第14話 手の届かない世界
護法輪。
それは、この国を古来より守護する巨大な組織だ。
多くの霊能力者を抱える護法輪は、表向きは国内最大の宗教団体として、その裏では国家を裏から支える秘密結社として、知られざる戦いを繰り広げてきた。
その総本山というべき千守閣は、首都中央部の一角を形成する巨大なビル群の間に、昔ながらの木造の社を構えている。
より正確には、社の周辺を囲うように護法輪の建築ビルが六角陣を構成するように建造されているのだ。
周辺の六本の鉄筋コンクリート・ビルの中に社だけが一つ残されているいびつな構造だが、それぞれが霊力と魔法陣によって繋がりを持ち、この千守閣と六角ビルを合わせて枢密院と総称する。
護法輪が、組織の構成員から「院」と略称で呼ばれる由縁である。
そしてその護法輪総代の執務室は、中央の社の内部に存在していた。
「どうも、お呼びだてして申し訳ありませんな」
執務室の机の上の書類に次々に署名をしながら、護法輪総代、流前罪火は言葉だけで丁寧に謝罪する。その視線が目の前に立たされた悠城想人に向けられることはなかった。
「いえ、
そんな師の態度に慣れている想人にすれば、いつもの光景だ。
目の前の齢60を超える老人は、想人を超える長身にいまだに筋骨隆々とした威風を兼ね備えている。
若い頃は護法輪最強の戦士として、そして後にその管理を経て、組織の最高権力者に上り詰めた男の姿は、今もなお色あせることなくその威容を保っていた。
自身の育ての親でもある老人が未だ健在であることは、想人にとっても重要なことだった。
老人の目が素早く書類を読み取り、その右手が署名を、その左手が不決済の書類を選り分けていく。その光景を前に、悠城想人は静かに待ち続けている。
護法輪の支配者である師は多忙の身であり、その手を煩わせたことは、反省すべきことだ。と同時に、今後を考える以上、避けられない事態でもあった。
「時に……女性との交際を始められたそうですな」
「……
「貴方はもう17歳になられた。そういうお年頃でありましょう」
余人が見れば奇妙な会話に聞こえるだろう。
育ての親と子、あるいは師弟。
その関係で見るならば、お互いに敬語で探り合うような態度は、あまりにも
だが両者ともにそれで大真面目に会話している。親が親なら、子も子であるにすぎない。
「……赤金少年の報告書によれば、冗談で始まったそうですな?
……相手も、適当に選んだと」
「お恥ずかしい限りです」
「……ですが、貴方は以前から彼女を見初めていたと語っていたようだ」
組織の決裁書類とは別に、執務机のわきに置かれた報告書を軽く指で叩きながら、流前罪火は直立する想人へ視線を向ける。
「——まさか本当のことを言うわけには参りませんので……」
想人は小さく肩をすくめた。
「所詮はただの気まぐれです。適当に選ぶより、記憶にあった方を選んだにすぎません」
「しかし、あの方のその気まぐれで、貴方が生まれた」
師父の冷ややかな視線を前に、悠城想人は静かに笑った。冷たい笑みだった。
「私も同じ轍を踏むとお思いでしょうか?道中、そのように見られておりましたが」
枢密院の正門から千守閣までの距離は遠くはないが、近くもない。院へ召喚された悠城想人を迎えたのは、ごく自然に退勤時間となった六角ビルからの退勤する護法輪の所属者たちからの好奇と侮蔑の視線だった。
呼び出しから二時間弱の時間を車に揺られ、わざわざその時間に到着するように設定されていたのだ。
すべては、悠城想人が今回の件で総代の呼び出しを受けて召還された、という事実を人に知らしめるためのパフォーマンスである。
「気の早い話です。所詮は子供同士。将来のことなどわかりはしません。
明日の私たちがどうなっているかすら定かではないというのに」
冷笑する想人に、罪火は表情を変えることはない。
「……満足ですかな?」
想人の笑いが止まる。どこまでも冷ややかな顔で、師父の顔を見返す。
「赤金少年との件は所詮きっかけ。それがどう転ぼうと、貴方の行動に私たちがどう対応するか、それを見たかったのでありましょう?」
流石は、と想人は静かに嘆息する。師父の前で誤魔化しは一切通用しない。
そのような考え方を、ほかならぬ師から学んだのだから。
「交際が許されないとあれば、明日にでも処置いたしますが」
別れ話を切り出すなり、それで納得されないのであれば彼女の記憶を消すなり、方法はどうとでもなる。
わざわざ天音月葉の前で連れ出されたのは、彼女に自分の立場を見せつけるためでもあるのだから。
「そのようなことは申しません。いずれは貴方も伴侶を娶り、家庭を持つことを望むようになるかもしれぬ。これもその一過程に過ぎません」
師父がそれが出来なかったことを想人は知っている。
師が何を経験したかも……
「ですが……なぜ今日、何も起こらないと思っているのですかな?」
ぞくり、と想人の背筋が凍る。
師の言葉はどこまでも平静で、何かを知っているように振舞う。
悠城想人は師の半生を知っている。
師が妻を娶り、子を為し、そしてなぜ失ったかを知っている。
「——!」
想人の全身が緊張し、即座にその場を飛び出す。
否、飛び出そうとした。
次の瞬間、全身に絡みつく金属の鎖に全身を絡めとられ、悠城想人の身体は執務室の床を這った。
「——甘いですな」
いつの間にか、執務机から立ち上がった流前罪火の両腕から鎖が伸びている。
床をつたい、足元から襲いかかった鎖に全身をがんじがらめに縛られ、悠城想人はもがいた。
その頭上に、偉丈夫の老人が立つ。
「光の速さで動けたとしても、貴方は所詮一人だ。」
どこまでも冷ややかに、老人は残酷な事実を告げる。
「その手は、どこまでも届きはしない」
かろうじて動かせる首だけを使って、想人は師を見上げる。
光速で動ける悠城想人の力と速さをもってしても、師の拘束から逃れることは出来ない。流前罪火は、光のさらにその上の領域にいるのだ。
「せ、んせ――い」
「お眠りなさい。貴方には、考える時間が必要だ」
その言葉とともに悠城想人の意識は、闇の中に呑まれていく。
闇の中で、想人の目にある光景が映る。
モールから帰路につく少女たちの姿。
友達に今日のことをからかわれ、怒り、そして笑う天音月葉という少女の姿。
そんな風に笑ってほしかった、そんな風に怒ってほしかった。
――そんな風に自分も話をしたかった。
悠城想人という男が何者で、どんな生まれでどんな立場なのか。何も知らないで話をしてほしかった。
ただ、一度きり見かけた少女に、何の関わりもない彼女にそれを望んでしまった。
そんな少女たちの頭上で、不幸にもビルの屋上の大きな看板の一つが崩れ、落ちていくのを、想人はただ見ているしかできなかった。
伸ばした手は遠く、届かない。何もできはしない。
そして、悠城想人の意識は闇に飲み込まれた。
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