第6話 実は私は……
ピーピー、というアラーム音が鳴った。なんだろうか、と思い目を開く。
「お試し期間終了……お試し期間終了……。次の願い事のみが確実に叶えられます……」
という声が聞こえてくる。俺のものでもふうかさんのものでもない。
しかし、俺はこれに聞き覚えがある。
あの、魔法のランプの声だった。
まさか。
と思った瞬間、ぼふん、と煙が立ち起こる。突然のことに呆然としていると、少ししてその煙が晴れた。
「……な」
目の前の景色を見て絶句する。
俺の目の前には。
「なんじゃあ、こりゃあ!」
目を閉じてキスを求めようとしている――。
一人のおっさんがいた。
「なななななな、どうして」
驚き、飛び退く。ベッドから落ちて腰を強かに打って悶絶しつつ、おっさんが怖いので退避する。
というか。
痛みに悶える頭の片隅で考える。
さっきの俺、元の声に戻っていなかったか?
ごろごろと転がり続けて、壁に衝突して止まる。立ち上がる。
俺の目に映ったのは、ベッドに腰掛けて呆然としているおっさん.
いや、違う。
このおっさんは――。
「お、親父……」
親父だった。比喩でもなんでもなく、文字通り親父だった。
そいつは俺の父親だった。
日々の勤務でくたびれた男が、女性用下着姿でそこにいた。
美少女の姿で美人な女性とにゃんにゃんすると思ったら、その美人な女性の正体は自分の父親だった。
端的に申し上げて地獄である。
驚いているのは、相手も同様だった。親父は目を丸くして、俺を見ている。
「……お、お前は」
親父はそう言って、俺の名を叫ぶ。俺も「親父!」と叫んだ。
というか、と自分の状態を確認するために浴室へと走る。
「……お、おう……」
そこには、女性ものの下着を身につけた男が立っていた。
ブラと胸にはがばがばの隙間が出来ており、ショーツには男の象徴であるそれがやたらもっこりとして気持ち悪い。
というか、片方から袋がはみ出てるしさらに気持ち悪い。
「……お前、どうして」
親父がそう言って浴室に入ってくる。中年太りした腹がショーツを隠しているが、俺と同様に袋がはみ出ていた。
両者、率直に言えば気持ち悪い。
目を覆いたくなるような、この世の終わりのような、そんな不気味な構図が、ここに展開されていた。
「親父こそどうして……」
「い、いや俺は……。いやむしろお前こそ」
「いや親父こそ」
「ええいお前こそ」
「何をう親父こそ」
あ、これ埒が明かないやつだ。そう思った俺は、とりあえず話を進めることにした。
「魔法のランプで変身してた」
そう親父に告げる。親父は腕を組んで目を閉じる。ブラとショーツ姿で。
「……願い事が残り二つになってたから、そういうことか……」
「……っていうか、アレ買ったの親父かよ」
「そうだが」
きりっとした表情で言う親父である。そこは胸を張らなくていいとこだぞ。
「……願い事が解除されたんだが? 親父、知ってるか」
「たぶん、最初の二つはお試しで、最後の一つだけが本当に叶えられるんだろ」
さっきランプが言っていたことを、そのまま復唱する親父である。
「説明書とかに書かれてたの?」
俺がそう尋ねると、親父は「いやなんとなく」と返す。曖昧だなあ。
けれど、ランプからそのような音声が聞こえてきたということは、そういうことなのだろう。
そういえば、と俺は一つ親父に問うことにした。
「……なんで俺の名義で買った?」
「……いや、自分の名前だと恥ずかしかったから……」
そう言って親父は俺から視線を逸らす。俺はなんかもう胸中複雑すぎて、どう感情を発露して良いかわからず、俺も親父から視線を逸らす。
「……いやまあ、俺も使った身だからそこまで強く言えないけどさ」
そう言って、自身の父親を見る。中年太りした体に、淡い色のブラとショーツが実に悲哀を醸し出す。
「なんていうか……その……はぁ」
ため息が漏れる。
「ため息を吐きたいのはこっちの方だよ。自腹で買ったランプの願い事は一つ使われるし、男手一つで育てた息子が……まさか……そんな……」
親父はそう言って項垂れ、顔を覆う。
俺がそうしたい気分だよ。
というか、なんでこの人は被害者面をしているのだろうか。そう思うと、次第に腹が立ってきた。
さっきまではあんなにも心の中が幸せで満ちていたのに、今はひたすらに虚無である。
「こっちこそ、まさかネットで出会った美人の正体がまさか自分の親父だなんて、夢にも思わないだろうが! 俺の気持ちを考えろよ! どうしてそんな……どうして……」
あまりにも情けなくて、泣きそうになる俺である。
「馬鹿野郎!」
親父はそう叫ぶ。誰が馬鹿野郎なのかか。俺だろうか、それとも親父自身だろうか。多分両者だな。
「まさかネットで出会ったJKの正体が、ネカマしてる自分の息子とは思わないだろ!」
「それはこっちもだよ! 頼むからまともに生きてくれ! こんなんだから離婚するんだよ!」
と言ったところで、しまった、と思った。さすがに言い過ぎだろうか、と。
現に、親父は俯いてしまっている。明らかに消沈しているようだった。何かフォローの言葉を入れるべきなのだろうが、どう声をかけて良いのかわからない。いろいろな意味で。
「……離婚の原因は、そもそもあの女……お前の母さんがだな」
自分の元妻を『あの女』呼ばわりと来た。
「……母さんが、どうしたよ」
俺は自身の母親の顔を覚えていない。それどころか、名前すら覚えていない。そんな相手を、親父はおそらく憎んでいる。二人の間に何があったのだろうか。
「……あいつが、浮気をしていたんだ。家に帰ると……あいつが男と寝ていた……」
「お、おう……」
まさかこの状況下でこのような重い話を暴露されるとは思わなかった。
「で、どうしたんだよ」
「俺は……逃げた」
そこは逃げたら駄目じゃないか、と思う。なんかこう、色々とやるべきことがあっただろう。
「証拠とかは?」
「押さえてない。その昔は携帯電話とか無かったからな」
「……なるほど。けどさあ、怒る、とかは出来たんじゃねえの?」
「……怒れなかった」
「どうして?」
「……お前の母さんが怖かった。あと、お前の母さんと寝てた男も外見怖かったし……」
一体俺は、どうして何年越しかわからないほど遠い昔の、親父の情けない話を、女性ものの下着姿で聞いているだろうか。
「裁判とかは?」
「ああ、訴えようと思ったよ……けどな」
「けど?」
「もし離婚したとしても、他の人と再婚できないんじゃないかなって……。だったら、そのまま、なあなあの関係で居続けた方がいいんじゃないかなって……そのときは思ってたんだ」
「……お、おう」
自分の父親ながら、あまりにもあんまりな思考回路に涙が出てきた。
「そのときはってことは?」
「……まあ、お前も知ってるとおり、俺は離婚してるだろう?」
「う、うん」
「少しして家に帰ったんだよ」
「……うん」
「書き置きがしてあって、『あなたといてもクソつまらないので二度と帰りません』って」
「……………………それで、終わり? 俺は」
「ああ、それで終わりだ。お前はなんかベビーベッドに放置されてた」
「…………そう」
少なくとも母親から俺への愛情はなかったのだなあ、とその話を聞いて思った俺である。
「……でも、親父は俺を育て上げてくれたじゃないか」
「そ、それはそうなんだが……」
俺の言葉に、親父は気まずそうな表情を浮かべ目を逸らす。
嫌な予感がした。聞かない方が良いだろうが、聞きたくなってしまう自分もいる。
「……何か事情が?」
「いや、その……、お前をちゃんと育てないと、仮に死なせると、犯罪になるのかなーって思って」
「……そ、そう……」
俺の人生とは一体何なのだろうか、と思わざるを得ない発言だった。
母親には見捨てられ、父親には後ろ向きに育て上げられ、陰気な性格に育ち、ネカマをしてオフ会に行けば、同じくネカマをしていた父親と遭遇する。
なんかもう全てが嫌になってきた。
「……でも俺はお前を必死に育てたよ」
「お、おう」
さっきまでの話を聞くと、消極的に育て上げられたとしか思えないので、反応に困る。
「…………そんな息子が、まさかネカマだったなんて……。しかもオフ会で遭遇するなんて……思いも寄らないだろ」
その言葉、細部を変えて、大まかな意味はそのままで、お返ししたい。
「……もう俺は人生が嫌になっちゃったよ」
その言葉も、そっくりそのままお返ししたい。
「…………俺の人生って、一体何なのかな……」
その言葉も略。
親父は項垂れる。悄然としている様子の親父は、やけにちっぽけに見えた。
事実、人間としてのスケールはかなり小さいのだろうけど。
「…………そうだ」
しばらくして、親父がぽつりと漏らす。
「……それがいい」
親父は何かを納得したように、そう独りごちる。
「……何が?」
とりあえず尋ねてみる俺だった。
俺の問いを聞いて、親父は顔を上げる。
その顔は憔悴しており、その瞳には振り切ってはいけないものを振り切ってしまった人間に特有の、いやにぎらついた光が浮かんでいる。
「……簡単な話だよ。ランプの願い事は残り一つ」
「……だから?」
「…………俺は――」
次の瞬間、親父は正気を失ったのかと、耳を疑うようなことを言うのだった。
「今からお前を無垢で何も知らなくて俺のことが大好きな美少女に変えて貰う」
「……は?」
俺、絶句。
「お父さんだーいすき! とか言って無邪気に抱きついてくる美少女に変えて貰おう。うんそれがいい」
何が良いのか、と言いたい俺を無視して、親父は自分が先ほどまで持っていた鞄の方に立って向かう。
いや、ちょっと待て。
「ストップストップ! 待て話をしよう!」
「問答無用。俺の人生を肯定可能なものにするためにはこうするしかないんだ」
聞く耳を持たない親父であった。仕方ない、と俺は実力行使に出ることにする。
拳を構え、親父を見据える。
「……それ以上動けば、そのベッドの上に沈める」
ドスのきいた声で親父を脅す。女性もの下着姿で。
「……ほう、やってみろ青二才。父親をそう易々と超えていけると思うな」
親父は天地上下の構えをして俺を見据える。女性ものの下着姿で。
ここに、俺と親父の、誇りと尊厳と、そして未来をかけた戦いが始まろうとしていた。
……両者、女性ものの下着姿で。
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