第23話 # 新潟駅にて


ポーラがホテルを出ていった日の夜、志鶴は新幹線に乗っている。月曜日からまた学校だ。新潟に帰らなくてはいけなかった。


大宮から新幹線に乗るメンバーは志鶴ぐらいなものだ。だから志鶴は一人だった。志鶴はもう新幹線は慣れた。レッスンのために土日は毎週のっているからだ。


スマホの画面をスクロールする。


萬田涼子 : 親の言う事を聞きなさい。アイドルなんてロクなものじゃないんだから。20:19

萬田涼子 : お母さんの言う通り二高をちゃんと出ること。いい?21:08


既読無視して志鶴は何度も見返した。その言葉が憎らしくて仕方ない。待合室のベンチ。大声をあげたい気持ちを必死に抑えた。何度言っても言う事を親は聞いてくれない。


担任も人を気遣っているようで志鶴を道を外れようとしている愚か者と扱う。アイドル自体を蔑む心の閉じた人だった。


しかし、志鶴もその気持ちも察することはできる。アイドルが若い頃だけの仕事で卒業したら仕事がない人が多い。そんなことは志鶴も知っていた。それでもなおステージに立ってみたいその気持ちが強い。しかし、そんなことは今だけの病気みたいなものだ、と担任は笑い飛ばす。


志鶴は不理解に負けそうだった。ここのところいつも志鶴は家出同然に東京へ来ている。新潟には友達はもちろんいる。


もちろんいるが、帰れば三者面談や担任との一対一の面談の毎日。三者面談も親ではなく先生側が増えることさえあった。それは辞めさせようとする先生で理解のある先生ではもちろんない。友達も友達で辞めた方がいいと助言してくる。


志鶴も意固地になりかけていた。仲間は行合坂の皆だけ。そんな気持ちに陥りかけている只中だった。


萬田涼子 : 返事は無いのですか? 21:26

萬田涼子 : いい加減にしなさい。21:26

萬田涼子 : わかりました。東京へ行くのを禁止します。 21:28


志鶴は大きく息を吐いた。グリグリと背もたれに頭を押し付ける。まるで底なし沼で足を掴まれているかのようだった。志鶴には親はどうしようもなく強い万力だった。


志鶴は瞼を閉じる。母親に反発したところで母親もまた意固地になって万力のハンドルを回すだけだ。これは行き場のない怒りだった。自分が必死になって勝ち得たものを我が物顔をした"良識"が掠め取っていく。志鶴は必死に歯を食いしばり強く瞼を閉じた。怒りを自分の心の下の方へと押し下げようと志鶴はしていた。


「ねぇ、ずーるー。」


ん?思わず志鶴は強く閉じた瞼の一文字を解く。この声はニンだった。いつのまにか空席だった隣席に座っていたニンはその顔にいつもの様に笑顔を浮かばせていた。肘掛けに体重を乗せる志鶴の方へ体を寄せた。そして、鼻先に見える園の印象的な灰色がかった目は志鶴の溜め込んだ感情に深い理解を示しているかのように志鶴には見えた。


ニンは何でここにいるのかを問おうとすると手で遮られる。ニンは口に手をあてて悪戯っぽく笑った。ニンの服は出会ったその日のままだった。つまり、レッスン着だった。


「ずーるー。許すということは強さの証ってガンジーが言ってたんだ。ずーるーは強い子だよ。」


ニンは自分では抑えているつもりだろうが、格言をすぐ引用したがる。気を抜いてるなと志鶴が思う時ほどそうだ。


「だけど、Keep your friends close, but your enemies closer. 意見を通したいなら、敵の懐に入る。Elementary基本だよ, my dear friend志鶴君.」


ドヤ顔である。ニンが格言を引用する時によくやる顔の一つだ。その顔に志鶴は息を漏らすかのように笑った。


「ずーるーなら乗り越えられるよ。」


そう言うと、ニンは悪戯っ子のような笑顔を見せた。志鶴の肩をポンと叩くと席を立ち自動ドアの奥へ消えていった。


志鶴は思わず席を立ち、自動ドアの奥、通路を覗き込むが園はいなかった。志鶴は目を瞬かせる。


「来ているわけないよね…実際。」


志鶴はそう呟いた。先程のニンは想像だったようだ。しかし、心は軽くなっていた。そういえば、いつもよりニンの名セリフや名言が出る頻度が高かったかもしれない。言っていた名セリフもニンが好きな映画の話をした時に少しだけ言及していたセリフだったような気がする。志鶴は自分なりに納得した。


席に戻った志鶴は軽くなった心のおかげか疲れのせいかすぐに寝入ってしまった。


ガタガタと細かく新幹線が振動し、志鶴のスマホに突然、明かりがつく。


フックに引っかけたショルダーバッグが新幹線の振動に合わせて小さく揺れた。


ポーン。志鶴のスマホが何かを受信する。志鶴は起きない。志鶴は口を開けて寝てしまっている。しばらく起きることはなさそうだった。



揺らされる感覚。志鶴は急に意識を覚醒させた。


「お客様ー、新潟ですよ。」

「ふぁ、ああ!すいません。分かりました!」


志鶴は寝ぼけたまま急いでホームへ降り立つ。スーツケースも忘れていない。


段々と意識がはっきりしてくる。志鶴は無意識に改札口を目指しながら、スマホの電源を入れる。すると、迎えに来た父親からの連絡と携帯会社からのショートメッセージが入っていた。


志鶴は父親に電話をかける。志鶴はエスカレーターにスーツケースを乗せる。


「もしもし、お父さん?」

「おう、志鶴か。駅裏の何時ものところにいるから。」


志鶴の父はそう言うと電話を切った。


志鶴はゴロゴロとスーツケースを転がしながら、細い連絡通路を抜けて出入り口の一つである万代口へと向かっていく。


出入り口手前のコンビニの前にネクタイを緩めたスーツ姿の志鶴の父親がいる。


「お父さん!」


志鶴が父を呼ぶと、志鶴の父親はキッと結んだ口を緩め小さく志鶴に手を振った。


「志鶴!……どうだった?レッスンは?」

「普通!あ、でも遅れ気味かも…。」


志鶴は父親と外へ出る。外は少し肌寒かった。


「そうか…。」


無言。そのまま二人は歩く。父親は何か言いたげだった。しかし、志鶴の横顔を時折見るだけで何も言うことはなかった。


「どうしたの?」

「……お父さんはな。高校だけじゃなくて大学も出て欲しいんだ。」


またその話か、志鶴は思った。耳にタコができるぐらいしたやり取りでこのやり取り自体がストレスでもあった。


「わかった。わかった。」

「……わかったならいいんだ。」


父親はバンの扉を開け志鶴の荷物を入れるとバンの運転席へ乗り込む。


志鶴は助手席に座った。父親はラジオをつけた。そのラジオはアンチギャルズの二人がMCを務めているようだった。


〈…蔵?肝臓が弱ったのも内臓自体が弱…〉


父親は終始無言だ。


〈…やー、そりゃあレアだよレア。ほん…〉


志鶴も無言でただ流れ行く街並みを眺めていた。やはり、大学に合格するまで活動休止もやむを得ないかもしれない。諦めて土俵に立てなくなるよりはマシだと志鶴は思った。


しかし、今でも既に遅れが出始めているのに活動休止をすればどうだろうか。志鶴はため息をつくしかなかった。

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