友か、恋人か
都内の交通網は、数十年前に比べて大幅な進化を遂げてる。
今現在において、車が道路を走ったりする光景はかなり激減している。全く走っていない訳ではないが、ほとんどが輸送用トラックやバイクの類だ。
その代わりに、空中に固定された可視光線で構成されたオレンジ色のレール(公道はオレンジ色で、私有地内のレールは青色と、交通法で定義づけされている)に沿って動く、思念素エネルギー自動車、通称ライトカーと呼ばれる自家用車が主流となった。
軽い(light)と車(car)でライトカーという意味で、総重量は軽自動車一台にも満たない文字通り軽量の車である。重力を歪ませる
それらの思念式単体では、単純に重力が歪んだ状態でホバリングを始めるので、大玉の上に立たされるような不安定さが生じるが、ライトカー専用に整備されたホログラム状のレールに乗ることで動きを安定させることができる。
レールには、ライトカーのセンサーにつけられた思念式の効果の発動領域を狭めるための仮装思念式がある。発動領域が狭められるということは、不安定に分散していた力学エネルギーが一点に集中し、安定した状態になる、という原理だ。
こうしてライトカーとレールを思念式同士で強く結びつけることによって、道を外れて地面に真っ逆さま、なんてことは起きないように出来ている。
思念式は、
唯一、生物の感情以外で思念素エネルギーに干渉できる鉱物、グラーフ石を溶かしたインクで特殊な紋様を刻み込み、そこに思念素エネルギーを流す事で、思念素が物質として存在する情報異次元、レベレート次元にその内容が出力され、情報が組み込まれる事により、現実世界に現象として帰ってくる。所謂思念素エネルギーの回路といっても良いだろう。
このレベレート次元に出力するという理屈に関しては、能力者の能力もほとんど同じ理論だ。
その種類は能力者スピリッターの能力と同じく千差万別、多種多様で、日常生活でも頻繁に使う発電、発熱の思念式から、一般には使われていない軍事用の思念式まで、今現在世界には、複合型も合わせて数千を超える種類の思念式が存在する。
──閑話休題。
浪川、神谷健吾、神谷茉莉沙の三人は、ライトカーに乗って、夕方の街の景色を眺めながら雑談に興じている。
ライトカーを購入するにはそう安くない金額を要するが、学校や企業からの援助でライトカーを無料で貸し出しして貰ってる生徒も、この学校には少なくない。ライトカーは自動運転で進むので、基本的に免許は必要ないため、未成年の生徒にも安心して提供できる。
一部の運転好きな人はライトカーを嫌い、かつての電気自動車などを使って移動している人もいるが、そういった人は減少の一途を辿っている。そもそも一般自動車ではレールの上に乗ることなんてできない上事故のリスクも高く、免許も必要なので、昨今の若者の間では敬遠されがちだ。
「なぁ神谷、急に話があるっつってたけど、なんでまた学校に戻るんだ?」
「いや、本当なあのあとすぐに学校寮の個別研究室に連れて行こうと思ったんだけどな。一悶着あったものだから」
「……俺悪くねえし」
「……ごめん、お兄ちゃん。えへへ……」
神谷は最前席で、一応周りに気を配りながら、(ライトカー同士の接触事故は時折発生するので、交通省はライトカー乗用中でも周囲への気配りを忘れないよう勧告している)学校配布のDWatchを起動し、メモページを開いて自主研究の文書を推敲している。蟻の行列のような量の文字の集まりが表示される。
「お前、毎回どうしてそんなに書けるんだ?」
「そんなに多いか?研究の成果をレポートしているだけに過ぎないんだけどな……本当なら、ジョイント用のカーボン素材やバイタルコネクター、ナノマシンの搭載を想定した仮の設計情報も載せたいぐらいだが、それだときっと紙幅をオーバーするからな」
「……俺にはそこまで書けるほどの語彙は無えや」
──────────◇◇◇──────────
神谷茉莉沙は、技術科の生徒ではない。
兄の健吾を追ってこの学校に入学したものの、彼女は自身の学力を省みて、技術科ではなく普通科に入学する運びとなった。
この学校の入試体制は、大きく分けて三つに分かれてる。一つは特待生枠の生徒たちの入学試験、一つは技術科の一般入試、一つは普通科の一般入試である。一般的に特待生入試では滅多なことでは落選することはないと言われているが、一般入試で技術科に入れるのは三割の生徒で、三割は普通科に配属となり、残りの四割は入学できない。普通科一般入試ではいくらいい点数を取っても原則技術科に上がることはない。(余談だが、実技科の入学試験体制はペーパーテスト以外にも能力テストがある)
普通科に入った時点で、技術科専用科目の授業で勉強することは出来ない。だが茉莉沙はそれでも満足だった。
学校で浪川と再会出来たこと、神谷と同じ学び舎で学べることは、彼女にとって十分な喜びだった。
『間も無く、目的地に到着します。お降りの際は、足元や周辺にお気をつけください』
無機質なナレーションが静かになった車内に淡々と到着を伝えた。
「そろそろだ。起きろ浪川」
「んあー?悪り、グッスリだった」
前の席に座る神谷が、端末をライトカーのコンソールにかざすと、ライトカーがオレンジ色のパブリックレールから、左を曲がって青いプライベートレールの上に移動した。
一本道のプライベートレールの先には、さっきまでいた都立盟誓学園の大きな校舎が見える。
側から見れば学校にすら見えない二つのビルが都内一等地のど真ん中で、その権威を主張している。
東側のビルが、全校生徒を擁する大きな校舎で、西側のビルがクラブの部室や委員会室、駐車場、PRISM社の一部の社員のオフィスにもなっている(公立学校の一部であるにもかかわらず、別の会社のオフィスが存在するのも、この学校ならではの異質な光景である)。
ライトカーは加速して西側のビルの裏に周り、駐車場の入り口に入る。
ここでもID認証が必要なので、神谷はDWatchを機械にかざして、駐車券をインストールした。駐車券の受理を確認した監視機が、ライトカーの正面のバリアを解除して先に進む。
最後に簡易的な危険物検査が入る。厳重で念密なセキュリティは、この学校の権力、そしてそれが持つ重大さを物語っている。
ライトカーが駐車場に到着し、指定されたドッグに移動すると、空気が抜けるような音を出して、ゆっくりとライトカーが地に足をつける。
『到着しました。シートベルトを外します』
自動でシートベルトが解除され、両側のドアが開き、浪川、神谷、茉莉沙の三人は車から降りる。自動で閉まったドアを尻目に、神谷を先頭に一行は研究室を目指して進む。
「個人研究室は西側のビルであってたよな?」
「ああ、ここからすぐだ」
浪川は、神谷がなにを考えてるのか薄々気がついてきた。数年間離れていたとはいえ親友だ。大体の予想が当たることを祈って、二人の後をついて行く。
──────────◇◇◇──────────
端末を研究室にかざし、ドアのロックを解く。日の入り寸前の薄暗い研究室に、神谷が灯りをつけた。
几帳面な神谷の部屋らしく、研究資材や教科書、趣向品の健康本や情報誌などはジャンルに分けて綺麗に整頓されている。
そこは研究室というより、一人暮らしの部屋のような印象を受けるが、神谷は時々ここで寝泊まりして研究に没頭している時もあるからあながち間違ってもいない。
フローリングの過ごしやすい床の上に黒のカーペット、その上に三、四人は一緒にご飯を食べられそうなテーブルが鎮座している。
神谷はソファに置いてあったクッションを浪川に投げ渡し、もう一つのクッションを茉莉沙に丁寧に渡した。
「準備が整うまで少し待っててくれ。冷蔵庫のジュースは勝手に飲んでも構わない」
神谷はそう言い残し、曇りガラスの自動ドアの向こうに入っていった。
神谷が研究用の部屋に籠っている時間は、結構長い。
つまりしばらくは、浪川と茉莉沙の二人きりである。
「…………」
「えーっと、茉莉沙?」
二人きりになるや否や、早速茉莉沙が甘えた表情で浪川に擦り寄る。女の子特有のいい香りが浪川の鼻をくすぐる。
「ねーねー。しばらく二人っきりだよ?」
「お前……反省してないな」
「ねー少しだけだよ。先っちょだけでいいから、ね!」
「おい、いい加減にしろ。はしたないぞ」
さらに体を擦り付け、浪川を誘惑する茉莉沙。
豊満な肢体、欲をくすぐる香り、兄に似た端正な顔立ちは、控えめに言って美少女だ。
ここは鋼の理性を持って挑みたい。ここで安直に折れたら男が廃る。
そう考えた浪川は、逆に思い切ったことをした。
「きゃっ!」
持ち前のパワーで茉莉沙の両手を掴んで、ソファに押し倒した。
女の子に手を出す真似は本当は好きではないが、こいつはここまでしないとわからないだろうと割り切っての行動だ。
「りょーちゃん……?目、怖いよぉ……」
茉莉沙は涙を目尻に浮かべて浪川を見つめ返すが、浪川は顔色を変えずに耳元まで近づくき、優しく囁く。
「俺をこんなにしたんだ……責任、とれよ」
「え!?せ、せ、責任ってなに!?」
「なに、すぐに終わらせるから」
「待って待って!そんな急に言われたって……えっと、心の準備がー!」
涙目の茉莉沙が可愛らしく抵抗するところを見ながら、浪川は思った。
普段はあんな猫なで声で誘惑するくせに、いざ受け身になると途端に萎らしくなる。
襲うつもりは毛頭ないが、もっと可愛がってやろうと、些かいたずら心の過ぎた欲求に駆られる。
「それじゃあ、いただきます」
「い、嫌ぁ~!嫌だぁ~!」
ジタバタと暴れるが、本気で逃げようとする気配はない。
──なんだかんだ言って本当は無理やり襲われることを望んでるんじゃないか?こいつ。
浪川はそう考えながら、茉莉沙から手を離し、ソファから身体を起こす。
「なーんてな」
「……ふぇ?」
安心したのか、それとも襲ってくれなくて拍子抜けなのか、間抜けな声が漏れた。どちらにせよ、やはりどうやら本気で襲われると考えていたようだ。
「これでわかっただろ?男に色目使うと、こういう目に遭うぞ」
「えーなにそれ!からかってたってこと!?」
「教えてあげたんだよ」
「ひどーい!私のドキドキ返してよ!ちょっと期待してたんだよ!?」
「期待を裏切った俺の良心に少しは感謝してほしいぐらいだけどな」
「むうううう……!」
今度は涙目のまま、顔を真っ赤にする茉莉沙。浪川は思ったことがうっすら顔に出てしまうが、茉莉沙は喜怒哀楽がはっきり表情に出るタイプの人間だ。
こういった無知の領域で危ないことをしでかす部分は、神谷よりも浪川に似ているのかもされない。
「さて、教訓も教えてあげたところで、せっかくだしテレビでも観るか?ジュースはレモンソーダでいいか?」
「……ぷい」
「……おい、拗ねるなよ。悪かったって」
「……絶対反省してないじゃん」
お前にだけは言われたくない。と内心浪川は呟いたが、ここでそんな事を言えば余計に茉莉沙が臍を曲げるの火を見るよりも明らかだ。
ため息をつきながら、再びソファに腰を下ろし、拗ねた茉莉沙を諭すように語りかける。
「わかったよ。なにすれば許してくれる?」
「お願い、聞いてくれるの?」
「できる範囲でな。で、なんだ…?」
「…………むふふふふ」
「?」
「えーいっ!」
「うおっ!」
茉莉沙に急に抱きつかれ、浪川はソファから転げ落ちる。不意打ちに驚く暇もなく体に重みを感じる。
そして今度は、茉莉沙が浪川の上にまたがる形になった。形成逆転。
さすがにこの状態で暴れたら、茉莉沙が机にでもぶつけて怪我をするかもしれない。それを狙ってのこの体勢なのだろう。意外とずる賢い娘だ。
「これで逆らえないよー」
「な、何する気だ?」
茉莉沙は浪川に覆いかぶさるような体制で、彼の顔に自分の顔を近づけた。
息がかかりそうな距離。
少しこっちから近づけばキスができる距離。
それをさらに縮めて、妖しく尋ねる。
「何して欲しい?」
「……離れてほしいな」
「だめです」
「……どうすれば助かるのか教えてくれ」
「うーんどうしよっかなー?」
指を顎にあてて、悩むような仕草をとる茉莉沙。いや、悩むというよりかは、どうやって浪川をからかおうか悪巧みしているようにしか見えなかった。
そのまま、数十秒の時間が経過する。
平静を装っても、心音は激しく脈打って鳴り止まず、自分でもわかるほど顔が紅に染まっている。
そして茉莉沙は人の悪い顔で、甘ったるい声で囁く。
「今ならお兄ちゃんもずっと篭ってるだろうし……ステキなコトしちゃおっか」
「ステキなコトって……なんだよ」
茉莉沙が浪川の右手を取り、自分の腰に当てさせる。陶器のような綺麗なくびれは、シャツの上からでもわかる。
そして左手も、自分の腰に強く当てさせる。
浪川の欲を掻き立てるように、EかFはあるであろう茉莉沙の胸は、第三ボタンまで乱れたシャツから胸元をチラつかせ、揺れる。
「へへ、どうしよっか……?」
「おいおい……限度があるだろ?」
「…………」
なけなしの理性を絞りながらも抵抗してみせる。
目尻を上げ、睨むような目線を送ると、茉莉沙は口をすぼめ、黙った。
「いい加減にしとけよ、茉莉沙。からかうのもそろそろ……」
「からかってなんかいないよ」
浪川の言葉を遮るように茉莉沙が喋り始める。
「……本当に、誰にでもこんな真似すると思う?」
「……」
茉莉沙の返答に、今度は浪川が沈黙する。
眼を伏せ、茉莉沙から眼をそらそうとした。
「逸らさないで!」
ぐいっとこめかみを両手のひらで抑えられ、無理矢理お互いの目線が元に戻される。
「涼介君……本当はわかってるでしょ?私の気持ちぐらい」
「それは……」
涙目に押され、言い訳の一つも思いつかない。様々な言葉は浮かんでいたものの、どんな言葉も口にするのが憚られた。
何を言ったって、言い訳じみた弁明にしかならない。
「茉莉沙、なんでこんな真似……」
「こうでもしないと、涼介君はまじめに考えてくれない!」
茉莉沙は一際強く声を力ませた。
「いつもいつも私のことをあしらってばっかりで……お兄ちゃんと話ばっかりしてて、私のことは足蹴にして!」
「……」
再び、彼は口を塞いだ。
あんな熱烈なアプローチをされて、気がつかないほど浪川も鈍感ではない。
それになんらときめきを感じないほど、心が色褪せているわけでもない。
ただ、無かったのだ。
その一歩先に踏み出せる『勇気』が。
彼女に一歩歩み寄る『度胸』が。
そして、彼女も同じであることを、浪川は知っていた。
「お前、俺に一言でも好きって言ったのかよ」
「え?」
だから、逃げるように辛い言葉をぶつけてしまった。
結局は言い訳に逃げてしまう自分に、言いながら嫌気がさす。
「俺に一言も好きだって言ってないのに真面目に考えてくださいなんて、虫が良過ぎるだろ」
「それは……そうだけど」
浪川の顔から手を離し、胸の前で両手を握る。茉莉沙の心が不安定になっている時の仕草だ。
浪川もようやく頭が冷えたのか、自分の発言が少し辛辣だった事に気がつく。
「……悪りぃ、今のは言い過ぎた。忘れてくれ」
「言い過ぎじゃないよ。だって、涼介君の言ってる事は事実だし」
茉莉沙はそう言いながらも、今にも零れ落ちそうに目に涙を溜めている。これ以上下手な台詞を吐けば、その涙腺がいとも脆く決壊してしまうのは目に見えていたため、浪川は言葉を発することを躊躇った。
「……ずっとね、涼介君のコトは意識してたの。小学校のあの時から、ずっと。でも、言う勇気が湧かなかった」
友達のその先へ踏み出す為の、たったの一歩。
──ああ、なんだ。
やっぱり、俺と同じじゃないか。
俺も茉莉沙も、お互いの今の関係が大事なのをわかっていて。
わかっていても、それ以上の関係が欲しくて。
俺はそれを棚に上げて、茉莉沙にきつく当たってしまった。
好きだって気持ちを封じ込めて、必死に友達として見ようとしていた。
でも……その先延ばしな態度が返って茉莉沙を苦しめていたんだ。
「気になってたんだけどさ」
「何?」
「その……俺に対するアプローチってのは、告白の代わりだったんだよな?」
その問いに対しても、茉莉沙は素直に答えた。
「私、これでもプロポーションとか顔とかはそこそこ良い方だと思ってたけど……でもそれは、あくまで『女の子』としての自信なの」
少し俯き、一呼吸。
「『女の子』としての自信はあったんだけど、涼介君の『恋人』としての自信がなくて……。私なんかが、涼介君のパートナーとして隣に居ていいのかなって。だから、こうするしか私には……」
茉莉沙の赤裸々な告白未遂を聞いて、浪川は漸く腹を括った。
これ以上、自分の迷いで、目の前の大切な人の心を蝕まないように。
「……告白」
「えっ?」
その朧げ過ぎる小さな声は、いつもの浪川涼介の声とは程遠く微かだが、しかし、声色に腹をくくったような覚悟と後悔が滲んでいるのは、茉莉沙も確かに感じていた。
「明日の放課後五時に、学校の中庭に集合しよう。それまでにお互いの気持ちをはっきりさせて……全部終わらせよう」
曖昧な関係にケリをつける為にも、茉莉沙の想いと真剣に向き合う為にも、彼は決断した。
「……涼介君、本当にごめん。困らせて、ごめんなさい……」
「……もう謝るな、茉莉沙」
「……言う言葉が違かったね。ありがとう」
その後十分程の間、沈黙は続いた。
だけど、気まずさは不思議と感じなかった。
かといって、それ以前の心地よさを感じることもなかった。
聞こえるのは、小さく冷蔵庫が唸る音と、扉の向こう側で作業をしてる音だけだった。
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