第3話 指先のクリーム 

 俺とふうかさんは遊ぶ。


 昼食はなにやらオシャレなイタリアンレストランに行った。

 そのあと服を見に行き、オシャレな雑貨店に行った。

 あとは本屋に行ったり、そんなこんなで時間を過ごした。


 これら全て、ふうかさんが連れて行ってくれた。

 ふうかさんは、さすが大人の女性というか、色々と遊ぶところや見るところを知っており、そして適度に気を遣ってくれているのがわかるような言動をしてくれた。

 これが大人か、と尊敬する。それと同時に、俺の心の奥底にあった仄かな温かい気持ちも、その温度を高めるのであった。


 途中、喫茶店に寄った。俺もふうかさんも歩き疲れたので、一休みを兼ねて軽食を取ることにしたのだ。

 店内に入り、俺はパフェを、ふうかさんはチーズケーキを頼む。少しして、コーヒーと一緒にそれらが運ばれてきた。

「あはは、歩き疲れたでしょ」

 ふうかさんがコーヒーを一口飲み、笑みを浮かべる。

「えっと……、それは、確かに」

 履き慣れていない靴を履いている分、歩くのに余計な体力を使う。なので、ふうかさんの言うとおり、疲れていた。


「私も歩き疲れちゃった」

「そうなんですか? 見ている限り、余裕のような」

「そうでもないよ。……まあ、日々の仕事で歩いたり立ったりで動き回ってるから、それで体力がついてるってのもあるのかな」

 ふうかさんはそう言って、力こぶを作ってみせる。細い腕に滑らかな皮膚が印象的である。


「なるほど……。えっと、お仕事は何を?」

「……まあ、簡単な事務職よ。スーツ着て、書類作ったりして、みたいな」

「なるほど……」

 ふうかさんはそう説明したけれど、俺の中ではいまいち具体的なイメージが浮かばない。たまに見るドラマであるような光景だろうか?


 俺たちはケーキを食べ進める。その間、言葉を少し交わす。

「そう言えば」

 とふうかさんが切り出す。

「なんでしょう?」

「何人姉妹? 姉弟?」

「あ、えーと……」


 家族構成についての質問。俺は少し心の中に苦いものが生まれているのを自覚する。

 というのも、俺は父子二人きりの父子家庭だからだ。幼い頃、母は家を出てどこかに行ったと聞いている。


 親父は母が出て行って以来、家の外では父親として、家の中では母親代わりとして、俺を育て上げてくれた。

 その点、俺は親父に感謝しているし、俺が親父の立場になると、そんなことはできないだろう。

 きっと、働くことだけでも大変なのに、子育てもするとなると、さらに大変に違いない。そんなこと、俺には到底出来そうにない。


 親父は俺に『強く育て』としきりに言っていた。

 だが、俺はその言葉に応えることなく、それどころか、性別や姿を偽って、他人と関わっている。

 そう思うと、俺は一体何なのか、と自己嫌悪に似た気持ちが浮かび上がってくる。俺はそれを飲み下して、ふうかさんの言葉に返した。


「えっと、一人っ子です」

「あ、そうなんだ! いや、てっきりお姉さんなのかなって」

「……どうしてですか?」

「いや、のまのまさん大人びてるし、落ち着いているし」

「それは買いかぶりですよ」

 笑って返してみせる。大人びているというのはよくわからないが、落ち着いているように見えるのは、単に借りてきた猫状態になってるからだろう。


「ふうかさんは何人姉妹なんですか?」

「私は弟が一人」

「あ、弟さんいるんですか」

「そうそう。いるよー」

 と言ったところで、ふうかさんは微かに苦笑を浮かべる。


「とはいえ、ちょーっと将来が不安というか」

「というと?」

「ちょっと引っ込み思案な子なんだよね。えっと、高校生なんだけどね、学校から帰ってはずっとパソコンを見ているような。だから目が悪くなっちゃって」

「……なるほど」

 耳が痛かった。今の俺はさておき、普段の俺はちょうどそんな感じだ。学校から家に帰るとネットを巡回し、眼鏡のレンズにブルーライトが反射しているような。


「まあ、私も人のこと言えないんだけど」

 ふうかさんは困ったように笑い、眼鏡のズレをなおした。

「いやいや、そんな」

 俺は慌てて否定する。

「そんなことあるよー。仕事から帰ったらパソコンの前に座りっぱなし、なんてことよくあるし。……仕事でもパソコンに釘付けなのにね」

 ふうかさんはそう言って微笑んだ。


「のまのまさんは学校から帰ったらどんな感じなの?」

 何気なく投げかけられたその問いに、俺は固まる。

 どう答えるべきなのだろうか。ありのままを言うべきか、それともこの外見らしいことを言うべきか。


 ……この外見らしいことを、なんとかでっちあげて言うことにするか。

 そこまで考えたところで、しかし、と俺は思いとどまる。

 無理に俺がそんなことを言っても、ふうかさんみたいな大人の女性には見抜かれてしまうのではなかろうか。

 ならば、安全策を取るべきだった。


「……私も、そのー、そんな感じです」

「帰ってパソコンに釘付け?」

 首肯して返す。


「なるほどなるほど。まあ、あれだよ? 視力とか気をつけてね?」

「あ、それは……はい。それはそうと、なんですけど」

「どうしたの?」

「……ふうかさんは、弟さんがそんな感じで、どう思うんです?」

「どう、か……」

 俺の問いに、ふうかさんはしばし思考する。


「率直に言うと――、もうちょっと外に出たら? とは」

 ……ふうかさんのその言葉は、俺の心に突き刺さった。

「……なるほど」

「あ、別にのまのまさんのことを言ってるわけじゃないからね?」

 俺の声色が沈んでいたことを察したのか、ふうかさんはフォローを入れてくる。


「あ、いや、そんな」

 俺は慌てて返す。

「でもまあ、若いんだし、色々と体験した方がいいのは確かかな」

「それは弟さんと……、私ですか?」

「あはは、どうだろね」

 言外に二人とも、と言われているようなものだった。


「まあでも、焦ることはないよ。ゆっくりと、そういうふうにしていけばいいんじゃないかな。君たちは若いんだし、うん大丈夫」

 ふうかさんはそう弾むように言って、にっこりと笑った。ふうかさんが纏う余裕を持った雰囲気、その口調、その笑顔に、俺は魅了される。


 例えば――。俺は詮の無い思考を展開する。

 ふうかさんが姉だったら、どうだろうか。この人が毎日家にいることを考えて、胸の中にぬくもりがこみ上げてくる。

 そんなことを考えても仕方が無いけれど、と俺は自分の思考を一笑に付す。

 けれど、そんなことを考えるということは、俺は心のどこかで、甘えられる存在を求めているのだろうか、と思った。


「……というか、さっきから思ってたんだけど」

「なんでしょう」

「クリーム、ほっぺについてるよ?」

「え、どこですか?」

 俺は慌てて口元を拭おうとするも、ふうかさんに手を掴まれて止められる。


「な、えと」

「服、汚れていいの?」

「あ、それは困ります」

「でしょ?」

 ふうかさんは笑みを浮かべて、俺の頬に指を伸ばす。指先が頬に触れ、頬を撫でる。


「ほら」

「あ、ほんとだ」

 ふうかさんの指先には、クリームが付いていた。

 ふうかさんはそのクリームを拭き取る――のではなく、舐め取った。

 そして、にっこりと笑い「美味しい」と感想を述べる。


「あ」

 俺は小さく声を漏らす。これってアレじゃないですかね、よく漫画とかアニメとかのデートシーンであるやつ。なんかこう……アツアツなやつ。

 っていうか、これを不意打ちのようにやられると破壊力が高いんだな、と思う。俺は自身の頬がかつてないほど紅潮しているのを感じた。


「き、汚いですよ?」

「大丈夫。のまのまさんみたいな可愛い子のものだったら、むしろ毎日でも舐めたいぐらい」

「……それはちょっと怖いです」

「じょ、冗談だってば冗談!」

 そんなやりとりを俺たちは交わすのだった。

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