第7話 その果てに

「そんなんだから妻に見捨てられるんだよクソジジイ!」

 親父の拳を受け流し、腹に一発ブチ込む。親父が口から粘液を漏らし、崩れ落ちそうになる。下着姿で。


「俺に説教してる暇があるなら勉強しろやこのガキィ!」

 親父は崩れ落ちそうな体勢から、蹴りを繰り出す。無論、そんな体勢から放たれた蹴りに威力はない。俺はその蹴りをかわし、反撃する。

 一連の流れの際、視界の端にかつて俺がいた場所(親父のキン〇マ)が映って嫌だった。


「そりゃあ親父がネカマしてたら色々と思うところがあるだろうが!」

 渾身の右ストレート。しかし、それは親父に掴まれた。

「……それは、俺も思うところがある」

 しまった、と思った瞬間には。


「男手一人で育て上げた息子が、強く育てと言い聞かせてきた息子が、ネカマするとは思わないだろうがぁ!」

 親父の抉るような蹴りが俺の脇腹を襲う。ずどん、という衝撃が目の底を揺らす。

「……それは」


 親父の一撃は強烈だった。しかし、甘い。

「それは俺も言いたいわボケェ!」

 叫び、拳を放つ。俺の拳は、親父の顎に命中する。親父の眼鏡がはじけ飛ぶ。


「……なんでよりによって」

 二人、呻いてよろめく。

 二人の声が揃う。


「親父なんだ……」

「息子なんだ……」

 二人同時に、失意の声を漏らす。

 俺も親父も、その目には涙が浮かんでいた。


「……俺だってなあ」

 親父が涙声でぽつりと漏らす。

「俺だって、辛いんだよ……妻には浮気された挙げ句逃げられ、職場では居場所がなく、若い社員には影口叩かれ舐められ、上司にはいびられ……」

「それは俺だって……学校では上位カーストにいびられ、女子グループには気持ち悪いと陰口を叩かれ、それでもってオタクのグループにもなんかノリが違うから入り込めなくて……つらいんだよ」

 女性もの下着姿の男二人が、実生活の鬱屈をぶちまけている。

 地獄絵図であろう。


「…………やっとの思いでオフ会にこぎ着けたと思ったらこれだし……」

「誰がこれだ誰が」

「……だからもう、俺は……お前を……」

「その願いは、叶えさせられない。全力で、止める」


 そして俺がランプを手に入れる。願い事は、一つ。

 親父を真人間にしてくれということ。

 お前が言うか? と自分でも思うが、親父より多少はマシだと自認している。


「……ならば、戦うまでだ」

「……そうだな」

「俺は可愛い娘のために」

「……俺は、親父との日々を否定しないために、されないために……」

「「拳を交わし合うだけだ!」」

 俺たちの死闘が続く。


 双方、お互いの欠点をののしり合いつつ、殴り、蹴り、投げ、締める。

 これが他の部屋やロビーに響いていた場合、あの部屋、やたらプレイでハッスルしてるな、と思われるに違いない。

 十分近く俺たちは戦い、そして――。


「ぐっはあぁ!」

 親父が吹き飛び、転がり、壁にぶつかって止まる。

「……はあ、はあ……。俺の、勝ちだ……」

 俺はそう言ったあと、勝ちどきのごとき咆哮を上げる。

「……それは、どうかな」

「……何?」

「……これは、なんだと思う?」


 親父のすぐ近くには、ふうかさん(親父)が持っていた鞄がある。その鞄の中に親父は手を入れ、そして――。

「…………ランプ」

 親父はランプを俺に見せびらかすように持った。


「声が聞こえたから、そうかもと思ってたけど。……やっぱり、持ってきてたんだな」

「ああそうだ。万が一何かがあったときのためにな」

「…………それで、どうするんだ?」

「決まってる。願いを叶えるんだよ」

 親父はそう迷わず断言した。俺は少しずつ後ろに下がっていき、ベッドの近くに行く。


 そこには、スマートフォンがあった。

「……そうは」

 俺はスマートフォンをつかみ。

「させるか!」

 全力で投げる。高価なものをこのように使うのはいささか不本意なのだが、背に腹は代えられない。


「なっ⁉」

 俺の行為は親父の予測の外だったらしく、スマートフォンが親父の手に命中。親父はランプを取りこぼし、それを慌てて拾おうとする。

 俺は親父に駆け寄り、ドロップキック。俺も親父も吹っ飛び、ランプが転がる。


「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」

 俺と親父はにらみ合い、再び殴り合う。俺の拳が、親父の顎にクリーンヒットする。

 親父がふらつき、俺は――。


「いい加減、正気に戻れええええええ!」

 渾身のストンプキックを親父の腹に繰り出す。親父が吹き飛び、壁にぶつかって止まり、崩れ落ちる。

「…………ぐ、ぬ、ぬ」

 親父が苦悶の声を漏らす。


「……すまない。俺の未来のためだ」

「…………いや、いい。わかっている……俺が間違っていたのだと」

 親父は吹っ切れたような、安らかな表情を浮かべている。


「最初から間違っていたんだよ。ネットで性別を偽るなんて、しない方がよかった……そうだろ?」

「……そ、それはまあ」

 俺もネカマしてたから反応に困る。


「願い事は……もっと有意義なことに使うべきだった……世界平和とか、お前にもっと良い暮らしをさせてやりたいとか……」

「……親父」

「けど、俺は欲をかいちまった。……ネットで出会ったJKと再婚なんて……途方もない欲を……」

「そうだな、それは……ちょっと望みすぎだな」

 高望みしすぎて見果てぬ夢になっているが、それは言わないでおく。ついでに補足すると、おそらく法に触れると思う。


「……ランプは、お前に譲ろう」

 親父はそう言ってよろよろと立ち上がり、部屋の隅にあるランプへと向かう。

 ここに来て、俺は二択を突きつけられる。


 親父を信じて待つか、それとも親父を押しのけてランプを手に入れるか。


「親父、ここは俺が……」

 と言ったところで、目眩。俺はそのままベッドの上に座り込む。激闘の疲労でもう立っていられなかった。


「……大丈夫だ、信じろ。俺はもう道を間違えない」

 親父はゆっくりと歩く。先ほどとは全く違う、落ち着いた声。その声を聞いて、俺は親父を信じようと思った。


「……もう、幼妻が欲しいとか思わない。血の繋がらない娘と結婚したいとも。俺の人生を全てやり直したいとか、俺という存在がいた痕跡を抹消して、美少女としてやり直したいと――あっ」

 がっ、と親父が足を引っかける。親父の歩みを邪魔したのは、俺が先ほど投げたスマートフォンだった。


 親父が崩れ落ち、倒れる。親父は横たわっていた。その手に、ランプをしっかりと掴んで。

「親父っ!」

 俺は思わず、親父に駆け寄っていた。

「願いは承知しました」

「えっ」

「えっ」

 俺や親父のものではない声が響き、俺と親父が困惑の声を上げる。

 そして――。

 白い光が部屋を包み込み、俺の意識はそこで途絶えた。

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