第15話 神族と魔族の駆け落ち②
土曜日。龍平は一歩も外出せずに黙々と原稿を読んでいた。伊吹、美紗子、浩史の作品は短いものだったのですぐに読むことができたが、最後に回した葉月の「Danger Elopement」は文庫本一冊分の量なので、午後をすべて使って読むことになった。他のライトノベルよりも時間がかかってしまったのは、漠然と読むだけではなく批評会で感想を言うために赤ペンを入れながら読んだからだ。
「…………」
ぬるくなってしまったコーヒーを飲んで、一息つく。まず、これだけの量を書いた葉月を素直にすごいと思う。こういう世界の設定や、物語を考えつくことがすごいと思う。一体、どうやって考えているのだろう。それとも、びびっと突然ひらめくものなのか。
今頃、葉月は落ち着かないはずだ。みんなが自分の小説を読んでどう思っているか、そわそわして仕方ないに違いない。それとも、あいつのことだからもう次の作品を書き始めているかもしれない。
すると、携帯電話が鳴った。ディスプレイには伊吹の名前。
「もしもし、伊吹さん?」
『突然ごめんね。龍平くん、今ちょっと、いい?』
伊吹から電話をもらったのは初めてだが、迷惑だなんてことはない。むしろ嬉しい限りだ。
作品を提出しているから、感想が気になるのかな。我慢できずに電話してしまったとか。
「伊吹さんの読んだよ。俺的にあれは……」
『あっ……そうじゃなくてっ……。私の感想は批評会で聞くから……。あのね、葉月ちゃんの小説なんだけど、もう読んだ?』
伊吹の声から、どこか「不安」が感じ取れるのは気のせいだろうか。
「さっき読み終わった。よく書けるよな、あんだけ」
『うん。……それでね、批評会で何て言えばいいかなって……』
口調、声の雰囲気から、龍平は伊吹が言いたいことを察した。そしてそれは、龍平自身も考えていたことだった。伊吹から電話がこなければ、龍平の方から電話していたかもしれない。
「伊吹さんが思ったことを言えばいいと思うよ。批評会なんだし」
正直、この言い方はひどいと思う。完全に丸投げだ。
『そう、だよね……。ちゃんと言わないとだよね』
「だってあいつはプロ志望だし、大丈夫だって」
『うん。ありがとう龍平くん、私、ちょっと迷ってたから……』
通話が終わる。
伊吹は葉月の友達だ。まだ知り合って一ヶ月も経たないけれど、葉月の人柄もあって急速に仲良くなっている。その葉月がラ会に行ってしまうかもしれなくて、引きとめたいけど葉月の意思を尊重しなくてはと悩んでいるのも知っている。
伊吹は、言えるだろうか。
ゴールデンウィークを目前に控えた四月の最終週。水曜日に行われる定例の部会は、今日ばかりは批評会になる。三年生を除いた部員が全員集まり、作品について批評をする。出席率の低い宋次郎も原稿を持って部室に来ていた。
「全員、作品は読んできたな。では、これから今年度一冊目の杏泉文学の批評会を始める」
由利の司会進行で批評会が始まった。順番は浩史、美紗子、伊吹、葉月。自分の作品はないのだが、どことなく緊張する。伊吹と葉月なんて昼休みの時点でカチコチだった。特に伊吹は緊張がおさまらないようで、食欲もなかった。
「最初は俺か。どうだった?」
と、作者の浩史は軽く訊いてきた。二年生の作品に対して、一年生はどうしても厳しい意見を言いにくい。批評する場なのだから先輩後輩は関係ないはずだけど、そうはいかないものである。浩史はわかっていて、できるだけ言いやすい雰囲気を作ろうとしているのだろう。
「俺は、こういうの好きです。短いけどまとまっていて、でも、ちょっとオチが弱いかなって思いました」
浩史の作品は短編で、敢えて言うなら「世にも奇妙な物語」のような、少しダークな内容だった。不思議な力を手に入れた主人公が、調子に乗り過ぎて最後には痛い目に遭うという典型的な構成だ。
「同感だ。このオチにするのだったら、いっそのこと主人公を殺すべきだった」
宋次郎が継ぐ。
「それなー、俺も迷ったんだよ。読者の感情としては、やっぱ主人公死なせた方がよかったか」
いつもは飄々としているイメージのある浩史だが、みんなの意見を書きとめている表情は真剣そのものだ。こういうのを「ギャップ」というのか。そして秋乃はこれにやられたのだろうか。
浩史の批評は二十分ほどで終わり、次に美紗子の番になった。
「美紗子のは詩が三篇だな。最近はいいペースじゃないか」
由利はどこか嬉しそうだ。
「うん。まだまだいける気がするよー」
美紗子ワールドは毎秒膨張を続けている。
「では一つずついくか。まずは『ヘルメット小町』から。私は三つの中でこれが一番好きだ。思春期の少女の気持ちをよく描けていると思う」
「私もです。なんかすごくいい雰囲気が出てますよね」
葉月をはじめ、おおむね好評である。美紗子ワールドの解析に苦労している龍平だが、美紗子の詩をいくつも何度も読んでいるうちに、感覚的ではあるが美紗子の頭に浮かんだ光景がどんなものなのか想像できるようになっていた。
と、隣に座っている葉月が龍平が広げていたノートを取り上げた。
「何これ。……ちょっ、え? 見て下さい! 龍平ってば、美紗子先輩の詩を写してますよ!」
「あ、こらてめえ葉月! 返せよっ」
時すでに遅し、龍平のノートは部員にたらい回しにされてしまった。そこには、美紗子の詩を書き写したものがそのまま残っているのだ。
「龍平、堂々と盗作か?」
そんなこと欠片も思ってないくせに、由利は言う。
「違いますよ。美紗子先輩って、インスピレーションがわいた時に原稿に手書きするじゃないですか。だから俺も同じように書いてみたら、少しは美紗子先輩の詩がわかるようになると思ったんです」
わからないものはわかるまでやる。それが龍平の信条だ。龍平は文芸部に入部して、どうしても理解できないものに出会った。それが美紗子ワールドである。学校の勉強よりもわからない美紗子の感性に触れ、どうにかして理解しようと考えた末に思いついたのが書き写すという手段だった。
そのおかげかどうかはわからないが、前の「ぞっさん」のように一言も感想が言えないという状態にはなっていない。
「ふっ。まさかここまでする奴が現れるとはな。美紗子、詩人冥利に尽きるな」
宋次郎は心底楽しそうに笑っている。
「嬉しいなぁ。龍平くん、ありがとうねー」
「は、はい……」
美紗子の笑顔は反則的に素敵だが、なんて恥ずかしい。おそらくは顔全体を赤くしている龍平に、向かいに座る由利が言った。
「そんなに恥ずかしいことでもないだろう。むしろ立派なことだと私は思うぞ」
「……俺は、何事にも努力はしますけど、努力をしたアピールをするのが嫌いなんです。努力は裏でするものであって、表に出すのは結果だけでいいんです。だから、こういうのを見られるっていうのは、ちょっと……」
「ほう。さすが生徒代表だな。『末は博士か大臣か』とはよく言ったものだ。褒めてやりたいが私からでは手が届かない。伊吹、龍平の頭を撫でておいてくれないか」
「え? 私ですか? あ、その……こう、ですか?」
まさかのご褒美だった。誰かに頭を撫でられるのってこんなに気持ちいいんだ。
「じゃあ私もしてあげる。龍平、頭こっち」
「あ、そういうのいいんで」
「無表情で言うな!」
それから美紗子の批評は続き、残り二つの詩についても、龍平は積極的に発言した。書き写したかいがあったというものだ。美紗子もこれからの作品に活かせるような意見をたくさん言ってくれて嬉しいと喜んでいた。どうやら、美紗子ワールドの拡大に一役買ってしまったようだ。
休憩を挟んで、伊吹のデビュー作「帰省」の批評が始まった。
「あの、よろしくお願いします。……すごく下手だと思うんですけど」
何を言われるのか不安でいっぱいの伊吹は、最初にそう言った。が、厳しい批評で龍平の中でおなじみの先輩たちの口から出てきたのは、伊吹にとって予想外のものだっただろう。
「いや、よかったんじゃないか。伊吹らしいっていうか」
浩史の言葉に、伊吹が安堵の息を漏らす。
「帰省」は、久し振りに母の実家に行った女子高生が、祖母の仏壇の前に座って昔のことを思い出すという物語だ。主人公の「私」は、小さな頃はよく祖母に遊んでもらっていたが、中学生になり思春期を迎えると友達と遊んだ方が楽しくて祖母とは疎遠になっていた。
しかし、中学三年生の時に祖母は他界してしまう。その時、もっと一緒にいられればよかったと後悔し、それからは形見のネックレスをどれだけ周りからダサいと言われても身につけていた。
登場人物は「私」しかおらず、すべて独白で構成されている。数々の思い出を語った後に「お婆ちゃん、大好きだよ」のセリフで締めくくられている。
特に物語に波があるわけでもなく、盛り上がる部分もない。ただ淡々と「私」の語りが綴られているだけだ。しかし、文章から伝わってくるノスタルジックな雰囲気がこの作品の本質なのではないかと龍平は思っている。
浩史の言った「伊吹らしい」という感想はしっくりくる。
「初めてなのにすごいよー。もしかしてぇ、ちゃんと練習してたりするぅ?」
「は、はい。いくつか書いて、お母さんに読んでもらってます」
「そうなんだー。じゃあ、前に書いたのも読んでみたいなあ」
「そ、それはちょっと……恥ずかしいです」
美紗子も伊吹の作品を褒めている。しかし、もちろん褒めるだけで終わらないのが批評会である。
「伊吹の小説は好評で何よりだ。ならば敢えて私が苦言を呈そうか」
「はい。……お願いします」
「私も全体的に漂う雰囲気は好きなのだが、足りない部分があるというよりも余計な部分が多いと思う。例えば、実家に帰ってきて玄関を開けてからだが、描写が細かすぎる。何も、家の間取りをすべて説明する必要はない。読者に作者の見ている光景をくまなく伝えたいという気持ちはわかるが、絵や写真がない限りそれは不可能だ。物語に支障がなければ、ある程度は読者の想像に任せてもいいのではないか?」
「確かに。俺も蛇足だと感じている。極端な話だが、これをやりだしたら箪笥の抽斗の数まで書かなければいけなくなる。ここを省き、代わりに仏壇のある和室の描写を細かくした方がいい」
由利と宋次郎に指摘を受け、伊吹は自分のノートに書き込んでいく。
「やけに細かく間取りが書かれてるからさ、この家で密室殺人でも起きるのかと思ったよ」
冗談めかして浩史が言う。
みんなの感想が一回りして、よかった部分と直した方がいい部分が半分ずつくらいの割合で指摘されていく。やがて、最後に龍平の番になった。
「龍平くんは、どうだった……?」
隣にいるから、伊吹の視線を強く感じる。
「面白かったよ。だから……悔しい。伊吹さんも葉月もちゃんと小説が書けて、俺はまだオリジナルのやつは全然書けてないから……」
土曜日に伊吹の小説を読んで抱いた感想が「悔しい」だった。面白いから、悔しかった。羨ましかった。
「龍平ー、今はあんたの気持じゃなくて伊吹ちゃんの小説の感想を言うんでしょー」
逆隣の葉月が小突く。
「あ、あの、龍平くんは頭もいいし、すぐに私よりもすごい小説が書けるよ」
伊吹にフォローされてしまった。由利と目が合うと、我らが部長はいつもの不敵な笑み。
「私を驚かせるような小説を書くのだろう? 私はいつ君が原稿を持ってきてくれるか楽しみで仕方ないのだがな」
「……待っててください。すぐに書いてみせますよ」
「ふふ。これを言うのは何度目かな。かわいい奴め」
結局、伊吹の批評の最後は龍平が自分のことを言って終わってしまった。だけど、たくさん意見が出たから、これを取り入れて添削を行えば、伊吹の「帰省」はもっと良くなるはずだ。
時刻はすでに五時を過ぎ、段々と空がオレンジ色に染まっていく。由利は部員たちにこれから予定が入っている人はいないか確認し、批評会は最後にして最大ボリュームの葉月によるライトノベル「Danger Elopement」を迎えた。
両面印刷にしてもかなりの厚さになる原稿をみんなが机に並べ、作者である葉月は最初に告げる。
「皆さん、厳しい意見をガンガン言ってくださいねっ」
正直、こんなこと言われなくてもこの人たちは言うと思う。
この時、龍平は自分の立ち位置を決めかねていた。それは、これから始まる批評がどのようなものになるか予見できるからであって、その上で自分はどのような行動に出るべきか、どうするのが正しいのか、まだわからなかった。
きっと同じように、伊吹も迷っているはずだ。
「面白くはなかったな」
どれだけ迷っていても時間は進む。批評は始まる。最初に出たのは由利のそんな言葉だった。
「え……あの……」
「聞こえなかったか? 面白くないと私は言った。誓っておくが、私はライトノベルが嫌いだが、その感情を批評の場に持ち込むことはしない、純粋に作品として評価した結果、面白くなかった」
「Danger Elopement」は、神と天使の住む神界と、魔王と悪魔たちが住む魔界、そして人間界を舞台にした物語だ。
主人公は魔界で腕利きの殺し屋、レイナス。彼は魔王に命ぜられ、神界の切り札である王女ミリアを暗殺するために神界へ向かう。姿を変える魔法でレイナスは上手いことミリアに近づき、暗殺のチャンスを得る。しかしミリアの美しさと優しさにレイナスは心打たれ、ミリアに恋心を抱いてしまう。一方のミリアも、レイナスが自分を殺しにきた暗殺者と知りながらも、彼に一目惚れしてしまうのだ。
心が通じ合った二人だが、決して結ばれない運命。そして二人は駆け落ちを決意する。逃げた先は人間界。慣れない人間の世界での生活に最初は苦労するが、二人は懸命に生きようとする。また、人間の少女との出会いもあり、暗殺者としてのレイナスの心は段々と温かくなっていく。
が、裏切り者の二人を狙う刺客がやってくる。悪魔たちの中でもかなり強い部類に入るレイナスだが、魔王直属の四天王の一人であるガイラには到底及ばない。それでもミリアと二人で力を合わせてガイラを倒す。
これからも刺客は二人を狙ってくるだろうが、二人で乗り越えられない障害はない。さらに固く結ばれた二人は、人間界の小さなアパートで口づけを交わすのだった。
と、こんなあらすじである。まさに「危険な駆け落ち」だ。
「そう、ですか。つまらなかったですか……」
最初の意気込みはどこかへ行ってしまい、葉月は肩を落とす。入ったばかりの一年生に、ここまで容赦なく言う由利を非難できる人がいるだろうか。
いるはずがない。何故ならば、本当にこの小説はつまらないからだ。
「神界と魔界の設定を細かく作ってるのはわかるんだけどさ、ほとんどが人間界で話が進むから、意味ないんだよな」
と浩史。
「全体的に体言止めが多いんじゃないかなぁ。葉月ちゃんの好きな手法なのかもしれないけど、ちょっと読んでてつっかえちゃうよ」
と美紗子。
「途中で人間の少女が出てくるが、いつの間にか消えているな。彼女はどこに行った? 話に深く関わってくると思ったが、使い捨てだったのはもったいない」
と宋次郎。
どれも頷くしかない指摘だった。事実、龍平が赤ペンを入れている原稿にも同じようなことが書かれている。
次々と意見が言われていく中、葉月は「はい」と返事をしながら指摘されたことをメモしていく。その横顔を見ていることができなかった。これ以上言われたら泣きだしてしまいそうな目をしていた。
でも、こんなのは序の口と言わんばかりに、由利は指摘を続ける。
「この物語のクライマックスは最後のガイラとの戦闘だろうが、イマイチ盛り上がりに欠ける。二人が力を合わせて勝つという展開が目に見えていたからな」
「でも、それが王道ですし……」
反論の声もどこか弱々しい。
「王道はわかるし、否定はしない。この設定でバトルがないのは逆に拍子抜けだ。しかし葉月、王道に必要なのは何だ?」
「必要なもの、ですか? えっと……」
「『わかっていても面白い』ことだ。力を合わせて、愛の力で勝つ。使い古されているが色褪せない王道だ。だが、これはただ展開が王道なだけだ。それでは盛り上がるはずもない」
「展開だけっていうのは、その、足りないところがあるってことですよね」
「そうだ。王道バトルの魅力を引き立てる何かだ。負けたら恋人ともども死んでしまうという緊張感を読者に伝えるような鬼気迫る文章力があるか? 読者に思わず読み返させるような伏線があるか? ライトノベル読者が好きそうな、画数の多い漢字だらけでカタカナのルビがふってあるような技があるか? この小説にはどれもないだろう」
「…………」
葉月は何も言えない。当然だ。由利の言ったことが、この小説にはない。最大の魅せ場であるはずのバトルも、ページ数は割いてあるものの単調な攻撃の応酬で終わってしまう。しかも描写が足りないせいで、戦闘中のキャラクターがどのような位置関係にあるのかわかりにくい。
袋叩き。そんな言葉がよぎった。
「一年はどう思う?」
浩史から、龍平と伊吹に振られる。
龍平はまだ迷う。つまり、葉月をフォローするか否か。この原稿を読んだ時、龍平は思った。龍平と違って前から執筆を趣味にしていて、教えてあげようかとまで言った葉月の書いた小説がこんなにもつまらない。どの口が言う、と。お前だって下手じゃないか、と。
葉月が書いたものでなければ、批評をしなければいけない原稿でなければ、半分も読まずに放棄していたところだ。
葉月に浴びせる言葉なんていくらでも浮かんでくる。「得意げだったくせにつまんねえじゃん」とか、「これでプロになりたいとか笑わせる」とか、「もう俺に偉そうにするな」とか。
だけど、これは間違いなく葉月が一生懸命、たくさんの時間をかけて書いたものであって、そんな原稿を「つまらない」の言葉で一蹴してもいいものなのか。先輩たちは厳しく言うけれど、ここはどうにかフォローをして葉月の次回作へ対するモチベーションを保たせるべきではないのか。
葉月のことは嫌いだけれど、何であれマジメに取り組んでいる奴は嫌いじゃない。
「私は……、レイナスが慣れない人間界の暮らしに四苦八苦するコメディの部分は、面白いと思いました」
伊吹はやはり、フォローに回った。あの日の電話。葉月の小説を読み終わった伊吹は、批評会で正直に感想を言うか迷ったのだ。友人の葉月に向かって「つまらない」と。心優しい伊吹に言えるはずもない。
とうとう自分の順番が来た。
「……俺は、登場人物が少ない分、キャラが掘り下げてあったと思う。どのキャラも個性があって、よかったと思う」
「あ、ありがと」
らしくない声で、隣の葉月が言った。
由利の顔は見ない。どうせ見透かしたような表情をしているからだ。
「主人公の動機が何をするにしても弱い。心変わりが唐突すぎる。すべてが都合よく回りすぎているな」
敢えて、ここは「追い打ち」と言おう。ボリュームに比例して指摘する部分が多くなるのだから、「Danger Elopement」の批評会がここで終わるはずがないのだ。由利はここから見ても真っ赤だとわかる原稿を見ながら批評を続ける。どれだけ赤ペンを入れたのだろう。
「心理描写が足りないってことですか?」
「いや、それは無駄なくらいに多い。そうではなくて、登場人物が行動を起こす理由が弱いのだ。読んでいると『それでいいのか?』と首を傾げる場面が多かった」
「……わかりました」
さっきよりも葉月の声が小さい。もう消えてしまいそうだ。
「それと文章の方だが、凝りすぎてわかりづらくなってしまっている部分がいくつかある。ライトノベル特有の言い回しだと言われてしまえばそれまでだが、読者に伝わらなければ意味がない。自己満足で終わるな」
「……はい。直します」
危険な信号を、龍平はキャッチする。これ以上はまずいのではないか。
「直すというよりは、最初からすべて新しく書く方がいいのではないか? 神界と魔界の設定はできているから、それを基盤にだな……」
「だったら!」
葉月が叫ぶ。由利のマシンガンのような指摘が、ついに葉月を追い詰めてしまった。そして、葉月は言う。
「由利先輩が書いたらいいじゃないですかっ! これだけ的確な指摘ができるのなら、由利先輩が書いた方がいい小説ができるはずです!」
ぴくりと眉を動かす由利。しかし、何も言わない。葉月を睨むように、諭すように見据えるだけだ。
「葉月ちゃん……」
伊吹が声をかけるが、それ以上続かない。龍平も、かける言葉を失っていた。
「……ごめんなさい。今日は失礼します」
自分の原稿を鞄に押し込むと、葉月は足早に部室を去って行った。追いかける人はいない。追いかけても、今は何もできない。
「ったく、『だったらお前がやってみろ』は批評の場で禁句だっての」
浩史が呆れたように言った。きっと葉月はわかっていただろう。でも言ってしまった。抑えられなかった。
「ふっ。若さだな」
一つしか違わないのに宋次郎はそんなことを言った。
「葉月ちゃん、泣きそうだったねぇ」
さっきまで葉月の座っていたところを見ながら、美紗子が呟く。龍平は、葉月を追い出した張本人と目を合わせた。
「由利先輩、一応訊きますけど、愛の鞭ってやつですよね」
「当然だ。葉月がプロ志望でなければ、私もあそこまでは言わん。完全に悪役だが、甘んじて受け入れようではないか」
葉月は入部と同時にプロ作家になりたいと宣言している。だからこそ、由利も容赦のない批評をした。頭では理解しているのだが、酷評を受けている時の葉月の顔を思い出すとやり切れないものがある。
葉月の限界を由利は読み間違えたのではないか。いつも明るくて社交的で、由利がライトノベルが嫌いだと言っても逆に張りきってしまうくらいの性格だから、これくらいの酷評ならすぐに立ち直って次の作品を書くだろうと。でも、葉月は部室を出ていってしまった。戻ってくるかはわからない。
龍平も自分の書いたものを完膚なきまでに叩きのめされたが、葉月ほど時間をかけた作品でもなければ愛着もない。
きっと作品に対する愛着と、悪い評価を受けた時のダメージは比例するのだ。当然だ。執筆に費やした時間を否定されたようなものなのだから。
「あいつ……まさかこのまま辞めてラ会に行くつもりじゃねえだろうな」
「そんなっ……。せっかく友達になったのに……」
伊吹が瞳を潤ませる。
「最後は本人の意思だから引きとめるわけにもいかねえが、そうなったら残念だな」
浩史は葉月の原稿をめくりながら言った。そこにも赤ペンがたくさん入っている。それだけ指摘するところが多かったということなのだろうが、それだけ真剣に読んでくれたということだ。
「ふん。葉月も秋乃も心が弱くて困る。プロになったら不特定多数の人間から評価されるというのに、こんなこじんまりとした批評会でヘコんでどうする。これだからゆとりだ何だと言われてしまうのだ」
由利の言うことは間違っていないのだろう。龍平も葉月から借りたライトノベルの評価をネットで探すことがあるが、「買って損した」「続きが出ても買わない」「この作者はもう買わない」などの感想も出てくる。プロになればずっと評価され続けながら書くことになるのだから、ある程度の図太さというのが必要になってくる。由利がそこを鍛えようとしているというのもわかるにはわかるのだが。
作者が不在になってしまったので「Danger Elopement」の批評は強制的に終了。これが最後の作品だったので、批評会は後味の悪いままの解散となった。
「明日、あいつ来るかな」
「……来てほしい、けど」
一年生二人はどちらも自信がなかった。葉月なら一晩寝たらすっかり元気になっているかもという期待もあるのだが、これはそんな簡単なことではないと思う。
部室を出る時に、由利が誰にでもなく言った。
「このままラ会に行くようなことがあれば、葉月は終わりだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます