第15話 そこから見えたもの

夢を見ていた。

鉄格子の嵌められた窓の向こうを、いつまでも、いつまでも眺めていたあの頃の。

ただそこに立ち続けていたまだ幼い自分の姿の。

そんな夢を見ていた。


夢の中の自分はただそこにいて、ずっと外を眺めているだけだった。

そんな幼い自分を、悠城想人は何もせずに見守っている。

悠城想人は、それが夢だと知っている。自分の過去を夢に見ているのだと。


やがて、幼子の背後で、扉が開く。

内側からは決して開けることのできない扉だった。

それが開き、外からの客が姿を現す。

見慣れた老人の姿ではなかった。

大きなお腹を抱えた女性と、自分より幼い小さな男の子。

「こんにちわ!」

男の子が元気よく挨拶を叫び、初めまして、と女性が小さく会釈をした。

「お初にお目にかかります。悠城想人と申します」

と、幼い想人が礼儀正しく返し、女性は目を丸くしてクスクスと笑った。

「私は愛居亜梨花ありか。この子は真人まひと。よろしくね」

大きなお腹を庇うようにゆっくりと膝を屈めて、想人と視線を合わせながら、愛居亜梨花と名乗った女性は想人に笑いかけた。

それが、悠城想人と愛居真人、二人の最初の出会いだった。


ゆっくりと、悠城想人の意識が浮上する。

開いた視界に、見慣れた天蓋が映った。

見慣れた天井、幼い頃から、毎日目覚めた場所。

「——還って、来たのか」

一年半ぶりに、悠城想人は子供のころを過ごした部屋に戻っていた。

静かに、身を起こす。

あの頃より、低くなった天井、狭くなった寝台。小さくなった家具類。

明治時代に輸入されたというアンティークでしつらえられた部屋はあの頃と変わらず、ただ自分が変わったという実感だけがあった。

窓の外から差し込む光が、まだ朝の陽ざしであることを知らせていた。

感覚的には、師父に拘束されてから一晩しかたっていない。

服もそのまま。ただ意識を失った自分が、千守閣から流前罪火の屋敷に運ばれただけなのだ。

窓際に歩み寄る。

嵌め殺しの窓は、決して開くことはない。

その窓の向こうから、遠くに通学路を歩く小学生の一団が見えた。

ちょうど、集団登校の時間のようだった。

悠城想人が小学校に通う年齢だったころ、毎朝見ていた光景だ。

子どもたちの一団の中の一人が、不意に想人の方に視線を向ける。

見えているのか、いないのか。距離は微妙なところだ。

子どもはすぐに顔をそらし、他の子どもたちとの話題に興じる。

また、妖怪屋敷の幽霊として噂になるかもしれない、と想人は薄く笑った。

愛居真人がこの屋敷から、近くの小学校に通うことになった時、屋敷にまつわる噂話として教えてくれた話だ。

屋敷の窓に映る子供の幽霊の噂。

毎日のようにここから眺めていたのだから、仕方ないことである。


悠城想人は、小学校には通わなかった。

この、師父の許しがなければ外に出ることも許されない部屋で暮らし、師が選んだ家庭教師たちからの専門教育を受けて少年時代を過ごした。

中学生に上がるとき、師の管理する学校への進学を許され、そこでの言動が周囲の疑惑を呼んだことでさらに別の学校に移された。

高校生になるとき、はじめて想人は師に進言し、それまで教育の一環として師事していた葵剣道場への住み込みとその近くの進学校への通学を叶えた。

この点について、師を恨んだことはない。

むしろ、師のもとで暮らしていて、師への不満を抱いたことはあっても、師から与えられた境遇に恨みを抱いたことはなかった。

悠城想人にはそう扱われざるを得ない事情があった。

そして、それ以前に育てられた祖父と違い、師は想人の扱いについてその理由を隠すことはなかった。

悠城想人にまつわるすべての事象を師は一つ一つ解説し、扱いの判断理由を説明し、その対処について事細かに指示を授けた。

想人はその言葉を聞き、自ら考え、承諾してきた。

師ではなく、師父せんせいと呼ぶのはその敬意の顕れに他ならない。

悠城想人には、外に出ることを許されないだけの理由があった。


「じゃあ、こっそり外に出たことはないの?」

その話を聞いた時、愛居亜梨花が言った言葉に、幼い想人は驚きを隠せなかった。

「この部屋、抜け道とか隠し扉とかないのかな?」

そんなこと、考えたこともなかった。

想人がこの部屋から出られない、と聞いて、訪れた愛居亜梨花は屋敷の管理人である家令のボルグにも、後から帰ってきた主人である流前罪火にも抗議をした。

だが、どちらにも彼女の言葉が聞き入れられることはなかった。

想人は、それが当然だと思っていた。

悠城想人は、ただ閉じ込められているだけではなく、誰の目にも触れられないように、誰かに傷つけられないように封じられていたのだ。

だから、自分の立場を理解した想人が、外に出ることを考えることはなかった。

外で自由に振舞うには、そのための力が必要なのだと考えていたのだ。

だから、師父の教えとは別に剣を学んだ。

そして師父もまたそれを承認した。

ただ人から授けられるだけではなく、自ら学び得たものこそが自分自身の誇りになる、と師は語った。

師の教育は、悠城想人を自らを取り巻く環境でも生き抜けるようにするためのもの。

想人自ら学びの姿勢を見せることは師の望むことでもあった。

想人自身は、それだけの力を身に着けるまでは外に出ることを考えたこともなかった。

その考えを、その日、目の前に現れた彼女はあっさりと覆してみせた。


愛居亜梨花は重い身体を動かして、息子とともに想人の目の前で、部屋中を探索した。

母と子が部屋中の家具をひっくり返し、床の絨毯を裏返し、壁を探る姿を、幼い悠城想人は止めることもできず、それに加わることもできずにただ見ていた。

その騒ぎは、家令のボルグが姿を現すまで続き、三人はその後で帰宅した罪火から仲良く正座して説教を受ける羽目になった。

静止しなかった想人も同罪扱いだった。

その日、初めて想人は自らの血に纏わる境遇とは全く違うことで怒られたのだった。


ガチャリ、と想人の背後で扉を開く音がした。

内側からは決して開くことのできない扉が外から開けられ、燕尾服を纏った老人が姿を現す。

「お目覚めですか、若様」

屋敷の家令を務めるボルグは、あの頃と変わらない姿で、あの頃毎日そうであったように、想人に声をかけた。

「おはようございます。ボルグ」

「おはようございます。若様」

瓜二つの動作で、二人が挨拶を交わす。

師の選んだ教育者の中で、彼は最も長く想人と接してきたものだ。

言葉使い、礼儀、礼節、立ち居振る舞い。老人こそ、想人につけられた最初の家庭教師だった。

老家令の目が、想人の顔をまじまじと見つめる。

「……また背が伸びたようですな」

「この一年でまた10センチほど伸びました」

喜ばしいことです、と老人は相好を崩した。

それでも、悠城想人の背丈は190センチある老家令にはわずかに及ばない。

「朝食の支度が出来ております。罪火様がお待ちです。」

わかりました、と想人は答えて、ボルグとともに部屋を出ていく。

扉が独りでに締まる部屋の中を、一瞬、背中越しに想人は見やった。

部屋の中は、あの頃と何一つ変わっていなかった。

変わったのは、想人の方だ。

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