第十六話 溺れなかったのですが、溺れてしまいました!


 時に、優しくしていてばかりというのは、こわごわ触れているからこその結果ではないか、と言われることがあります。つまり優しさとは臆病によって出来ているのだ、と。

 確かに、それは間違いないでしょう。無遠慮は、幼稚の当たり前。痛みを知り、それが怖いからこそ優しくなれるもの。

 成長によって人が良くなるものであれば、純粋な善意なんていうものはきっと、狂おしいまでにあり得てくれない。そんな悲しみを、センパイが言ってもいましたね。


 例えば大人は、優しさとの付き合い方を、よく知っていらっしゃいます。困る人に対してあえて無視することも、むしろ邪魔をしてしまうことすらその人の成長のための愛であることだってあるでしょう。

 私みたいに、ただその場ごとの痛みに当たって手を貸そうとしてしまうことが、エゴでしかないことなんて、とうに分かっていました。

 なにせこの世界だからこそ好かれてもいましたが、とはいえ誰彼にいじめられることだって、沢山でしたから。

 でも、私は過ちを止められなかった。たとえ嫌われてしまっても、その人の痛みが悼くって、この身を動かしてしまうのです。


 冴えたやり方で開いた花の美しさと言ったらないでしょう。大概の綺麗はきっと、厳しさすら容れた愛の結果で出来ている。

 しかし、私は剪定の痛みすら認められない薄弱者。ですので、歪しか咲かせることは出来ないでしょう。それは知っています。


 だから、だから。


「私だけは、認めます」


 私のために歪みに歪んだその花を、抱きしめることを躊躇うことなんて、あり得ないのです。





 そう、アレ以外は。




「まさか、あんなにエロエロなお化けさんが出てくるとは思いませんでしたねー」

『触手は果たしてお化けの範疇なのか? いや、バケモノではあると思うが、あれと同じ範囲にあると思うとどうにも嫌気が……』

「緊縛したがる汁まみれの触腕に立ち向かう山田さんは格好良かったですし中々に……眼福でした。勝ってしまったのは残念ですが」

「ふふー。格好良いとは嬉しいですね!」

『こいつ、後半部分都合よく聞き逃してるな……』


 辛勝を収めてびしょびしょぬるぬるの私の隣を進む、大小の影二つ。夜闇に呑まれがちな彼らは、丸井力君と罰さんです。

 二人に山裾の廃寺に謎の反応があるとの話を聞いて、私は気になり夜な夜なな彼らの探索についていくことにしたのですね。

 そして、出会ったのは、捨てられた煩悩が形になった卑猥な代物。これもまた、ある種の残留思念というものなのでしょうか。それにしても、溜まり過ぎですけれど。

 その触手としか言えないひたすら凸凸凸な全体像は、明らかに十八禁です。また思念がどうしても、いやらしくありました。

 種を残すため、ならまだしも快楽を究めることしか考えない代物なんて、張り子と一緒。ええ、遠慮なくステゴロで打ち倒させていただきましたとも。


 それにしても、見た目ばっちいから、でしょうかね。丸井君と罰さんは対するのに及び腰でした。

 更にそれだけでなくクサクサでもあった触手の群れは何故か私ばかりを狙ってきます。結果的に、少女地味た男の子や過激な見た目の罰さんのセクシーシーンが披露されなかったのは幸か不幸か。

 まあ、取り敢えず、ぬるぬるにずぶ濡れになりながら一人ちょきでちょん切り伐採し続けていたら、触手は消えました。

 最初に触手の中の煩悩がこの体液は媚薬と同じ、とか宣言していましたが、そんなの私に効くわけがないのですよね。

 ふふ、なにせ心と身体がちぐはぐなのには、慣れっこですから。


「でも、暑いものは暑いですねー。代謝良くなりすぎです」

『本当にアレに薬効があったのか……力、下手にこの、人前で胸元から液を掻き出そうとしている恥知らずな女に近づきすぎるなよ』

「ああ。どうせぶつかるのならラッキースケベの方がロマンがあるものな」

『こっちはこっちで変態でどうしようもないな……』


 お隣の二人の会話を聞き逃しながら、私は思います。何だか、ちょっとサウナに入った後みたいに暑すぎるな、と。

 あれですね。これは心にも欲にも届かなくとも、それでも身体には多少なりとも効いてはいるようなのでしょうか。

 サウナの後には冷水かな、とか考えていると。横に澄んだ水の溜まりが。私は思わず、星の光が煌めく水面に歓声を上げてしまいました。

 清水湧き出て沼ともならないそれは、それなりの泉です。右に左に眺めてみて、そうして二人以外に誰の姿も見えないことを確認してから、私はそのままざぶんとその中に飛び込みました。


「わあ、冷たくて気持ちいいですー!」

『おい、お前はそんな劇物を水に溶かすな……ん? 山に濾された無垢な水によって浄化されているのか。穢れが消えていくな……』

「そして残ったのは、いい感じに透けた山田さんだけ……なに、下着を邪魔だと外した、だと? くそ、暗くて見えにくいな……」

『……力、お前もひょっとしたら先の触手の穢れにあてられているのか?』

「ああ、もう凄いことになっているよ」

『そうか……』


 お二人の前で恥ずかしい姿を披露するなんて今更のことですから、どうでもいいとスイムスイム。三麻で毟られ夜な夜な奇声を上げ続ける羽目になったことと比べれば、暗がりの中でのちょっと濡れた姿なんて軽いものです。

 底に足が付くのを確認してから、一度ざぶんと浸かって。そうして軽く掻いてから平泳ぎで少し。一度浮かんでから、邪魔な大胸筋矯正サポーターを取り外してから、再び沈み込みました。

 その内に、身体から熱も引け、やがて辺りに目が行くようにもなります。月光あまり差し込まない夜の泉は気が呑まれるように暗く、しかしどこか淡く揺らめいて幻想的でした。


「ん?」


 それに目を取られていると、なにやらくんと足が取られるような感触が。何が、と思った途端に。


「これは……むぐぐぐ!」


 何かの拘束によって、私は水の中に思いっきり引っ張られてしまったのです。

 突然のことに溺れかけ、白黒する視界の中で、私は確かに見ました。


「ヒョウヒョウ」


 笑む河童さんの姿を。




「……大丈夫ですか?」

「ここは……私は、どうして?」


 そうしてブラックアウトから目が覚めて、その後直ぐに見上げられたのは丸井君の端正な顔形。

 その、洞穴みたいな瞳を有した整いを寝起き端から認められたのはきっと幸運なのでしょうが、だがしかし、私はまず疑問に囚われてしまいました。

 水中で引っ張られ、気を失ってしまう。その後、私は水底に沈んでしまった可能性が高いのです。自失したまま、一人ではどうしようもなく。

 ならば、私は誰かに助けあげてもらったはずでした。けれども、丸井君には滴りが欠片もありません。なら、と思うとその答えは近くに漂っていました。

 そう、いやらしいレベルのボロを、水に濡らして。そのちっとも幽かではない幽霊は呆れた顔で見下げています。


『全く、世話を掛けさせる……』

「罰さん!」

「あはは。山田さんのことは好きですけれど、濡れたくはなかったので、罰に頼みました」

「うう。どうもありがとうございます!」

『水中で足を攣らせるとは、情けない』


 そして、罰さんがぽろりと溢した言葉に私はまた首を捻らせることになりました。

 あれ、彼女はひょっとして私に悪戯をしてきたのだろう河童さんを見逃したというのでしょうか。あんなに、確りとあそこにあったというのに。


「あの、皆さんは河童さん、見ませんでした?」

「えっと、僕はちょっと……罰は?」

『よく判らなかったが……私でも判らない存在、というのは考え難いものだな』

「うーん……まあ、すぐらちゃん以外の妖怪さん達はちょっと捕捉にコツが要りますから仕方ないのですかね……よいっしょっと」

『どういうことだ?』

「紙魚と遊ぶのは難しい、ということですねー」


 私は軽く、罰さんをはぐらかしました。何時かに助力を願おうとした時に悩み結論づけたのですが、だって、彼女にはきっと見えないでしょうから。何しろ、妖怪と関わるというのは何人だって難しいのです。

 何しろ、心の底から実存を信じていること。それがないと、ある筈のないものなんて、捉えられはしないのですから。

 私は微笑みます。すると、罰さんは沈黙したまま、でっかいカップが二つもついた下着を私に差し出してきました。


『つけろ。教育に悪い』

「あ、自ら取っていたの忘れていました! これは恥ずかしいですねー」

「……素晴らしいものを見せていただきました」

『何か、力が蒙を啓いたような顔をしている……』


 慌ててブラジャーをつけつけ。そうして思わず私はぶるっとします。

 それはそうでしょう。私は冷えた風吹く夜に、しばらく溺れた身体を濡らしたまま晒している。風邪をひいてしまうのも、時間の問題でしょう。

 これは困ったなあ、と思っていると、何やら周囲にほの明るいものが顕れ出します。やがて私を取り囲んだその鬼火は、深く青い色をしていました。

 それに焦らされ、私は暖を覚えるようになります。そっぽを向いている彼女に、私は言いました。


「あ、これは罰さんが暖めてくれているのですか?」

『ふん。目の前で体調悪くされでもしたら、気分が悪い。仕方なしに、だ』

「ありがとうございますー」


 思わず溢れるのは、笑み。私は、私を囲む優しい炎に安堵を覚えます。

 きっと優しさを敢えてしばらく捨てていたのだろう彼女にあった、一欠片。それを私に向けてくれた幸福を、喜ばないはずがありません。



 にっこにっこの私を見つめて、丸井君は、言いました。



「死ねばいいのに」



 それに、私はこう返します。


「そうなのかもしれませんね」


 彼はそこに性すらなかったかのように中性的に微笑みました。


「ああ、僕は、そんな山田さんが好きです……」


 しかし私は、少し悲しげに返してしまうのです。


「まあ、私は、こんな丸井君は苦手ですね……」


 やがて嘘のように笑みを深めて、彼は呟くのでした。


「それでも、貴女だけは、僕を殺せない」


 私にとって、そんなことは当たり前ですので、返す言葉なんて多少です。きっとつまらなそうに、私は言ったのだと思います。


「でも、貴方を活かすことは、きっと難しいのでしょうね」


 諦めませんが、間抜けであっても無理は分かっているつもりでした。だからきっと、私は彼の悪意を活かすことは出来ない。

 それはちょっと哀しいです。でも、丸井君はそれをすら、喜んでしまうのですね。


 見上げた天に、棚引く星の尾。あれこそが、天狗の仕業だとしたなら。

 夜空に輝く月は何の仕業なのでしょう。いいやそれこそ夜空が暗いのは。


 空亡。それに似た少年は、果たして今、何を思っているのでしょうね。


 困り顔に、笑顔が向かい合います。



『……何なんだ、お前ら?』


 私達に、置いてきぼりになった罰さんは、ぽかんと溢しました。




「ふんふーん♪」


 その後。家に帰った私はお風呂に入って着替えをしてからすっかり寛ぎむーどに。

 足をバタバタさせながら、携帯電話を弄っていると、枕元にひんやりとした影が。

 なるほど彼女は幽霊。枕元に立つのが似合いでしたね、と見上げてみると。そこからぽつりと滴が落ちてきたのです。

 幽かに消えた、その感触。そして、彼女、罰さんは言いました。


『――私の弱さを、お前は信じてくれるか?』


 気高くあろうとしていた彼女の姿はそこにはなく、一人ぼっちの幽霊がそこに。その苦しさが、私には分かりました。

 返答として、真っ先にうなずくのは、当たり前です。


「はい。私は……私だけは、認めます」


 だって、それは、自分が巻いた種。花はまた、歪に実をつけます。二人ぼっちを、裂いてまで。

 でも、そんな事態から逸らすことだけ、私はしませんでした。


 幼く還って自業に震わざるを得なくなってしまった彼女を、私だけは認めてあげたかったのです。



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