番外話④ 敵への優しさ
三越栄大と久慈蘭花の共通の友であった存在、ミカは
二十世紀半ばから始まった、個の隆起。異能とされるヒトの深化に領域を汚され不愉快を覚えた現存する神々は、多くが地球に目をやった。ミカはその中の一つ。動き思考する、感覚器であった。
神話の中で、男性体の悪しき五体を砕かれようとも、その程度で神の全てが損なわれたわけではない。ヒトには理解できない天津甕星の不可視の触角は宇宙から川園の地に届いて、調査対象に相似させた自立通信機、ミカをそこに置き去りにしたのだ。
そう、生まれたての無垢な姿のままに。
「わわ、どうしてお姉ちゃん、裸んぼなの?」
だから、彼女を真っ先に見つけたのが蘭花ひとりであって、そのためにその綺麗な裸体が問題にならなかったのは、きっと幸運だった。
ミカはアカシックレコードから周囲の情報を掠め取りインストールする際の四肢の硬直の最中、子供に向かって目を動かしてから、適当に得た現地語を口にする。
「裸で、何が悪い?」
「悪いよっ!」
記録層に触れるための俯瞰の視点から、服を着る生き物など少数なのにと、自らのヒト同然の身体を忘れてミカは首を傾げた。
対して、自分より幾らか年かさの女の子の、そんな変態な認識に蘭花は声を荒げる。
それが、二人の始まりだった。
その後、ミカは蘭花が、名付けて拾うことになる。勿論、その間に葛藤や騒動、その他諸々の事態は起きた。それらは語るべき程大きなものではなかったが、人の子と神の目の間に大いに思いを育む要因とはなったのだろう。
蘭花はミカをカミサマのようなものと知りながらお姉ちゃん、と慕う。立場の違いから否定していたそれにミカは次第に微笑みで応対するようになった。
ミカは分霊でもなく通信機能に特化させられてもいるとはいえ、神と殆ど同じもの。本来ならば、共にあることこそ毒である。
しかし、ミカの心の内には知らず愛が巣食った。そうなってしまえば、離れることなんて、無理だったのだ。
多く、二人は時を過ごした。しかし、人と神のようなもの。一人と一柱もどきが起こしたことが奇跡に近くなるのは当然なのだろう。
例えば、ミカは蘭花の大好きな忍者ごっこに付き合い、遊ぶどころかむしろそれを本格的なものにしていったりもした。彼女は少女の僅かな異能を見抜いて、言う。
「ランカがレイヤを使えば、もっと色々と出来るだろう」
「レイヤ?」
「色を塗り重ねる手前だな。ランカは色を塗ることまでは出来ないが、レイヤを重ねて自由に形を変えるくらいは出来るだろう。そうだな、隠れ身の術、辺りなら簡単だ」
「あたい、そんなこと出来るの? ミカお姉ちゃん、やり方、教えて!」
「いいだろう」
そして、蘭花は異星の視点から、異能力の変則的な使い方を覚える。そして、それを忍びの術とした。彼女は顔に一枚無色を重ね、それを調整することで多貌を表したり、全身をレイヤで隠して透過させてしまうことも可能となる。
ちなみに、蘭花の優れた身体能力も、ミカなりの異能の解釈によって行われた人間拡張の結果だった。
「ミカお姉ちゃん! 引っ張らないでー!」
「びろーん」
「うう、何だか分かんないところ引っ張られて、あたい、大っきくなっちゃったよ……」
「調整し、身体能力を異能力とサイズを合わせた。これで、人間が本気のランカの動きを目に止めるようなことなど出来なくなっただろう。良かったな。より忍者らしくなった」
「あたい、勝手に人間を越させられちゃった! にんにん! ……あれ?」
「弄って分かりやすい忍者にさせすぎたか……まさか勝手に語尾に忍と付くようになるとは」
「どうしてくれるの! ……にん」
「すまない」
そうして、ミカによって蘭花は新たにキャラを勝手に付加される。忍者少女の誕生であった。
しかし勝手にこんなことをされても、蘭花がミカから離れることはない。愛と愛は引っ付きあう。それはあまりに自然なこと。そこに割って入るものがあっても、変わりはしなかった。
「待て!」
「な、何、あんた?」
「下がれ」
「ミカお姉ちゃん、にんにん」
「っ、俺を見ろ!」
「ほぅ」
「見られて悦ぶ変態がまた一人……ミカお姉ちゃん、対抗して脱がないで! そいつただ自分を誇示しているだけだよ! にん」
「……裸で何が悪い」
「悪いよっ!」
こんなすったもんだの後で、栄大は二人と仲を重ね始める。そして、次第に人心に敏感な少年の本気によって、彼らは残酷なまでに奥深くまで繋がってしまう。
こと人間同士の友愛は、親愛なる程に深まって、とろけ合う一歩手前まで行き過ぎた。番の横で、割り込めない自分。余計な存在であるとミカは冷静に受け止める。二人がくっついてしまえば自分は要らなくなるだろう。それが頃合いと、彼女は考えていた。
しかし、複雑怪奇な彼の女性事情が、恋愛成就の邪魔をする。
「栄大君! に、……んっ」
「よう、蘭花。語尾付け、我慢できるようになったんだな」
「その子、誰よっ」
「……また、増やしたみたい」
「ライバルの誕生だね!」
「蘭花はそんなんじゃ……あ、ミカも居たのか」
「ふうん。騒がしい子らだ」
「ちょっと、お姉さんまで居たっていうの?」
「……ナイスバディ」
「へへっ、でもそんなの私等残念ボディ四天王の敵じゃあないな!」
「ナチュラルにあたい、仲間に入れられている、にん!」
「ふふ。敵じゃない、か。そう思うなら、まず私がどれほどのものを持っているか、確かめてみてはどうだ?」
「ミカお姉ちゃんは、揚げ足取って脱ぎ出そうとしない!」
「おお……」
「栄大君は、ミカお姉ちゃんを凝視するな、にんにん!」
この頃栄大にべったりになり始めたコメディーリリーフな三人組の間であっては、恋を育むことなんて出来やしない。
だから、何時まで経っても彼彼女は芽を出せず、そして刻限が来たのだった。終わりなき無限など彼方の今でも存在しないというのに、果たしてそれが太古の模型に込められた命であるならば、なおさらである。
そう、当然至極、時の推進力に耐えられずに、ミカは死ぬ。それを、彼女は少年少女に向けて、素直に告げた。
「……え?」
「聞こえなかったか。ならもう一度。私は、明日、死ぬ」
「嘘……」
「本当だ。薄々察していただろう。昨今の私の抜け具合。そして、昨日から私がベッドから立ち上がれなくなってしまったこと。そこに衰弱を見なかった筈もない」
「ミカお姉ちゃん……居なくなるの?」
「ああ。私は死ぬ。それは、どうでもいいことだ」
「嫌! そんな、そんなのあたい、絶対に許さない! どうして、ミカお姉ちゃんは……そんなに自分のことがどうでも良いの?」
泣きながら、少女は叫ぶ。そう、蘭花は気付いていたのだ。ミカが、自分を勘定に入れられない無垢の存在であるということを。
種族も違う他である蘭花をすら、ミカは抱きしめる。その見境なくもある深い愛は、自分を追い出した中に他を容れているがためであった。
裸身を見せたがるのも、そうだ。それは生を見せた他者の反応によって自分というものを測らんとする不器用の一つ。
もとよりミカは、他人を見るために製造された、そういったものである。故に、悲しいくらいに冷静に彼女は言うのだ。
「叩いても直せない、これが私の性分だ」
「あたいはそんなの、認めない!」
決して許せないものが、歪んだ視界の中にある。なら、逃げるしかない。脱兎のごとくに蘭花は走り出す。
涙は辛く、止めどなく目を濁らせる。立ち向かいもせずに、逃避した。このことは、蘭花の大きな心的外傷となる。
それを、止めなかった栄大は、縋るようにミカに問う。
「ミカ……本当なのか?」
「ああ。エイタ、後は頼んだ」
「そんな……俺なんかじゃ……」
「お前なら、助けられるだろう? ……いや、今度こそ救ってみせろ、ヒーロー」
「っ!」
救っても、全てを掬いきれるものではない。そんなことは分かっている。故に、せめてただ自分の妹を愛して欲しいと、伝えたかった。
でも、そんな重い一言は、恋路の枷にすらなりうる。だから、ひたすらにミカは願って走りだす栄大の背中を目で追った。随分と大きくなったと、思いながら。
ミカの願いは叶わない。未来のことなんて、カミならぬ異端は知らなかった。
黄昏、次第に死が迫る。最早、未来は闇。再び瞑ればきっとその内に沈むだろう。しかし、それでも最期まで目を開けながら、神の瞳は言うのだ。
「やはり、私が死ぬことなんて、どうでもいい。ただ、これ以上あの二人を観察することが出来ない……そのことだけは、悲しいな」
程なく、力なく目を瞑ったミカは機能を停止する。そして、翌日彼女は泡と消えた。
機会を、亡くした。もう、取り戻せない。心がずっと、痛いのに。
それでも次は、次がもしあったのならば、絶対に正すと決めた。だから、並ぶ立つのでは甘い。絶対に叩き潰して教え込む。
そう思って、嫌われ役をやったのに。
「うう。あたい、痛みを思い出させようと、カプサイシンを混ぜこぜにしてやろうと思っていたのに……」
「ひえっ、久慈さんはなんて悪事を行う気だったのでしょうか。辛いのは嫌です!」
「全く。敵と思って大人気なく無力化したけれど、その必要もないくらいに、随分とアホの子だったのだね」
「あたい、アホじゃないー……」
縋る相手が求めたのは、やっぱり亡くしたものに少し似ていた。ヒトを無差別に受け容れる、無私の少女。それを一度否定した蘭花に、山田星という存在は天敵――待ち望んでいたもの――にすら見えた。
嫌い、そのおかげで想い人に激しく触れるほどに見てもらって、益々、自分の嫌いが正しいものと思うようになる。故に、蘭花が調子に乗って不法侵入し、結果弱みの一つ、姉属性に捕まってしまったのも、当然の流れだったのだろう。
だが、その後の経過は自然なものではなかった。大量の唐辛子を献上し、当たり前のように許された蘭花は、何故か山田家の食卓に上がることになる。
煮え立つ鍋。蓋を開けられたそれから、味噌の香りが甘く、漂う。
「ま、自分が台無しにしようとした食事、確りと味わって反省すると良い」
「よそりよそり、です!」
「ふふ、まるで子供が増えたみたいね」
「母さんの味の素晴らしさを他の家の人に知ってもらういい機会だ」
「まあ」
「全く……息子夫婦に、孫、揃って暢気なもんだよ。もっと悪意をこじらせた相手だったら大変だったってのに」
「はい、どうぞ、熱いのでふーふーして下さいね!」
「あ……う、うん」
眼前に広がるのは、自分のものより賑やかな食卓。流石にこれを汚そうとした事実を思うと、罪悪感が湧き出る。
蘭花は思わず、素直に星によそってもらった、鍋を啜った。
「美味しい……」
「でしょう? おかーさんのお料理は美味しいのですよ! これにプロテインをインすれば、尚更……ぐえ」
「平然と、イチゴ味のプロテインを混ぜようとしない」
「残念です。それでは、お水に混ぜ混ぜですね……」
隣で敵が何だかふざけたことをやっているが、蘭花にはそれも気にならなかった。
美味しい。それだけで幸福である。そして、思うのだ、これをミカお姉ちゃんに食べさせてあげたかった、と。
そんな内心をも果たして知っているのだろうか、穏やかな瞳を向けて、静は蘭花に呟いた。
「ふふ。バカな子だろう? きっと、これから星は何度も思い知ると思う」
「はぁ」
「だから、君が無理する必要なんて、ないんだ」
胸に届いた優しい思いに、軋む。けれども蘭花は何も返すことは出来なかった。
そして、食事が終わって、山田家からの帰り道。お見送りを買って出た無防備な星に、蘭花は文句も言う気にもなれなかった。
空を眺めれば、月に雲が掛かっている。残念なことだ。しかし、それ以外の夜闇にも光があった。煌めく過去の思い出の如き星光。果たして、あれは何年前の光なのだろう。人は何時、あれに届くのか。あるいはいずれ自分もそこに行くのか。
そしてふと、蘭花は今更、忘れていたことに気づく。闇は決して終わりではないということを。少女は、一等輝く、星を見て取る。
「ああ、そういえばミカお姉ちゃんは……」
深く、過去を思った。心は凪ぐ。
だから、終わってしまっている少女の言葉に、いたずらに胸を引っかかされることもなかったのかもしれない。
「ありがとうございます、久慈さん」
「何?」
「私を嫌ってくれて。それは優しいから、だったのですね」
「ふん。憎しみを当てこすりを、優しいだなんて、綺麗事だね。あたいはあんたのそんなところ、大嫌いよ」
「ええ。嫌いなのは仕方ないのでしょうね。綺麗事が苦手な人は沢山いらっしゃることも、分かっています。それを、否定はしたくない。皆々様が確かに苦しみの後に得た答えの一つ。対することすらおこがましい、真実達だと思うのですから」
また、少女は思いを容れる。蘭花はその際の諦観を帯びた表情が、大嫌いだった。
だから、蘭花は文句を言うために星の方を向く。そして向き合った相手の瞳の中に、光を見た。
「でも、やっぱり私は、それが辛い。間違っていると、本当のことを言われてしまうのが苦しいのです。そんな当たり前を、今更思い出しました」
「それは……」
「だから、ありがとうございます。これから私は、苦しみに向き合って、歩いていける」
それはどんな覚悟なのだろう。好き好んで茨道を、涙こらえて歩くこと。それを震えながら、星は望んでいる。
怖さを理解し、対立に傷つけられることを忘れずに、それでも歩み寄ろうとすること。
それはかもしたら尊い人間らしさではないかと、蘭花は血迷ってしまった。
だから、目を伏せ、言う。
「……それでもあたいは、自分を大切にしないやつの敵だから」
「久慈さんは、やっぱり優しいのですね」
「別に、優しくねーし、にん」
照れ隠しはあからさま。憤って、赤ら顔と口癖を披露しながら、蘭花は言い返す。
「山田だって、優しいと言えばそうだろ?」
「私は、偽物ですから違いますよ!」
「むむ」
「むー」
ふくれっ面が二つ。街灯の下に並ぶ。
「ぷっ」
「ぶふっ」
そして、弾けた。
逃げずに向かい合うこと。優しくても優しくなくても、それはきっと過ちではない。そう、少女は思う。
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