【1-3】心頭滅却すれば火もまた涼し?

「では、私はこれで…… 梅村、頑張れよ」


 久田さんは社長に一礼すると部屋から出ていった。社長室には二人だけ。調べた情報、教えてもらった情報を思い出しながら、社長を観察した。


 LOTUS製薬代表取締役社長。蓮見健一。31歳。

有名私立一貫校卒業。大学時代にアメリカに留学。そのままアメリカの製薬会社に就職。29歳でLOTUS製薬社長に就任。独身。

 身につけているスーツ、ネクタイ、革靴、腕時計は全て品のいいブランド物。イケメンと言って文句は出ない整った顔立ち…… 若くて社長でこのスペックであれば、間違いなくモテる。羨ましい限り。

 俺がそんなことを考えていることを知ってか知らずか、椅子に腰掛けた社長は少し俺を眺めた後、冷ややかな笑みを浮かべた。


「……ヘブンスからのスパイ、というわけか」


 ありえない言葉が会社のトップの口から出て来て、耳を疑った。それが初対面で人に言うことか?


「……目的は何だ?」


 スパイと決めつけ、一方的に自分を悪者にする社長。怒りを通り越し、呆れた。

しかし、初日から楯突くなんてできない。大人の対応をするしかない。営業スマイルで感情を抑え、堂々と聞き返した。


「……なぜスパイ扱いされるのでしょうか?」


 まともな答えは返ってこず、鼻で笑われた。


「まぁいい」


 こんな社長の秘書なんかやれるか。そう即座に思った自分の短所である気の短さに反省をした。


「ヘブンスとの関係もある。一応は秘書だ」


「ありがとうございます」


 営業スマイルを崩さない俺が気に食わなかったのか、社長はまた鼻で笑った。


「戻っていい。今日は特に用事はない」


「えっ」


「本業の企画開発部に戻ってよし」


 不本意だけど打つ手がないのですごすごと社長室から退散すると、外では久田さんが待っていた。どうやらこの結果を予想していたとしか思えない。


「会議室に戻ろう。講義の続きだ」


 しかしすぐには始まらなかった。


「……社長はどうだった?」


 正直に言うべきか少し迷ったが、腹をくくった。久田さんはわかっている。嘘を言ってもしょうがない。


「……スパイ扱いされました」


 久田さんは眉間にしわを寄せると、右手で眼鏡をぐっと上げた。


「やっぱりそうか…… 社長は警戒心が強くて、なかなか人を寄せ付けない」


 予想通りの展開だったみたいだ。そんな人になぜ外部から呼んだ秘書を付けるのか、意味がわからない。


「なんでも自分で抱え込んで自己解決しようとする。それだと近い将来絶対に困る。そう思うだろ?」


「そうですね。上に立つ人だと特に……」


「そこで、竹内に相談した。ここは年上ばっかりだろ? すこし年の離れた若い秘書ならいけるんじゃないかっていう話になった。ちょうど、竹内はヘブンスさん恒例の武者修行対象者と行先の調整をしていた。そこで、梅村に白羽の矢が立ったんだ」


 出向の謎が少しだけ解明された。しかし、他にも何か裏があるんじゃないだろうか?ふっと沸き上がった懐疑心。なんで俺だったのかがわからない。ヘブンス薬品は大企業。同期で俺よりできるやつなんて山といる。俺より若くてできる後輩もいっぱいいる。なぜ自分なのか?


「……私に、務まりますでしょうか?」


「俺は梅村ならできると思う。竹内も、梅村は言葉遣いも礼儀もちゃんとしていて、人間関係も良いからできるはずだと言って寄越してきたんだ」


 自分に対する竹内さんの評価が垣間見えた。期待されているのは素直にうれしい。不安はものすごく大きいが、できませんと言って投げ捨てるのはイヤだ。この経験を自分の糧にしてやる。


「ありがとうございます。精一杯、頑張ります」


「よろしく。何かあったらすぐに俺に言ってくれ」


 その日夢を観た。今まで見たことのない夢だった。


『もうあかんわこの子は!』


 年配の日本髪を結った女性が、俺を叱っている。なんで叱られなければいけないのか、理由が解らない。それより、なんでこの人は関西弁を話しているのか?


『すんまへん! すんまへん!』


 なんで謝ってるのか、なんで涙を流して泣いているのか、なんで関西弁なのか。

まったく意味が分からない。

 でも、俺を叱る女性を止める男の声にハッとした。


『いじめんといて!可哀想や!』


 それは、いつも見ていた夢中で聞く声と同じ声。彼は誰だ?

確認したかったが、その声の主の顔は涙で滲んだ目には見えなかった。


『若旦那わかだんさん依怙贔屓はあきません! 明日の朝までこの子、蔵に閉じ込めておき!』


 その言葉通り、俺は自分より背の大きい男の人に引っ張っていかれた。

向かった先は、暗くて狭い蔵。そこに閉じ込められた。

 また涙が出始めた。なんでこの夢の中の俺は、泣いてばっかりいるのか。内心呆れてたが、涙は止まらない。しばらく泣いていると、明り採りの窓から何かが投げ込まれた。涙をぬぐいそれを手にとって中を見てみると、懐紙に包んだ饅頭だった。


『……それ、食べ』


 聞こえてきたのは、さっき自分を助けようとしてくれた人の声だった。


『……おおきに』


 饅頭を口いっぱいに頬張った。空腹の腹に、冷えた心に、甘い饅頭が沁みた。


『おまはんは悪ない。すまんな、助けられへんで……』


『……若旦那わかだんさん、おおきに』


 なんだろう、この不思議な暖かい、でも苦しい気持ちは。

 あの人の名を呼びたい。あの人の名前は……


 目が覚めた。

目に見えるのは、いつもと同じ天井。

あれはなんの夢だ? いつも見ていた夢と関係があるのか?

顔が見えないあの人。あの人は誰なんだ……

でも、あの声は…… 夢の中以外でも、どこかで聞いたことがある声だった……


 新しい会社に来て、1週間が経った。

 社内の人間関係は至って良好。松田さんは熱心に業務を教えてくれるし、主任や課長、部長皆が気にかけてくれる。同じ部署の人たちとは、金曜日に開かれた歓迎会でだいぶ打ち解けることができた。

 悩んでるのは今のところ社長との関係のみ。

一日三回社長室に向かう。朝の挨拶、昼の挨拶、退社前の挨拶。ほぼ挨拶するだけ。たまに、書類を総務に持っていけだの、久田さんから何々を受け取って持ってこいだの、雑用しかしていない。こんなのが秘書と言えるのか。

 毎日久田さんには報告をあげ、アドバイスももらっていたが、変化はなし。別れた彼女が言った通り、本当に左遷だったんじゃないのか。不安が首をもたげ始めた。


 昼休憩の時間になった。デスクの上の書類をまとめ、弁当を食べる場所を開けようと整理整頓していると、赤城さんに声をかけられた。


「梅村くん、お昼一緒にいい?」


 赤城さんは、いつもは総務の島で女性陣とおしゃべりしながらのランチのはず。俺も毎日、同じ島の人たちとデスクで食べる。今日はなぜか珍しく赤城さんに誘われた。


「お。赤城さんのお誘いだぞ。行ってこい、梅村!」


 松田さんに背中を押され、誘いを受けた。


「はい。ご一緒させてください」


「ごめんね、松田くん。梅村くん借りるね」


「いいよいいよ!」


 天気がいいので、敷地内にある小さな庭に向かった。薬草を植えてある庭があるとは聞いていたが、その日初めて足を踏み入れた。木陰に置いてあるベンチに腰掛け、弁当箱を開いた。


「たまにはいいね。外でのご飯」


「そうですね」


 赤城さんの興味が俺の弁当に向いていた。


「そのお弁当、親御さん?」


「あ、これですか? 自分で作ってます。一人暮らしなんで」


「え、すごい! わたしも一人暮らしだけど、こんなのしか……」


 そう言う赤城さんのお弁当はサンドイッチとサラダだった。


「いいじゃないですか。手早くできて栄養バランスもとりやすいですし」


 笑顔でそう返すと赤城さんは少し恥ずかしそうにうつむいた。


「……もうちょっと頑張ろ」


 前の職場では、会社の近くにある店のローテーション。一人で行ったり、先輩と行ったり、同期と行ったり。さっさと食べたら、すぐに帰ってデスクで突っ伏して仮眠。それが当たり前だった。

 悔しいが、今の会社の方がはるかに人間的だ。先輩たちとたわいもない話をしながら、弁当をつつく。食後にお茶を飲みながら、午後の始業時間までまた雑談しながらまったりと過ごす。こんな職場もあるのだと最初は驚いたが、案外気に入り始めた自分がいる。

 

「そうそう、お仕事どう? もう慣れた?」


「まぁ、ぼちぼちってとこですかね」


「……秘書の方は大丈夫?」


 社長室に行ってもすぐに帰ってきて、一日のほとんどを企画営業部の島で過ごす。兼務という触れ込みで入ってきたのだから、皆が心配するのも当然だった。今朝も松田さんに心配された。


「社長が俺を寄せ付けません…… 雑用ばかりしてます……」


「そっか……」


 未だによくわかっていない社長という人。同じ会社の人間なら知ってるはずだ。


「赤城さんから見て、社長ってどんな人ですか?」


「そうだな…… 隙がない完璧な人。先代と全然違うから、本当にあの人の息子なのかなって思う」


「そんなにですか?」


「先代は優しくて、ちょっと頼りないところがあったけど、すごく人間味がある方だった。みんなの事よく覚えてくれてたな……」


 赤城さんの言うとおりだ。社長に人間味は全く感じられない。クールで笑わない。隙も見せない。


「そっか…… 社長、以前はアメリカの企業にいらっしゃったんですよね?いつ頃この会社に?」


「先代の社長がご病気になった時。来た途端に役職が専務だったの。それで、先代がお亡くなりになってすぐに社長に就任したから、一個上だけど、かなり距離を感じるかな」


「……ってことは、赤城さん、三十?」


 自分で聞いておいて、肝心な部分ではないところに関心が行っていた。もっと若いと思っていた。


「ちょっとまった。そこ? そこに食いつく? そう、この前三十になったばかり…… 文句ある?」


 年上の女性に歳の話を直接的にしてはいけない、怒らせてしまうから。わかっているくせに、たまにやらかす。精一杯の言い訳をひねり出した。


「いえ! 俺と二つくらいしか違わないかなって思ってたんで!」


完璧だ。これで大丈夫。


「わたし、松田くんと同期ってちょっと前に話した気がするけどなー」


 大失敗だ。それをすっかり忘れていた。


「すみません……」


「そのハンバーグくれたら許してあげよっかな……」


 年下をからかう年上の余裕さに、引っかかった。


「はい! お口に合うかわかりませんが。どうぞ!」


「ありがと。美味しい! 許す!」


「よかった……」


 いろいろたわいもない事を話しながら、楽しいランチタイムは過ぎて行った。

事務室に戻る途中、俺はため息混じりにボヤいた。


「……俺に、何ができると思います?」


 赤城さんはちょっと考えた後にアドバイスをくれた。


「何ができるか考えるより、まずは社長から信頼してもらうことを目指しなさい」


 赤城さんの落ち着いた様子、心の余裕さに強く惹きつけられた。


「ありがとうございます!」


「頑張れ、新米秘書くん!」


 励まされ、アドバイスももらえ、いつになくすっきりした午後の始まりだった。

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