第4話 軽いのは嫌い②
文芸部の活動は週に一回。水曜日の放課後である。この日は定例の部会となっていて、色々な決めごとをしたりするらしいのだが、それほどやることがあるわけではないので、ほとんどは雑談で終わる。そんなことを入部を決めた後、由利から説明を受けた。
週に一度であれば勉強の方にも影響はほとんどない。思わぬ形で入部することになった龍平ではあるが、今では現状を受け入れ、前向きに考えることにしている。他クラスの友達ができることとか、部活以外ではできにくい先輩との繋がりとかができる。特に先輩との交流は、これから受験戦争を戦う身としては貴重になってくるだろう。
しかし、もちろん最大の目標は「面白い小説を書いて由利たちを黙らせること」だ。自他共に認める秀才、自他共に認める負けず嫌いの柚木龍平は、心に熱い炎を燃やしていた。
クラスメイトに「また明日」と言って別れ、昇降口へ。図書館は学校の敷地内ではあるが、一度靴を履き替えないと行けない。
と、昇降口で伊吹とはち合わせた。
「あ、霜野さん」
「柚木くん」
伊吹と話すのは初めてだ。伊吹は部活だろうか、下校だろうか。靴を履き替えるまでたいした時間ではないのだが、こういう沈黙が嫌いだ。間を繋ぐためにも話を振ってみる。
「霜野さんはこれから部活?」
「うん。柚木くんも?」
「俺も部活。ホントは入るつもりなかったんだけど、成り行きで入ることになっちゃって」
「そうなんだ。じゃあ、私こっちだから」
昇降口を出たところで話を切り、伊吹は左へ曲がっていく。が、龍平の目的地も左方面だった。
「俺もこっちなんだ」
「あ、うん」
そこからは無言状態が続く。まだ出会って間もないクラスメイトどうし、ぺちゃくちゃお喋りできるほど龍平も器用ではない。しかも異性と。しかもクラスで一番かわいい伊吹と。
歩いていくうち、あることに気づく。
この先、図書館しかないんだけど。
「もしかしてさ、霜野さん」
「え?」
「文芸部?」
「えと……柚木くんも?」
こくり。
まさか伊吹も文芸部だったとは。そういえば拉致された直後、浩史が「あと一人は欲しかった」と言っていた。あの時点で、すでに何人かの新入部員がいたということで、その内の一人が伊吹というわけか。
それにしても、物静かな伊吹が文芸部というのはとても合っている。まさに「図書委員顔」である。実際は美化委員だけど。
昼に伊吹がこっちを見ていたのは、文芸部が話題になっていたからだろう。
「本とか、好きなの?」
「うん……。小説が好きで、同じ趣味の人と友達になりたいなあって。柚木くんも、本好きなんだね」
「いや……まあ……」
嫌いというわけではないが、由利や伊吹に比べたら「本好き度」は格段に低い。家にあるのも漫画の方が多い。しかしそんなことを正直に言えば、伊吹に「じゃあ何で入ったの?」と疑惑の目を向けられる。由利や美紗子が目当てのナンパな男だと思われる可能性だってある。というわけで、苦笑いでごまかした。
「書いたりはするの?」
「それは、ちょっと……これから、かな」
龍平の言葉に、伊吹は表情を緩める。
「よかった。私も書いたことないから、上手い人ばっかりだったらどうしようと思ってたの」
安心したのはむしろ龍平である。マジでよかった。スタートラインが一緒の人がいてよかった。自分以外の新入生がみんな上手かったら、今度こそ折れた心は元に戻らない。
図書館に入り、図書委員が待機している正面の受付を右へ。司書の姿は見えなかった。まだどんな人か知らないけど、なんとなく司書って知的なイメージがある。
もう他の新入生は来ているだろうか。若干の期待と共に、龍平は司書室兼文芸部室のドアを開けた。
『夏の日』
柚木龍平
夏が来た。学校は夏休みになり、達夫はとても楽しい気分だった。漬物を食べていると友達の由美が遊びに来たので、近くの海まで行くことにした。達夫は自転車に乗った。後ろには由美が乗っていた。坂道をくだっていると、するとそこに猫が飛び出してきた。
「危ない!」
と、達夫は叫んだ。ハンドルを右に切って、なんとか猫をよけた。でもその拍子に由美が自転車から落ちてしまった。達夫は慌てて駆け出して、由美に謝った。
「ごめん。大丈夫?」
「平気だよ。猫もケガしてないし」
猫は由美に懐いてしまったようで、すり寄ってきた。由美は昔から猫が好きで、家でも三匹の猫を飼っていた。達夫は犬が好きだ。ところで……。
由利が龍平の原稿を朗読していた。
「うわああああああああっ!」
叫びながら長机に跳び乗り、一直線に由利の持つ原稿へ手を伸ばす。自分が出すことのできる最高速の動きをしたにもかかわらず、由利はひらりとかわし、また原稿をシャツの中に隠してしまった。くそ、手が出せない。
「こら龍平、机に乗るとは行儀が悪いぞ」
「先輩が変なことするからですよ!」
「変なこと? 文芸部員が小説を読んで何が悪い」
「何故に声に出しますか!」
「声に出したら、また違う味が出るかと思ってな。それにしても、読めば読むほど深みにはまるな、君の小説は。もう十回は読んだが相変わらずわけがわからん」
「読み過ぎでしょ!」
だいたい、何回読んだってわかるわけがないのだ。作者自身がわかっていないのだから。
「新入生をいじめる趣味はないが……龍平、この文章は普通に下手だぞ」
「ぐっ……」
言葉に詰まる。教科を問わず成績のいい龍平だが、作文に関しては苦手意識があった。しかも「あれ」を書いた時は時間制限もあり、直す余裕もなかった。
由利は龍平の原稿を鞄にしまって、ドアのところでぽかんとしている伊吹に笑いかけた。
「霜野伊吹さんだったね。来てくれて嬉しいよ」
「は、はい。よろしくお願いします」
聞けば、伊吹は先週入部届けを出していて、その時にすでに由利たちと会っているという。
「もう少しで他の部員もくるだろうから、お茶でも飲んでいてくれ」
そう言いつつ、由利は給湯室でお茶をいれて配ってくれた。本来は一年生の仕事なので龍平と伊吹は自分たちがやると申し出たが、「今日は君たちがお客様だ」と由利は拒否した。
龍平が知っている先輩はあと浩史と美紗子。浩史は自分を拉致した時に「一年生が二人しか入らなかった」と言っていたから、伊吹ともう一人一年生がいるのか。
叫んだり動いたりしたせいで喉が渇いていた。もらったお茶をすぐに飲み干す。
「柚木くん、もう小説書いたんだ」
隣にいる伊吹は、湯のみを両手で包むように持って、龍平を尊敬の眼差しで見ていた。
「いや、書いたには書いたんだけど、まあ、めちゃくちゃなやつで……。できれば抹消してしまいたいくらいなんだけど……」
「ううん。私、すごいと思う。さすが柚木くんだね。頭いい人って、小説も書けちゃうんだ」
「え? あ、うん。初めてだったけどさ、なんとなく書けちゃったんだよねー」
もしかして、自分ではダメだと思っていたけど、あの原稿って初めてにしては上出来なものだったのかも。希望して文芸部に入るほどの伊吹がそう言うんだから、きっとそうだ。なんだ、やっぱり自分は優秀だったのだ。よくよく考えてみれば、すべてにおいて努力を怠らず、最高の結果を残してきた自分ができないはずがない。
「おい」
「ぐえっ」
後ろから脳天にチョップをもらった。振り向けば由利。
「調子に乗りやすいんだな君は。浮かれているところ悪いが、さっき言ったようにアレは正真正銘の駄作だぞ」
「……ですよねー」
伊吹もちゃんと読めば気づくことだろう。読ませないけど。
それから浩史と美紗子も部室に来て、五人になった。
「あの、三年生の先輩方はいらっしゃらないんですか?」
伊吹は少し不安げに尋ね、浩史が答えた。
「在籍はしてるんだけど、部室には来ないんじゃないかな」
杏泉高校は進学校で、三年生となればすでに受験に向かって猛勉強が始まっている。部活動をしている暇もないのだろう。ちなみにこの高校は二年生までで三年間で習う内容を終え、三年生からは授業は午前中だけになる。あとは予備校に行ったり学校の補講を受けたりして自分で勉強しろというわけだ。
「二年生は三人なんですか?」
龍平が訊くと、今度は美紗子が答えた。
「あと一人いるんだけど、あんまり来ない人なの」
「あいつは放っておけ。そのうちふらっと来るさ」
由利も半ば諦めているといった感じだ。どんな人なんだろう。
さて、今のところ一年生は龍平と伊吹だけ。まさか二人だけってことはないよな。だけどもしそうなら、伊吹と仲良くなれる機会に恵まれる。なんて考えてしまう。津村も細川も羨ましがるに違いない。
杏泉高校は、部活以外にも「同好会」の設立が認められている。確か五人以上いれば同好会として成立するはずだ。もちろん待遇は「部」よりも悪く、部費は少しだけ出るが部室は与えられない。
この制度があるせいでたくさんの同好会が乱立するに至り、特に文化系は部員が散る傾向にあるという。
「一年生、来ないですね」
伊吹の前に置かれた湯のみのお茶も、すっかり冷めてしまっている。
「おかしいな。入学式の次の日に入部届を持ってきた、やる気満々なのがいるんだが……」
「すみません遅れましたっ!」
転がり込むように入ってきて、その女子は大きな声で言った。同時に腰を直角に折って頭を下げる。一つにまとめた髪が揺れた。
「まだ何も始まってないよ。謝らなくていい」
浩史に言われ、ポニーテールの女子は頭を上げた。ぱっちりとした目が印象的だった。どちらかというと体育会系に近いような、龍平の主観では「ラクロス顔」である。まあ、文芸部員なのだが。
「一年生だねー。こちらへどうぞ」
美紗子に促され、伊吹の隣へ。差し出されたお茶を「ありがとうございます」とよく通る声で言って一気に飲んだ。
「入部届を受け取っているのはこの三人だな。これからまだ見学希望者が来るかもしれないが、とりあえず始めるとするか。今日は顔合わせだから、お茶を飲みながらお喋りくらいに考えている」
由利は用意していたらしいお菓子を机にひろげた。遠慮する一年生三人に美紗子が取り分けてくれる。浩史はすでに食べ始めていた。
「早速自己紹介するか。って、みんな入部届を出した時に一回来てるから、俺らの名前は知ってるんだよな。一年生どうしでやればいいか。じゃあ龍平からな」
指名されたので、龍平は立ち上がった。
「一年D組の柚木龍平です。色々あって文芸部に入ることになりました。目標は、面白い小説を書いて由利部長たちを驚かせることです」
少ない拍手の中、由利がひときわ大きい拍手をしていた。
「期待しているぞ。文学少女が大好きな龍平くん」
「ちょっ、それ言わないでくださいよ!」
「おっとこんなところに原稿が。『アルゼンチンバックブリーカーを喰らった達夫は背中が痛かった。そのとき由美が……』」
「続きを読むなあっ!」
浩史が爆笑していた。美紗子は「かわいそうだよぉ」と由利を嗜めるが、由利に反省の色は見えない。
次に伊吹が立ち上がる。教室での自己紹介と同じで、うつむいてもじもじしている。教室と違って周りには何人もいないのだが、それでも緊張してしまうようだ。
「柚木くんと同じクラスの霜野伊吹です。本を読むのが好きで、本についてお話しとかたくさんしたいです。よろしくお願いしますっ……」
すぐさま座る。顔が真っ赤だった。
「伊吹ちゃんは、どんな本を読むのぉ?」
相変わらずおっとりした話し方の美紗子。人気が出るというのも納得である。いわゆる「守ってあげたくなる系」というやつか。
「特にジャンルはないです。その、日本のも外国のも読みます」
「後でお気に入りの本を教えてねー」
「は、はいっ」
伊吹の緊張が薄れるのには時間がかかるかもしれない。
次にラクロス女子。同じクラスだった伊吹と違ってまったくの初対面。しかし、入部届を最初に持ってきたらしい。入学する前から文芸部に入ろうと決めていたのだろう。
「一年A組、
またもきれいなお辞儀。やっぱり体育会系だ。
そしてプロ宣言をした葉月。そういえば、プロの小説家ってどうやったらなれるんだろう。資格や試験が必要な職業ではないから、自分の本が商品として売られればそれでプロを名乗ってもいいのだろうか。
「プロ作家志望か。今のうちにサインもらっておこうかな」
浩史のはおそらく社交辞令だろうが、葉月は「えへへ」と照れ笑い。
「私がラノベ作家になったら、サインを書いてこの高校に寄贈しちゃいますよ」
「え?」
「え?」
浩史と美紗子の声が重なる。
同時に、なんとなくこの部屋の気温が下がったような気がした。
なんだろう、この空気。違和感を覚えているのは自分だけじゃない。その証拠に隣の伊吹も居心地が悪そうにしている。
その原因が由利にあると気づくのに時間はかからなかった。
由利の全身から黒いオーラのようなものが滲み出ているようだった。さっきまで和やかに自己紹介をしていたはずなのに、由利の様子がおかしい。
「君島葉月よ、今、何と言った?」
低く、親の仇に向けるような声が響く。葉月も「あの……」と体を伊吹の方に寄せる。
「私が作家になったら、本を寄贈するって……」
「何の作家になると言った?」
「えっと、ラノベの……」
「逃げろ葉月!」
叫んだのは浩史。次の瞬間、由利は謎の跳躍を見せ、葉月に襲いかかっていた。
「滅んでしまええええっ!」
しかし寸前のところで美紗子が由利の腰にしがみつき動きを封じる。
「うわわっ……」
葉月は椅子から転げ落ち、そのまま床を後ずさり。
「由利先輩、何やってるんですか!」
反射的に葉月の前に立ち、由利との間に入る。伊吹は事態に追いついておらず、座ったまま目を白黒させていた。
腰に美紗子をくっつけたままの由利は、美紗子を引きずりながらじりじりと距離を詰めようとする。もうラグビー部に入れと言いたい。
由利は二つに結んだ髪を振り乱し、窓が震えるのではないかという声で叫んだ。
「私は……ライトノベルが大っ嫌いなんだああああっ!」
唖然とする葉月、「あーあ」と眉間をおさえる浩史、必死に由利を止めようとする美紗子、固まったまま動かない伊吹、肩で荒く息をする由利。
そんな中、龍平は疑問を口にする。昔から、わからないことは人に質問したり調べたりしなければ気が済まない性分である。
「あの、ライトノベルって何ですか?」
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