第3話 軽いのは嫌い①

 柚木龍平は、高校一年の四月の時点ですでに人生設計というものを立てていた。

 秋から予備校に通い、狙うはもちろん東京大学。この杏泉きょうせん高校からも、毎年数人の合格者が出ている。親が私立大学に通えるだけの積み立てをしていることは知っているから、国立に入ることで学費が浮く。その浮いたお金で大学在学中に留学をして英語力を高める。

 そして、国家公務員となる。

 学生の時から交際していた人と結婚し、三十歳前には子供を二人。息子でも娘でもピアノと英語を習わせる。

 都内に一戸建てを購入し、家族に囲まれてエリートライフ。

 現時点で、とりあえずそこまでを予定している。まあ、場合によっては政界に進出してもいいし、頼まれたら総理大臣になってもいいかな。

 だから、部活に入っている暇などない。部活動をするくらいだったら勉強をする。

 はずだった。

「なんかさ、痩せた?」

 拉致から二日後の水曜日の昼の教室、弁当を食べながら津村が言った。席が近くて、自然な流れで弁当を一緒に食べるようになった。そこに津村と同じ中学の細川が加わり、もっぱら弁当はこの三人で食べている。

「そうか?」

「いや痩せたよ。っていうかやつれたよ、柚木」

 そういえばここ二日、食欲があまりない。二日でいきなり体重が落ちることはないと思うが、きっとそんな雰囲気が出ているのだろう。

「ちょっと、まあ、色々とあってな」

 まさか「今まで何でもできたのに小説が書けなくてショックで食べ物が喉を通らなくなった」とは言えない。

 拉致がきっかけだったとはいえ、文芸部に入部してしまった。もちろん部活なので途中で辞めることもできるが、プライドがそれを許さなかった。この柚木龍平が逃げるなど、あってはならないことなのだ。

「ところでさ」と、暗い空気を察した細川が話題を変える。

「俺らのクラスは三位だってさ」

「何が?」

「かわいい女子ランキング」

「そんなもんあるのかよ」

 東大や早慶に多くの合格者を出している進学校でも、こういうものはあるらしい。入学してまだ間もないのだが、すでに順位が決まっていた。っていうか誰が作ってるんだよ。まあ、男子高校生として女子に興味が出るのは普通のことだ。龍平だって、そりゃあ女子と仲良くしたい。

 ちなみに一年はAからGまでの七クラスだから、三位ということは真ん中あたりだ。

「『杏泉ランク部』っていう部があって、校内の色んなランキングを作ってるんだってさ」

「何だその部!」

 日本人がランキング好きなのは知っているけども。

 細川によると、本来は「好きな先生」とか「購買の人気商品」とか、当たり障りのないものをランキング形式で公表している部なのだが、裏で「かわいい女子」や「イケメン」のランキングなども行っているらしい。知り合いの先輩がその部に入っているという細川が、いち早く新入生の「かわいい女子がいるクラス」ランキングを手に入れていた。

「三位って、妙に納得だわ」

 失礼にも、津村がクラスの女子を見渡す。頼むから声をひそめろ。

「霜野さんがいなければ六位だってさ」

 細川がちらりとその女子、霜野伊吹しものいぶきを見る。

 友達と二人で弁当を食べている、クラスで一番人気のある女子。色白で、肩まで伸ばした茶色がかった髪の、まさに正統派といった感じ。入学式の後にした自己紹介では、名前と出身中学を言ってすぐに席に戻ってしまった記憶がある。きっと、人前で話すのが得意ではないのだろう。直接話したことはないが、静かでおとなしい印象を受ける。

 入学二日目から、男子の間では「我がクラスのトップは霜野伊吹」ということで意見がまとまっていた。

 伊吹を除くと六位に転落するということは、伊吹がどれだけクラスの平均点を上げているのかがわかる。同時に、伊吹以外の女子にかなり失礼ということも。

 とは言っても、どうせ女子の間でもカッコいい男子のランク付けをしているのだろうから、お互い様だ。

「細川、上級生のはないのかよ」

「お、津村お前、年上いくか?」

「最近来てるのよ俺、お姉さまブーム」

 津村の趣味など知ったことではないが、細川はしっかり上級生のランキングも手に入れていた。

「圧倒的に二年B組だな」

 龍平はかすかに反応する。しかし二人は気づかない。

「そんなに美人がいるのか? そこ」

「ああ、一年から二年に上がる時のクラス替えで、一条先輩と羽生先輩が一緒になったから、もう手がつけらんねえってさ。俺もまだ見たことないんだけど、かなりの人気らしい」

 あっれー、知り合いだ。

「うわー、超見てみてえ。そしてあわよくばお知り合いになりたい」

 ここにすでに知り合いになった奴がいるのだが、わざわざ言ったりしない。だいたい、龍平自身も一回しか会ってないし。その唯一の出会いが拉致だし。

 浮かれ気味な津村に、しかし細川は声低く告げる。

「……いや、よした方がいいというのが、俺が先輩から受けたアドバイスだ」

「は? 何で? 二年の男の先輩に目をつけられるとか?」

「そうじゃなくて、一条先輩と羽生先輩、どっちも性格に難ありらしい」

 細川は語る。頭脳も容姿も申し分ない美人、一条由利はかなりの本の虫で、話しかけても話題は本のことばかり。由利と仲良くなろうと付け焼刃の知識で挑めばすぐに看破され、冷たくあしらわれるという。しかも話し方がいちいち偉そう。

 逆に羽生美紗子はおっとりして人当たりがよく、どこか無防備なのでこれまた近づいてくる男子は多いのだが、独特の世界を持っており、会話のキャッチボールが成立しにくい。二年生の間ではすっかり有名な「美紗子ワールド」というものがあるらしい。

「クール系に不思議ちゃん系か……確かに恐ろしい」

 津村は食べ終えた弁当箱を片づけ始める。

 龍平は心の中で激しく首を縦に振っていた。その通りだ細川。あの人たちおっそろしいよマジで。ここにいるよ被害者。

「そしてその二人が入ってるのが文芸部。俺が知ってるのはここまでだ」

「文芸部? 何それ」

 最後にもたらされた細川からの情報に、津村は首を傾げた。

「さあ、俺も知らん。何か小説とか書いてるみたい」

 ちなみに津村はバスケ、細川はサッカー部に所属している。どちらも体育会系なので、文化系の部には興味がないようだ。

「小説書いてんの? うわっ、根暗じゃん」

 この場に文芸部員が一人いることを二人は知らない。

 いよいよ言い出せなくなったぞ。文芸部に入ったって。自分も地味とか思っていたし、その認識は部員となった今でもあまり変わらないから、根暗を強く否定はできない。

 やっぱり、文芸部のイメージってこんなものなのかなあ。

「ん?」

 ふと視線を感じて龍平がそちらに目をやると、伊吹と目が合った。瞬時に伊吹は目を逸らし、あざとく津村が気づく。

「あ、今、霜野さんこっち見てなかった?」

「俺見てたんじゃね?」

「いや俺だね」

「俺かもしれん」

「柚木じゃないな」

「柚木じゃねえよ」

「うるせえよお前ら!」

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