Rain

sister

Rain


 とある夏、近付く台風のせいで大雨の降る日。


──こんにちは。


 ふと、そんな声が聞こえた気がして、


──いらっしゃいますか?


 その声で確信し「結構です」と断るためにドアを開ける。 

 他に誰が尋ねてくるものだろうか。


 だが、どうやら予定調和というものはある日いきなり瓦解するものらしい。

 アパートのボロく錆びたドアが開く音の向こうに見えた女性の顔は、

 俺を見るや否や――嬉しそうに、笑った。


「……あの、どちらさま?」


 問うと、彼女は『白伊しろい』と名乗った。

 それと、この雨が止むまでしばらく雨宿りをさせてほしい、と。


 白伊の見た目はおそらく二十歳程度。

 顔は色白で美人だが、この台風だというのに白のワンピースと白の帽子姿だ。

 あるいはどこかおかしな人なのかと訝しんだが、何れにしろ外は暴風雨、いくら昼間だとはいえ雨の中へ押し出すわけにもいかず、俺はしぶしぶながら彼女を自室へと招き入れた。


「……着替え、丁度いい物がないから、君の服が乾くまで、そこに積んである俺のワイシャツとか適当な履物で我慢してくれ」


 俯きながらも俺の顔をちらちら窺う彼女にとりあえず着替えとタオルを渡し、そのまま風呂場に押し込む。「……ありがとう、ございます」という微かな声と衣擦れの音を背中で聞き、俺は窓際にあるベッドの上へ座り込んだ。


( 単なる雨宿りとはいえ、あんな美人さんが家を訪ねてきて、しかも風呂場でシャワーを浴びている…… )


 そんな事実にうまく現実感を得られぬまま、俺は窓越しに見える空を眺めて過ごす。


 そしてしばらくシャワーの音が聞こえた後、彼女が俺のYシャツと柔軟素材のズボンを履いて出てきた。かれこれ二年は使っている寝間着だが、まさかここにきて女の子に履かれるとは当のズボン本人も思っていなかっただろう。


「まぁ……、とりあえず適当に座って、自由にしてくれ」


 そう彼女に伝え、了解の意思を受け取った俺は、ベッドの上で後頭部に窓ガラスの冷たさを感じる。彼女は俺の正面、ベッドから少し離れた平クッションの上にちょこんと正座しているが、正面から向かい合うのはなんとなく気が引けた。俺は目を瞑り、何も考えないようにしながら雨の音を聴く。


 まさかこんな雨の日に、あんな美人さんがやってくるとは。

 何度考えても信じられない。

 なにせ、これまで雨の日にはあまりいい想い出が無いのだ。

 ネガティブな考えばかりが先走ってしまうのも仕方がないというものだろう。




――――――――、




 俺は反射的に目を見開く。


 雨の音で嫌な記憶を思い出したせいか、聞こえるはずのない鳴き声を聞いた気がした。そして、ふと正面にいる彼女に目を向けると、彼女はまださっきと同じ位置、同じ正座の姿勢で、俺をじっと見ていた。


「……どうかした?」


 問うと、彼女は首を横に振る。


「……寒くない? 寒かったらエアコン点けようか」


 首を横に振る。


「……まぁ男の部屋だから警戒するよな」


 横にブンブン振る。

 どうやら口数の少ない子のようだが、せっかくの来客だ、放っておくのもどこか落ち着かず、俺はぎこちなさを自覚しながらも、彼女に言葉をかけてみる。


「……もしお腹空いたり喉乾いたら、冷蔵庫のもの自由に食ってくれていいし、もっと寛いでくれていいよ」


 そう言うと、彼女は嬉しそうな笑みを表わし、コクリと頷く。


「もしかして、お腹空いてる?」


 だがこの問いには、しばしの逡巡はしたものの、首を横に振った。


( ……いかん、何を考えてるのかさっぱりわからん )


 俺自身、初対面で誰とでも仲良くなれるほどコミュニケーション能力に優れている訳ではない……が、それを抜きとしても、彼女の考えている事がよくわからない。


 為す術のなくなった俺はとりあえず「まぁ、自由にしてくれていいから……」とだけつぶやき、そのままベッドに倒れこんで、また逃げの構えを取ってしまった。


 こんな体たらくだから誰も遊びに来ないのだ。

 そう半ば自虐的な事を考えていると、



 ぐぅー……



 腹の音?

 俺の腹から出た音ではないという事は、今もう一人いる人物によるもの。女の子もやっぱりお腹空くんだな、などと暢気な事を思いつつなんとなしに目を開けると、視線の先の彼女は頬を真っ赤に染めていた。腹の音を聞かれたのが余程恥ずかしかったのだろう。


「……チャーハンか何か、作ろうか?」


 無視するわけにもいかずそう声を掛けると、彼女はまた嬉しそうにうなずき、しかしハッとしたようにまた頬を染めて俯く。これは案外面白い子なのかもしれない。


 そうして、できあがったチャーハンは予想以上に好評だった。ぎこちないスプーン使いすら気にならないほど、一口一口、彼女はゆっくり丁寧にスプーンを口に運び、味わい、目を輝かせていた。


 まるでチャーハンなど食べた事が無いようなリアクションに、思わず俺も笑みがこぼれた。「そんなにおいしいか」という問いにも、彼女は口をもぐもぐ動かしたまま、何度も、何度も、嬉しそうに頷いていた――。



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