第9話 美紗子の世界②

 翌日の放課後、部室には龍平の他に由利と葉月がいた。葉月は放課後皆勤賞なのだが、龍平もかなりの出席率だった。どうして毎日のように部室に行っているのか自分でも不思議で仕方ないのだが、無料のお菓子と、図書館が隣にあるという本が読み放題の環境はいいものだった。もともと読書は嫌いではないのだ。

「由利先輩は、私服はどんな感じのが多いんですか?」

「特にこだわりはない。どうしても本にお金を使うから、あまり高いものは買えないな」

「私もです。欲しい服があるんですけど、お年玉を切り崩す決心がつかないんですよ」

 葉月と由利は普通の女子高生のような話をしている。ライトノベル大嫌いな由利と、大好きな葉月だが、いつも険悪なわけではない。むしろ葉月の人懐っこい性格もあって、文芸部の先輩たちとの打ち解けっぷりは異常な速さと言える。

 そんな二人の何気ない会話を聞きながら、龍平は部室にあった本を読んでいた。ここのところずっとライトノベルを読んでいたから、たまには他の本が読みたくなったのだ。この部室の本棚に並んでいる本は、歴代の文芸部員たちが置いていった物らしい。

「……美紗子が遅いな」

 ぽつりと由利が言った。由利と美紗子は同じクラスのはずだ。

「一緒じゃなかったんですか?」

「他の用があるから先に行っててくれと言われたのだ。掃除当番ではなかったはずだが」

 その時、携帯が震える音が聞こえた。葉月が「あ、私だ」と言って鞄を探る。

「もしかしたら、また男子から告白されてるとか」

 あの美紗子ならあり得ないことではない。昨日は美紗子ワールドを爆発させていたが、それを知らない男子だってたくさんいるはずなのだ。

 冗談混じりのつもりだったが、龍平の言葉に由利は考え込むようにうつむいた。

「……そのことなんだが、ちょっと気になることがあってな」

「気になること、ですか?」

「ああ、実はな……」

「ええっ!?」

 携帯を耳にあてた葉月が声をあげた。葉月は慌てた様子で「場所は? ……うん、すぐ行く。由利先輩もいるから」と早口に言って電話を切った。

「どうした葉月」

「由利先輩っ。伊吹ちゃんから電話があって、美紗子先輩が女子に囲まれて、いじめられてるみたいだって……」

「美紗子がっ!?」

 瞬間、由利は椅子を倒して立ち上がり、すぐさまドアへと駆けていく。龍平と葉月もそれを追った。

 伊吹が美紗子を目撃した場所まで走る途中、由利はこんなことになるのではないかと心配していたと話した。

 昨日、美紗子に告白した二年生は木田というテニス部の男子で、なんと杏泉ランク部の作成したイケメンランキングで三位なのだという。しかもテニスも上手いというおまけつきで、もちろん女子からの人気は高い。そんなイケメン木田からの告白を何度も断っている美紗子は、一部の女子からは良く思われていないのではないかと。

「それっておかしくないですか? 美紗子先輩がふったことで、その人たちにもチャンスが生まれたわけじゃないですか」

「お前は女子ってものをわかってないな。確かにそれも一理あるが、イケメンからの交際の申し込みを断ると『調子に乗ってる』と解釈されることもあるのだ。今度、いい小説を貸してやるから女心を勉強してみろ」

 果たしてそれはどんな小説なのか。ドロドロの愛憎劇だったら気が重い。

「ま、付き合ったら付き合ったで恨み買うこともあるけどね」

 葉月が付け加えた。

「……どうすりゃいいんだよ」

 半ば呆れながら、龍平は由利の後ろを走る。

「間に合うといいのだが……」

 由利の顔には焦りが見える。「間に合わなかった」状況というのは何なのか。龍平は考える。伊吹によると、美紗子は囲まれているようだが。

「まさか暴力沙汰ってことは……ないですよね」

「正直、私はそれを心配している」

「そんなっ。この学校でそんなことが起きるわけ……」

「龍平、お前は偏差値至上主義を少し改めろ。この学校に通うのは頭のいい生徒ばかりだが、だからといって事件が起きないという保証はない」

 反論できない。ニュースでも、犯罪者が高学歴だった事件はよく聞く。話せば話すほど美紗子の身が心配になってくる。いくら天然でおっとりした美紗子でも、それだけで切り抜けられるとは思えない。

 校舎裏に回ると、まず泣きそうな顔をして携帯を握り締める伊吹が目に入った。

「伊吹ちゃん! 美紗子先輩はっ……」

「あっち……。私、怖くて……助けに行けなくて……」

「伊吹! 礼を言うぞ!」

 由利はさらにスピードをあげて走っていった。

 足が震えてしまっている伊吹を葉月が抱きとめる。一年生の伊吹が入っていったところで状況は変わらないだろうし、逆に伊吹が目をつけられてしまう可能性がある。すぐに葉月のところに連絡して由利を呼んだのは正解だった。

 伊吹を連れて美紗子が囲まれていたという場所へ向かうと、そこにはすでに由利と美紗子、そして女子三人組が対峙するという構図ができあがっていた。

「私のかわいい友人に手を出すとは、いい度胸じゃないか」

 三人組は、由利の登場に少なからず怯んだようである。しかしここまで来ては退けないらしく、声を荒げた。

 龍平は素早く三人の特徴を捉え、「前髪」「もみあげ」「まつ毛」と区別することに成功していた。あくまで特徴である。決して悪く言うつもりはないことをわかってもらいたい。

「あんたは関係ないでしょう! 私たちは羽生に用があるの」

 もみあげが言った。

「美紗子は私の友人だ。介入する理由はある。どうせ木田の件だろう」

 図星のようで、三人がたじろぐ。しかしもみあげも負けない。

「天然ぶって、男に媚びてるのが気に入らないのよ。男子をその気にさせておいて、それで告られても断って、お姫様気分でも味わいたいの?」

「私はぁ……そんなつもりじゃないよ」

 美紗子の反論も、その口調が逆撫でしてしまう。

 正直なところ、龍平もちょっとだけ思っていたことだ。美紗子の不思議ちゃんは、作られたものなのではないかと。男受けをよくするために演じているのではないのかと。テレビの中で必死にキャラクターを作るアイドルのように。

 しかしそんな疑念も「ぞっさん」から「美紗子ワールド」を垣間見た瞬間に消し飛んでしまった。あれは意識的に計算で作れるようなものではない。本当に美紗子は独特の世界を持っていて、言動もすべてその世界に準拠しているのだ。だいたい、もし美紗子が計算高い人であるなら、由利が友人関係を継続しているはずがない。ぶりっ子なんて、由利が一番嫌いそうなタイプではないか。

「好きな男子に告白する勇気もないくせに、美紗子を標的にするなど、お前たち、ブスなのは顔だけにしておけよ。性格までブスになったら救いようがない」

 一条由利、オブラートという物を持ち合わせない女である。龍平と葉月と伊吹は会話が聞こえる程度に距離を置いて見ているのだが、近くにいた葉月が「うっわー」と漏らした。

「なっ……。あんたにそんなこと言われたく……」

 まつ毛の反撃は、しかし尻切れトンボである。ブスという女子にとっては最悪の悪口を正面から喰らったが、容姿について由利に攻めるところが見当たらないというのが理由だろう。由利は非の打ちどころのない美人であり、三人の方が見劣りしているのは明らかだった。そして由利はその自覚があるからタチが悪い。

「あんたこそ性格ブスじゃないのよ!」

 前髪が強気に出る。うん、それは同意。由利は性格が悪い。頷いたところを葉月にツッコまれた。

「ふん。そんなことは自分でも承知している。しかし! 顔がブスより何百倍もマシだ! 何故ならば、『顔が悪くても性格が良ければ』とか言っている奴はすでに卑屈であり、どうせそのうち性格も悪くなっていくからだ!」

 ででーん。

 この人超強い。

 なんの根拠もない理論なのに、ここまではっきり言われると「そうかも」と思ってしまう。

 それにしても、由利は自分の性格が悪い自覚があったのか。治せよじゃあ。

「先輩……すごい……」

 伊吹から感嘆の声。すごいといえばすごいのだが、手本にならないすごさだ。間違っても伊吹には由利のようになって欲しくない。

 明らかに三人組は劣勢。第三者の視点で見ている龍平からすれば、最初のところから論点はずれてきている。だが、これは由利の作戦なのではないかとも考えられる。矛先を美紗子から由利に向けさせるように、由利が仕向けたのではないか。

「一条……。許さない……」

 呪いの言葉を吐くようにもみあげが言った。由利の口も悪いが、元はといえば悪いのはあちらである。ここは両成敗といかないものか。

「いいよ。もう行こう」

 このまま由利と口喧嘩をしても勝ち目がないと悟ったか、前髪が踵を返した。残りの二人もそれについていく。

「はぁ……。緊張したー」

 そう言って息を大量に吐き出したのは葉月。見ているだけだったが、気を張っていたのは龍平も同じである。男絡みでこんなことになるなんて女は怖いと思ったが、由利はその上をいっていた。

「由利ちゃん、ありがとー」

「かわいい美紗子のためならこれくらいどうってことない。とにかく、あいつらもケガがなくてよかった」

 由利は三人組が去って行った方を見て言った。

「どうしてあの先輩たちの心配なんてするんですか?」

 確かに、由利は暴力沙汰になることを懸念していた。だが、もし龍平たちの到着が遅く、暴力が振るわれるような事態になったのなら、ケガをするのは美紗子ではないのか。

「一年生は知らなくて当然か。美紗子は空手と柔道で黒帯だぞ」

 今年一番の衝撃が四月にやってきた。

「マジっすか!?」

 龍平を含めた一年生三人は目を丸くする。

「そうだよー。せいやぁっ。なんちゃってー」

 美紗子は冗談で正拳突きをしてみせるが、パンチの速度は遅く、蚊も殺せないような威力である。本気でやったらどうなのか。未知数だ。

 部室に帰りながら話を聞いた。美紗子の父は、小さい頃からおっとりしていて危なげな美紗子のために、護身術を身につけさせようと空手の道場に通わせた。美紗子は容姿と性格に似合わず運動神経がよく、みるみるうちに上達していく。すると柔道にも興味を持ち、かけもちで通うようになった。

 その一方で読書にも同じくらいのめり込み、世にも珍しい「武闘派文学少女」が生まれるに至る。今でも道場には顔を出し、汗を流しているのだそうだ。

 もし取っ組み合いのケンカにでもなれば、美紗子があの三人をボコボコにしていたかもしれないのか。遅れて到着した龍平たちが目撃したのは、地面に倒れる三人の女子高生と、無傷で立つ美紗子の姿だった。

「……想像できん」

「私も知った時は驚いたものだ。浩史で試したが、本気で痛そうだったな」

 なんてかわいそう。

 結局、由利が心配していたのは三人がケガをすることよりも、ケンカが教師にばれて文芸部の活動に影響してしまうことだった。ケガ人が出たら美紗子も何かしらの処分を受けてしまうかもしれないし、由利が口だけで追い払ったのは最善だったといえる。

「みんな、ごめんねぇ。伊吹ちゃんには怖い思いさせちゃったねえ」

 部室に戻り、お茶を飲んで落ち着いたところで美紗子が丁寧に頭を下げた。

「わ、私は大丈夫です。その、美紗子先輩は悪くないですから……頭を上げてください」

 伊吹はそう言うが、展開によっては伊吹にも危険が及んだ可能性がある。

「あの先輩たち、仕返ししてきそうな感じでしたけど、大丈夫ですか?」

 心配そうに葉月。しかし由利は知ったことかというふうに椅子にふんぞり返っている。

「なあに、あんな連中の考える仕返しといったら、せいぜい悪い噂を流すくらいだろう。そんなもの私には通用しないさ」

 本当にあの三人組は由利に仕返しをするだろうか。するかもしれない。嫉妬が行動に出た結果というのを、見たばかりだ。

由利に言われたが、偏差値が高い、頭がいいからといって人格が優れた人ばかりではないと考えを改めなければいけない。きっとさっき見た出来事は氷山の一角というやつで、男女関係以外の問題も色々な場所で発生しているに違いない。

「……俺、考え偏ってんのかな」

 ふと口に出すと、葉月がぐりんと首を回してもの凄い形相でこっちを見た。

「気づくの遅っ!」

「はあ? じゃあお前は気づいてたってのかよ」

「初対面でそんな気配あったし! 『あ、この人の八割は偏見でできてるっぽいな』って思ってたもん」

「人体における水分よりも割合高いな!」

「あー、そのツッコミは私の期待してたのと違うわー」

「なんでお前の期待したツッコミしなくちゃいけないんだよ! っつうか、今のは俺もどうかと思ったよ!」

 葉月のせいで変なツッコミをしてしまった。

 熱くなっているのは二人だけで、他の三人はくすくすと笑っていた。

「やっぱり二人は夫婦漫才だねえ」

 美紗子はいつもの笑顔。あんなことがあって少なからず動揺もあるはずなのに、無理して笑っているのかもう切り替えが完了したのかはわからない。

 それよりも、夫婦という単語が気にかかる。

「違いますよ! なんで俺が葉月と……」

「それはこっちのセリフですー」

「ふ、二人とも落ち着いて……」

 取っ組み合い寸前の二人を、伊吹が間に入って制止する。止めてくれるのは構わないのだが、「龍平くんは浩史先輩と……」って小さく呟くのが聞こえたぞ。そこは深く追求してもいいものなのか。

「まあまあ、ケンカするほど仲がいいって……はふわっ」

 びくんと美紗子の肩が跳ねる。

 あ、降りてきた。

 慣れた手際で由利が美紗子に紙とペンを渡す。

「ふむ。さっきの出来事がきっかけになったのかもな」

 由利が冷静に分析している間に、美紗子は新たな詩を完成させた。

「でーきた」

 こうして生まれた美紗子の詩の感想を求められることになった龍平たちは、またも頭を抱えることになるのだった。

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