、これ、小宮さんから」


「うわぁ…… もらってくるなよ……」


  すごい顔で、全力で嫌がられた。


「……すみません」


  黒いファイルの中身はなんなんだろ?もらってきたらマズイのかな?


「いや、梅村は悪くない。サンキュ」


  そう言いながらも、松田先輩は唸ったり、ため息ついたり、頭を抱えたりしながらそのクリアファイルの中身を見て、何かを書き込んでいた。

 メールボックスに溜まっていたメールを全て確認し終わった頃、またさっきの黒いクリアファイルが俺の手元に戻ってきた。


「ごめん、これ、小宮さんに持ってってもらえる?今じゃなくていい。何かのついででいいから」


  何かのついでを強調する先輩が少し気になったが、とりあえず受け取った。

  一件用事があったので、総務の島に向かうと小宮さんは離席中だった。隣の席の赤城さんに声をかけた。


「これ松田さんから小宮さんに。置いておきますね」


「あ、うん。伝えておくね」


  赤城さんはまた笑っている。何だろう?

 まぁ、いいや。それよりも……


「……赤城さん、今日、お昼寝いっしょにいいですか?」


  何か進捗があると、赤城さんに報告することにしていた。

 秘書の仕事は日報として久田さんに毎日報告していたが、ささやかな進歩の報告はほとんど赤城さんにしていた。


「じゃ、今日は屋上行こうか」


「はい」


  いつも以上に待ち遠しい昼休憩がやっと来た。

 今日はコンビニ弁当。あんまり好きじゃないけど家に帰れなかったからしょうがない。

 赤城さんにも言われた。


「珍しいね、コンビニ弁当? あ、そうだよね、昨日大変だったみたいだし」


「はい」


「どうだった?」


「池谷ファーム訪問はすごく良かったです。開発に繋げられそうです。問題はその後で社長と大げんかしちゃって」


「えっ。なんで?」


「理不尽なこと言われて、ついカッとなってお互い言い争いを……」


「社長って怒ると怖い?」


  よく赤城さんにズレていると突っ込まれることがある。食いつくとこはそこじゃないと。

 そのまま返したくなったが、それ以上に赤城さんの言葉が引っかかった。


「……え? 見たことないんですか?」


  もしかすると、笑ったのも、焦った様子も、全部俺が初めて見たのか?

 それはそれで……


「うん。でもみんなそうだと思う。だって自分から下に降りてくるの、月一の全社会議くらいでしょ。わたしたちから用事があって行っても、書類の引き渡ししかしなかったから…… しかも最近はほとんど梅村くん任せだし……」


「ひでぇ……」


  ボッチだ。一匹オオカミだ。

 でも、決してコミュ障ではない。人の話はちゃんと聞くし、目をちゃんと見て話す。

 人に合わせて言葉を選んでるし。でも、何がいけない?人見知りが激しい?人間不信?

 ……久田さんの言ってるとおり、このままじゃ将来ヤバい。


「ごめん、話がズレたね。で、社長とはまだケンカしたまま?」


「いいえ。社長に口答えするヤツがスパイなんて無理だって呆れられて終わりました」


「それって、スパイ疑惑が消えたってことでオッケー?」


「はい。それで、今日から、スケジュール管理任せてもらえました!」


「なにそれ、大進歩じゃん!」


「はい!」


「よかったね!よく頑張った!」


「ありがとうございます」


「この調子で頑張りなさいね」


「はい!」


  すごく喜んでくれた。褒めてくれた。嬉しい。

 でも、これって、赤城さんにとっては、弟の面倒を見ている感じなのかな?

 でも…… 俺は、赤城さんのこと、女性として気になりはじめている。


「……あ、あの、もしよければ、夕食、今度一緒にどうですか?今まで相談に乗って頂いたお礼というか……」


  こんな若造から誘っていいのか、少し前から迷っていたが、今日の進歩で勇気が少し出た。

 でも、自信はない。余分な言葉を付け足してしまった。


「あ、すみません、ご迷惑でしたら言ってください……」


「ううん。全然OK。金曜日はどう?」


  いい返事が来た。よかった……


「じゃ、連絡先教えておくね。あとでメッセージ送って」


「わかりました。ありがとうございます」


  その日は溜まった仕事を消化するのに時間がかかり、いつもより少し長く残業した。

 疲れてはいたけど、帰り道に近所のスーパーにちょっと寄り道。

 何を作ろうか考えながら買い物するのが好きだ。安くて良いものが手に入ると嬉しい。

 少し遅い時間だったけど、結構良い野菜が残っていた。

  今日は野菜炒めにしよう。

  マンションの自分の部屋に一日ぶりに帰った。堅苦しいスーツを脱ぎ、楽な部屋着に着替える。

 今日買ってきた野菜をさっと洗い、千切りにした。冷凍ご飯を電子レンジに入れ、作り置きしてある味噌玉をお椀に入れる。

  フライパンにごま油をひき、野菜を入れて炒め、あっという間に完出来た。

 少し残して明日の弁当用に、解凍が終わったご飯を茶碗によそい、お椀にお湯を注いで全て完成。


「いただきます」


  我ながら満足いく仕上がりだった。

 空腹も満たされ、ほっと一息つきながら、スマホのメールやメッセージのチェック。

 赤城さんに教えてもらった連絡先にメッセージを送ると、返事がすぐに来た。


『金曜日楽しみにしてます』


 それと、猫のイラストのスタンプ。


  仕事もプライベートも、この調子で進歩したい。

 いいこと尽くしの1日が無事に終わった。


 ……ほのかに梅の香りがする。

 ここはどこだ? 今度はなんの夢だ?

  周りを見渡すと、ここがどこかのお屋敷の部屋ということがなんとなくわかった。

 隣には厳ついおじさんが座っている。

  床の間には小さな壺に綺麗な白梅が。さっきの梅の香りはこの匂いだ。


『しっかり仕事するんやで。ええな?』


『うん。お父ちゃん』


 声が子供だ……

 このおじさんはどうやら夢の中の俺の、父親らしい。

 こんな子供なのに仕事ってことは丁稚かな?


『うんやない、へぇ』


『へぇ』


  そこへ、衣擦れの音を立て、女性がやってきた。


『おいでやす』


  誰だろう?

 渋めの着物を着ている二十代くらいの若い女性。

 色白で切れ長の目、整った眉、時代劇に出てくる女優以上の美人だ。

 ポーッと見とれていると、


『これ、御寮人ごりょんさんに挨拶せぇ』


 となりの『お父ちゃん』に、頭を押さえつけられた。

 ごりょんさんって、女将さんみたいなものかな?


『よろしゅうおたのもうします!』


  優しい笑顔を浮かべる御寮人さん


『いくつや?』


『五つだす』


『こんなにこんまいのに偉いなぁ……』


  綺麗な顔に涙が伝った。

 どうしたんだろ?


『すんまへんなぁ、うっとこの真ん中の子が生きとったら、同じ年やから……』


  どうやら、息子さんを亡くしたらしい。


『おいくつで亡くされたんだす?』


  おいおい、そんな事聞くなよ……


『三つの時に、風邪をこじらせまして……』


  涙を襦袢の袖で拭う御寮人さん。

 ほら、泣いちゃった……


『御寮人さん、倅は母を三つの時に亡くしました」


  え、そうなんだ……


『父一人、子一人で育てましたさかい、至らぬことも多くあると思いますが、よろしゅうお頼もうします』


『よろしゅう、おたのもうします!』


『任せとおくれやす。なんや、あの子が帰って来たみたいやわ……』


  目に涙を浮かべながらも笑みを浮かべる御寮人さんは、本当に美人だった。


  「お父ちゃん」は帰っていった。座敷には二人きり。

 御寮人さんは、優しく頭を撫でてくれた。


『明日から、おきばりやす』


『へぇ』


『名前を決めなあかんなぁ……』


  え? 名前?

 仕事場だと、変えないとダメなの?


『どないしょなぁ……』


  御寮人さんは、活けてある梅を見て、呟いた。


『せや……にしよか』


  聞き取れない。この夢の中の、俺の名前……


『これからあんさんは………や』


  そこで目が覚めた。


 あんなにリアルな夢なのに、肝心なことがわからない。

 何か理由があるのか、ただの偶然なのか……

  わからない……

 少し前は同じ夢の繰り返しだった。今はその夢は全く見ず毎回違う夢を見る。

  全部繋がっているのか、違うのか?

  わからない……

  いつか、全部何かがわかるようになるのかな……

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