第8話 美紗子の世界①

「どうしたの? 目にクマができてるけど」

 ドントクライ先輩の本名が判明した翌日の放課後、龍平が部室で眠そうにしていると、ライトノベルを読んでいた葉月が本を閉じて言った。伊吹は掃除当番だったので遅れてくる。先輩もおらず、葉月と二人だ。

「徹夜で考えてたんだ」

「何を?」

「どうして『ドントクライ』なのか」

「あー、舟木宋次郎だって言ってたっけ。っていうか、そんなこと徹夜で考えてたの?」

「うるさいな。俺はわからないことがあるとイラついて眠れないんだよ」

 自分でもどうして徹夜までしたか不思議なくらいだ。だがそのかいあって、龍平は答えを導き出していた。

「で、わかったの?」

 葉月に説明するために、龍平は紙とペンを取り出した。

「もちろん。先輩の苗字は『舟木』だろ? その漢字を変えて『不泣』にする。これで泣かないって意味になるから……」

「ドントクライか……。でも英訳間違ってるよね。ドントクライって命令形だもん」

「まあな。でもその辺は大雑把なんじゃないか? 『フォルス・アイ』だってそうだし」

「そだねー。今日は来るかな」

「知らん。でも、どうして文芸部に入ったんだろう。あの人も小説書くのかな」

 まだまだ謎は残る。

 葉月は「そうそう」と話題を変えた。

「私の貸した本、どうだった?」

「とりあえず三冊は読んだぞ。今度返す」

 現在四冊目も中盤だ。葉月は目をキラキラさせて、龍平に感想を迫った。

「面白かったでしょ?」

「ライトノベルってのが初めてだったから、新鮮ではあったな。つまらないってわけじゃないけど、なんつーか、入ってこないっつーか」

 曖昧な返事に、葉月は唇をとがらせる。

「えー、どの辺がダメだったの?」

「高校生なのに、赤とか青の髪はまずいっしょ。地の文に『ピンクの髪をなびかせ』って書かれもなあ」

「マジメか! そーゆーのはいいの! 暗黙の了解なんだってば」

「いいのかよ! じゃあ、あのヘンテコな制服もか?」

「それも暗黙の了解!」

「だってよ、あんな制服、よっぽどかわいい女の子じゃないと着られないぞ? 残念な奴が着ようものなら罰ゲームみたいなもんじゃねえか」

 高校には何百人もの生徒が通っている。その半分は女子で、ごちゃごちゃしたコスプレみたいな制服が似合う女の子はその中でも限られてくるはずだ。そのライトノベルの中には『制服目当てで入学する女子も多い』という文があったが、みんな容姿に自信があって受験を決意したのだろうか。だとしたら勘違いも甚だしい。

「いいの。ラノベの世界にはかわいい女の子しかいないの」

 なんと素晴らしい世界か。ここもライトノベルの世界だったらよかったのに。

「ふうん。あ、でも、あれは熱かったな」

 龍平は他のライトノベルの感想を素直に言った。周りからは落ちこぼれと言われていた主人公が、ヒロインと共に血の滲むような努力をして、馬鹿にしていた奴らを見返すという王道の展開ではあったが、だからこそ楽しめた。

「じゃあ、あれの二巻持ってくるね」

「え? 続きあんの?」

「もちろん。ライトノベルって基本的にシリーズになってるんだよ。マンガと同じでさ」

 一巻できれいに終わっていたから、続きがあるとは思わなかった。

 それにしても、葉月はこのライトノベルを毎月買っているという。一冊600円くらいだから、新品で買うとかなりの出費になるはず。シリーズを追いかけるのも大変だ。どれくらいお小遣いを貰っているかは知らないが、どこか別の部分を切り詰めているのだろうか。

 葉月が再び読書に戻ったので、龍平も葉月から借りた本を読み進めることにする。小説を書くこともしなければいけないのだが、色んな小説を読んで知識をつけるのも必要な練習だと考えている。

 すると部室のドアが開いた。伊吹かと思ったが、そこにいたのは美紗子。

「こんにちはー」

「あ、美紗子先輩こんにちはです」

「こんにちはです。先輩、冷たいのとあったかいのどっちにします?」

 龍平は席を立ち、美紗子のためにお茶をいれた。

「ありがとねぇ」

 柔らかな笑顔は今日も健在。うん、これなら騙されても仕方ない、と、龍平は過去の自分を弁護した。

 クラスの連中に文芸部だと知られてしまった龍平は、何人かから美紗子と由利について訊かれている。しかし龍平自身も付き合いが浅いので、適当に答えている。

 美紗子や由利はライトノベルに出てくる制服でも似合うであろう美人で、校内では目を引く存在だ。由利はともかく、美紗子にその自覚はなさそうだけど。

「もしかして、二人きりのところを邪魔しちゃったかな?」

 ふざけて美紗子がそう言うので、龍平と葉月は全力で首を横に振った。

「全っ然そんなことないです。龍平なんて眼中にないですよ」

「その通りです。葉月なんて俺の人生に必要ない要素です。トマトのへたですね、へた」

「いくらなんでも酷くない!?」

「じゃあナスにしといてやる。ナスのへた」

「やっぱへたか!」

 美紗子は目を細めて笑う。

 秀才らしく冷静に分析すると、葉月の存在は龍平の中でかなり貴重であった。出会ってまだ一ヶ月も経たないというのに、こんなやり取りができる。しかも異性だ。その理由が葉月の持つ豊かな社交性と明るさにあるのは間違いない。葉月がいるから、喋るのが苦手そうな伊吹も楽しそうに話をしている。

 そんな葉月が、龍平から見ればオタクっぽいライトノベルにハマっているというのが、不思議といえば不思議ではあった。こんなこと言うと葉月に怒られそうだから言わないけど。

「じゃあ二人は、恋愛経験、ある?」

 いつものおっとり顔で美紗子がぶち込んできた。葉月は頬を染めて否定。

「わ、私はまだないです。龍平も同じで」

「なんでお前が俺の分まで答えるんだよ」

「あるの?」

「ねえよ」

「性格悪いもんね」

「俺みたいな完璧な人間に向かってよくそんなこと言えるな」

「そこが悪いって言ってんのよ!」

 まったく、気の短い奴である。少しは美紗子や伊吹を見習えと言いたい。

「でも、どうしてそんなこと訊くんですか?」

 入部したばかりの後輩とのコミュニケーションにしては突っ込んだ質問だ。もし龍平が美紗子の立場だったら、もっと軽い話から始める。天気とか。

「んっとぉ、あのね、今日ね、クラスの男の子に告白されちゃったの」

「ええっ!? すごーい」

 目を丸くして葉月。さすがの美紗子だ。友人の細川の情報によれば、かなりの不思議ちゃんなので敬遠する男子も多いとのことだが、それでもこの柔らかい笑顔と口調に胸をときめかせる男子はいるようだ。

「その人、半年ぶり三回目の告白なの」

 甲子園かよ。

「で、返事したんですか?」

「うん。お断りしちゃった」

 申し訳なさそうに美紗子は声のトーンを落とした。その男子もすでに二回玉砕しているわけだし、もう断られるのを覚悟で突撃したのだろう。三度目の正直という言葉もあるが、二度あることは三度あるともいう。

「じゃあ、美紗子先輩にはもう好きな人がいるとか?」

 さっきのお返しとばかりに、葉月がニヤリと笑う。美紗子に好かれるなんて、幸せな男である。

「え? え? ううん、私はそういうのは……はぅっ!」

 それはあまりにも突然だった。美紗子がまるで発作のように体をびくんと震わせたのだ。誰も触っていないし、何かがぶつかったわけでもない。

「美紗子先輩!?」

 宋次郎の発作は仮病だ。しかし、美紗子にそんな設定があるなんて聞いてないし、これはもしかしたら本当の発作かもしれない。葉月も同じことを思ったのか、龍平と目が合った。

 苦しそうにする美紗子は、呻くように声を漏らした。

「紙……あと、ペンをちょうだい……」

 まさか遺書を書くつもりではなかろうか。そんな不謹慎なことが頭に浮かんできたが、龍平は言われたとおりにルーズリーフを一枚とペンを渡した。すると美紗子は一心不乱にペンを走らせ、ルーズリーフに文字を連ねていく。呼吸は落ち着いており、発作は治まったように見える。

「何だ? 何が起きたんだ?」

 混乱する龍平だが、葉月は何か思い当たる節があるようだった。

「もしかしてさ、『降りてきた』ってやつじゃない?」

「降りて? 何が?」

「私もよくわからないんだけど、アイディアっていうか、そんなのが。ほら、美紗子先輩って小説よりも詩とか俳句が好きなんでしょ?」

 そういえば、そんなことを浩史から聞いた。文芸部の扱うジャンルはなにも小説だけではない。活字での表現なら何でもアリだ。そこには詩や俳句、川柳も含まれる。自らのエッセイだっていい。

 美紗子は小説よりも主に詩や俳句を書くのが好きで、思いついたら忘れないうちに書き残しているらしい。今度、過去に美紗子が書いたものを読ませてくれると言っていた。

「インスピレーションってやつか」

「そうそう、それが言いたかったの」

 確かに、そういうのって閃きだから、突然「びびっ」っとくるのかもしれない。それにしてもさっきのはオーバーリアクションだったような気もするけど。しかし逆に、それくらい素晴らしい何か降りてきたのかも。

 邪魔をするわけにもいかないので、龍平と葉月はペンをすらすらと走らせる美紗子を見守る。やがて美紗子の詩が完成した。すごいな。一度も止まらずに書き切った。

「でーきた」

 ほてったのか、美紗子は頬を手であおぐ。

「あの、読ませてもらってもいいですか?」

 葉月が訊くと、美紗子は「恥ずかしいけど、どうぞ」とルーズリーフをこちらに渡してくれた。龍平は葉月と顔を寄せ合うようにして、美紗子の詩を読んだ。



     『ぞっさん』

                               羽生美紗子


 今朝、業務スーパーにぞっさんがいた。

 冷凍食品のあたりにいた。

 カサゴの背びれに気をつけろ!

 カサゴの背びれに気をつけろ!

 ぞっさん!

 ぞっさん!

 ぞっさん?

 ぞっさん!



「…………」

 一体、何が美紗子に降りてきたというのだ。すぐ隣にいる葉月も、魂が抜けたような顔をしていた。

 これが噂の「美紗子ワールド」。美紗子が持つ独特の世界。その片鱗を今、龍平は見た気がした。

「どーお? 久し振りに一気に書いちゃったぁ」

 なんと無垢な笑顔だろうか。だが、感想を求められたこちらは冷や汗びっしょりである。美紗子のような人に「さっぱりわかりません」なんて言えるわけがないし、かといって的外れな感想を言ってしまえば、やっぱりこの詩を理解していないことがバレてしまう。

 長く感じた数秒の沈黙の末、先に口を開いたのは葉月だった。

「……とても個性的でいいと思います」

 葉月の奴、逃げやがった。怒りの視線を向けるが、難を乗り切った葉月は素知らぬ顔だ。

「よく言われるよー」

 だろうよ。

 残るは龍平。落ちつけ。国語の中でも現代文は古文や漢文よりも成績がよかった。ちゃんと考えれば理解できるはずなのだ。そして果たしてこれは現代文なのか。現代人が理解できる文なのか。

「えっとですね……、その、この詩のキーパーソンのぞっさんが……」

「え? ぞっさんは人じゃないよ?」

「マジですか!?」

 じゃあもうわかんねえ。ダメだ、ごめん、誰か、助けて。

 その時、救世主が現れた。

「お、いい出席率だな、一年生」

 部長の由利だ。自慢の髪を揺らして、部会でない時でも部室に来る龍平たちを見て嬉しそうにしていた。

 龍平は心の底から由利の登場に感謝していた。美紗子と付き合いの長い由利ならば、美紗子ワールドから生まれたあの詩について、上手いこと感想を言ってくれるに違いない。

「あ、由利ちゃんこんにちはー」

「さっきまで同じ教室にいただろう」

「そうだったねー」

 いたって平和な会話である。二年生の中で注目される美人二人がここにいる。それなのに短絡的な男たちが文芸部に殺到しないのは、二人の個性的な性格にあると思っていたし、実際にそうなのだと友人からも聞いている。しかし今となってはもう一つ思い当たる理由がある。

 宋次郎の存在。あの妄想の住人が文芸部にいるからこそ、彼を知る男子たちは関わり合いになるのを避けているのではないだろうか。仮に自分が二年生だったとして、宋次郎が文芸部にいると知っていたら入部なんてしなかった。

 由利が鞄を置いて椅子に座ると、すぐに龍平の前に置かれたルーズリーフに気づいた。

「それは誰かの書いた詩か?」

「はい、美紗子先輩がさっき書いたんです」

 待ってましたとばかりに龍平は由利に差し出す。隣で葉月が小さく「ずる」と言った。

「おお、美紗子の詩か。待ってたぞ」

 由利は嬉々としてルーズリーフに目を落とす。美紗子も久し振りと言っていたし、前に書いてから時間が空いているのだろう。

 詩を読むのに時間はかからない。由利は「ぞっさん」を読み終えると、目を閉じた。

「どお? 由利ちゃん」

 由利は目を閉じたまま、小さく息をついた。

「素晴らしい……詩の光景が浮かんでくるようだ。重い年貢と飢えに苦しみ、一揆を決意する農民たちの心情が伝わってくる……」

「あー、わかるー?」

「そんな詩でした!?」

 半ば無意識に身を乗り出していた。カサゴって言ってたぞ。

詩の世界を堪能していたらしい由利は、目を開けてムっとしてみせた。

「大きい声を出すな龍平。すぐ隣は図書館だぞ」

「あ……すみません」

 今のは自分が悪かった。葉月こら笑うな。

「もしかして、龍平って読解力ない系?」

「なっ……、何でそんなことお前に言われなくちゃいけないんだよ!」

「個性的」という逃げの一手を打った葉月に言われるとは。確かに「ぞっさん」については読み解けなかった。それは認めよう。だが、あれを読み解ける人間の方が少ないに決まっているじゃないか。由利は美紗子と去年から一緒にいるからこそ、あの詩の中に農民を見たのだ。きっと。

 ここぞとばかりに、葉月は胸を張った。ちなみにあんまりない。ぶっちゃけ、伊吹の方がある。

「これでも私、中学の時に読書感想文で賞とったことあるんだから。完璧超人の龍平くんも、もちろんあるよねえ」

「ぐっ……」

 痛いところを突かれた。由利もうろたえる龍平を楽しんでいた。

「なに、気にするな龍平。君は自信過剰で生意気な後輩だが、そういうふうに弱点があった方が可愛げがあるというものだ。ま、私も読書感想文で賞は取ったがな」

 ここには性格が悪い人しかいないのか。

「……確かに、俺は読書感想文は苦手でした。夏休みの工作、自由研究、書き初め、防犯ポスターコンクール……。ありとあらゆる賞を俺は取りましたが、読書感想文だけは取れなかったんです」

「さりげなく自慢してるし……」

「ただでは起きないな、君は」

 葉月と由利は呆れ顔。美紗子は「すごいねー」と素直に褒めてくれた。

 それから伊吹もやって来て、しかしこれといってすることはないので、龍平は葉月から借りたライトノベルを読むことにした。他の部員たちもそれぞれ本を読んでいる。放課後に高校生が五人もいるのに誰一人喋らないという、なんとも不思議な空間ができあがった。

 ちなみに、文芸部には部費で買ったノートパソコンが二台あり、USBメモリで自分の原稿を持ち込めばいつでも執筆ができる。だけど鍵のかかる棚にしまってあるので、鍵を持っている由利か浩史がいる時でないと使えない。

 先日それを知った葉月は早速メモリを持ってきていて、読んでいた本を閉じると由利に言ってノートパソコンでカタカタやりだした。

「葉月ちゃん、どんな話を書いてるの?」

 同級生が書いている小説の内容が伊吹は気になるらしい。龍平も気になるといえば気になる。

「内緒。完成したら読んで感想ちょうだい」

「ふん。どうせライトノベルだろう。画面を見なくても真っ白なのがわかる」

 由利は露骨につまらなそうだ。由利の言っていることが、ライトノベルを読み始めた龍平にはわかった。今まで読んでいた本よりも改行や会話が多く、そのせいで余白が多くなるという特徴がある。真っ白というのはその部分のことを言っているのだろう。

 ちょうど由利がさっきまで読んでいたのがフランス文学で、仮に二冊が同じページ数で同じ値段だったとしたら、一文字あたりの値段に差が出てくる。ライトノベルはイラストページがあるし。

 由利の発言にも葉月は負けない。

「読みやすさがラノベの売りですよ。書き終わったら、ちゃんと由利先輩にも読んでもらいますからね」

「言っておくが、私はかわいい後輩だからといってオブラートに包んだりはしないぞ」

「望むところです」

 ライトノベル嫌いを公言している由利だが、だからといってライトノベル作家を目指す葉月という人間を嫌いになる理由にはならない。それに葉月はライトノベルしか読まないという「偏食」ではなく、他の小説もまんべんなく読む。この前も、すぐ隣にある図書館から数冊借りてきていた。

 葉月の作品が完成したら、ライトノベルだからという先入観を持たず、しっかり評価をするつもりなのだろう。個人の好みで作品を全否定してしまうような人だったら、龍平だってこの人に面白いと言わせるような小説を書こうとは思わない。

「さて、龍平よ」

「何ですか?」

「お前は書かないのか? パソコンはもう一台ある。好きに書いていいぞ」

「……まだプロットを考え中です」

 とは言ったものの、さっぱりできていないのが本当のところだった。

 面白い小説を書いてやると決心し文芸部に入部した日の夜から、龍平はどうやったら小説が書けるのか調べ始めていた。ネットで探すと、小説家を目指す人のためのサイトというのがたくさん見つかり、とりあえず物語の骨組みとなる部分が「プロット」と呼ばれていると知った。

 つまり手順としては、おおまかな枠組みを考え、それから詳細を詰めていき、本文を書き始める。もちろん人によってやり方はそれぞれだろうし、決まった方法があるわけではないけれど、これが一番基本なのではないだろうか。

 だが、手順の一番目である大枠すら龍平は作れないでいた。今さらながら、テストの点数と話を作る力は比例しないことを知る。初めて部室で三題噺をしたときも思ったが、話を考えるのがこんなにも難しいだなんて。

 もちろん葉月に教わるなんていうのはプライドが許さないので、まだ誰にも相談せず一人で黙々と考えている。

「どれ、ここは先輩らしく、かわいい後輩にレクチャーしてやるとするか」

 楽しいことを見つけたと由利の表情が語っている。葉月もそうだが、どうしてプロでもないのに偉そうなのか。いや、由利が偉そうなのはこれに限ったことではないけれど。

 ここはおとなしく教わった方がいいのではないかという思いもある。このまま一人で考えていても進む気配がしない。悔しい気持ちもあるが、葉月に教わるよりはマシだ。葉月はライトノベルを書くように誘導してくるだろうし。

「じゃあ、お願いします」

「お、珍しく素直だな」

「由利先輩は一応文芸歴は俺より長いですし、聞いておく価値があると思っただけです」

「ふふ。かわいい奴め。まあ基本的なことになるが、聞いておく価値がある程度の話はしてやろう」

「あ、私もお願いしたいです」

 こうして、由利の小説講座が始まった。伊吹も読書を中断して加わり、葉月は執筆を続けているものの、こちらが気になるようだ。美紗子は少し離れたところから微笑みながら見守っている。

「では龍平、まずはジャンルを決めてみようか」

「SFとかミステリってことですか?」

「そうだな。絵でいうなら、風景画にするか人物画にするかとか、作品の根本になる部分だ」

「んー……、じゃあ、恋愛もので」

 SFは書く前に知識がたくさん必要になりそうだったし、推理ものはトリックを考えるのに時間がかかりそうだ。とりあえず今は例えばの話だから、ポピュラーな恋愛ものを選んだ。

「よし。それではこの物語の主人公をA男としよう。次に主人公の目的を考える。その目的が達成されれば物語は完結だ。伊吹、A男の最終的な目的は何だろう」

「えっと……ジャンルが恋愛なら、ヒロインと結ばれることだと思います」

 由利は「ならそうしよう」と言って紙を取り出し、そこに「A男」と「B子」と書いた。

「A男はヒロインのB子が好きだ。ここでA男が告白してB子と結ばれればハッピーエンドだが、それではどこも面白くない。物語にはドラマが必要だ。ドラマが生まれるにはこれに何を加えればいいだろう」

「恋愛がテーマですから、やっぱりライバルですかね」

「さすが生徒代表、冴えてるじゃないか。ではC子を足そう。C子はA男のことが好きということにするか」

 由利は喋りながら、紙に線を引き、相関図を作っていく。確かに、恋のライバルがいるだけで、平坦だった物語に波が生まれた。

 今度は伊吹が口を開いた。

「B子とC子は親友っていうのはどうでしょうか」

「それすごくいいよ伊吹さん。そっちの方が盛り上がりそうだよ」

「あ、ありがとう龍平くん……」

 思わず感嘆の言葉が漏れた。伊吹は頬を染めて照れた顔。葉月にはない「乙女」な部分が垣間見える。

「いい感じだな。ベタと言われればそうだが、まずはベタを抑えるのも大切だ。じゃあ次に人物を掘り下げてみようか。登場人物をちゃんと設定しておかないと、途中で言動が一致しなくなる」

「確かに……そうですね。でも具体的に設定って言われても……」

「安直な方法だが、ハンデをつけてみるというのがある。マイナス要素を登場人物に与えてみよう。そうだな……B子は過去に父からの虐待を受けたことがあり、男性不信に陥っている。こんな要素をつけてみると、どうなる?」

「どうなるって……」

 龍平は首をひねる。

「読者の視点で考えてみろ」

 由利のヒントに、伊吹が閃いた。

「男性不信のB子の心を開くためにA男が何をするのか、すごく気になります」

「そう。そこで読者を引き込む。おお、なんだか楽しくなってきたな。せっかくだからもうちょっとキャラクターを増やしてみるか」

 講座のための仮の物語だったが、こうやって考えていくうちに龍平も楽しくなってきた。一人でうんうん唸りながら考えるよりも、こうやって話し合いながら物語を作っていく方がいい小説ができるのかもしれない。そして、それができるのがこの文芸部という空間なのだ。

 するとそこで、我慢できなくなったのか葉月が勢いよく手をあげた。

「はいっ。私、D男を考えましたっ」

「ふむ。男を増やすか。よし、言ってみろ」

 びしっと由利がペンで葉月を指した。

「D男は、魔族と人間のハーフ」

「ぶち壊しだバカ!」

 手元に何かあったら投げていたところだ。

「バカっていうな! いいじゃん、魔族と人間の血が流れるD男は、その運命のいたずらに踊らされるのよ。そう、D男のDはデビルのD!」

「今こじつけただろ! いきなりライトノベル的な設定を持ってくんな」

 せっかくの恋愛ものが、ファンタジーになるところだった。

 もちろんデビルD男は却下。相関図に書き込むのは由利なので、最終的な決定権を持っているのは由利と言える。その由利がD男を採用するはずがなかった。

 でも、現在の登場人物は男が一人に女が二人、単純に数でバランスを取るなら男がもう一人欲しいところ。D男はC子が好きで、A男とD男は親友。って、人間関係ドロドロだな。この状態でA男とB子が結ばれるには、乗り越えるべき障害が多すぎる。長編になるのは間違いない。

「じゃあ、こういうの、どう、かな……」

 声は自信なさげな伊吹だが、瞳は輝いている。伊吹もこれが楽しくなってきたようだ。

「伊吹さん、言ってみて」

「D男は……A男のことが、好き」

「…………。一応訊くけど、それはその、友人として?」

「ううん。その……男として、っていうか……」

 まさかの展開。

「伊吹ちゃん、その発想はすごいねぇ」

 美紗子がころころと笑う。

「あ、別にいいんです。ちょっと思いついただけっていうか、その、ダメだったらそれでもいいですから……」

 自分で言ったのに伊吹は顔を真っ赤にして手をぶんぶん振った。しかし由利はすでに相関図にD男を書きこみ、A男に矢印を引っ張っていた。

「いや、序盤から伏線を張っておけば十分にいけるぞ。よし、A男がD男に迫られているところをB子が目撃してしまうシーンを入れよう」

「B子の男性不信が超加速ですよ!」

 もうA男と結ばれることないぞ。

「そうしたらぁ、B子はC子のことを好きになっちゃうとか、どうかなぁ」

 おおっと、ここで美紗子がトドメを刺しにきた。

「もう純愛路線が消えましたよ!」

「龍平くんっ……。同性どうしの愛が純粋じゃないとは限らないよっ」

 なにこの伊吹いつになく熱い。

「私のも聞いて! F男は炎の使い手で……」

「E男はどこ行ったんだよ!」

「三年前に神族と魔族の戦いに巻き込まれて死んだ」

「出てくる前に殺すな!」

 議論は白熱し、相関図は矢印が入り乱れ、もはや小説講座ではなくなってしまった。エリートを目指して勉強をし続ける龍平にとって、ここで話したことが将来の役に立つとは思えない。だけど、そんな時間が楽しかったのも認めなければいけない。

 やがて、由利がこの物語をまとめた。

「では、ラストはS子がすべての罪を認めて泣き崩れ、しかしN男はそれを許し、ここに第四次魔界戦争が終結する。……これでいいな」

「異議なーし」

 葉月が満足げに言った。なんだかんだで、葉月のライトノベル的なキャラクターが他を圧倒してしまった。J子のあたりから何でもありになってたし。

「龍平、これがプロットだ。これをお前に託そう。いい小説を書きたまえ」

「……破り捨てていいですか?」

 A男とB子は、決して結ばれない運命だったのである。

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