第17話 メロスのバイク①

 葉月が文芸部に顔を出さないまま、ゴールデンウィークに入った。文芸部は運動部と違って練習があるわけでもないので、連休はそのまま休みになる。後から聞いたところによると、宋次郎の家の洋菓子屋でお茶会をする企画を二年生は立てていたが、葉月の件で流れてしまったらしい。確かに、葉月のことがすっきりしないと、美味しいケーキも味わえない。

 今年のゴールデンウィークは最初に三連休、二日学校に行って、その後に四連休という組み合わせだ。世の中の高校一年生は中学の時の友達と遊びに行ったり、新しい友達と遊びに行ったり、部活に燃えているのかもしれないが、そんなことは知ったことかとばかりに、龍平は部屋にこもっていた。そういえば去年は毎日塾の自習室に行って勉強していた。

 去年と違うのは開いているのが参考書ではなくパソコンの文書ソフトということ。この三連休で、必ず作品を仕上げてみせると心に決めていた。

 コンコンと小さなノックに振り返れば、妹が顔をのぞかせていた。

「お兄ちゃん……友達、いないの?」

「ちゃんといるから心配すんな。別に遊ぶ相手がいないわけじゃねえよ」

 心配してくれるのはありがたいが、よくもまあグサっとくるような質問を容赦なくできるものだ。

「友達って、あのオタク本貸してくれた人?」

 読んでいることがバレて以来、妹はライトノベルのことを「オタク本」と呼んでいる。否定するつもりもないけど。

「まあ……そうだなあ」

「女の人だよね。美人さん?」

「いや」

「かわいい系?」

「いや」

「優しい人?」

「いや」

「……本当に友達なの?」

 不審な眼差しである。

「ああ、友達だよ。嫌いだけどな」

「何それ。なんかわかんなーい」

 妹はそう言ってドアを閉めた。すぐに「お母さん、遊びに行ってくるー」と声がして、玄関から出て行く音が聞こえ、龍平の部屋の窓から自転車に乗って走って行く妹が見えた。

 まだ中一の妹にはこの関係や感情はわかるまい。なんといっても、自分ですらわかっていないのだから。

 龍平は画面に向き直る。小説は、タイトルは「タイトル未定」のままだが、やっとのことで1ページ書いた状態だった。プロットは簡単にまとめてあるものの、どれくらいの量になるのか自分でも見当がつかない。何事も計画どおりに進める性分である龍平には珍しい見切り発進だった。本当は夏休みをかけて書くつもりだったのに、かなりの前倒しになってしまった。

 またノック。父は仕事でいないから、あとは母しかいない。パソコンに映っている画面を小さくして返事をした。

「はい」

「龍ちゃん、紅茶をどうぞ」

「あ、ありがと」

「もうそんなに勉強してるの? 東大だけじゃなくて飛び級でも狙ってるのかしら」

「いや、そうじゃなくて……」

「違うの? ……あ、わかった。文芸部だから小説書いてるのね。お母さんにも見せてよ」

「絶対無理!」

 家族に自作小説を読まれる。伊吹は読んでもらっているみたいだが、自分には絶対に無理。恥ずかしいことこの上ない。

 母は諦めてくれたのか、紅茶を置いて踵を返した。念には念を入れてドアまで見送ることにする。その時だった。

「母フェイント!」

「しまった!」

 母が持つ必殺技の一つ、あらゆる人を引っかけると言われる母フェイントが炸裂した。母は見事なステップで龍平を振り切ると、慣れた手つきでパソコンを操作して画面を開いてしまった。これに引っかからないのは父のみであると、親族の中では有名である。なんてことだ、自分としたことが油断した。

「ほほーう。……龍ちゃんって、文書下手なのね」

 バッサリ斬られた。

「うるさいな……。俺だってそんなことわかってるよ。だから苦労してんの」

「私が教えてあげようか」

 葉月みたいなことを言う。

「どうして母さんに教わんなきゃいけないんだよ。素人のくせに……ぶほっ」

 何かを顔面に突きつけられた。それは文庫本で、妙にキラキラしている表紙だと思ったらライトノベルだった。しかし龍平が知っているものと違うのは、表紙に大きく男が描かれていること、その男がやけにハンサムなことだった。その男の脇に、ナースっぽい服を着た少女がいた。

 タイトルは「デンタル・プリンセス」。作者は「西城涼」。

「何これ」

 待てよ。「西城」は母の旧姓、そして母の名前は「涼子」。

「私の書いた本」

 時が止まった。本と、母の顔を見比べること数回。

「マジで!?」

「そうなのよー。ほら私、龍ちゃんを産んでからは専業主婦でしょ? 龍ちゃんは手がかからない子だから、暇ができちゃってね。ちょっと小説でも書いてみようかしらって。実は私も大学の時は文芸部だったのよー」

 明かされる母の正体、まさかのプロ作家。どうして今まで隠していたのかと訊けば、やはり「オタクっぽさ」が理由だった。子供たちに変に思われたくなくて黙っていたが、龍平が文芸部に入りライトノベルに出会ったものだから、カミングアウトに至ったらしい。ライトノベルを知らない時の自分だったら、母に対してもっと違った、おそらくマイナス方面の感情を抱いただろうが、今はそんなことはない。

 当時、母は子育ての傍らのんびりと小説を書き、いくつか投稿してみた。するとその中の一作が佳作に選ばれてプロデビューとなる。少女漫画を小説にしたような、十代の女の子向けライトノベルを扱うところだった。

「とにかく……読ませて、それ」

「ふふ。どうぞ。血は争えないわねー。あ、それシリーズで六巻まであるからねー」

「……マジか」

 とりあえず一巻を受け取り、龍平は早速ページを開いた。自分の原稿はひとまず保留だ。これくらいなら二時間でいける。

「デンタル・プリンセス」は、ある国の王子と新米歯科医の少女の物語だった。顔立ちは文句なしの美形なのに、歯並びが異常に悪い王子は、人前で口を開けて笑うことを禁じられていた。しかしある時、父である王が流行病に倒れ、先は長くないと言われる。このまま王が亡くなれば王子が即位することになる。そうなれば、国民の前で話す機会も増え、当然、笑うこともあるだろう。そんな王の歯並びがガッタガタとなれば、国民はしょんぼり、もしかしたら国交にまで影響が出るかもしれない。

 今まで歯の治療が怖くて逃げ回っていたが、さすがに困った王子は、歯科医になったばかりのヒロインを城に呼んで極秘に矯正治療を命じる。もちろん歯の矯正は一朝一夕で終わるものではない。治療をしている間、王子が大口を開けて笑えるのはヒロインの前でだけ。ヒロインは王子の歯並びの悪さがバレないように四苦八苦するという、矯正コメディだった。

 やっべぇ、面白い。

 二時間後、読み終わるのを待っていたように、母が再び部屋を訪れた。

「龍ちゃん、どうだった?」

「……弟子入りさせてください」

「あら珍しく素直ねー。でも楽しんでくれたみたいでよかったわ」

 作中の「私には歯の隙間は埋められても、あなたの心の隙間までは埋められない」はマジで名言だ。

 プロだといっても母に小説を読まれるのは恥ずかしいが、こうなったら仕方ない。おとなしく助言を賜ってやる。

「でも母さん、俺はライトノベルを書くつもりはないからな」

「ええ。書きかけの小説もそんな感じだものね。ラノベ的なことは考えずに、文章や構成でアドバイスしてあげる」

 小学生の時から、父や母に勉強を教えてもらうことなんてなかった。そんな手のかからない息子だった自分が、高校生になって母に教えを請う。わからないものだと、変に達観した龍平だった。

 そして三連休、龍平は母、いや、作家「西城涼」にアドバイスを受けながら小説を書き続けた。書いては消し、書いては消しを繰り返し、母には「ホントに文章センスないわねー」とダメ出しされ、妹には「お兄ちゃんがオタクでマザコンになった!」と誤解され、父には「俺の嫁を一人占めするな」と嫉妬された。一応、ライトノベルにまだ偏見のある妹には母が作家だということを黙っている。

 アイディアを絞り出すために、時には逆立ち、時にはブリッヂ、時には母からのキャメルクラッチを受けながら、龍平は執筆に没頭した。

 やがて連休明け直前の月曜日の夕方、ついに龍平が初めて書いたオリジナル小説が完成した。プリントアウトして七枚の、短い原稿だ。

「直したいところはまだあるけど、それをやっちゃうと龍ちゃんじゃなくて私の小説になっちゃうものねー」

「うん。……これが、今の俺が書ける限界なんだと思う。ありがとう」

「やだもー。龍ちゃんにお礼言われるなんて気持ち悪い」

「はっきり言った!」

 思ったことをそのまま言うのは、母に似たようだ。

 龍平は自分の原稿を改めて読んでみる。正直、何度も読み返しているせいで、これが面白いのかつまらないのかわからなくなってきている。しかし、この原稿が現時点での自分の最高傑作であり、他の誰にも書けないものなのだ。

 感想を言うのなら、楽しかった。「書く」という行為を楽しめた。完成した時の達成感を味わった。

 これは、癖になりそうだ。

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