第14話 神族と魔族の駆け落ち①
例えば、テレビに出ている映画評論家が自分では映画を撮らないように、小説を批評するのに必ずしも小説家でなければいけないというわけではない。
由利はそういうタイプなのかもしれない。読書が好きでたくさんの本を読んでいるけれど、決して自分で書こうとは思わない。そんな人は世の中にたくさんいるだろうし、書き手でなければ文芸部に入ってはいけないわけでもない。
でも、読んでみたかったな、由利の小説。
朝、自分の席でそんなことを考えていると、登校してきた津村が龍平の席にやってきた。
「なあ柚木、お前ってA組の君島さんと付き合ってんの?」
「……君島って誰?」
「知らないのかよ! 噓つけよ、お前いつも一緒に昼ご飯食べてるじゃないかよ」
「ああ、葉月のことか。名字忘れてた」
文芸部の伝統のせいで、葉月を名字で読んだことなど数えるほどしかない。
「やっぱアレか。付き合うと呼び方変わるのか?」
何言ってんだこいつ。
「津村さ……、熱あるなら帰るか死ぬかしろよ」
「二択が究極すぎるだろ! マジで付き合ってないの? あんなに仲良くしてるのに?」
津村の言う「あんなに」に心当たりがない。よほど自分はキョトン顔をしているようで、津村はすぐ近くの席にいた伊吹に助けを求めた。龍平と伊吹が同じ部に入っていることは、すでにクラスメイトの知るところである。
「霜野さん、柚木と君島さんって本当に何でもないの?」
「え? う、うん。多分……。龍平くん、そうだよね」
「何で伊吹さんまでちょっと自信ないの? 俺と葉月とかあり得……お、ちょうどいいところに本人が来たぞ」
見れば、葉月が違うクラスだというのに普通に教室に入ってくるところだった。手には小さな紙袋を持っている。
「おはよー。伊吹ちゃん、前に借りてたCDありがとね」
そう言って紙袋を伊吹に渡す。そういえば、前に二人が好きなゲームの話題になって、そのサウンドトラックを伊吹が貸すというような話をしていた。
すかさず津村。
「君島さん。突然でごめん。俺、津村っていうんだけど、柚木と付き合ってるの?」
「……柚木って誰?」
「俺だよ俺! 柚木龍平!」
「あー、ごめーん。名字忘れてた」
なんて失礼な奴か。って、人のこと言えないけど。
「あのな、津村のバカが、俺とお前が付き合ってるんじゃないかって疑ってんだよ」
「はあ? 絶対にあり得ないし。だって私、こいつのこと嫌いだもん」
葉月は照れることも頬を赤くすることもなく、はっきりと否定。ついでにその理由まで言ってくれた。
「な? これで気が済んだだろ?」
「いや、付き合ってないのはわかったけど……。お前、嫌いって堂々と言われてるけどいいのか?」
「別に。だって俺もこいつのこと嫌いだし。な、葉月っ」
「ね、龍平っ」
ウインクで通じ合うこの気持ち、「こいつが嫌い」。
津村はパッケージと中身が大幅に違う商品を買ってしまった時のような顔をしていた。
「霜野さん……この二人どうなってんの?」
「えっと、大丈夫。仲、いいから……」
龍平は伊吹の苦笑いというものを初めて見た。
どうして朝から津村があんなにぶっ飛んだことを言ってきたかというと、葉月と同じクラスのA組に津村の友人がいて、そいつがなんと葉月に思いを寄せているというのだ。そして告白するにあたって、いつも行動を共にしている龍平の存在に気づき、どんな関係なのか津村に調べさせたのだった。
結果、龍平は葉月と付き合っていないという答えが出たため、そいつは昼休みに意を決して葉月に告白したのだという。
んで、玉砕した。
「どんな奴だったんだ?」
授業が終わり、葉月、伊吹と三人で部室に向かう途中である。昼休みに葉月がいなかったからどこに行っていたのかと思えば、呼び出されて告白されていたというのだから驚きだ。
「バレー部の人。背が高くて、顔も割とよかったんじゃないかなあ」
「だったらお前にはもったいないくらいだな。なんで断っちまったんだよ」
「確かに見た目はよかったよ。でも、私にだって好みってものがあるし」
顔も知らないバレー部の人は葉月の趣味に合わなかったようだ。
「お前の好みって、もしかしてアレか、ライトノベルに出てくるキャラとかか? うわー、そういうのってないわ。なんつうの? 二次元? 萌え? オタクって感じ丸出しじゃん」
今の世の中、漫画やゲームに登場するキャラクターに恋する人たちがいるらしい。もちろん誰にだって好きなキャラクターというのはいるとは思うが、その人たちの感情はどうもそれとは違うようだ。オタク文化というものに関心のない龍平だが、最近はテレビでも特集されているのを見かけることがあり、自然と情報が入ってくる。近い将来、時事問題で試験に出るのではないかと割と本気で考えている。
「違うっつーの。確かに好きな男のキャラとかはいるけど、その辺の線引きはしてるから」
「じゃあ、どんな奴が好みなんだ?」
「あんた以外」
「光栄だこの野郎! っていうかそれだとさっきの奴は何だったんだって話だよ!」
龍平以外の男が好みだという葉月に振られた男。果たして彼は何者なのか。
「…………」
ふと、伊吹が黙ってしまっていることに気づく。好きな恋バナだというのに、会話に入ってこない。それどころか、表情はかすかに怒っているようにも見える。伊吹が怒っているところなんてもちろん見たことがない。
「伊吹さん? 俺ら、なんか気に触るようなことでも言っちゃった?」
「……ゲームのキャラクターを好きになっちゃ……ダメなんだ……」
地雷踏んでた。
「いや、そ、そうじゃなくてっ……。別にいいと思うよ? でも、それに全身全霊をかけてる人がいるじゃん? そういう人がちょっとってことで……」
「伊吹ちゃん傷つけたー。ちょー最悪なんですけどー」
「お前は黙っとけ!」
部室までの短い間、必死に謝り倒してなんとか伊吹に許してもらった。葉月は割と自分のことを喋るから趣味とか性格がわかるのだが、反対に伊吹は自分のことをあまり話さない。聞き役に回ることが多く、控え目な性格だということ以外はほとんど伊吹のことを知らない。これからの発言には気をつけなければ、どこで何を踏むかわからない。
部室に行くと、そこにはすでに由利と美紗子がいた。
「こんにちは」
「今日は三人来たか。ん? どうした龍平。地雷踏んだような顔して」
そんな顔をしているようだ。
「先輩っ、持ってきましたよ、私の原稿」
意気揚々と鞄から紙の束を取り出したのは葉月。そう、葉月は杏泉文学の締め切りに間に合ったのだ。それだけで杏泉文学が一冊できてしまうのではないかというほどのボリュームで、大きなクリップでとめてある。
「わあ。葉月ちゃんすごいねー」
その量に美紗子も驚いている。前にラ会の見学の時に見た「異世界が何とか」の原稿と同じくらいだから、葉月の原稿もライトノベル一冊分なのだろう。内容は知らないが、これだけの量が書けるという部分には感心する。
「これは読みごたえがありそうだな。ふむ……タイトルは『Danger Elopement』か。直訳すると『危険な駆け落ち』といったところだな」
由利は原稿を数枚めくりながら言った。調べずに「駆け落ち」がわかるあたり、さすが杏泉高校生である。当然、龍平もわかった。
「駆け落ちってことは、恋愛ものか?」
「それは読んでからのお楽しみでーす」
作者の言う通りだ。何も聞かずにまずは読もう。
「龍平くんと伊吹ちゃんは、今回は原稿ないのぉ?」
わくわくという感情が表情に惜しみなく出ている美紗子には悪いのだが、初心者二人は原稿を用意していなかった。
はずなのだが。
「あのっ……私、書いてきましたっ……」
慌ただしく鞄から原稿を取り出したのは伊吹だった。原稿はタイトルが印刷された表紙を含めても四枚で、葉月の原稿を見た後だと少なく感じてしまうが、小説を書いたことがない伊吹が初めて書いた記念すべき作品だ。
「伊吹さん書いたの!?」
思わず声が大きくなる。
「その、ちょっと思いついたことがあって……、勢いで書いちゃったっていうか……。すごく下手だと思うんですけど……葉月ちゃんが、みんなに感想もらった方が上手くなるって言ってて、恥ずかしいんですけど、読んでもらえたらと……」
何かに言い訳するように捲し立てる伊吹。照れ隠しだろう。顔は真っ赤だ。
「伊吹ちゃん、頑張ったねー」
美紗子はよしよしと伊吹の頭を撫でる。とても和む光景だった。
「素晴らしいぞ伊吹。楽しみに読ませてもらうよ。人が一生懸命書いたものだ、批評はするが、バカにするようなことはしないさ」
「これがきっかけになって、いきなり才能が開花しちゃったりしてね」
途端に伊吹ちやほやモードになる女子部員たち。伊吹の性格からしても、原稿を出すのは大きな一歩だというのはわかっている。が、同じ一年生の龍平はすでに二つの作品を披露している。どちらもお題があったので完全なオリジナルではないが、新入生が慣れない小説を書いたのだから、もうちょっと自分もちやほやしてくれてもいいのではないか。
いや、悔しくないぞ。悔しくなんてない。
「おやおや龍平、君も撫でてもらいたいのか?」
本当にこの由利という人は、どこまでもいい性格をしている。
「別にそんなことないです」
「おーよしよし。龍ちゃんは次頑張ろうねー」
指でうなじをぐりぐりされた。それは撫でるとは言わない。
だけど、同じスタートだった伊吹が先に作品を提出したことは、龍平に少なからず刺激を与えていた。なんか、書きたい。杏泉文学の締め切りには間に合わないが、そんなのは関係なく何か書きたい。書いてみたい。
「由利ちゃん、批評会は週明けでいーい?」
「そうだな。すでに美紗子と浩史からは原稿をもらっている。ドントクライは見送ると言っていたから、今回は四作だな。葉月のは長いが、土日で読んで来られるか?」
由利の問いに、龍平たちは「はい」と答えた。確かにボリュームはあるが、ライトノベルだったらそれなりの速さで読めるはずだ。
それから場所を移動して、先生に言って輪転機を借りる。あまり紙を使うと怒られるので、葉月の原稿は両面コピーにして節約することにした。
輪転機から吐き出されてくる紙を眺めながら、龍平に気づくことがあった。
「文芸部の顧問って誰なんだ?」
その言葉に、一年生二人もはっとする。
「言われてみれば会ったことないや。国語の先生の誰かかな」
「私も会ったことないかも……。由利先輩、顧問の先生はどなたなんですか? あっ、私の原稿をここで読まないでくださいっ」
我慢できないのか、由利は印刷したての原稿を読み始めていた。作者の伊吹が必死になって止めている。
「ああすまない。顧問だったか。実は図書館の司書さんにお願いしている。部室が司書室なのもそのためだ」
図書館の司書は厳密には学校の教師ではないのだが、学校の職員ではあるので顧問として認められているのだという。確かに、文芸部の顧問に司書はぴったりだ。
「へえ。でも、見たことないな。部室に来たことあります?」
部室どころか図書館の中でも見たことがない。図書館で働いているのはもっぱら図書委員だ。
「あの人は自由だからな。どこか旅に出てるんじゃないか?」
「自由すぎるでしょ!」
職場放棄かよ。
「司書だけあって、あの人の読書量と本への愛は素晴らしいぞ。いやあ、去年あの人とやったグレゴール・ザムザごっこは楽しかったな」
「何ですかそれ!」
「二人で寝袋にくるまって図書館の中を這いずり回ったのだ。彼の気持ちの一端でも理解しようと思ってな」
いい迷惑だ。図書館にいた生徒が引いていく様子が目に浮かぶ。あと多分、そんなことをしてもグレゴール・ザムザには近づけないと思う。
「ねえ龍平、そのグレゴールって誰?」
「『変身』ってタイトルだけなら聞いたことあるだろ? カフカの。その主人公だ。朝起きたら虫になっちゃった人」
「あ、知ってる知ってる。ま、いきなり魔法少女になっちゃうのと同じだよね」
「違えよ」
一緒にすんな。これだからライトノベル脳は困る。
今は旅に出てしまっているらしいが、顧問なのだからそのうち顔を合わせることもあるだろう。由利の話だけ聞くと、例によって濃そうな人だけど。
印刷された葉月の原稿を持つと、すぐに読みたい衝動に駆られる。好きな作家が新作を出したというわけでもなく、書いたのは高校生のアマチュア。それでも読みたいと思ってしまうのは、これが葉月が書いたものだから。すぐ近くにいる人が書いたというだけで、こんなにも興味を引かれる。
きっとこれが、創作の魅力なのだろう。
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