第十話 お姫様抱っこをしました!



 世界は美しいです。いや、前世の自分の目線だとそうでもありませんでしたね。でも、私はそう思った者勝ちだと考え、美しいものと思うのですよ。

 そこに上下があるのは仕方ない。皆、違うものですからね。でも、大体全てが綺麗と思えば、触れるに難いことなどありません。

 結構、傷つけられることもありますが、意外と優しいものだって多かったりします。痛みを知れば大人になれますし、優しさを知ればより、優しく出来ますね。

 なんだ、得しかありませんよ、この考え。


 ただ、心からそう思うには、何といえば良いのでしょう、中々真似して欲しくない前提が必要でして。

 やっぱり、綺麗と思うには、醜いと思うものが必要なのです。価値観って相対的なものですからね。

 だからやっぱり、これは皆様に真似して欲しくない。輝く全ては絶対に、素晴らしいものですから。幾ら私と相容れなかろうとも、それは有るのだから、在っていい。

 そうですね。やり方としては、まず最低値に、自分を置くのです。そして、それだけですね。簡単ですが、ただ最悪に苦しいために、止めたほうがいいとは思います。

 自分が一等醜いのであれば、違う全ては美しい。それだけの、考え方なのです。気持ち悪く感じられるでしょうね。正直、この考え方は私もあんまり皆様に知って欲しくはなかったりします。


 ただ、おねーちゃんには知られてしまっていたりするのですよ。勿論、その時に否定されています。もう、かんかんでしたね。

 でも、私は曲げたくないのですよ。何しろ、この考え方抜きでは、全てを尊く思えない、偽物のいい人なのですから。

 あそこまで喧嘩したのは、初めてだったでしょうか。いや、口喧嘩だけでしたけれど。暴力は得意でも、向けたくないですし、きっと勝てないでしょうし。

 まあ、それでこっぴどくやられても、私は涙を零しながら、いやいやをして、認めませんでした。


 駄々っ子ですね。でも、そんなものでしょう。私はまだ、何も成れていない、子供より幼い存在なのですから。

 それでも、おねーちゃんは私を見捨てません。溜め息を吐いて、言いました。


「幾ら泣いても、私の勝ちです。全ては無理でも、戦利品貰っていきますよ。私は、貴女の依存の一部である、喋り方と一人称を頂きましょう。……これから私はボクになるよ。うん、こんな感じかな?」


 それは、無慈悲な宣告です。でも、おねーちゃんには逆らえません。

 ただ、私はぐすぐすしながらも、それを取られてしまったなら、どう自分を呼んでどんな言葉を使えばいいか、訊きました。

 すると、シニカルに笑んで、彼女は答えます。


「何、先程までのボクの喋り方、そして一人称を使えばいい。私、そして敬語。簡単だろう?」


 こうして、私は私になりました。それからずっと、ボクは取り上げられて、返してもらえないままです。

 まあ、良いのですけれどね。随分と慣れて、敬語使いも上達しましたし。むしろ、今更返却された方が、困ってしまいます。

 急なキャラ変を受け容れてくれた奏台だって、再度のキャラブレに、びっくりしてしまいますよ。


 それに、あの時怒られた私が、どんな風だったのか、そんなの忘れてしまいました。

 私は、そんなに不自然な子供だったのでしょうか。おねーちゃんに、後で訊いてみましょうかね。




「むー、です!」

「うーん。静先輩の妹さんは、何時もツレねえ、っすねー」

「ふふ。きっと、君のダサさが気に食わないんだろうさ」

「えっ、そこっすか? つーか、アロハはダサくないっすよ!」


 おねーちゃんの裾を引っ張りながら、私は頬を膨らませます。それは、目の前の男の人、乙山(おとやま)まくらさんによって二人の時間が奪われてしまったからでした。

 折角二人で遊びに来たのにと、また現れたおねーちゃんの同僚らしい彼に、私は言います。そういえば、この人何時もアロハですね。


「服装なんてどうでも良いのですよ。それ以前に、おねーちゃんに粘着している姿がダサいです!」

「た、偶々っすよ。偶々」

「うっかり、日曜の予定を口にしなければ良かったかな。まさか、まくら君がボクとの偶然の出会いを演出するために、川園のセレクトショップ巡りまでするとは思わなかった」

「そ、そんなことしてねーっすよ」

「慌て様で答えが分かるね」

「しまったっす!」


 山を張った台詞によって真実を当てられ、乙山さんは慌てて金髪かき乱します。何だか、情けない人ですね。前世の私風に言えば、チャラくて軟派といったところでしょうか。

 いや、私は別にこういう人が居ても良いとは思います。けれども、おねーちゃんの隣に相応しいかといえば、ノーですね。もっと癒し系な人が嬉しいのです。


「それにしても妹さんは似てるけど、似てねえ、っていうか……ま、可愛いっすけどね」

「おねーちゃんに取り入るための、お世辞は要りませんよ?」

「いや、お世辞じゃなくてさ……伝わんねえっすね」

「そういう子なんだよ」

「なるほど、静先輩と一緒で面倒系の……あ痛っ」

「正直なのも、程々にするのだね」

「面倒とか言われました……むー、ですねっ」


 あんまり、おにーちゃんと言いたくない存在であるところの乙山さんは、どうにも口が軽い。世辞に、揶揄が少しの間に二つも出てくるなんて。

 これは、ぷんぷんですね。おねーちゃんがこそりと入れた肘の痛みくらいで、誤魔化されてはやりません。

 いや、良いところに入ったみたいで結構痛そうですね。大丈夫でしょうか。

 あ、駄目です。怒らないと。


「ってて……妹さん、百面相っすね」

「そういうところも、可愛いだろう?」

「……まあ静先輩の次点、っすけど」

「本当に、君は正直だねえ……」


 あれ、何だか二人の距離が狭まっていますね。どうしてでしょう。

 これではいけません。出来る妹としては、早く二人の仲を裂かないと。でも、胸が痛むので正攻法が良さそうです。

 そうですね、真っ直ぐ正直に行きましょうか。私は二人の間に割り込んで、胸を張ります。あ、当たってしまいそうになってしまったので、ちょっと横にずれてから、言いました。


「おねーちゃんが欲しければ、私を倒していくのです!」


 決まりましたね。前世の私的に、これは完璧なのです。何しろ男の子は戦わねば勝ち残れないのですから。


「……妹さん、結構アレっすね」

「でも、可愛いだろう?」

「……静先輩も、結構妹バカっすね」


 しかし、おねーちゃんは私をの横をすり抜け、仲良く二人で会話を始めます。むしろ、私の行動が二人の心を繋げてしまったかのような。

 どうしてでしょう。私は首を捻ります。




「ぐす」


 朝、私は老人ホームのお手伝いのボランティアで仲良くなった、益造(ますぞう)爺ちゃんの訃報にがっかりして、涙ぐんでいました。

 思い出します。益造爺ちゃんは、私がシーツ交換をした日には、大喜びで私の手を握りさすり、その都度ワーカーさんにエロジジイと叱られている、そんな元気な人でした。

 上がらない足が不便だと笑い、奥さんの趣味を継いだ折り紙が得意な方でもありましたね。そんな人がこの世にもう居ないなんて、悲しいです。

 益造爺ちゃんの性質を思えば、きっと幽霊になんてなることはないでしょう。割り切れる、方でした。


 しかし、私は割り切れません。こういう悲しい一報を聞いた毎度のようにぐすぐすしていると、そこにおねーちゃんが現れました。


「さあ、ショッピングだ。準備してくれないかい?」

「すん。分かりました……」


 有無を言わさぬ、その要請。しかし、私は文句もなしに、受け容れました。だって、おねーちゃんがこういう強引さを見せるのは、私がくよくよしている時に限っているのですから。

 おねーちゃんなりの元気づけだとは分かっています。それに、益造爺ちゃんが、私の悲しみを喜ぶような人ではないとも、分かってはいるのですよね。

 でも、悔しいのです。皆が、私のように来世を味わえるとは思いません。悲しくも、消えていってしまいます。キラキラ輝いた命の末が、それではあまりに勿体なくて。


「済んだか、よし、行こう」

「はい……」


 それでも、時間が悲しみをそそいで行くのはどうしようもないことです。のろりと、用意を済ませた私は、おねーちゃんのワゴンに乗り込みました。

 ちょっと車の中が、何時もの匂いと違いますね。僅かに、甘く香るような。私はおねーちゃんに訊いてみます。


「おねーちゃん。芳香剤、変えました?」

「気付いたか。なあに、毎日服を着替えるのと同じくらいとはいかなくても、偶には香りも変えないとね」

「……私の、ためですか」

「なあに。それがボクのためでもある」


 さらりと、おねーちゃんはそう言います。それは、とても嬉しいことですね。眦が、思わず緩んでしまうくらいに。

 でも、瞼に幾度も涙を零したゆえの腫れぼったさを覚えて、私は一度だけ、目を擦りました。




 で、気持ちを切り替えて挑んだショッピングの途中で、私は乙山さんに出会ったのですね。

 私そっちのけで、仲の良い様子の二人に、私はぐぬぬぬ、です。しかし、おねーちゃんと乙山さんは職場の先輩後輩の関係だそうですが、どうにもこの人モデルさんには見えませんね。

 アシスタント的な、アレでしょうか。ちょっと、訊いてみましょう。


「あの……」

「あ、ライバル山田さんだ!」

「乙山の兄ちゃんも居る。ひよこ、びっくり」

「七坂さんに五反田さんですか。おはよう……いや、こんにちはでしょうかね」

「おはこんにちは!」

「はー……」

「ん、俺を知ってるとは何奴っすか?」


 すると、その時に、買い物袋を両手にぶら下げてやって来たのは、市川君ファミリーの二人、七坂さんに五反田さん。重そうなので、差し支えなければ後でお手伝いしたいところですね。

 最近仲良くさせて頂いている二人に笑顔で挨拶をする私ですが、その横で何やら乙山さんが五反田さんの言を耳にしたのか、驚いた様子。

 そして、二人の目が合った時、両者に理解の色が走りました。


「なんだ、局長の娘さんっすかー。元気っすか?」

「ちょー元気だよ……ほら」

「すっげえへなってしてるじゃないっすか。相変わらず、ノー元気、っすね!」

「ひよこは……ダウナーさが売り」


 だるーんと気だるげな五反田さんと、へらへら陽気な乙山さん。そんな二人に繋がりがあるとはびっくりですね。

 というか、局長ということは五反田さんはおねーちゃんの上司さんの娘さんに当たるのでしょうか。奇遇でこれまたびっくりです。


「そういえば、君の歓迎会を開いた後、局長の家で二次会、酒盛りをしたとか言っていたね。その時からの仲、といったところかな?」

「そうっす。それから、奥さんにも雛ちゃんにも気に入られちゃって、何度か男衆で局長ん家に行ってるんすよ」

「ボクにお酒は無意味だから付いていかなかったけれど、これなら行けばよかったかもしれないね……」


 おねーちゃんが横目で、私達を見ます。それもそうですね。そうであれば、もっと早く五反田さんと仲良くなれたかもしれませんし。


「なんだよ、雛。お前、知り合いにこんな兄ちゃんが居たのかー」

「そう、乙山の兄ちゃんはお父さんの部下。……ひよこは、兄ちゃんが山田さんのお姉ちゃんと関係ありってことに驚いた」

「私も、驚きです! 五反田さんのお父さんはモデルさんを束ねる、芸能関係の方だったのですね」

「……多分、違うと思うなあ」

「えっ?」


 私は確信を持って五反田さんのお父さんが芸能プロダクションの方と思ったのですが、直ぐ様五反田さん本人に否定されます。

 首を傾げていると、答えが直ぐ隣から出てきました。


「ふふ。実はボクは兼業モデルだから。五反田局長は、本業の方の上司なのさ」

「そうだったのですかー!」

「……お父さんは、ハザードマップみたいなものを隠し持っていたから、多分、災害関係の仕事をしているみたい」

「なるほど、おねーちゃんの本業は、それだったのですか」


 意外や意外、実はおねーちゃんはモデルを掛け持ちでやっていたみたいです。更に、災害関係とは。

 災害が起きた度に衝動的に被災地に飛ぼうとする私にこんこんと現実を教えてくれる、その言葉は実感だったのだということですね。


「局長、書類持って返ってたんすか? 確か厳禁っすよね」

「まあ、良いように解釈してくれたみたいだから、気にしないでおこう」


 そう考えていた私は、大人二人のそんな会話が耳に入りませんでした。

 でも良く分からないままニコニコして、私は言います。


「なんだ。隠さずに、言って欲しかったですー。なら、応援しましたのに」

「なあに。星の気持ちは嬉しいが、人助けする人が助けられていては世話がないよ。自分のことは一人で出来て、一人前さ」

「でも、大変だったら、言って下さいよ?」

「その時は、勿論」


 私に合わせて、微笑むおねーちゃん。私も笑みを深めますが、しかし本当に困っていたら言って欲しいものです。

 おねーちゃんにはお世話になってばかりですから。少しでも、返したいところです。

 そんなこんなをしていたら、七坂さんが私の裾を引っ張って、言いました。


「私、蚊帳の外だったけど、麗しき姉妹愛はよく分かったよ!」

「七坂さんが、そう感じてくれのは、嬉しいです! でも……」

「……どうかした?」

「子供の頃は、おねーちゃんは隠れて正義のヒーローをしているものと思っていたのですよね。それに近いことをしているみたいなのは嬉しいですが、それだけに何だか複雑です」

「理想と現実、ってやつね!」

「……それに山田さんのお姉ちゃんがヒーローだったら、ひよこのお父さんもヒーローになってしまう」

「あはは。あのバーコードはヒーローって面じゃないよねっ」

「……みほ、屋上」

「なんで?」


 肉親を軽んじられたことに目つき鋭くして、制裁場として天井を指し示す五反田さんと、悪気一切なく故に理解も出来ずに首を左右にふらふらさせる、七坂さん。

 この二人、相性、とんでもないですね。きっとこのまま行ったら有耶無耶になるのでしょうね。対照的で、面白い組み合わせです。


「妹さん、意外と勘がいいっすね……」

「……はぁ、二度目は言わないよ」

「おぅふ」

「ああ、どうしてか乙山さんがくの字にひん曲がりました!」


 そんな喧嘩にもならないすれ違いを見ていたら、反対側で騒動が。そちらを見ると、乙山さんがひん曲がって床にピクピクと蠢いています。

 私は、疾く治療する場に運ぶために大きな彼を両手でひょいと拾って持ち上げました。そして、問います。


「大丈夫ですか? あ、動かしちゃいましたけれど、辛くないです?」

「いや、打つかって痛いだけっすけど……つーか、すげえパワーっすね。マジ、先輩と付き合うためにはこんなとんでもな子倒さないといけないんすか、俺……」


 乙山さん、結構筋肉質ですね。七十キロはあります。

 まあそれを抜きにしても、見た目だけでも私よりは体重のありそうな男の人を持ち上げれば、注目されるのは当たり前でしょうか。何やら人集りが。


「……この、無乳」

「えっと、貧乳?」

「何だか……ひよこたち、自己紹介しているだけみたい」


 そして、七坂さん達の対決も、中々人目を集めていました。

 聞くに、良く分からない口論ですね。可哀想なので、邪魔な胸の脂肪をちょっと差しあげたくなりました。


「ふふふ」


 周囲が私達を見て、騒がしい。何だかおかしなことになってしまいましたが、その隣でおねーちゃんが笑ってくれていたのは、救いでしょうかか。




「ボクと交換した敬語、似合ってきたね」


 夕焼け帰り道。赤ちゃんかごの中のように心地良い車内で、おねーちゃんはふと、私にそう言いました。

 ちょっと寝ぼけて、私は返します。


「好きな人が使っていた言葉ですから……ふぁ」

「そっか」


 寝ているのか起きているのか、夜か昼か、全てが曖昧。そんな半端な隙間にて、更に私は零しました。


「でも……やっぱり……ボクは……距離を作るための口調は……好きじゃない……な」


 それは、本音だったのか否か。落ちた言葉の意味まで、私には覚えられません。ただ、ぼうと、目を開いた中。


「そう、だよね」


 今にも泣きそうな様子のおねーちゃんの姿が見えたような、そんな気がしました。


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