第十二話 泣かされてしまいました!



 あの後。久慈さんは、ひとしきり笑った後、唐突にどろんと消えました。

 いや、閉所にて煙幕とか、困りましたよ。換気に大分掛かってしまいましたね。パタパタしながらすやすやしている闇人の無事を確認してから、私と三越君はようやく一息つくことが出来ました。


「ずっと持っていたそれ、生き物だったんだね……」

「はい。まあ、闇人は何というか、異世界からの来訪者的存在です」

「そっか……蘭花、同族嫌悪というかトラウマを刺激された部分もあったのかなあ」

「ん? どういうことです?」


 寝入り身動ぎしている闇人を抱き上げなでなでしていると、ぼそりと気になる一言が零されます。聞き入るために、同じくベッドの上に座しているお隣さんの三越君に顔を寄せました。

 すると、三越君はそれを嫌って顔を背けます。どうしてでしょう。あ、ちょっと赤くなっています。照れ屋さんなだけだったのですね。


 私が嫌いになったからではなくて、良かった。そう思い、今更メランコリックになっている自分に気づきます。


「山田さん、無防備だなあ……いやさ。闇人、っていったっけ。俺にはそんなよく判らない系統の存在とさ、蘭花が仲良くしていた時期、あったんだよ」

「え? 闇の世界からの住人、前から来ていたのですか?」

「闇の世界……そんなのあるんだ。山田さんの言葉だ、信じるよ。でも、それじゃなくて、だね。彼女はこのセカイの遠くから、来たみたいだったんだ」


 彼女、ですか。やはり三越君と関係しているのは女の子ばかりなのですね。何となく、面白いです。

 しかし、私なんかの言葉を軽々と信じてしまうのは、ちょっと心配ですね。闇の世界とか、私でも突飛過ぎると思うのですが。まあ、思うだけで奏台の言葉は信じていますけれど。


 と、変に考え脇道に逸らせながら、それにしてもセカイの遠くとはどこだろうと私が首を傾げていると、三越君は軽く手を動かし、天を指差したのです。

 あるいは屋根裏その上、いやまさかそんなに近くではないだろうと私が考えていると、三越君は言いました。


「あいつ、ミカは金星からやってきたらしい」


 きっと、見当違いに掲げられた指先に、私はロマンを覚えます。

 金星。それは、暗黒、真空に隔てられた遙か遠く、しかし、惑い見えるくらいには近い、夢を抱ける程々に離れた距離の星でした。

 そこから来た、存在。もしやと私は問います。


「それってもしかして……宇宙人、いや金星人ですか?」

「そうみたいだった。アイツが口にしていたばかりで、定かではないけれど」


 でも、信じているよ、と三越君は、はにかみました。




「ふー、ふー……ずっ」


 私は落ち着いて、お客さんに何も出していなかったね、と淹れてもらったコーヒーをちびちび頂きながら、三越君の口が開かれるのを待ちます。それにしても、ちょっと猫舌の私にはハチミツたっぷりのコレ、熱いですね。

 合間を埋めるために、お茶菓子をぱくりと食みながら、私は前世の私が見たら格差に嘆いてしまいそうなくらいな三越君の今風イケメンっぷりを眺めます。

 両親の長期海外出張という中々特異な自体に順応して、最早それを楽しんですらいるらしい三越君。しかし、今の彼はどうにも寂しそうでした。


「……俺はね。恥ずかしながら昔は人を救うことを楽しみにして人に近づいていたところがあったんだ。でも、俺は最初、別に救う気で蘭花の後を付いていった訳じゃなかった。何せ、あいつは助ける必要がなかったんだから」

「なら、三越君から、というわけではなかったのでしょうか?」

「いや、結局は俺から近寄ったんだ。そうだね……幸せそうだったから、俺はつられたんだと思う。蘭花はさ。楽しそうに、人外と遊んでいたんだよ。何の不満もなさそうにして」


 偶々見てしまった、あいつの秘密にしていた姿が、眩しくってね、と三越君は続けます。


「あの笑顔は好きになりそうだった。好きになれそうだったんだ。でも、それが向けられていたのが、見ず知らずの良く分からない外の人だったからね。ちょっとむかっときて二人の間に割って入ったんだ……それが、始まりだったなあ」

「三越君も、いい笑顔です。きっと、楽しかったのですね」

「ああ、楽しかった。だって、一度嫌った相手、ミカも、とんでもなく魅力的でさ。良いやつだったなあ……」


 三越君は遠い目で、噛みしめるように言いました。過去形に、何となく顛末を察しながらも、しかし私は彼の反芻を阻むことはありません。

 だって、良く思い出されるということは素晴らしいことだと、思いますから。私が失くなっても、忘れないでいてくれたら、それは嬉しいですし。だから、私は三越君に、さらなる想起を促します。


「差し支えなければ、どんな方だったかお聞きしてもいいですか?」

「山田さん、前に自分のことミステリアスレディって言ってたよね。まんまそれが、ミカだったよ」

「なんと、私そっくりだったのですね!」

「……いや、そういう訳ではないのだけれど」

「むむ、どういうことなのでしょうか……」


 私は首を左にこてり。どういうことなのでしょう。ひょっとしたら、ミカさんも私と同じくミステリアスレディな様子であるけれども、私ほど意味深ではないのかもしれませんね。

 それはそれで、愛らしいのかもしれません。私みたいに良く分からないものではない方が、きっと良いですから。


「ふむ……そういうことなのでしょうか」

「納得したみたいだね。何か勘違いしていそうだけれど……まあ、別にいいか。兎に角ミカは、不明を格好良く纏って、それでいて分かりやすく俺らに優しかった。深く親しんだよ。……俺にとって、あの宇宙人が姉なのかもしれない」

「三越君のおねーちゃん、ですか」

「ああ。だからこそ、悲しかった。ミカは、他の些事と一緒に、自分の死期まで良く分からなくしていてやがってさ。隠していたんだよ、どうでも良いって」

「どうでも良いって、そんなこと……」


 ああ、三越君が語るミカさんとの思い出は、やはり楽しいばかりのお話にはなりませんでした。

 亡くなって、それでお終い。そんな、どうしようもない当たり前が、悔しくて悲しい運命が、あったのでしょう。

 私には、判りません。私が余計に語るまでもなく、人の命は大切です。それを、どうでも良いとしてしまうのは、とても悲しい。

 そんな私と似てしかし異なった感情を持って、とても哀しげに三越君は続けます。


「ああ、山田さんと俺だって同じ気持ちになった。ミカがそんなに自分を軽んじていたことが、俺らには悲しかったんだ」

「いけません。いけませんよ。そんな悲しいすれ違い……」

「まあね。でも、山田さんはきっとそんなところ、ミカと一緒だよね?」

「それは……」


 唐突に向けられた水に、私は二の句を継げられません。私は、自分を大切にしない人を残念に思っていた。しかし、翻って自分を大切にしない自分はどうなのでしょう。

 同じように、それを残念に思ってしまうのか、はたまた自分なのだからどうでも良いと思ってしまうのか。常ならば、間違いなく、後者。けれども、それを望まない人の前で、自分の否定を出来るでしょうか。

 言葉を操る三越君は、悲しそうです。


「自分を削ってまで、人を呑み込む。それは、あんまり良いことじゃないよ。蘭花が、嫌うのも分からないではない」

「そう、でしょうか……」

「俺、分かるんだよ。だって、それだって痛いものは痛いでしょ? 嫌われることを悲しんで良いんだよ。どんないい人だって悪い人だって、泣いて構わないんだから」


 三越君は、驚くほどに察しが良い。つまりは、恐らく共感力が図抜けているのでしょう。だから、私の心だって感じ取れる。痛みに、表情を歪めてくれるのです。

 ああ、そんなに、泣きそうにならないで。私、なんかのために。


「無理に、笑わないで。山田さん、あの時の俺より、笑顔が下手だったよ」

「でも、でも、私は……私なんか……」


 自分なんて、要らない。そうでないと、主張する自分が他人を否定したがるのですから。故に、そんなもの、一番に嫌っていい。その筈でした。

 私は性善説を認めません。生まれから、私は悪でした。だから性悪説を信じて、善になろうとしているのです。学んで、自分の悪を嫌って。

 それが、間違っているのでしょうか。私以外の人に対しては、そうだと断言できます。しかし、自分では。どうでも良いはずの自分なんかには。


 その時、胸元でごそりと何かが動きます。そしてそれは、私をひっしと抱きました。


「ピー……」


 それは小さくも人の顔をしていますから、何を考えているか、よく判ってしまいます。ああ、闇人は泣きそうなくらいに私を慮っている。何時もは私に攻撃してばかりなのに、こんなの、ずるいです。

 こんなに皆に優しくされて、大切にされて、それが、どうでも良いなんて、とても言えなくなってしまいますよ。

 だから、私は自分の奥に粗雑に仕舞った心を吐露してしまいました。想いの、ままに。


「……嫌ですよぅ。私、嫌われたくなんて、なかった……!」


 久しぶりに、表立った心は直ぐに痛みを走らせました。それに従い、涙がはらはら、落ちていきます。冷たいような、痛みは直ぐには失くなりません。じくじくと、痛みます。

 それでも、三越君の視線も胸元の闇人も温い。ああ、優しさはどうしてこんなに嬉しいのでしょう。無様を晒しながら、私は嬉しくて、更に涙を落としました。


「ああ、ありがとうございます! こんな、ダメダメな私なんかを、受け容れてくれてっ」

「ピ」

「はは、その子に良いとこ全部取られちゃった感じだね。まあ、それでもいいか」


 私は三越君に対して、そんなことはない、とは言えません。嗚咽で言葉にならないですし、流石に恥ずかしくて。

 貴方に助けられました、という言葉が素直に口から出てこないのは、きっと好意を肥大しすぎたためでしょう。



 現金なものです。今回のことで、私は随分と、三越君のことが、好きになりました。救いの男の子を、私はきっと嫌いになることはないでしょう。


 それこそ、心を差し上げられないことが悲しいくらいには、大好きです!




 その後、雑談を楽しんで、腫らした目が戻った頃。もうその時分にはお夕飯の時間になっていました。

 ありがとうございます、また明日で別れた後、私はスマホで奏台を呼び出し、闇人を送還してもらいます。

 コイツも、闇に包まれてさえ居なければ、悪いやつじゃないのにな、と言いながら、奏台は力を行使しました。去り際の寂しそうな、闇人の黒い瞳が印象的でした。


 その後、私は奏台にお家で食べていかないか誘いましたが、しかし彼はそれを固辞。何でか訊いたところ、既にご飯を食べてしまったから、と。

 それでは、どうしようもありません。何となく人恋しいところでしたが、お家には家族が居ますし、渋々奏台と別れ、家路に就きました。


「綺麗なお空、ですね」


 家の扉を開く前に、前に見上げると、赤いお空に広く雲が頒布されているのに気づきます。赤だけでなく紫色までかかったその白は美しいグラデーション。

 滅多なものでは敵わない綺麗に、私は目を細めます。そう、自然な方が美しい。それは分かっていました。


 でも、私は。


 幾ら言われても頑ななところが未だ治らない自分を笑い、そのまま扉を開け放ちました。すると、おかしなものが。いや、何時もの人に、おかしなモノが、といった方が正しかったのでしょうか。


「ただいま、です! ……あれ、おねーちゃん。その手に引きずっているものは……」

「何だか、女の子がレイヤに隠れて星の食事に一服盛ろうとしていたから、捕まえたよ」

「にん……」

「わわっ、久慈さん、おねーちゃんに捕まっています!」


 余裕の笑顔のおねーちゃんに、ぐるぐるお目々の久慈さん。思っても見なかった組み合わせに、私は驚きます。

 ああ、そうでした。敵ならば、心配をしなければならなかったのです。私の敵ということは、家族であるおねーちゃんの敵と言ってもおかしくはありません。

 そうなるならば、久慈さんに一言かけてあげるべきでした。おねーちゃんにバレない範囲でお願いしますよ、と。


 そう、おねーちゃんは、無敵なのですから。


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