Ⅲ
第25話 # 寮から朝を
行合坂女子学院のメンバーの朝は寮から始まる。彼女らは志鶴の活動休止の後、1週間後に東西線沿線の街、鳥居仲町へと引っ越した。実家が東京にあるメンバー以外はほとんどである。
寮はホテルと違い個室だ。6畳ほどとはいえ一人一人自分の空間を持っている。だから、同居人が起こしてくれるということはなく、部屋から出てくる時間は様々だ。
園といえば、一人朝にシャワーを浴び髪を乾かしたその足で食堂へと向かう。それがお決まりのパターン。
園は部屋から寝巻きのまま階段を降りてくる。階段は屋内ではなく屋外。屋根があるとは言え、園の目からは低層マンションが立ち並ぶ下町の風情が残る街並みが広がるのが見える。
街の音がもう聞こえてくる。街は既に動き出していた。
園はTシャツにジャージという本当の寝巻き姿で206という部屋を開ける。そこが食堂だった。皆が一斉に食べられるほどのスペースはない。
「おはようございまーす。」
キッチンに立つ寮母の蓑田に園はシャツをジャージの中に入れたお腹をさすりながら挨拶する。部屋の真ん中に置かれた長机に園が目を移すと、窓側の隅から2番目に愛が座っていた。
「おはよ。」
園が少し手を上げて通りすがりに会釈がてら呟く。
「おはよー。」
愛もチラリとこちらを見るとそう返す。眠たそうだ。
寮母から湯気が立ち上る朝食のトレーを受け取ると、園は定席となっている場所に座る。園も窓側の隅、ただ愛とは反対側である。
「
「…はい。」
エプロン姿の蓑田がキッチンの奥で菜箸を手に話しかけてきた。味噌汁を飲む園は少し返事を返すのが遅れた。コト。汁椀を置く。海藻が揺れた。
「今日は大学?」
「はい。2限に授業があるんで、大学に。今日のは出席があるから外せなくて。」
そう、と蓑田は頷きながら台所にあるスツールに腰掛ける。
「授業はどうなの大変?」
「忙しいので大変ですねー。内容は興味あることが6割ぐらいなので楽しいですけど。」
園は箸を置いてそう言った。
「あ、ごめんね。邪魔して。芽李子ちゃんがさ。花恩ちゃんと陽菜里ちゃんを中学校に送ってあげてって伝えてくださいって言ってたから気になったのよ。」
「あー、そうなんですかー。あの子たちを送るのは朝空いてる人ですから。いつもはコノ姉と芽李子がしてくれるんですけどね。」
園は法学部。出席を成績に含める授業は数える程。しかし、その授業があるのでこの日ばかりは学業が優先だった。
・
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行くよ。園は花恩と陽菜里とともに談話室になっている205号室から出る。
「じゃあねー。」
「うん。」
凛々子は3人と一緒に談話室にいたが、まだ寮を出る必要はないようで、談話室の棚に入れてあった誰かが持ち込んだファッション雑誌を熱心に見ている。
ちらほらと人が見える通りに3人の話し声が響く。
「学校はどう?」
園は鳥居仲町駅まで歩く道すがら、花恩と陽菜里に聞いた。陽菜里は中学生相応の身長の持ち主でどのメンバーにも言えることだが華奢で健康そうな柔和な雰囲気を持った女の子である。その雰囲気そのままの柔らかな笑みを陽菜里は浮かべる。
「楽しいよ!」
陽菜里は手を高く目一杯挙げてフラフラと左右へ揺れながらそう言った。
「そうなんだー。いいじゃん。花恩はどう?」
花恩と陽菜里は同じ学校の隣のクラス。陽菜里が楽しいなら花恩も悪いといったことはないだろうと園は思った。花恩はその期待した目を受けてか、楽しいと答えを返す。園は安心したように爽やかな笑顔を見せるとショルダーバッグから手帳を取り出し予定を確認する。
園は大学の授業が終われば、愛と二人で受けるモデルレッスンに、此ノ香と芽李子と3人で深夜のラジオに出演する予定がある。モデルレッスンの後、少し時間があるから大学に戻って勉強をしつつ、睡眠もとるかと今日のなんとなく園の中で今日の予定が組み上がった。
園が手帳で予定を確認する間、二人はその年代特有の話かわからないが園には何の話かわからない話で盛り上がっていた。園は手帳を確認し終えても二人の話に割って入っていくことはしない。無言で二人の隣を歩く。
よくある風景とまとめられがちな一棟一棟のビルもそのビルに入ったテナントも家々もその中で活動する人の姿を考えると園はワクワクする。
だから、園には別にその時間が苦ではなく、まだ見慣れない周りの風景を眺めているだけで楽しかった。それより、今まで履こうと思わず仕舞い込んでいた大学生になる直前の春に行ったアメリカで買ったヴィンテージのウエスタンブーツが派手すぎないかが気になったぐらいだった。
園が無言で周りを見回していると園の左腕を引っ張り花恩が言った。
「…ニンさん、ニンさん!あの…んー実は、赤点とっちゃったんです。」
そう言って、花恩は英語と理科のテストを見せてきた。ついでに陽菜里は得意げに数学のテストと英語のテストを見せる。園が点数を見ると花恩のテストは折って隠してあった。
「点数見ていい?」
園も点数が低い時は折ったりして他の人から見えないようにしたり、クシャクシャにして見たりしたものだった。それだけ中学生の頃というのはテストの結果というのは大きな存在であることは園も重々承知だった。園が聞くと花恩はうんと頷いた。
優しいお姉さんである芽李子や面倒見がよく親しみやすいお姉さんである此ノ香と違い、花恩や陽菜里たちにとって、園はかっこいいお姉さんだ。責められるのがわかっている親より先に園に相談したかった。花恩は親にはまだテスト返しがまだとか嘘をついていたし、陽菜里は単純にかっこいい憧れのお姉さんに褒めてもらいたかった。
花恩の英語の点数は12点。理科の点数は28点。対して、陽菜里は86点に88点だった。
「うーん、花恩は英語、いっしょに勉強しようね?一緒に勉強すれば点数ぜぇったい上がるから。ね?」
「ひなは…すごいねー!ホント凄いじゃん。頑張った!エライ!」
園が褒めると陽菜里は照れ臭そうに笑う。花恩は不満げだ。園は誤魔化すように二人の頭を撫でてやる。そして、手櫛で髪型を戻す。
「勉強会、私も参加してもいいー?」
「もちろんだよ。」
園は言った。園の勉強会には中学生はもちろん高校生までいる。一番メンバーの中で英語がうまい園に皆聞きに来るのだ。
「でも、理科は自信ないからコノ姉に聞いてみよっか?」
はい、と花恩は頷いた。その頃にはもう鳥居仲町駅は目の前だった。
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