第16話 流前邸にて

流前罪火の屋敷は、都会の喧騒からは離れた郊外の住宅街のさらに離れにある。

山を背に、港から海までを一望できる高台に建てられたその西洋風の屋敷は、近隣の住民からは妖怪屋敷の名で知られていた。

明治時代に華族によって建てられたというその屋敷には、明治から大正にかけて、富豪であった屋敷の主人により、ヨーロッパ各地から様々な調度品アンティークが運びこまれ、深夜でも煌びやかな明かりに照らされていたという。

だが、その主人はある日突然姿を消してしまう。

残された屋敷と調度品アンティークの数々は、残された親族の垂涎の的となり、その所有権を巡って争いが起きる。

そう思われていた。

だが、それは起きなかった。

相続のため、主人の遺した屋敷に集まった親族もまたその全てが姿を消したのだ。

屋敷に集まったものだけでなく、彼らの元々住んでいたの家にいた者たちも含めてすべてが消えた。

そして、この屋敷は貴重な調度品アンティークをその内部に抱え込んだまま、数十年の時を過ごすことになる。

その間、何人もの人間が屋敷の所有権を求めて屋敷に挑み、そして消息を絶った。

いつしか妖怪が住んでいると噂されるようになった屋敷だが、そこに挑むものは後を絶たなかった。

屋敷から流出したとされる主人の遺した目録に記された収集品の数々は、世界有数の、中にはすでに現存していないものもあり、その資産価値は数十億、数百億、数千億と時とともに吊り上がっていったのだ。

宝の山を前に、黙っていられる人間などいない。

指をくわえてみているか、無謀とわかっていても挑むか。

あるいは、勝算を以って乗り込むか、だ。

この件に怪異が絡んでると気づいたものは、大金を払って退魔士を雇い、彼らに屋敷へ挑ませた。

あるいは、力ある術者の中で自信のあるものは、自ら屋敷に乗り込んだ。

そして、そのいずれも帰ってくることはなかった。


その間に屋敷は、誰も知らないうちになぜか増築され、外から内部を見ることもかなわなくなり、手の付けられない怪物として存在し続けた。

それが、今から30余年前、一人の男が屋敷を訪れる。まだ幼い子どもを伴ってやってきた男の名は流前罪火りゅうぜんざいか、そして子どもの名は降魔ごうま

誰もが新たな犠牲者だと考えた二人は、だが、そのまま屋敷で暮らし始めることになる。

流前罪火。その男がこの国最大の退魔組織だった護法輪最強の戦士であり、そして彼の連れていた降魔と呼ばれる子供が、その最強の座を継ぐ存在であることを、この時はほとんどの人間が知らなかった。

そして当時、衰退しつつあった護法輪はこの二人の存在により、再び最強の座に返り咲くことになる。


悠城想人が家令のボルグに連れられて自分の部屋のある三階から食堂に降りた時、この屋敷の主人である流前罪火はちょうど朝食を取ろうとしているところだった。

その傍らに立つ侍女が、想人の姿に気づいてペコリとお辞儀をする。

頭を下げた彼女の頭から二つの獣の耳がたれ、ぴょこんとその尾が背中から伸びた。

「おかえりなさいませ、想人様」

「ただいま、奈々羽ななはさん」

まだ少女にしか見えない妖怪の変化である侍女、奈々羽の変わらない姿に、想人は静かに答える。

この屋敷の住人は、今は主人である流前罪火と彼のもとで育てられた悠城想人、そして降魔の子である愛居真人の三人と、家令のボルグ、侍女の奈々羽の五人しかいない。

最後の一人である愛居真人の気配がないことに気づいた想人だが、特に何も言わずに席に着いた。

想人が触れることなく、200年前に作られたという椅子は勝手にその位置を変えて座りやすい位置に移動している。想人が着席すると、そのまま机との距離を適度に変化させた。

実に便利な存在だ。それが、人の手で生まれたわけではないということを除けば。

「おはようございます。師父せんせい

「おはようございます。考えはまとまりましたかな?」

「はい。師父のお手をおかけして申し訳ありません」

昨日、一人の少女を見殺しにさせられた、そして見殺しにさせたものの会話とは思えないほどに師弟の態度は冷静だ。

悠城想人にとっては、すでに終わった話だ。

そもそも、自分の見通しの甘さがこの事態を招いたと考えていた。

もし何か妨害があるとしてもしばしの余裕はあると思っていたのだ。

誰かが即日に殺害、事故死を目的に行動する可能性までは考えていなかった。

自分を呼びつけ、引き離す。それでなくとも助けが届かないという事態は常に起こりうるのだ。

師はその現実を想人に突きつけたに過ぎない。

ゆえに、想人は師を恨むことはない。

自身の誤りを認識するのみだ。


かちゃかちゃと食器が擦れ合う音がして、師弟は朝食に供されたハムエッグを口に運ぶ。そこに会話はなかった。

家令のボルグは一流の料理人でもあるが、彼らにとってはこの屋敷の調度品も、食器も食事も、その格式に価値を見出すことはない。

ただあるから使っている、それだけだ。

「——真人ですが、しばらく貴方にお預けしようと考えております」

自身の食事が終わりかけの時に、流前罪火が口にした言葉に、想人は手を止めて師を見返した。

「すでに先方へ送りました。各種手続きはこちらで済ませております」

想人の反応を見ることなく、罪火は食事を終え、立ち上がる。その後に、ボルグが続いた。彼には今日も仕事がある。子供の相手をしていられる余裕は多くはなかった。

「考えがまとまったのなら、お戻りになるとよろしいでしょう」

想人の答えを待たず、伝える話はそれ以上ないと言わんばかりに退出する罪火の姿を見送ることなく、想人もまた自身の皿に残された分を平らげ、席を立つ。


後片づけを奈々羽に任せ、玄関を出た想人は、屋敷の門前に一台の車が止まっているのを見つけた。

ちょうど、師を乗せたもう一台の車が門を潜って出ていくところだった。

そしてそこに立つ黒づくめの男を想人は知っている。

「——鷹匠か」

「総代より、お送りするように申しつけられています」

悠城想人は小さく頷き、車内に身を置く。

「それでは行ってらっしゃいませ、若様」

屋敷を発つ車を、門にてボルグと奈々羽が見送った。

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