三角関係
週に一度の模擬論文作成程かったるいものは無いと思っていた浪川だが、一ヶ月も経てばとうに慣れていた。論文サイトからそれっぽい言葉を選んで生徒一人一人に配られた腕時計デバイスの、DWatchに書き込めばいいだけだ。
浪川が腕時計デバイスの画面をタッチすると、長方形、丁度タブレット端末ぐらいのサイズのホログラム状のウィンドウが空間上に現れる。(この時代では、携帯電話に次いで腕時計型情報端末が主流となっており、DWatchはその中でも最もシェアの高いブランドである)
盟誓学園の授業カリキュラムは、全日制、一時限三十分の七時限制で、必修科目と選択科目(古文or漢文、生涯体育or保険体育、他にも政治経済、福祉教養、調理基礎、実技美術、IT活用など、多くの科目がある)から三つまで生徒自身が選ぶ。
実技科と技術科では、三つの必修科目とは別に、科学を必修科目として専門的に勉強する。
具体的には、技術科ではエンジニア志望の生徒向けに高校工学を、実技科では能力者が登場してからの社会情勢などを勉強する。
高校工学は、自主研究で自身が作ったものや研究論文を発表し、実際に動かしたりする実技が主だが、思念素や、それに基づく物理、生物、地学、化学、工学についての筆記学習が主となっている。大半の生徒は市販のキットを購入し、それを自分が使いやすい様にアレンジするが、神谷の様に自力で一から作ろうと考える努力家もいる。
今日は宿題として自主研究の成果を思念工学担当の先生にメールで報告するのだが、浪川はどうしてもこういった堅苦しい作業が性に合わないらしい。神谷の手助けで何度か自分で書いた事はあるものの、結局はレポートの定型文を提供するWEBサイトのをそのままコピーするのが関の山で、今回もその御多分に洩れず、といったところだ。
「ふー、頑張った。あとは神谷が来るのを待つか」
ため息をするように浪川が言うと、自身が手につけていた学校配布のDWatchを取り外して、学校のバッグに雑にしまった。入れ違いでバッグから取り出したのは、派手な赤色をした、浪川愛用のプライベート用DWatchだ。
流行りのゲームアプリを起動し、しばらく時間を潰していた。ゲームに飽きかけてきたところで、ちょうど自分の方向に近寄ってくる足音が聞こえたので、神谷かと思って浪川は振り向いた。
「おっはー。りょーちゃん元気ー?」
「……お前の方か」
……どうやら待ち人ではなかった。
確かに『神谷』である事には変わりないが、待っていたのはそっちの方ではない。
「もう、なんで残念そうなのー?私が来たっていいじゃん?」
「いいや、別に……なんか用でもあったか?」
「ううん、久しぶりにりょーちゃんの顔が見たくなっただけだよ」
「毎日会ってるだろ」
突然現れた普通科の少女──
神谷の苗字が指し示す通り、彼女は神谷健吾の妹であり、同時に浪川涼介の幼馴染の一人だ。
「ねえ、久しぶりに会ったんだし、お兄ちゃんもまだ来ていないみたいだから……ちょっとぐらいいいよね?」
「ちょっとぐらいって……」
浪川の二の句を待たずに、茉莉沙は彼の腕に強くしがみつき、身を抱き寄せた。
「うおっ!?」
突然の出来事で声を押し殺しきれず、浪川は情けない声を漏らす。
「おいおい、公衆の面前で何してんだよ……怒るぞ」
「こういうとき怒らないのは知ってるもーん。へへー。りょーちゃんの匂い……」
「堪忍してくれよ、全く……気が済んだらさっさと離れろっての」
と言いつつも、本人も満更でもないのか、無理矢理除けようとはしない。
さすがにか弱い女の子に乱暴するほど浪川も無粋ではないし、周囲の生徒たちの視線は、幸いにもこちらに向いていない。
この通り、何故かは浪川にもわからないが、茉莉沙は妙に浪川にぞっこんな部分がある。
茉莉沙の妙な行動が始まったのはいつぐらいからだろうか。神谷の双子の妹らしいが、 どうにも神谷とは正反対の性格に育っている。
最初はからかいだと思って適度にあしらっていたが、徐々にからかいはエスカレートし、からかいというよりもアプローチと表現した方が自然な行動に変わっていった。
浪川も年頃の男子というだけあり、綺麗な女の子から好意を寄せられるのは悪い気分ではないが、本気で好意を寄せられてると捉える程盛んでもない。
それに──だいたいこういう時に何が起こるのかも察している。
「よし、変な悪寒がするんから、そろそろ頼む、離してくれ」
なんとなく危機を察した浪川は、最後の抵抗をした。
「茉莉沙、そろそろたのむから」
「……で、何鼻の下伸ばしてるんだ、浪川?」
「……よう」
来てしまった。
神谷健吾……何故この男はいつもこう悪いタイミングでやってくるのだろう。
色づいた二人の間の空気を打ち消すように、冷たい声が響く。
表情こそ笑顔(かなり黒い部類の)だが、目からハイライトが消え失せていて、正直怖い。
もし『
本能的な生命危機を感じた浪川は、本能的に後ずさりして、神谷から距離を取ろうとする。
神谷はまるでその
「……他人の妹誑かすのは楽しいか?」
「え、えーっとだな、まず落ち着いて話を……」
「そうだな、話の前に妹の胸から手を離してくれないか?」
「あ……」
神谷が来て危機感を覚えた浪川は、無理矢理茉莉沙の腕を振り解こうとした。
しかし、不可抗力でなぜか彼女の胸を掴んでしまっていた。
やんわりと指を動かすと、服の奥の奥から柔和な感触が生々しく伝わってきた。
「んっ……」
甘い声が漏れる。
やらかした。
「ほら、これにはいろいろ混みいった事情があってだな……」
「黙れ」
神谷はそう言い、浪川の手を力強く掴んだ。
跡が残りそうなほど、腕を強く握りしめられる。
「ちょ、ちょっと離せって!」
本格的に追い込まれた浪川は、すぐさま手を動かして無理やり引き剥がそうとした。単純な力なら比較的筋肉質な浪川の方が優っているのは考えるまでもなかった。
しかし浪川より速く神谷は動いた。流れるように浪川の背後に周り、浪川が動かした方向に更に手を押し付け、関節にダメージを与える。
後ろに引いた腕は、さらに後ろに引っ張られ、鈍痛が走った。
「痛っ!」
逃げようとしたら、逆に追い詰められてしまった。無駄のない動で捌き、もう片方の手もしっかりと握りしめた。
ギリギリの所で怒りを抑えた神谷は、脅迫するように浪川の耳元まで口を近づけた。
本来目に見えないはずの思念素の光が、じわりじわりと神谷の手の周囲を、暗闇の夜光塗料のような朧げな光量で発光していた。
『プロテクション』が無ければ腕をへし折っていたかもしれない。
感情を持つ生命体ならば、どのような生物でも精神内に思念素スピリウムを有しており、その絶対量は遺伝子によって、もしくはその
神谷健吾は、常人よりも多量な思念素エネルギーを保有する能力者と呼ばれる人間だ。
思念素は、人の感情によって思念素エネルギーと呼ばれるエネルギーを発生させる。そのエネルギーは思念式などを通して変換しない限りでは、一部が運動エネルギーと光エネルギーとして散っていく。
神谷の力が増しているのは、その逃げた運動エネルギーが、無意識に彼の腕に負荷をかけているからだ。
運動、電気、重力、光、音、熱──この世で起こりうる様々な現象を、自身の思念素エネルギーのみで起こす、旧科学時代に『超能力者』と呼ばれていた存在である。
「……野蛮な真似はしない。だが少し同行願おう」
「は、はい…」
「ちょ……ちょっとお兄ちゃん、待ってよ~」
緊迫した空気をそのままに、神谷は浪川を連行していった。
神谷の冷たい表情と浪川の顔面蒼白具合から、警察に連行される犯罪者を彷彿とさせる光景だった。
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