第6話 #緊張
会議室やオフィスの前を通る。通る度、オーディションを受けていることを実感させられる。少し空いたドアや窓から中でスーツ姿の大人達がミーティングやオフィスワークをしているのが見えるのだ。
10人、それが一緒に審査を受ける人数だ。この中で受かる人がどれだけいるか分からない。全員通過出来ないかもしれない。せっかく仲良くなったのにそれは惜しい気がした。
しかし、そのようなことを言っていられないのがオーディションである。もう一度カンニングペーパーを見直しそこにした走り書きをちらりと見る。
In the middle of difficulty lies opportunity.
困難にこそ機会がある。アインシュタインの言葉だ。確かにそうだ。園は胸に手を当て気持ちを落ち着かせると、クシャリと紙を潰しポケットに突っ込む。やるしかないのだ、園は自分に言い聞かせる。
園たちを先導するスーツ姿の女性がある部屋の前で止まった。
コンコンコン。奥からどうぞー、という声が聞こえる。女性はその声を聞くと観音開きの扉を開け、園たちを招き入れる。
その部屋はパーテーションで仕切りが作られてた。6人ほどの大人がこちらをじっと見ている。その空間は緊張感というものが充満している、そんな雰囲気を持っていた。
何人かは既に手元の資料に何かを書きこんでいる。園は服の端を強く握る。
重々しくマイクを持った真ん中の髭面の中年の男が口を開いた。
「一列に並んでー…まず個人撮影するから。」
その中年男性か隅に立つ男に目線をやる。男はポラロイドカメラを持って園たちの前に立って一人一人の写真を次々に撮っていく。
「それじゃ、1042番から。20秒間自己PRをどうぞ。」
一番左端に立つ女の子がハイッと返事をする。ピッとタイマーをつける音が聞こえる。
「埼玉出身、高校2年生の安城美樹です!特技は4歳からやってました、バレエとピアノです!」
そう言って、Y字バランスをしてみせる。そしてその実績を語り、自己PRが終了する。タイマーが会議室中に鳴り響いた。髭面の男性は眉毛をクイッとあげ安城に次を促す。
「え、えーっと…IKB48で大声アルプスを歌います!」
特に上手いというほどではないが、下手とも言えない歌声が響く。一番を歌い終える前ぐらいで、髭面の男性が黒縁眼鏡をかけ直し言った。
「終了。じゃ、次の人。」
素っ気ない感じで次々と審査が終わり順番が段々と近づいてくる。園はアルトサックスをサックスケースから持ち出すと吹ける状態にし、黒のストラップを首から提げる。これでいつでも吹ける。
そして、園の番がやって来た。
「茨城出身。大学一年の園忍です。特技はジャズ好きの親の影響で幼少期からやっているアルトサックスと趣味のブッシュクラフトから火起こしです。火起こしはここでは流石に出来ないのでアルトサックスを少し披露しようと思います。」
マイクを床に置く。
園は軽く息を吸った。6人の大人達をマウスピース越しに盗み見る。いきなり、
タイマーが鳴る。演奏は終了。タイマーを止めた髭面の男が椅子の背もたれにもたれかかる。
「園さん?ちょっとなんかポーズとってみてよ。」
園は手汗をショートパンツの尻の部分で拭う。ポーズ?ポーズをとる。人に見せるためにそんなことをこの一生でしたことはなかった。ポーズという単語が頭の中を駆け回る。シナプスに乗ってポーズと関連づけられた動作を検索してまわるがピースぐらいしか出てこない。
「……出来ないの?」
「………出来ません。ポーズ自体あまりとってこない人生だったので。」
悔しい。オーディションで見せるようなポーズなんて園のレパートリーにはない。しかし、言ってすぐに園は後悔した。無理矢理にでもアルトサックスを吹くふりとかやり様は幾らでもあったのではないか。
「そう。じゃ、歌。」
園はマイクを拾う。
歌う曲は、貴方は薔薇よりも美しい。1970年代の曲だ。元々好きな曲でカラオケでも何回も歌う曲だ。肺活量には自信があるが、歌自体は上手いという程でもない園だ。一番気持ちいい伸びる部分の手前で終わらせられてしまった。それで良かったかもしれない。緊張で声は震え音程はずれていたのだから。
「1051番、ちょっと髪あげて見せて。」
「ハイ。」
園が髪をあげると、ポラロイドカメラで写真を撮られる。
「ありがとう、次。」
園はマイクを1052番つまり芽李子に渡す。芽李子と目を合わせる。園は小さく頷いた。
「はい、三重県出身。19歳の和久井芽李子です!一年前に上京してきまして…。」
自己PRは順調に進んでいくかに見えた。特技を言うところで突然止まる。横目で芽李子の顔を伺う。顔面蒼白。20秒の時間制限は刻々と迫る。どうすれば、泥沼に嵌ってしまった芽李子を救えるか見当がつかない。しかし、時間はない。
どうすればいいかわからない園は芽李子の腰を叩く。ビクッと芽李子は体を硬ばらせる。強張った面持ちで芽李子はこちらを見る。園は頷きながら口だけで"大丈夫"と伝えた。キッと前を見た芽李子がマイクを強く握るのが見えた。タイマーが鳴る。
「………と、特技は!ウチで飼っているヤギの食べ終わった後の満足気な一鳴きの物真似です!」
「やってみて。」
そう言われた芽李子は四つん這いになると顔を伏せ体を震わせた後、前を向いてクッチャクッチャと口を動かし、閉じる。そして一拍おいてメ"ェ"ェ"エ"。ドヤ顔。中々の出来栄えじゃなかろうか。園は思った。それで吹っ切れたのか芽李子は歌唱審査では自分の力を発揮出来ている様に見えた。園の数倍は上手かった。カラオケだったら94点は出たのではないだろうか。
園たちは退室する。
「園さん……どうしよ、落ちたかもぉ……。」
「大丈夫だよ。和久井さんオモシロかったもん、物真似。」
抱きついてきた芽李子をあやす。こんなに親しくなったのは久し振りだ。間違いなく。オーディションを受けてコミュ力が上がったのではないかと錯覚するほどだ。しかし、実際のところ、芽李子の人懐っこさが為す業なのだろう。
「園さんは絶対受かるよー…だって、なんか写真撮られてたからさ!」
芽李子は涙を見せた。笑いながら。え?園は戸惑う。芽李子は園が自分より明らかに多く質問されていたのを知っていた。隣で聞いていたから。自分は追加で写真なんて撮られなかったのだ。アレが受かる人にすることだと言うなら芽李子は受からない人なんじゃないかと思う。
しかし、芽李子は自分が受からないとしても緊張のあまり特技を忘れた時、そして今も気を遣ったり助けてくれた園が受かるなら嬉しいのだ。
園は何て返せばいいのかわからない。園には今芽李子がどんな感情でいるのかまったく推察できなかった。
「緊張したねー!波流もうダメだー!」
波流が園の首をチョークスリーパー。園の息が一瞬詰まる。波流は緊張した様子は控え室では見せなかったが、歌唱審査の時の声の震えで緊張しているのはよくわかった。
「エンニンさ、LINE交換しよ。」
波流は園の目の前にまわり顔を覗きこみつつそう言った。園から見て波流はとても明るい女の子である。しかし、波流は表面上明るく振る舞っていても気分は落ち込んでいた。
それは自らの番の時、園の時のような質問は一切なかったからである。これは落ちたわ、そう感じざるを得ない。
「え、あ、うん。いいよ。…え、エンニン?」
目の前の園は形の良い太めの眉を困ったように歪めている。波流としては目の前の園より劣った容姿はしていないとは思っているが、客観的に見て、波流が参加する部の中で、立ち振る舞いが男っぽく残念さが隠しきれてない部分はあったものの、一番スタイルが良く綺麗なのは間違いなく園だったし、あの10人の中で目立っていたのは園だった。それが悔しかった。
「遅っ!
「ありがとう。あ、これ読み込めばいいだよね?」
園はといえば、長らく友達追加なぞしていなかったためその仕方がわからず、ただあたふたと慌てていただけで、波流の笑顔の裏の心の動きなど感じることは出来なかった。
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