第7話 #浮遊感
オーディションを終えた
園は白色のイヤホンを両耳に挿した。挿しただけ。そのイヤホンからは流行のポップサウンドが流れるわけでも幼少期から親しんできたフリージャズが流れるわけでもない。
発車標を見る。11:19 風見ヶ丘遊園行き準急。
〈…参ります。黄色いブロックの内側で…。〉
園が一歩踏み出すと、腰をサックスケースが叩く。電車が止まるまでの間、目の前を流れる車窓から見える座ったり立ったり話していたりスマホを見ていたりする人々をぼぉっと観察する。
ドアが開き、電車に乗ると閉まったドアに体を預けスマホを取り出した。
『タイムズスクエアで銃乱射。「史上最悪」ラスベガス超え。死傷者70人以上。』
まとめサイトを眺めていると、大きなニュースが園の目に飛び込んできた。
思わずそのニュースのページに飛ぶと、この銃乱射は小学生から中学生の男の子5人が引き起こした事件で、使用された銃器はAK-47。銃撃戦の末3人が射殺。2人が逮捕されたという。そして、薬物検査の結果、薬物反応が検出され、更に身元が分からないため人身売買に巻き込まれていた可能性もあるという。テロの可能性はあるもののこの時点で犯行声明は出されていない。
ニューヨークで少年兵?園には全く予想だにしない事件だった。この事件、この大規模もさもさることながら奇妙な所があるらしい。監視カメラには銃乱射を始める三十秒前までその少年達の姿が確認されていないというのだ。まるでそれは突然そこに少年達が現れたかのようだという。
この記事はその三十秒前までの写真とその後の写真を載せて終わっている。
思わせぶりに終わっている記事だったが、奇妙と言っても、結局は背が小さいから人混みに紛れて見えなかったとかではないかと園は思う。
いやしかし、待てよ。園は今、女性になってしまっていて、今までの人生も女性だったということになっている。
そんな自分という例がいる中、背が小さいからで終わらせていいものだろうか?園は体ごと紛争地域から飛ばされてきた可能性を考える必要がある気がした。
飛ばされてきたというなら、まず自分に起きている事態も現実であるとする。現実でないなら、夢であってもこんな設定作るだろうか?こんな凄惨な事件をただ自分が女性になってしまった設定の補強付けに考えるだろうか?そんな想像力は自分にはないと園は確信する。ありえない。なら今の園の状態は現実なのだろうか?
しかし、この少年達がただ背が小さいからだったりする諸々の事情で突然現れた様に見えたとするなら、飛ばされて来たという現実離れしたことはなくなるし、自分に起きていることも夢だ。なぜなら、現実に2017年のラスベガスの事件があるからだ。その事件の事が頭に残っていて夢に出てきたと考えるのが一番可能性が高い。なら、これは夢なのだろうか?
園は混乱していた。このニュースが自分の中で金庫の中にしまっていた現実と夢との境をグチャグチャにしたからである。
園を弁護するなら、今の現状を夢と決め付けるにはあまりに現実味がありすぎ、だからといって現実とするにはあまりに根本的に現実離れしすぎていた。園が境を自分の中で混線させてしまうのも無理はなかった。
園は息を吐いて冷静になろうと努める。
実際問題、これを現実とするなら自分が元から女性で頭の中で男性だった自分という設定を作ってしまっている可能性の方がよほど大きいし、現実を夢と認識し続けていることにもなる。少し冷静さを取り戻した園は自分なりに自分を客観視しようとする。
客観視した結果、正直、自分がビョーキかもしれないと思ったところで、園は浮遊感を感じた。夢と現実との間をふらふらと漂うような感覚である。地に足がついていない妙な不安感で心臓が持ち上がったようだった。
ガタンガタン。準急が揺れる。
無意識に園は手元のスマホを操作する。ミュージックからジャズピアニストだった父親による有名なジャズチューンのカバーを流す。この曲は男の時から全く変わらない。白色のイヤホンからピアノソロが流れ始める。そこからは変わらない父親の息遣いを感じた。アレンジもアドリブも全く変わらないのだ。安心する。現実に戻ってきたかのような安心感だった。
ともあれ、園はこの事が現実であるか夢であるかは棚上げする。考えても自分にはわからないことだ。目の前の自分が興味のある事をやり続けていれば夢でも現実でも大丈夫だ。そう自分に園は言い聞かせた。
"自分自身を信じるだけでいい、そうすればきっと生きる道が見えてくる。"
そうゲーテが言うように、とりあえず今自分を信じてみる。園にはそれが精神安定上重要な気がするのだった。
ただ、今は経営するバーのマスターをする父親に園は電話をしたくなった。
ふと電光掲示板を見ると、次は明治神宮前。降りなくてはいけない。
格言おじさん @KAKUGEN_ojisan
Just trust yourself, then you will know how to live.-自分自身を信じてみるだけで、きっと生きる道が見えてくる。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
軽快なリズムのピアノに合わせ、園の歩調も軽くなる。柱に隠れてステップを軽く踏んでみたりもする。腰にサックスケースがぼすんと当たる。
サックスを吹こう。そう思った。
気分を上げるためにはそれが必要なのだ。不安を消し飛ばすのだ。未だ残る心臓が持ち上がる感覚を消し飛ばすのだ。夢か現実か病気か否かなんて関係ないのだ。階段を駆け上り、園は駅を飛び出す。
「すいません、すいません!」
その気分のまま橋の前にサックスケースを地面に置きマウスピースをさして急かされるようにストラップを首から提げると準備OK。
体を揺らしリズムをとる。自分の頭の中では父親とのセッション。通行人にはサックスのソロ。起点の音から終点の音まで徐々に繋げるポルタメント。今日は自己満足で結構。好き勝手吹くのだ。
園が気持ちよく吹いていると、コンとサックスケースの中に5円が投げ入れられる。園は目を見開く。思わずマウスピースから口を離して、投げ入れられた方を見る。
「あ、ありがとうございます。」
見たところサラリーマンの様だった。投げ入れた
男の人はちょっとだけ頭を下げると歩き去っていった。道で演奏するのは父親と一緒にやった9歳以来のことだったが、相変わらずストリートライブは5円でも1円でも入れられるとその入れられた枚数分世の中に認められた気がして気持ちがいい。
園はそれに気を良くして、その後三時間も演奏し続けた。
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