⑤ 帰宿

 宿の自室に着くなり、ゴロゴロと転がって布団に入った。疲労が限界に達していた。


「行儀が悪いよ寂。靴くらい脱いだらどうなのさ」


「あ~」


 無理だった。体が言うことを聞かない。むしろお前はどうしてそんなに平気でいられるんだと言いたかった。今日だけでどんだけ歩いたと思ってんだよ。嵐山までめっちゃ遠かったぞ。


 わざとらしい溜め息と共に、連れがアタシの靴を脱がす。


「もう。寂は少し休んでて」


「あ~」


 やっと今日の御守りから解放されたという安心感から、即座に寝入るアタシ。


 次に目を覚ました時、辺りはすっかり暗くなっていた。たまに車の通る音が聴こえる程度で、駅の近くとは思えないほど静かだった。


「寝ちまったか。アタシはどのくらいくたばってた?」


「八時間くらいだね。今は午前三時だよ」


 と、隣から声がする。振り返ると、豆電球を点けた机の上で、熱心に何かを書き綴る連れの姿があった。


「何してんだ、お前」


「日記を付けているんだよ」


 アタシには目もくれずに、連れは淡々と言った。


「寂と一緒に過ごした時間を忘れないように。こうして書き留めているんだ」


「はっ。殊勝なこって。就職先は小説家ってか?」


「そんなんじゃないよ。ただ、忘れたくないだけ」


 と苦笑交じりに連れは笑って、アタシの方を見た。なんだかな、こうしているとアタシが子供で、連れの方が大人に見える。


「ねぇ、寂」と真剣そうな表情で、連れはアタシの顔を覗き込んだ。


「僕には青春っていうのがなんだか分からない。だけど今日も言った通り、僕は寂と一緒に過ごせるのがとても楽しいんだ。今まではこんな風に、ゆっくりと過ごせる時間は無かったから」


「……そうかい」


「だから、改めてお礼を言いたいんだ。ありがとう」


 連れは、アタシに向かって深々と頭を下げた。


「寂が来てくれなかったら、僕は青春に触れることも、人を好きになる気持ちも知らないままだったと思う。やっぱり寂は、僕にとって正義のヒーローだよ」


「やめろ。勘違いも甚だしいぜ。言っただろ、アタシは正義のヒーローなんかじゃねぇ」


「……そうだね。僕は何か、勘違いしているかもしれない。だけど」


 連れは一瞬だけアタシから眼を逸らし、すぐさま思い直したように、強い意思を持った眼差しで、射抜かんばかりの眼差しで、アタシを真っ直ぐに見つめた。


「だけど、この気持ちだけは勘違いにしたくない。寂。お願いだからこれからも、ずっと僕の傍にいてほしい」


「……はっ。安いな、お前の言葉はよ」


 付き合ってらんねぇな、とアタシは心の底から思った。


 下らねぇ青春。青くせぇ告白。それに延々と付き合わされる、こっちの身にもなってくれ。


「寂? どこに行くの」


「散歩だよ。ちょっと夜風を浴びてくる」


 言いながらアタシは、出口に立てかけて置いたモノを抱えた。

 そんなアタシの手を、小さな手が捕まえる。


「散歩ならそれは必要ないはずだよ、寂」


「必要さベイビー。こちとら、誰かさんに散々連れまわされたお蔭で、杖でもなきゃ満足に歩けないからな――ああ、一つだけ言っておくぜ」


 アタシは出来るだけ凄みを効かせて、連れに迫った。


「テメェが後を追って来たら、そんときゃ本当にここでお終いだ。分かったか? これ以上アタシを失望させてくれるなよ」


「……寂は」


 と、弱々しくでアタシに呼びかける連れ。申し訳なさと不安でぐちゃぐちゃになった感情が、むき出しになっているかのような表情だった。


「寂は、僕を置いてどこかに行ったりしないよね?」


「さぁな。ところでよ、こんな言葉を知ってるか?」


 扉に手を掛ける。

 背中に刺さる視線を振り払うように、アタシは言った。


「サヨナラだけが青春だ――ってな」

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