第16話 神族と魔族の駆け落ち③

 翌日の四時間目の終了間際は気が重たかった。いつもなら昼休みになった途端に葉月がやってきて、伊吹と三人で屋上で昼ご飯となるのだが、果たして今日も葉月は来るのか。もし来るのなら、どんな顔で迎えればいいのか。龍平と伊吹はどちらも答えを出せずにいた。いっそのこと来てくれない方が気が楽だと思ってしまうくらいだ。

 結果として、葉月は来なかった。が、代わりに違う人が来た。

「おーい、一緒に昼どうよ」

 教室には入らずに、ドアの付近で声をかけてきたのは浩史だった。イケメンランキングの上位に入る二年生の登場に、教室の女子が色めき立つ。

「浩史先輩……また突然ですね」

 断る理由もなく、二人は浩史に連れられて中庭のベンチに並んで座った。春のど真ん中のこの季節、中庭も弁当スポットとして賑わっていた。浩史と伊吹に挟まれる形で龍平は座っているが、左右の二人に比べて華やかさで見劣りしているとか考えたら負けだ。

「たまにはいいじゃねえか。一年と親睦を深めるってのも」

 弁当持参の二人と違い、浩史はコンビニのパンだった。美味しそうにコロッケパンを頬張る。

「昨日の今日っていうのが裏がありそうです」

「そう深読みするなって。まあ、話があるにはあるけどな」

「やっぱりあるんじゃないですか」

「そんな目するなよ。……ほら、昨日さ、由利が結構強く葉月に言っちまったけど、別に由利は後輩イジメが好きな奴じゃないってことを知っておいて欲しかったんだよ」

「そ、そんなこと思ってないです……」

 伊吹が答える。龍平も同感だ。そんな誤解はしていない。

「ああ。それでな、ホントはさ、あいつは葉月や秋乃が羨ましいんだよ」

「羨ましい? どうしてですか?」

「小説が書けるからだよ」

 さらっと浩史は言う。腑に落ちない。小説を書くという行為は葉月や秋乃だけに与えられた特権ではない。書こうと思えば誰だってできるものだ。もちろん、由利だって。

「由利先輩は批評が専門だって言ってたじゃないですか。書きたいならいくらでも……」

 龍平の言葉を浩史は遮った。

「あいつは書かないんじゃない。……書けないんだ」



 一年前。由利は葉月のように即決で文芸部に入部した。中学には文芸部がなく、杏泉高校の文芸部に入部するのを楽しみにしていたのだという。

 本が大好きな由利は、読むだけでは満足できなくなっており、自分で書くことにも興味を持っていた。そして同じ趣味を持つ同級生や先輩に囲まれて、楽しい文芸部ライフを送っていた。途中、秋乃とのライトノベルを巡る対立はあったけど。

 人間というのは一年そこらで性格が変わることもなく、一年生の由利も今と同じように自信に満ち溢れ、先輩への敬意は忘れないものの、やっぱり態度は大きかったらしい。あと胸も。しかしそんな由利を浩史は好きになり、美紗子とは不思議と気が合い、宋次郎はマイペースなので、秋乃が去った後の文芸部一年は奇跡的に仲良しとなった。

 そして夏休みに入り、由利は本格的に執筆に取りかかる。読破した本は同じ高校生の何十倍。自他共に認める本の虫は、今までの読書量を存分に発揮し、夏休みのすべてを使って一つの作品を生み出した。

 二学期になり、由利は丁寧にも部員全員分の原稿を印刷して部室に持ってきたのだ。一学期の間、ひたすらに部室で文学談義を繰り広げていた由利は、一体どんな小説を書いたのだろうと、部員たちは期待しながら原稿に目を走らせた。



「それが……死ぬほどつまらなかった」

 浩史は悪夢のように語る。

「死ぬほどって……どれくらいなんですか?」

「死ぬくらいだ」

 小説で死人がでたらしい。マジメな顔で昔のことを話し始めたと思ったら、ある意味で予想外のオチが待っていた。

「由利先輩の小説、面白くなかったんですか……?」

 伊吹が食事の箸を止める。

「そりゃもう、龍平が最初に書いたやつレベルだ。メッコメコなんてもんじゃない、あれはヴェッコヴェコだったな」

「とんでもない音が出た!」

 あと余計なお世話だ。

 しかし意外である。批評に徹すると言っていた由利が過去に小説を書いたことがあるということ、その小説が死ぬほどつまらなかったこと。どんな小説なのか非常に気になる。

「それで、由利先輩は書かなくなっちゃったんですか? あの人なら負けじと二作目三作目っていきそうですけど……」

「と思うだろ? でもそうはいかなかったんだよな、これが」

 浩史は続きを話し始めた。

 衝撃的なつまらなさの由利の一作目は当然のように文芸部に大きな波紋を呼ぶ。そしてその批評会は荒れに荒れた。

「葉月の時みたいになったんですか?」

「ちょっと違う。葉月のように作品に対して厳しい評価が飛び交うだけならよかったんだが、ダメな先輩がいてさ……」

 作品に対する意見は、由利も真剣に受け止めてちゃんと聞いていた。あんな人だが、小説に関してはだけは真摯な態度なのである。

 が、段々と方向が変わってくる。

 前々から、由利のことをよく思っていない女の先輩がいた。一年生のくせにどこか傲慢で、だけど容姿は完璧で男子からも注目されている由利を毛嫌いしていた。これだけ聞けばただの嫉妬なのだが。

 彼女はまるで鬼の首を取ったかのように由利を攻撃した。何をやっても完璧だった由利の唯一の弱点を見つけられたのが嬉しかったのだろう。小説の批評のはずなのに、いつしかそれは由利個人へのダメ出しになっていた。

「なんですかそれ。ひどいじゃないですか」

「よっぽど由利に嫉妬してたんだろうな。ま、見た目で由利にかなう人なんてそうはいないしな。で、小説じゃなくて自分が叩かれ始めたら由利も黙っちゃいないさ。ま、そっからは想像できるだろう?」

「……はい」

 地獄絵図が。

いつしか、龍平も弁当にまったく手をつけていなかった。

「そりゃすげー口喧嘩だったよ。んで、やっぱ由利が勝つのよ。だって小説以外じゃどこも負けてないからな。そしたらその先輩がついにキレて由利に掴みかかったんだよ」

「マジっすか……」

 よかった。その場にいなくて。すでに伊吹は絶句していることをここでつけ加えておく。

「その時っ……美紗子の回し蹴りが先輩に命中ぅっ!」

「やっちゃったよ美紗子先輩!」

 きっと反射的な行動だったのだろう。その場にいたくはなかったが、その蹴りだけは見たかった。

「美紗子は由利に懐いてたから、守りたい一心で蹴っ飛ばしたんだろうな。その頃はまだ美紗子が黒帯だってことを明かしてなかったから、驚きのあまり部室の時が止まったよ」

 もちろんそれから美紗子は先輩に謝ったが、この事件をきっかけにして一年生と上級生の間に大きな溝ができてしまう。そして時は過ぎて三年生は卒業し、由利たちは二年生になる。

「今の三年生の先輩が部に顔を出さないのって、受験だけが理由じゃなかったんですね」

「そゆこと。部員数のために俺や美紗子が頼んで籍だけ置いてもらってるけど、部室に来ることはないだろうな」

 入部する時はアットホームが売りとか言っていたのに、殺伐としているではないか。だがそれは過去の話で、今はそんなことないけれど。

 やっと食事が再開する。すると、唖然としていた伊吹が口を開いた。

「でも、もうケンカしちゃった先輩は来ないんですよね。だったら、由利先輩もまた小説を書けばいいと思うんですけど……」

 その通りだ。今は、由利の小説が面白くないからといって由利の人格を責めるような人は文芸部にいない。誰も美紗子に蹴り飛ばされない、ちゃんとした批評会ができるはずだ。

 しかし浩史は首を横に振る。

「どうだろうな……。あいつは、自分が小説を書いたら、また部が荒れちまうんじゃねえかって心配してるんだよ。そんなことはねえと誰もが思ってるんだが、一度あれを経験しちまったから、臆病になってんのかもな」

「臆病なんて、あの人に似合わない言葉ですよ」

「だよな。でも、あいつは今の文芸部が大好きなんだ。お前たちが入ってくれてすげえ喜んでんだ。だから、何があっても壊したくないんだよ」

「……だったら、どうして葉月にあんなふうに言ったんでしょう」

 壊したくないのだったら、葉月をあそこまで追い詰めるようなことはしないはずだ。

「俺もあいつの心が読めるわけじゃねえからなあ。きっと、葉月がプロに近づけるように心を鬼にしたんだろうな。かわいい後輩に、苦渋の決断だったとは思うぜ?」

 しかし結果として葉月は部室を出て行ってしまい、今日も部室に来るかはわからない。

 昼休み終了の予鈴が鳴った。まだ弁当が半分残っていることに気づき、慌てて口に詰め込む。

「あの……話して頂いて、ありがとうございます。そんなことがあったなんて知らなくて……」

 浩史との別れ際、伊吹が言った。

「俺が今日話さなかったら、いずれドントクライあたりが話したさ。由利のこと、嫌いにならないでくれよ。あいつはどこまでも文芸部の部長なんだ」



 午後の授業は頭に入ってこなかった。考えるのは由利のこと、葉月のこと。まさか自分が自分以外の人間のためにここまで頭を悩ませる日が来るとは思わなかった。いつだって自分のために勉強をして、努力をして、ここまで生きてきた。それがまさか、しかも出会って一ヶ月も経たない人たちのことで頭がいっぱいだなんて。

「私、葉月ちゃんを迎えに行ってくる。龍平くんは先に部室に行ってて」

 放課後、伊吹はそう言って教室を出て行った。だったら二人でと言いかけたが、ここは女子どうしの方がいいのかもしれないと、龍平は素直に部室に向かった。

「こんにちはー」

 部室にはすでに由利がいた。

「龍平か。なんだかんだで毎日のように部室に来るじゃないか」

 鞄を置いて、由利の正面に座る。思い返してみると、由利と二人だけというのは初めてだ。昼の浩史の話を聞いたからか、不思議と由利から受ける印象が違って見えた。

 由利は葉月の原稿を読んでいた。まだまだ言い足りないことがあったのだろうか。まあ、あれにはツッコミどころがたくさんあるけど。

「葉月、もしかしたら来ないかもしれないです。伊吹さんが迎えに行きましたけど」

「私のせいだと言いたいのか?」

「そうじゃないです。別に由利先輩の批評が悪かったとは思ってないですし、葉月の小説がつまらないのは間違いないですから」

「しかしその割には、君は褒めていたな。キャラに個性があったと言っていたが、本心か?」

「そんなわけないじゃないですか。あのキャラたち、どれもみんな薄っぺらくて、テンプレっていうんですか? どこぞのライトノベルからそのまま借りて名前変えただけみたいな」

 痛めつけられている葉月が見ていられなくて、必死に捻り出したプラスの評価。少しでも葉月のフォローになればと思って言ったことだが、心にもないことだと知ったら葉月はもっと傷ついてしまうだろう。それでも、あの時はそうせずにはいられなかった。

「おや、君は葉月が嫌いなのではなかったか? いつもケンカしているような気がするが」

「嫌いですよそりゃ」

「心の底からか? 顔も見たくないか?」

「……あいつを嫌える人間なんてそういないですよ」

 言うと、由利は満足そうに微笑んだ。

「私もツンデレという言葉くらいは知っている。ふふ。デレたな」

 常に上から目線なこの先輩にも慣れてきたが、悔しいことには変わりないので反撃に出る。

「そういう由利先輩だってツンデレですよね。あれだけ嫌いだと言っていたライトノベル、ちゃんと読んでるじゃないですか」

 由利が表情を変える。豊満な胸を机に乗せ、前のめりになって龍平に顔を近づけた。

「ほう。聞こうか」

「前に、浩史先輩から借りた数冊を読んだだけって言ってましたよね。本当はもっと読んでるんじゃないですか?」

「根拠は?」

「葉月の『Danger Elopement』の批評の仕方です。俺には、由利先輩はあれをライトノベルとして評価してたように思えました。ライトノベルを知ってないと、できないですよね」

ライトノベル嫌いを持ち込むことなく作品として評価すると由利は言っていたが、そこから出てきた感想はあの作品をライトノベルとして扱ったもののように龍平は感じた。他の部員が気づいていたかはわからないが、由利は、おそらくたくさんのライトノベルを読んでいる。

 少し、間があった。息苦しさを感じつつ、由利の言葉を待つ。

「勉強だけできるというわけではないようだな、秀才くん」

「当然です。すべてを備えていなければ人の上には立てませんから」

 由利は前のめりになっていた姿勢を戻すと、今度は背もたれに体重を預けた。

「君の言う通りだ。私はそれなりの量のライトノベルを読んでいる。売れ筋はとりあえずおさえ、新人賞を獲った作家のデビュー作も読むようにしているよ」

「好きなんじゃないですか」

「いいや、嫌いだ。いくら読んでもこれっぽっちも良さがわからん。まずい青汁を飲んでいるようだ。おっと、ライトノベルは栄養がないから青汁は適切ではないな」

「じゃあどうして読んでるんですか? ライトノベルだって買ったらお金かかりますよ」

「そのジャンルも知らずに批評はできないだろう。プロでもアマでも、自分の書いた作品には思い入れがある。それを批評するのだから、批評する側もしっかりと作品を見てあげなければならない」

 おそらくきっかけは秋乃だろう。秋乃の小説を批評するために、由利はライトノベルを学ぶところから始めたのだ。

 この人の「本の虫」は、読むだけではなくて評価するところにまで及んでいるのだ。

「先輩も立派なツンデレですね」

「そうかもな。しかしそうなると同じツンデレの君とは相性が悪い」

「俺は先輩のこと、結構好きですけどね」

「はは。奇遇だな、私も私のことが好きだ」

 予感がする。たとえ由利が卒業して、龍平たちもバラバラになって、それぞれが別の人生を歩んでいくことになっても、きっとこの人のことを忘れることはないだろうと。由利が卒業するまであと二年、忘れたくても忘れられないような高校生活が待っているのだろうと。

 その時、伊吹がやってきた。葉月を迎えに行ったはずなのだが、一人だった。

「葉月ちゃん、私が教室に行ったらいなくて、校舎の中も探してみたんだけど……」

 息を切らせているところを見ると、駆け足で探しまわったのだろう。龍平が冷たいお茶を出すと伊吹はすぐに飲み干した。

「あいつ、帰ったのかな」

 ラ会だって毎日活動しているわけではないから、文芸部に来ないでラ会にも行かないとしたら帰るしかない。

「由利先輩、葉月ちゃんから何か連絡はありましたか?」

「いや、何もない。ついでに言うと秋乃からもだ。あいつのことだから、葉月がラ会に移るとなればまず私に嫌味の一つでも言ってくるはずだ」

 葉月を獲得した時の秋乃の顔が目に浮かぶ。だが由利に連絡がないということは、まだ退部を決めたわけではない。葉月が何を考えているのか、どうしようとしているのかわからない。もしこのまま文芸部を辞めて、ラ会に行くのなら……。

「そういえば由利先輩、言ってましたよね。ラ会に行ったら、葉月は終わりだって」

 葉月が去って批評会が強制終了した時、確かに由利はそう言っていた。あの言葉が妙に記憶に残っていた。

「あ、私も覚えてる……。由利先輩、どういう意味だったんですか?」

「どうも何もそのままの意味だ。ラ会にいたのではプロにはなれない。私はそう確信している」

 何故だろうか。ラ会はライトノベルが好きな人たちの集まりで、秋乃以外にもプロ志望はいるはず。批評会もやっているし、ライトノベルの批評に関してだけ言えば文芸部よりも実のある意見が出るかもしれないのに。

 だけど、由利はそうではないと言う。人数だってそれなりにいるし、会長の秋乃もライトノベルを愛する人だ。あの同好会に何か問題があるというのか。由利は根拠なしにこんなことは言わない。だが龍平にはわからなかった。

「俺、一回だけラ会の見学に行きましたけど、みんな仲良くやってましたよ。批評会もやって、ただのお喋りだけって感じじゃなかったですし」

「そういえば見学に行ったと言っていたな。それであればなおさらわかるだろう。賢い君ならすぐに気づくさ」

 その口調から、過去に由利もラ会の活動を見たことがあるのではないかと思った。きっと秋乃が同好会を設立した直後に、由利に自慢しに来たのだろう。

「……じゃあ、賢い頭で考えてみます」

「是非そうしてくれ」

 この日は、それから誰も部室に現れず、三人での活動になった。なんとなく葉月の話題を避けるような形になり、伊吹の作品について詳しく話をした。聞けば、伊吹は去年に母方の祖母を亡くしており、その時の気持ちを思い出しながら書いたのだそうだ。やはり、自分の経験というのは物語を考える上で重要なのだ。

 五時を少しまわったところで下校することになり、改札口で由利、伊吹と別れる。葉月がいないから、今日は一人での下校だ。

 と思ったら、ホームで知り合いと目が合った。

「あら、あなたですか」

「水沢先輩」

 同じホームで電車を待っていたのはライトノベル同好会の会長、水沢秋乃。どんなシャンプーで手入れをしているのか気になるくらいのきれいな髪をなびかせ、ブックカバーで覆われた文庫本を片手に列に並んでいた。

「秋乃で結構です。文芸部同様、名前で呼び合うようにしていますので」

「じゃあ秋乃先輩、唐突で申し訳ないんですけど、葉月と会いましたか?」

 秋乃は本を閉じて鞄にしまった。そして代わりに取り出したのは分厚い紙の束。

「ええ。葉月さんの方から来てくれまして、これをお預かりしました」

 差し出されたその紙の束は、龍平もよく知っている原稿だった。葉月の書いた「Danger Elopement」である。

「これっ……、葉月の小説じゃないですか!」

「是非読んで欲しいと。ラ会のみなさんにも配り、早ければ連休中に批評会をする予定です」

 それはつまり、この原稿が入会届ということではないのか。葉月の奴、やはり文芸部を辞めるつもりだ。そして正式に退部が決まったら、秋乃は満面の笑みで由利のところに来る。

 電車が来て、秋乃と並んで吊革を持つ。

「あいつ、何か言ってましたか?」

「特に何も。そちらで何かあったのですか?」

「いえ……別に……」

 今の反応で悟られてしまっただろうが、秋乃は追求してこなかった。

「ところで龍平くん、あなたもラ会に来てはいかがでしょう」

 ちゃっかり勧誘してきた。葉月から芋づる式に釣り上げるつもりか。

「いえ、俺はライトノベルはあまり……」

「たくさん読めば好きになるはずです。よろしければ私のオススメを貸しましょうか」

「あの、まだ葉月に借りたのが一冊残ってまして……」

「気が向きましたらいつでも言ってください。私はオススメの本は人に貸すために二冊買うようにしていますから」

 筋金入りだ。さすが同好会を作ってしまう人だけのことはある。龍平は「はあ」と返事するのが精いっぱいだった。そこまでライトノベルを愛している人が作った同好会なら、そこが葉月の居場所なのかもしれない。秋乃は過去に一次選考を通ったとも言っていたし。

「秋乃先輩は実力もあるんですよね。一次だけでもすごいことなんじゃないですか?」

 常に気品の漂う秋乃だが、途端に頬が緩んでにんまりと表情が崩れる。どうやら、一番褒めて欲しいところを褒めてしまったようだ。

「ええ。最近の流行りや出版社ごとの傾向と対策を研究して生み出した私の最高傑作です。どうして二次通過に至らなかったのか不思議なくらいです」

 応募してくる人の中にはもちろん大学生や社会人もたくさんいるだろうし、才能に年齢は関係ないかもしれないが、どうしたって人生経験や執筆歴は劣る。やはり高校生が突破するのはとても厳しい壁なのだ。

 でも、そんな中で一次選考を通過した秋乃の作品には興味がある。由利はメッコメコにしたらしいが、読んでみたいという気持ちは強い。

 電車の窓に映る秋乃は、心底不思議そうな顔で頬に手をあてていた。

「どこがいけなかったのでしょう。私の『ぼっちの俺がリア充になって幼馴染みとラブコメな毎日を送るための七つの方法』……」

「……多分ですけど、タイトルじゃないですかね」



 夕食を食べて風呂を済ませると、龍平はノートパソコンの電源を入れると、文書ソフトを開いた。タイトルは「タイトル未定」。これは数日前に作成したもので、しかしまだ一文字も書かれていない。伊吹が作品を書いたことで感化され、やってやると気合いを入れたものの、何を書けばいいのかわからないといういつもの状態に陥り、真っ白な画面に向かってひたすら悩み続けていた。おかげで予習に割く時間が減って学校の授業に遅れ気味という弊害が出ている。

「うーん……」

 声に出しても、アイディアは出てこない。

 これだけ唸って一文字も書けないのに、葉月は文庫本一冊分を書き、秋乃は一次選考を通過するほどのものを書く。「書ける人」というのは、どんな頭の仕組みになっているのだろう。いっそのこと、美紗子のように独自の世界を築いてはどうだろう。だけどあれは意識的に作り出せるものではない。硬い物に頭でもぶつけてみようかとも思うが、それで本当のバカになっては元も子もない。

 机の上に放置してあった葉月の原稿に目がいく。もっとあの批評会が穏やかなもので、葉月も退席せずに続いていたら、言いたいことはまだまだあった。なんとなくページをめくって読んでみる。何度読んでも、本当に、心の底からつまらない小説だけど、決して自分には書けないもの。

 秋乃はこれを葉月から受け取り、ラ会で批評会をすると言っていた。あんなに酷評を受けたばかりなのに、よくまた批評を受けようという気になったものだ。ライトノベルに理解のある人たちばかりだから、もっと別の感想がもらえるとでも……。

「あ……」

 一人きりの部屋で、無意識に声が漏れていた。

 ラ会に行ったら、葉月は終わり。

 由利はそう言っていた。その理由は、ラ会の見学をした自分ならわかると。

 わかった。わかってしまった。

 そして、まったくもって由利に同感だった。プロになれないというのは極端なのかもしれないが、ラ会に行ったらプロへの遠回りになることは明らかだ。

 自分でも珍しく、考えるよりも先に行動に出ていた。葉月の携帯にかける、が、出ない。今の葉月の心境を考えれば、電話に出るはずないか。後になって人生で初めて女子に電話をかけたことに気づき、相手が葉月だったことにヘコむ。

 伊吹から葉月に伝えてもらおうか。いや、これは自分で言いたい。言ってやりたい。

 あいつのこと、嫌いだけど。

 だけど、ラ会に行ってもプロへは近づかない、その理由を言ったところで葉月は文芸部に戻ってくるだろうか。あれだけの仕打ちを受けてなお、帰ってこようと思うだろうか。何か別の交渉の材料を用意しないと……。

 くそっ。なんであいつのためにこんなに頭と時間を使わなければいけないのだ。中間試験で一位が取れなかったら葉月のせいだ。

 色々と考えているうちに寝る時間が迫ってきていた。しっかりと授業を受けるため、睡眠は十分にとる龍平である。

 最近の寝る前の日課、葉月から借りたライトノベルを読むこと。十冊借りた本も、とうとう最後の一冊になった。面白い本もあればつまらない本もあった。できれば最後の一冊は面白いものであって欲しい。

 それを手に取ると、他の本よりも厚いことにすぐ気づく。しかしページ数が多いのではなく、紙がよれよれになっていて本が膨らむようになってしまっているのだ。雨にでも濡らしてしまったのだろうか。そんな本を貸すとはつくづく嫌な奴である。

 読む前から不満を抱えながらも、龍平はページを開いた。

「…………」

 ちょっとだけ、葉月が好きになった。

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