第2話 現実世界でこんにちは

 さて、しばらくの間、俺はこの容姿を堪能した。

 そりゃあもう、思う存分堪能した。


 とりあえず男子用の制服を着て、預金口座から金をありったけ降ろす。

 服屋に行って買いたい服を買い、下着屋に行って可愛い下着を買い、なんか可愛らしい感じの店に行って香水や小物を買った。


 ちょっと大きめの服を買い、鏡の前に立ってみる。袖が掌の半分近くを覆っていた。サイズが合わないためである。

 ちなみに、このような服装の状況を、我々の業界用語では萌え袖と呼ぶ。男のときにやったら、自身の正気を疑いたくなるような状況になるだろうが、今の俺は美少女だ。故に許される。

 可愛いは全てを肯定するのだ。


 そんなこんなで、俺は服を買っては着、着ては街を歩いて男どもの視線を感じ、そして新しい服を買う……。ということを一日中やった。

 最高に満足した。


 そして。


 今日のオフ会に至る。

 今の俺は、美少女である。自分で一番気に入っている服を着ている。道行く男たちの大半が俺を一瞥していくが、そんなことはどうでもいい。


 とりあえず、緊張していた。

 ちゃんと振る舞えるか、という点もそうだが、それより何より。

 相手がどのような人なのか。それが問題だ。ネットで知っているような人柄だったら良いのだが、と思っていると。


 前方から一人の女性が歩いてきた。

 その女性は漆黒の髪をセミロングぐらいで切りそろえており、前髪を七三に分けて額を露出させた髪型だ。

 双眸は整っており、切れ長のつり目。輪郭はしゅっと細く、鼻筋はよく通っている。

 口唇は椿の花のように紅く、小さく綺麗な形をしていた。

 身長はおそらく一六〇センチ台後半だろうか。春物のロングコートに、黒いスラックス、レザーシューズを履いている。


 端的に言えば美人だった。その人を見て、もしかして、と思う。

「こんにちは」

「こ、こ、こんにちは」

 動揺して、舌が上手く回らない。

「えーと、人と待ち合わせしてるんだけど……」

 待ち合わせ。その単語に、脳が反応する。この人が、まさか。いや、きっと。

 勇気を出して、俺は口を開く。


「えっと、その……の、のまのまです……」

 俺がネット上の名前を名乗ると、その女性は目を丸くした。

「のまのまさん! 私です、ふうかです!」

 俺はやはりか、と思い目を見開く。


「はじめまして!」

「はじめまして!」

 期せずして、同じタイミングで同じ言葉を発する。二人して顔を合わせ、苦笑。

 ふうかさんは、ぱっと見はクールビューティーといった風貌なのだが、今見せた苦笑はとても愛嬌のあるものだった。


「え、ええと、その」

 何か言おうとするが、緊張して舌が回らない。

 そんな俺とは違い、ふうかさんはぱあっと花開くような、そんな明るい表情を浮かべて俺を見る。

「いやー、それにしてものまのまさんがこんな可愛い子だったなんて!」

 ふうかさんが言い放ったその言葉に、俺はくらくらする。

 いや、ふうかさんが言及しているのは今の俺の姿だ。実際の俺の姿ではないのはわかっている。


 けれど、人生で初めて言われた可愛いという言葉に、俺は酩酊する。少し刺激が強すぎたみたいだ。

「ふうかさんも、その、えと」

「緊張しないでいいですよ」

 ふうかさんが柔らかい微笑みを浮かべる。それは大人の余裕が垣間見えるような表情だった。そんな表情を見て、少し、心が安らぐ。


「……その、綺麗、ですね」

「あはは、お世辞が上手で」

「いやいや、お世辞なんかじゃ……」

 と俺が返すと、ふうかさんはにっこりと笑った。

「ありがと。こんな可愛い子にそう言ってもらえるなんて、今日は幸せな日ね」

 ふうかさんはそう言って、もう一度、笑みを浮かべる。俺はその笑み、その言葉に、自分の頬が紅潮するのを感じた。


 俺の心の片隅には、このような疑問がある。お前はふうかさんを偽っているだけではないか、と。

 その疑問に対して、俺は返す言葉がない。でも、それに打ちのめされるわけでもない。


 確かに、俺は嘘つきだ。ずっと、SNS上で嘘をついてきた。

 今も、嘘をついている。外見を、偽っている。

 けれど、目の前にいるふうかさんには、今の俺の姿こそが真実なのだ。だから、この嘘偽りを貫き通そうと思った。


 …………別に、美味しい思いをしようとは思ってないですよ?

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