番外話② 怪談への優しさ
アヤカシ。怪人。
それは悪意から生まれ、悪意によって生きる。語られるべきは、人に対する有害さのみ。恐れ、嫌われ、やがて忘れられる、そんな存在だった。
誕生してから幾年か。あまねく全てがそうであるように、彼らは同じく、無様に消えるべきだったのだろう。動物だろうが物語りだろうが、決まりきった最後があるのだから。
しかし、彼らの怪談の途中に、ふらりと彼女は現れた。何だか一体全体を否定し始めたと思えば今度は触れ合い出し、次第に少女は恐るべき物語達の中に愉快さを引き込んでいく。
そうして、彼らは一時悪意を忘れた。何よりも己を表すそれは、あの子の前では引け目にしかならなかったから。だからただ、バケモノ達はおっかなびっくり、女の子に触れるのだ。
そう、存在に意義など要らない。トゲだらけの身体でヒトを傷つけるのは、もう嫌だった。
だって、彼女の笑顔はきっと、暗闇の中で何よりも見たいものだったのだから。
傷つけ恐れさせるだけが意味である怪異達に、光は差し込まれた。
それは、星が居なくなってから、十分ばかりの隙間の会談。いや、怪談とすらなりえるものか。
何しろ、おぞましいものがひしめいて、悪意をぶつけ合う、そんな不幸が当たり前のように発生したのだから。
美しい少女が居なくなったこの場はもはや、異形の巣窟。入り混じった人間の少年ですら、心醜く歪ませていたのだから、それらは容れ物たる廃屋と同じく総じて壊れ薄汚れていた。
唯一愛らしい容姿の少年、力は、星が不在になったために起こった沈黙を気にせずに、考えたことをそのまま口走る。
「それであなた達、山田さんをこの場から引き離させて、何がしたいんですか? 全く、嘘はいけませんよ」
『あら、バレバレだったみたいね』
「だって、すぐらさん、ですか? バケモノみたいにデカいカワウソなら、ずっと屋根の上に居るじゃないですか」
「みゃー」
廃墟全体をみしりと揺らがせる程の身じろぎをして、鳴き声が一つ。
来る時に暗中にて察した巨体に似合わぬその愛らしい声色に、力も少し気を削がれる。
「……鳴き声だけは、確かに可愛らしいですね。ちょっとした妖怪みたいな力を持っていそうですが」
『それでも霊力のない星では探知出来ないだろうが……お気に入りの獣を隠して場を外させる動線にまでするとは。それ程に、アレに訊かせたくない話でもあるのか?』
「まあねー。あの子は、グロテスクな話を嫌うから、仕方なしに、ね」
「それじゃあ、あえて一番に非力な私から前に出て話しましょうか」
疑念に、花子と、口裂け女三井は頷きで返す。彼女らの血色が消え去った死体の肌と、マスク等では隠しきれない口の裂傷の醜さが、力に気持ち悪さを感じさせる。
三井は皆を護るかのように力と罰の前に出ていく。そして、そろりと口元に手を当て、マスクを取った。べり、と生乾きの傷から肉が剥がれる音がする。
「はぁ……あまり言いたくないのだけれど」
そうして現れたのは、誰にも分かりやすい口裂け女。女性の美を損ねる、傷のリアル。そのコンプレックスによって全てを嫌う筈の彼女は、しかし慮って、言う。
「お前ら、星を傷つけたら、殺すよ?」
それは悪意ではなく、強い怒気。しかし、烈火のごとくに溢れ出るそれは、罰の眉をひそめさせるほどのものだった。
『こら、みっちゃん。それだけじゃ分からないでしょ?』
「う、ごめんなさい」
凸凹は、ここまで気持ち悪く、歪むものか。数多の殴打によって崩れきった死に際の顔をそのままに、菊は三井を叱る。ごぼりと、黒いものが口元で弾けた。
年長の、更に力が上である彼女の言葉に、口裂け女は首を竦める。それを見て、満足そうにした菊は、向けて言う。
『私達、分かってるのよ。あなた達が嘘をついて星ちゃんを利用しているってこと』
「嘘はいけないって、どの口で言ってるんだろ、って思ったよ」
「お前たちは、嘘で星に手伝わせて……悪意を昇華して純化した魂を本に仕舞ってから、後で隠れてその罰という幽霊に喰ませている」
『目的は、罰ちゃんの強化か神化? 星ちゃんに言ってた幽霊を救う、なんて嘘ばっかり』
『ち、この霊、魍魎使いだったか……』
菊の周囲で闇がざわりと蠢いた。それは、無数の感情のうねりであり、悪しき存在の動きでもある。
魑魅魍魎。それらは、闇に潜むもの。数多の闇に、似たようなものは存在し、故にいくら霊力を持ったものであっても、それが居ることを諦めて認める他にない。
そして、菊は、この地の魍魎共を束ねる存在。彼女には、隠し事はむしろ筒抜けだったのである。
「はは。よく、調べたようですね。けれども、その推測は違う」
『力』
「罰、隠しても、無駄みたいだ。ある程度は明かしておこう」
『何かしら? 実は、人間になりたいの、とかいう可愛らしいものだったら有り難いのだけれど』
菊はぐしゃりと、笑む。どろりとしたその笑顔を、果たして好むものなど居るのだろうか。恐らく、それはそこらでカワウソ探しに奔走している彼女だけ。
その事実を知っているからこそ、菊は笑う。目の前の星を利用している邪悪に、なるだけ不快になって欲しいから。
しかし、力も罰も、そんなのは見飽きたものだと、上から下に、腐れたヒトモドキを見る。そして、僅かに星を思ってから、言った。
『そんなことがあるものか。我々は、人間が大嫌いなのだから』
「僕も同じく。だから、この世を地獄にするのですよ」
一人と、幽か。しかし、その心は一つ。怨怨と、この世に焔を、全てに無情な無常を。
矮小な、二つでしかない存在が起こすのには、それはあまりに大げさなことである。だが、きっと可能なのだろう。霊力とは、あの世を実現する力。
少年の力は悪鬼に勝り、霊の怨の濃さは飽和寸前。大したことを成すのに、或いはもう少しで足りてしまうのかもしれない。
「ひっ」
『あら……』
「……なるほど、ね」
目の前で生きた昏い情を見て取った、アヤカシ共は目論見の近さを感じたようだ。彼らの瞳に地獄を見て取って、花子は稚児のように、震える。
しかし、不特定多数に恨みを科す。それはそれは、在り来たり。
いくら根が深かろうと、子供の癇癪に似たそれはあまりにおかしい。真面目に語る、少年と女の、下らなさが、あまりに愉快だった。
「くく、なんだ、その程度が狙いだったのカ」
だから愚か、愚かと男は笑う。アヤカシとそれを餌食とするもの。交わらぬ空隙に、赤いマントがばさりと翻る。
その時、廃屋に差し込んだ月光はスペクトルにも、赤青黄色に別れた。まるで、それのために交わり輝くことを嫌がったかのごとく、単色に世界は変わる。
赤の世界、青の世界、黄色の世界。全てに照らされ境を無視しながら、赤マントの怪人は、哄笑した。何者かも分からない人の皮の奥で、にっこりと。老いたるものが、若々しくも。
「くくくく。若い、いいや、幼いナ」
そして、怪人は最後に言の葉を滴らせた。ぼちゃりと、度を超した悪意の語尾に、不快が広がる。
しかし、誰もが向ける蔑視の中で、赤マントは超然とそこにあった。嫌いを集めたマイナスの中で、それは逃げも隠れもしない。そんなどうしようもなさのからくりを、ほど近い存在である罰は理解し、言う。
『ヒトのまま、超えたか……度し難い』
明らかに、距離が違う。尺度も異なる。逸脱者。悪意のような真っ当なものではない、狂気によって、それはある。
理解できなければ、輪に交じることは不可能。正しく、怪人。アヤカシですらない、怪しまれるべき人。
ただ、それを果たして少年は理解しているのだろうか。力はぷくりと、頬を膨らませて、言い張る。
「それだけ、不通の存在になったあなたなら、分かるんじゃないですか? 人間なんて、永劫の苦しみに堕ちてしまえばいいと思いません?」
「いいや、そうは思わないね。僕は、所詮、人間だかラ」
『なんの冗談だ』
思わず飛び出た罰の言も、当然のこと。赤マントに向けられた人界の呪いは、何もない人間ですら察せてしまうくらいに数多。
それほどの嫌われ者が、人の間に居られるものか。到底、あり得てはいけない。だが、それでも赤マントはまたばちゃりと言うのだ。
「だから、好きな人くらいは幸せでいて欲しいと思うのサ」
そのためには、全ての幸せだって願ってみせよう。そう、怪人は続ける。
それは真っ赤な嘘のような、本音。しかし、その思いは狂気すら許容する少女の手のひらの温もりによって間違いなく溶け出したのだ。
温もりに、仮面の奥でそっと涙した。そして、彼はああ、このヒトだけは守らねばと誓う。そう、この世で一番人の血を浴びてきた存在は、それでも人を愛したかったのだった。
『貴様……』
「罰?」
告白の後に、唐突に、鳴り響くはイエローシグナル。多感の黒が、渦を巻く。
闇に一歩届かない、罰の心は燃え盛る。それは、同じものを持っていた筈の、力を置いてきぼりにして、尚、熱を持った。
まるで怪談のように人を殺して否定続け、それで今更救われようなど、許せないもの。ヒトデナシが、人を愛するなんて、冗談ではない。
彼女はそれが、なんて羨ましいのだと、怒ったのだ。
「自分のことが、恥ずかしくなったのかナ?」
『私の瞋恚を、侮るな!』
「その程度、彼女に呑まれて終わりだろうネ」
『貴様!』
「罰……」
だから、それは駄々。外側だけ育ち熟れた、幽かな子供は怒りを持って、打ち据えようとする。
要はただの、ビンタ。しかし、それは確かに相手を否定するための暴力だった。
その感情が理解できない力の前で、決定的な亀裂が両者の間に走ろうとしていた。
「すぐらちゃん、居なかったですー! ん、どうしました? あ、赤マントが居ます!」
「やア」
「相変わらず十八禁な見た目ですね! 丸井君は、私の後ろに隠れて!」
『っ!』
「は、はい……」
しかし、人を選ぶことがない、ヒトデナシすらも選ばない、そんな山田星は空気を読むことだって勿論ない。
知らず、罰と赤マントの合間に割って入り、そうして悪意の子供を助けにまわる。さほど大きくはない星の身体では隠しきれなかった力の両目が、愉悦で歪むのが、お化け集会仲間には見て取れた。
星は、アヤカシ達の、愛の深さを知らない。更に後ろの少年等の想いが、あまりに淡すぎるということだって、判らなかった。
それを理解し、けれどこれはあんまりだと思いながら、それでも健気にも赤マントは忠告するのだ。
「気をつけなヨ?」
そして、星のお望み通りにヒトデナシは消える。
赤マントは、成人男性の皮を脱ぎ、そして老人の瞳を捨て、少女の臓腑を零し、少年の脳みそを散らかした。例え様のない醜いものばかりが、真っ赤に飛散する。そして、終にはそれも溶け消え何もなくなった。
しかし、そんなこの上なく醜い去り際ですら、星が気にすることではない。ただ軽く、その気持ち悪さを呑み込んで、周囲を気遣った。
「うーん。何言ってるのか、よく分かりませんね。皆は、何もされていませんでした?」
「ううん」
『平気よ』
「大丈夫」
「集会組はおっけーだったみたいですね。初めてでびっくりしたでしょう、お二人は?」
星の視線は真っ先に、薄気味悪いアヤカシ達を真摯に見て取り、そうして微笑んでから振り返る。
その笑顔のあまりの曇りのなさに、罰は呻くように言った。
『お前、凄いな……』
「私なんかより、おねーちゃんの方が、もっともーっと、凄いですよ?」
「そのお姉ちゃんとやら、何者なんですか……」
清濁併せ呑む。見目ばかりとはいえそんな殆ど不可能ごとを平気でなしてしまう星は、自分の異常を知らない。
人を見た目で判断しないのは、基本。別に、それを人間以外に当てはめてもいいだろう。そんな軽い考えで、星は積年のぼっちたちにだって優しくして、結果愛を集めてしまったのだ。
その恐ろしさを、力等は初めて目にした。
『コイツ、一番ヤバくないか?』
「ああ。ヤバイな。ジッパーを降ろした分だけ谷間が見えてる。とんでもない質量だ」
『力……』
そして、今度は相方の色ボケに、罰は孤独を覚える。その視線を追って見た先には、いやらしい笑みの力を撫でている、星の姿が。
星は、先と変わないまま近寄って、そうして罰の手をぎゅっと握った。呪わしすぎて、力ですら触れられないそれに、遠慮なく。
「罰さん、赤マントに一番近かったので、ちょっと心配です。大丈夫でした?」
『な、そんな。大丈夫だ』
「狼狽えてるわ」
「顔赤くしてるー」
『意外とちょろそうね』
『……貴様ら!』
そして、星の揺れに注目する力を余所に、短気な罰は噴火寸前。
このままでは、子供の喧嘩が勃発しかねない。
慌てて、星は罰の手を取り、さようならをした。
「皆さん、ばいばいです。さようならー。罰さん、暴れないで下さいー!」
『ふんっ!』
平等な愛など、反吐が出る。触ってもらっただけで気を良くするなんて、子供や初な男子でもなしに、単純すぎやしないか。
しかし、今や彼女を見る目に、険が取れてしまっているような気がする。罰は考え、そう思った。
『やって、いられるか』
繋がった、右手が熱い。
罰は何かが僅か、埋められてしまったことを感じていた。
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