【1-1】青天の霹靂

ピピピピピッ!


スマホのアラームが部屋に響く。


「なんなんだよ……」


何度見ても意味が分からない夢。


「くっそ…… あぁ!もう!大丈夫じゃねぇし!」


 梅村翔太。26歳。

国立大学に現役で合格、成績優秀で卒業。大手製薬会社の商品開発部に就職。

彼女は可愛く、教える後輩も1人できた。

そんな順風満帆な社会人4年目!

……だった。

 先週までは。


 悪いことがこうも一気に起こるなんて……




 全ての始まりは、先週の火曜日だった。

朝礼が終わるとすぐ、部長の竹内さんから呼び出された。

面倒見がよく、皆に尊敬されている上司。

いつも穏やかな顔をしているが、今日はいつになく険しい表情だった。

なんで呼び出されたのか、なにかやらかしたのか?

 全く身に覚えがないかった。


「梅村、出向だ」


「えっ!?」


 いつも人事異動は3月に発表されるはず。

今はもう4月半ばに入った。なぜ今になって突然?


「……部長、私は何かミスしましたでしょうか?」


 そう言った途端、竹内部長は笑った。


「いいや。その逆だ」


「それは、どのような……」


「梅村をエースと見込んでの武者修行だ」


「修行、ですか……」


「うちの会社の知られざる決まりだ。どの部署にも、こうやって武者修行に選ばれるエースがいる。

しばらく関係会社や協力会社に出向して、修行をする」


初耳だった。

そんな話、今まで誰にも聞いたことがない……


「私は、どこに出向になるのでしょうか?」


「LOTUSロータスだ」


 それは名前を聞いたことがない会社。不安が一気に増した。


「ろ? ろーたす? どこでしょうか?」


「協力会社だ。あとで会社概要を見ておけ」


「はい、承知しました……」


 不安は収まる気配がない。武者修行なんて言ってるけど、本当にその名の通りで、

いつかは必ず戻って来られるのか?いつかはいつまでなのか?


「……向こうでは何をするのでしょうか?」


「所属は企画開発部。兼務で社長秘書だ」


 企画開発は問題ない。

兼務だと? 社長秘書だと!?


「秘書ですか!?」


 身近にこの業務についてる友達も知り合いも誰もいない。

ドラマや小説でしか見たことのない役職。

まったく未経験でできる仕事なのか?


「あぁ。修行のうちだ。今度の月曜から頼む。引継ぎは、原を中心にできるところまででいい」


 次から次へと、耳を疑う言葉が出てくる状況に軽くパニックを起こしそうだった。


「月曜ですか!?今日は火曜日、今日入れてあと四日……

いえ、原はまだやっと二年目に入ったところですよ、大丈夫でしょうか?」


「大丈夫だ。これは原の為にもなる。じゃ、よろしく。期待してるぞ」


 肩をポンと叩かれ、話は全て終わった。頭が真っ白になりそうだったが、潔く今の状況を飲み込み

切り替えた。

 時間がない。


「先輩。どうしたんすか。青い顔して」


 デスクに戻ると、隣の席の新卒で配属直後から教育をしてきた原が

軽い口調で顔を覗いてきた。

 根は真面目だし、いいやつだが、だいぶ軽い。


「どうされたんですか? だ。言葉に気をつけろ」


「はい……」


 しかし、それ以上怒る気にもならない。

小さくため息をついた後、宣言した。


「俺、出向になった。今から引き継ぎ作業に入る」


「えっ。マジっすか!?いつからっすか!?」


 驚いた様子の原は、言葉遣いがさらに酷くなった。

しかし、その言葉遣いを指摘する時間も惜しい。


「来週の月曜日に俺はもう居ない! だから、今からやる!」


「マジかよ!」


 天を仰いでいる後輩に謝る時間などどこにも無い。その週は引き継ぎ作業に明け暮れた。




「先輩……無理です……」


 金曜日の夕方。

最後の仕事は半泣きの原をなだめる事だった。


「大丈夫。面倒な方は俺の同期に振り分けた。原のは簡単なやつだ」


 原はその言葉に少しは安心したようだったが、やはり不安は消えないようだった。

無理もない。


「梅村先輩…… 一年間、ありがとうございました……」


「頑張れ。原なら出来る。またな」


とうとう原は泣き出した。いつも軽口叩いてる生意気な後輩ではなく、

弟みたいな彼と別れるのが少し辛かった。


「いつでも連絡していいから」


「はい……」




「別れよ」


週末、レストランでのディナーデート後、彼女はそう言った。出向のことを告げた途端に。

もちろん反応は決まっている。


「え、なんで?」


 大きなため息をつきながらも、悪びれる様子もなく彼女は言った。


「テイのいい左遷でしょ、それ。秘書なんか任されてすぐに帰れると思う?」


「左遷って。え、でも……」


「どう見ても、アウトでしょ。もう戻ってこれないでしょ? お互いのために、別れよ」


 反論する気は失せた。

俺は何でこんな女が好きだったんだろう。

 一気に酔いも恋も冷めた。




「大丈夫じゃねぇし……」


 ベッドの上で思い出して少し憂鬱になった。でも、仕事にはいかないとダメ。

気がすすまないが、異動初日に遅れでもしたら印象が悪くなる。本当に左遷扱いで会社に戻れなくなるかもしれない。行くしかない。


 意を決して、ベッドから起き上がり、手早く身支度を整えた。


「パンと目玉焼きでいいか……」


 趣味の1つは料理。学生時代の一人暮らしで始めてハマった。

今もその延長で気楽な一人暮らしをしながら、自分の好きなものを作って食べる。

休みの日には、手の込んだ物も作ってみる。スマホには料理アプリがいくつか入ってるし、ブックマークには、レシピのサイトがかなりある。


でも今朝は違う。やる気が全くおきない。


 オーブントースターに食パンを突っ込む。焼けるのを待つ間に目玉焼きを作り、コーヒー用のお湯を沸かす。


「よし」


 固すぎず柔らかすぎない自分好みの目玉焼きが出来た。それをトーストしたパンに乗せ、熱いコーヒーをカップに注ぐ。

 手を合わせて……


「いただきます」


 そういえば…… と、いきなり思い出した。

この当たり前の礼儀を『元カノ』になったあの人は笑った。

 そういえば…… と、またあることに気づいた。

あの人は自分の手料理よりも、外食が好きだった。


 そして、気づいた。


 そもそも、合わなかったんだ。アイツとは……


 大きなため息をついた。ダメだ!ため息は幸せが逃げる!


「次こそいい彼女作ってやる!栄転してやる!俺と別れたことを後悔させてやる!」


 精一杯の強がりを、自分に言い聞かせた。

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