いつもの日常
二〇六〇年 五月 二日
一時期近未来を舞台としたSF映画などで話題となっていたホバーボードは、今では自転車の代わりの移動手段として利用されている。(と言っても、旧来のセグウェイや自転車を利用したがる人も多い)
ライトカーの場合、レールと車の思念式をリンクさせることによってエネルギーが逃げるのを防ぎ、その上で安全性をキープしていたのに対して、ホバーボードはもっと簡易的な加減速の思念式によってホバーの出力を微調整し、どの時でも安定したバランスを維持している。ライトカーと違い地面と結びついているわけではないので、足元を掬われて転ぶなどの事故のリスクもあるが、道という道すべてに反重力制御の思念式を書き込むのは物理的にも資金的にも無理があるだろう。
朝七時帯の東京都は当然の如く行き交う人々の雑踏が激しい。出勤するサラリーマンがファーストフード店やコンビニのレジに列を作るのは日常茶飯事。オレンジレールの上には大量のライトカーが川を流れる水のように入り組んだ道を駆け抜けていく。
しかし、ライトカーや電車が主な出勤、通学方法になったことで、歩いて仕事場に向かう人は特に苦な思いはしていない。
浪川もその一人だった。ホバーボードの速度にしては危なっかしいスピードで人ごみを縫う。近年ホバーボードの二人乗りや速度の出し過ぎ、並列走行による前方不注意の事故が後を絶たない。
浪川も何度かお巡りさんの御用にかかったことがあるがなぜか一度も接触事故を起こしていない。
ひとしきり疾走した後、盟誓学園が見え始めたあたりで少しずつ減速し始めた。このへんに来ると速度にうるさい交通整備のおばちゃんが出始めるので、いくら歩いている人が少なくても安全運転でやらざるを得ない。
突っ切れないもどかしさを貧乏ゆすりで誤魔化していると、左方面から聞き覚えのある声が聞こえた。
「おーい涼介ー!生きてるかー!」
「浪川さーん、おはようございまーす!」
「渋谷に関川か、おはよう」
彼にホバーボードで近づいた、茶髪で軽めのノリの少年が
「寝不足か?昨日も随分と木下に絞られてきたみたいだな」
出会い頭早々にからかわれ、渋谷は苦い顔をし、負けじと言い訳を返す。
「しかたねーだろ、いくら成績悪いからって、あんな量の宿題やってられっかっての!ケンにも相談したんだけどよ……なんも教えてくれないし、ひどいんだぜ!」
「神谷さんはそんな意地悪をする人ではございませんよ。それ、ただ渋谷さんの頼み方が悪かっただけではないのでは?」
「お前がケンにゾッコンなのはわかるけどよ、あいつはお前が思ってる以上に……」
渋谷がさりげなく口走った皮肉に、関川は急に慌てて、過敏に反論する。
「え?ちょ、ちょっと待ってください!何ですかゾッコンって!セクハラです!訂正を要求します!訂正を!」
「うっせー事実だろ!事実指摘しただけだっての!」
優等生気質の関川と、学生気分真っ只中の渋谷。
仲が良くても少し犬猿の仲になりがちなのは、仕方ないだろう。
「あー喧しいぞ……また補修で居残りか?そりゃ神谷も嫌がるだろうよ」
「あーあ!全く何のために技術科に
「わからない部分がありましたらお教えしましょうか?化学と数学は得意ですよ」
「お前は委員会の仕事でそれどころじゃないだろう?気にすんなって、浪川に頼むから」
「俺かよ!」
この学校では、主席入学した生徒は必ず生徒会役員につく事が義務付けられている。現に今まで主席を務めた生徒は、必ず生徒会の重要役員としてこの学校を卒業している。
盟誓学園は選挙や指名ではなく、成績で人を判断するきらいがあるのは、よく言えば実力者が勝てる世界、悪く言えば落ちこぼれは勝てない世界という事だろう。ここでは成績の良い生徒を中心とした教育プログラムが組み込まれている。好成績を残す生徒を強く優遇し、低い生徒には真逆の待遇が待っている。
優秀は当たり前、それ以上の優れた技術こそ至高。科学が急激に発展し、倫理観をも巻き込んで生まれたその科学至上主義の思想は、良くも悪くもこの時代を生きる人達の一つの指標となっている。
「浪川はいいよな~。特に勉強なんてしてねえのにそこそこの点数が取れてよ」
「してないわけじゃねーよ。ガリ勉メガネの神谷くんが一方的に色々教えてくるだけだ」
「おいおいお前だけずりーぞ!俺も一緒に勉強会呼べって!」
「ちょ、おい待てって!運転したまま肩どつくな!」
「もう、危ないですよ。二人とも」
蚊帳の外においてしまっていた関川を話の輪に引き戻すように、浪川が世間話を振る。
「関川はどうなんだ?生徒会の仕事は」
「最初は活動の規模の大きさもあって、慣れないことが多かったです。でも、会長が私のことを気にかけてくださったおかげもあって、今は結構楽しいですよ」
「雑用でもいいから、手伝えることがありゃ俺……じゃなくて渋谷に頼めよ」
「俺かよ!」
既視感あるツッコミを、渋谷が返す。
「色々気遣ってくれてありがとうございます、浪川さん」
はにかんで優しく返事を返す関川。入学式の日に壇上で見せたような機械的な笑みではなく、比較的素の部分が多い笑顔。
比較的なので完全に素ではなかったが、口角を大きくあげて笑うのは下品だと彼女は思っているからか。
並列走行にならない程度に縦に並んだ三人は、校舎に到着するまで雑談に花を咲かせていた。
──────────◇◇◇──────────
能力者の特徴は大きく分けて二つ。
思念器に頼らずとも、素のポテンシャルで
もう一つは、その思念素に干渉する力を応用した
能力とは、厳密には思念素の事象を捻じ曲げる力を経由し、レベレートと呼ばれる情報帯高次元にアクセスする力である。
レベレート次元とは、この世を形作る様々な摂理や規則が、『情報』という形で混在し、流れている、謂わばこの世界の凡ゆる物質の存在を支えている屋台骨であり、この世の定礎とも呼べる存在だ。
思念式や能力は、このレベレート次元に思念素エネルギーを出力し、海のように広大な情報の流れの中から、必要な情報だけを一時的にサルベージし、その情報を組み立てる事によって現象を発生させる、現代社会を代表する技術だ。
例えば、『水を凍らせる』という現象を能力、もしくは思念式によって起こす場合──まずは思念素エネルギーを用いてレベレート次元に干渉し、水を凍らせるために必要な現象を持つ情報(この場合では、水を凍らせる為の低温を発生させる情報を選出する)を拾い上げ、具体的な現象、またそれの終了条件を設定して、それらを組み立てる。
そうして組み上がった情報が、こちら側の世界に適用されることにより、水を凍らせる為の現象が発生する。
それが例え、水が凍るなんてあり得ない環境下であっても、この世の現象という現象の証明を裏付けているレベレート次元から発せられる情報により、そこに水という物質が存在する限り、前提条件を無視し、プロセスを省略して、『凍る』という情報を与えられた水は凍る。
この世の摂理ルールを一時的に捻じ曲げ、過程を省いて結果だけを起こす。
それが
能力者の中には、自身の能力を知らない人も数多く存在する。後天的な能力者の数はそこまで少ないという訳でもないのだが、大半の能力者は生まれた時に能力者だと判明する。
生まれた時からプロテクション(能力者の能力を制御するアクセサリー機器)をつけている人は、その存在に疑念を抱かないのは無理もない。
神谷は自身の能力を知らない。後天的とはいえ、いつからなったのかもわからないし、自身が能力者だという自覚は微塵もなかった。
たが神谷は自身の能力にそこまで大きな興味関心がない。彼は能力ではなく、能力者としての干渉力を実験に利用して技術士になることに関心を向けていた。
技術士は能力を直接的に操る仕事でなないので、能力の発現など関係ない。
「よし、一通りの書類の整理は終わったな」
学校に提出する課題データを一頻り処理して神谷は一息つく。現代文と実用数学の試験問題の解き直しと、工学の自主研究のレポート、実技試験の反省、感想などが今日提出予定の主な課題だった。
一応専門学校らしい側面もあるというだけあって出される宿題の量は多いが、資格を取ることを目的とした問題集は質の良い問題が多いので神谷はそれなりに学校の授業には満足していた。
ライトカーが他の車とすれ違う。色とりどり、形も様々なライトカーがハイスピードで通り過ぎていく。ここまでのスピードが出せるのも、自動運転のお陰で事故の可能性が極端に低いからだろう。
「流してもいいか?」
「いいよ、お兄ちゃん」
許可を頂き、腕時計端末の音楽再生アプリを起動して、ライトカーのコンソールに接続する。
高音質のスピーカーから、古いロックの洋楽が流れる。
現在ではEDMと呼ばれるジャンルの音楽が音楽業界を席巻している故に、ロックバンドは少しメジャーから外れた存在になったが、近年デビューし、二十~三十代に根強い人気を誇る『without』などの世界的ロックバンドが存在するので、一概にマイナージャンルとは言い切れないが。
「お兄ちゃん……あのね」
歌が始まった途端、茉莉沙が申し訳なさそうに兄に声をかける。
「どうした?茉莉沙」
ウィンドウから目を逸らさずに、かといって無下にしているような態度とも取れない対応をする神谷。
茉莉沙は手短に済ませようと、早口で話を進める。
「お兄ちゃんは……今学校で、好きな人とかいるの?」
「好きな人……か」
指の動きがゆっくりととまり、真上を向いて考え込む。
そして三秒とかからずに答えを返した。
「いないよ、今は」
「ふーん」
敢えて関心なさそうな素っ気ない相槌を打つ茉莉沙。
茉莉沙は、兄が自分に対して過保護だったのは、薄々勘付いていた。
確かに神谷茉莉沙は、神谷健吾にとってはたった一人の家族だ。
しかしそれにしても彼の過保護っぷりは、同年代の兄妹のそれと比べると、親密なんてものじゃない。
彼女には、自身がなかった。
仮に浪川と恋人同士になったとしても、今までと変わらず、兄の支えとして生きていけるのかどうか。
浪川に陶酔している自分がいるのは認識出来る。
だが、それが理由で兄を──神谷健吾を蔑ろにしてしまう危険がある事も考えていた。
「なんだ?それだけか」
声のトーンが疑問系になる。拍子抜けしたような様子だった。
「あ!うん。それだけだよ。ちょっと気になっちゃっただけ……だから」
「……そうか」
神谷は再びウィンドウに目を向ける──こともなく端末をスリープ状態にし、物思いに耽ってた。
茉莉沙には、その意味がわからなかった。
神谷はしばらくの沈黙の後、茉莉沙に疑問を投げかけた。
「……浪川か?」
「え!」
「やっぱりな」
どうやら、自分が考えてたことは全て見透かされていたらしい。妹の考えを当てて少し得意げになった兄が話を続ける。
「わかってるよ。俺がお前たち二人の関係に、本来なら介入するべきじゃないってことぐらいはな」
「う、うう……」
どこまでもお見通し、ということらしい。
さすが兄妹というべきか、おそるべし兄妹というべきか。
軽く動揺している茉莉沙の頭には、そんな気の利いた単語は思いつかない。
これ以上見切られないよう、できるだけ動揺を悟られないよう、口を開く。
「お兄ちゃんは、私のことどう思ってるの……?」
神谷は間を置かず即答した。
「絶対に失いたくない、かけがえのない家族だ。だからこそ、側から離したくない。ずっとずっと、俺の手の届く範囲で護ってあげたいし、支えてほしい」
決して恋愛感情があるとは言い切らない神谷の口調には、情緒や私情といった濁りを感じられない。
どちらにせよ、茉莉沙を大切に思ってる故の言葉なのは確かだった。
「お前と浪川が付き合うことに関しては、理屈では反対ではない。ただ感情がそれに置いてけぼりにされているだけだ」
「お兄ちゃん……」
「でも一つだけ言えることがある」
コンソールのパネルの一時停止ボタンをプッシュし、音楽を止めた。
背景曲が消え、雑音がなくなったように静かになる車内。
車は進むが、車内の時間だけが止まったような感覚。
今、この世界には二人だけ。
止まった世界に神谷が言葉を添える。
「お前の生きる道は、俺が敷いたレールの上とは限らない」
少しだけ目を伏せる神谷。
太陽の光が反射して、その眼鏡の奥の瞳は見えなかった。
「お前のことを今まで過保護に扱ってしまった俺の口から言うのもおかしい話だが……お前はもう十五だ。俺の言われるままじゃなくても、自分で進みたい道を選んで、自分の生きたいように生きていいんだよ」
「お兄ちゃんは、反対じゃないの?その……私と涼介君が、その……付き合うことに」
「……ここまで言っといて恥ずかしいが、賛成的でないのは確かだ。だがそれは俺が決める事じゃない。だからお前は自分の素直な感情を信じればいい」
あくまで兄として、家族として気丈に振る舞う。
妹を過保護にしがちな性があるのは神谷自身も充分にわかっていたことだ。
だが、ただ危険から避けさせて、守るだけでは茉莉沙の為にならないということぐらい、神谷も理解していた。
「…言いたいなら言ってこい。俺はお前の道を阻んだりしない」
「お兄ちゃん…ありがとう」
「気にするな」
西側から強く照りつける太陽の光を一身に浴びる神谷の顔に濃い影が浮かぶ。硬い表情は、朝の日の光に照らされて、顔の陰影が立体的になっている。深刻な目つきと相まって、まるで画面の向こう側の俳優のような雰囲気だ。
神谷は悩んでいる時間が無駄だという持論故に結論を急ぎたがる性がある。結論はその場で考えてその場で出すというのは、ペンを握っている時も人と応対する時も変わらない。せかせかと指を動かし、頭を回転させて、冷静に一つ一つの問題を片付けている様子はいつでも彼の几帳面でせっかちな一面を強調している。
そんな彼が深く悩むのはどれくらい久しい事か。過保護ともシスコンとも言われるかもしれないが、今となっては茉莉沙はたった一人だけの家族だ。
その家族が抱く悩みには、いくら踏み込むのがバチ当たりな内容でも、気に掛けざるを得ない。
それが思春期真っ只中の少年には、尚更だった。
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