【1-2】郷に入っては郷に従え?

 いつもと違う通勤路。満員電車には変わらないが、先週までのすし詰より断然マシだった。

悪くないかも。と思いながら、新しい職場へと向かった。

最寄りの駅から徒歩十五分。住宅とオフィスが混在している地域。スマホで地図を再確認しながら歩いた。


「着いた……」


 先週まで通っていた職場は、都心の無機質な高層ビル。今日から身を置くこの場所は、敷地内に木々が植えられており、目に優しい。その中に三階建てのこじんまりとしたビルが立っていた。真っ直ぐ玄関へと向かうと、守衛さんに声をかけた。


「おはようございます。今日からお世話になります。ヘブンス薬品から参りました、梅村と申します」


「おはようございます! 噂の新入り君だね? 多崎です」


「噂されてるんですか?」


 一体自分は皆にどう思われているか気になった。


「ヘブンスさんからデキるイケメンが来るって、みんな楽しみにしてますよ」


「そうなんですか。ありがとうございます」


 営業スマイルで、さらっと交わした。

とりあえず歓迎はされていることがわかり、少し不安が和らいだ。

勿論イケメンの自覚は勿論無い。童顔だとか可愛いとか、男には嬉しくないことを結構言われるので、イケメンの方がありがたいが……


「久田さんが見えた。おはようございます!」


「おはようございます。今日もよろしくお願いします。」


『まずは久田に挨拶に行け』と竹内部長に言われていた事を思い出した。

同じ大学の同じサークル出身、おまけに同級生で仲が良いらしい。

急いで久田さんに挨拶しに行った。


「おはようございます! 今日からお世話になります、梅村です」


「おはよう。こちらこそよろしく。久田だ」


 背が高くてすらっとした、メガネを掛けた男性。

竹内さんと同い年なので四十六歳のはず。けれど、竹内さんには悪いがずっと若く見えた。

肩書きは専務。LOTUS製薬のナンバー2。ヘブンスではそんな上の人と直接会うことなど皆無。

小さい会社ならではのこの状況に驚きと新鮮さを感じた。

久田さんの後について、事務室に向かった。


「小さくて驚いただろ?」


「はい。正直……」


「迷うことは絶対にないからいいけどな」


 途中、給湯室やトイレなど、大まかな社内の設備案内もしてもらった。

1階に事務室、2階に会議室と応接室とのことだった。


「ここが、事務室。梅村の席は、企画開発部の島だ。

向こうの奥が研究部で、そっちが営業部、あっちが総務部。経理がそこで、私の席は一番奥。

全社員がこの部屋にいて、社長室だけは3階だ」


「皆さん一緒のフロアなんですね」


「そうだな。ヘブンスさんは部署で階が別れるくらい大人数だからなぁ」


 ワンフロアに全部署揃っているというのが新鮮だった。

ヘブンスでは1フロア1部署という大所帯だった。部署をまたぐ時の面倒さと言ったら……




 始業時間になった。

朝礼の場で、久田さんから皆さんに紹介してもらった。


「先週の告知通り、今日付けでヘブンス薬品さんから来た梅村だ。

企画開発部員兼社長秘書として働いてもらう。梅村からひと言」


 おぉ、と小さなどよめきが起きた。

気恥ずかしかったが、第一印象は大事。


「梅村翔太です。至らぬことも多々あるかと思いますが、頑張りますので、よろしくお願いします!」


 盛大な拍手で歓迎されたが、どこからか質問が飛んできた。


「歳はいくつですか!?」


「26です」


「若っ! 万年最年少男子の松田より若いぞ!」


「よっしゃ。やっと後輩ができた!」


 どっと笑い声が起きた。

人が暖かそうでよかった。


 朝礼が追わると皆それぞれの業務を始めた。

まずは、自分が所属する部署のメンバーとの顔合わせ。

直属の上司となる、小池部長。

その下に浮田課長、岩沼係長、川崎主任、他に男性と女性が2人。計6名の部員が居た。

一人一人、自己紹介してもらうと、浮田課長から指示が出た。


「教育係は松田に任せる。頼むよ」


「松田、初めての後輩ができたな。しっかり面倒見ろよ」


「新米先輩頑張れ!」


 上司、同僚から口々に激励された松田さんはやる気満々の様子。


「はい! 任せてください!」


「よろしくお願いします。松田さん」


 今までは自分が後輩の教育係だったが、今度は逆。久しぶりに上に教育係がついた。

初心忘るべからず。気が引き締まった気がした。

やる気十分の元・万年最年少男子の松田さんから差し出された手を握ると、力強く握り返された。


「よろしく!」


 デスクは松田さんの隣。指示を聞きながらパソコンの設定をしていると、

ボブヘアの女性が手に色々持ってやってきた。


「松田くん、ちょっと梅村くん借りるね」


「いいよ。どうぞどうぞ」


「総務の赤城です。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


「書類をいくつかお願いしたくて。手が空いた時にお願い出来る?」


 けっこうな量がある書類の束を受け取ると、素直に返事をした。


「はい、わかりました。早めに終わらせます」


 クスッと笑って手を口元に添えた、赤城さんの笑顔が印象的だった。


「どうしたんです?」


「あ、ごめんね。久しぶりにわたしに敬語使う男の人が現れたから」


「そうなんですか?」


「ここの男性、同期の松田くん以外、みんなわたしより年上だから。みんなタメ口」


 ということは、赤城さんは年上……敬語が必須。顔と特徴注意事項を頭にインプットした。


「じゃ、書類お願いします。お仕事頑張ってね!」


「ありがとうございます!」




 それから、松田さんから会社の文化と、部署内のルールを説明してもらった。

社長以外は皆役職名で呼ばずに、名前で呼ぶ。昼御飯は、周囲に飲食店があまりないので、

ほとんどが弁当持参したり、買ってくるとのこと。これを聞いて弁当持参を決意した。ずっとやりたいと思ってたことがひとつ叶いそうだ。そうこうしてると、久田さんがやってきて中断となった。


「松田、悪いがしばらく梅村借りるぞ」


「わかりました。あ、でも、ちゃんと返してくださいよ。やっと出来た大事な後輩なんですから」


 松田さんには可愛がってもらえそうで一安心。

久田さんは笑って答えた。


「わかってる。すぐに返す」


 会議室に連れていかれ、会社に関する講義を受けた。

『LOTUS製薬』は遡ること江戸時代、大阪に拠点を構えていた薬種問屋に繋がる超老舗の製薬会社。幕末の動乱、世界恐慌、第二次世界大戦、バブル崩壊、震災…… 様々な危機はあったが、全てどうにか乗り越えてきた。しかし、先代社長の時代にとうとう経営がかなり厳しくなりってしまった。そこでヘブンス薬品と姻戚関係を結び資金援助を受け立ち直ることができた。しかし、その姿を見届けるかのように先代社長が亡くなり、今はその息子が跡を継いで社長になった。その際、『蓮美製薬』改め『LOTUS製薬』になった。


「ここまでで、質問は?」


「……婚姻関係というのは?」


「社長のお姉様が、ヘブンスさんの専務の奥様だ」


「あぁ、あの方!」


 次期社長の専務の奥様。幼稚園に上がったばかりの息子さんと、生まれたばかりの娘さんがいるはずだ。

全社行事で以前遠目だが、見かけたことがある。


「あと…… 会社名を変更した理由は何でしょうか?」


「先代は家業を経営難に陥らせたことと、娘を会社を守るための政略結婚に使ったことに心を痛めて居られた。そのせいで次第に病気がちになって、出張先で倒れられ、そのままお亡くなりになった。当代の社長就任時に心機一転、縁起担ぎということで、今の名前に変えたんだ。ちなみに、名前は今までに何回か変わっている。創業時は『蓮見屋』で、次に「見」を「美」にして『蓮美屋』。明治維新で東京に拠点を移したことを機に『蓮美製薬』 そして、「蓮」を英語にして今のLOTUS製薬になった」


 名前の変遷の説明の後、現在の社名になった経緯を説明してもらった。直近の生々しい暗い歴史に気分が暗くなったが、それよりも江戸時代に『見』から『美』に名前が変わった理由が、なぜかものすごく気になった。しかし、聞こうと思った矢先に講義が終わった。


「おっと、社長が見えたようだ。挨拶に行こう」


 社長室へと向かう途中、大事なことを聞き忘れていたことに気付いた。


「社長秘書って、今までどういう方だったんですか?」


「今までは役職を設けていなかったんだ。ご自分で全部やられていた。

でも、最近は仕事の種類も量も増えて来たんで、さすがにそろそろ必要だと思ってな」


「……ということは、私が最初ですか?」


「そうだな。梅村が最初で最後の秘書になるのがベストだな」


「頑張ります」


 笑顔で応えたものの、内心穏やかではなかった。

元カノの言った通り秘書なんかになったら、本当に元の会社に戻れないんじゃないだろうか。

悶々としてるうちに、社長室の前に来た。久田さんがドアをノックをする。


「社長、よろしいでしょうか?」


 中から返事があった。


「どうぞ」


 ドアを開け、二人で中に入った。


「今日付けでヘブンス薬品から梅村が来ました。さ、挨拶を」


 会社トップとの対面。これから秘書として付く相手。

かなり緊張したが、大きく息を吸い込み、腹から声を出した。


「梅村翔太と申します。よろしくお願い致します」


「蓮見だ。こちらこそよろしく」


 どこかで聞いたことがある声だ。

そう思ったのは気のせいだろうか……

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