第16話
特徴がない、のが特徴ともいえる山城常駐の施設は今日も静かだった。
ただいつもと違うのは使われていない部屋、特別収監治療室とよばれるところにひとりの媒介者が増えたことだ。
あれから一日経って、幾多が招き入れたムントは特別収監治療室に入れられ、簡単な健康チェックやパッチの装着、簡易なカウンセリングをそれぞれ山城によって受けていた。
山城は連れて帰った当初は流石に驚いていたものの、てきぱきと自分のできる作業を行い。普段はミタカが入ることのある隔離室、特別収監治療室にムントを確保した。
これから先のムントの行き先は未確定だが、企業連合の会議で話し合った後、何事もなければ元の管理会社である枕木燃料精製所に戻る手はずになっている。
それまではこの特別収監治療室に隔離されるらしく、山城からは個人的に話したいことがあれば今のうちに、と勧められた。
幾多はそう言われて暇も持て余していたので、ムントの様子を見に行くことにした。
アクリル板越しに見た特別収監治療室は精神病棟の個室のようにベットだけで飾り気がなく、所狭しと衝撃吸収材が敷き詰められ、心の空白をそのまま形にしたような部屋だった。
ムントはそんな部屋でやることもなく、ベットの上でパントマイムみたいに、両手を口に変えて2つの口が話し合っているかのように戯れさせていた。
「いいご身分だな」
幾多が声をかけると、それに気づいたムントが顔を上げた。
「むーは、ひまだ。それにさびしい。むーのともだち、つくってもいいか」
「そんなことしてみろ。今度こそ、地獄の底に叩き落としてやるぞ」
幾多は感情をむき出しにそう言った。
ムントはそんな幾多をキョトンとした顔で眺めていた。
「むーはわからない。なんでおにいさんは、そんなにおこっている」
「お前は、今までどれだけの人間を殺し、感染者にしたか分かっているのか。俺たちの仲間を、コミューンをどれだけ。なのに反省のひとつもねえときやがる。怒らねえ理由があると思うか」
「… …わからない。むーはたべて、ともだちふやして、やりたいようにやった。それだけ」
それだけ。という言葉に、幾多は激高した。
「それだけ? わからない? 通用すると思うか。ムント、お前が媒介者でなければ大量殺人者として死刑を宣告されるくらいには殺してきた。なのに」
「むーががまんすれば、だれもしなずにすんだと」
「そうだ。抑制剤がなんだ。ただ耐えさえすれば何も起きなかった。なんで、それができない!」
媒介者に共通するそれを、幾多は言わずにはいられなかった。
ムントは幾多に言われたことを反芻するように考えを巡らせた。
「よくせいざい、それがあっても、ほんとうのいみでは、ばいかいしゃはひとにはなれない。とおもう」
ムントはそう切り出した。ムントの言葉はつたなくて、聞き取りにくくて、ひどく長く。それでも幾多は感情的にならぬように努めてその言葉を受け止めた。
ムントは言う。媒介者は抑制剤によって一時的に人のような思考、欲求、理性、を取り戻すがその脳の器質は本質的に手遅れになっているのだと。
抑制剤は脳の変質を止めているのではなく、ライオンが人の言葉を理解し使用するような、仮の変化を与えているに過ぎないということだ。
例え意思疎通が可能になったとしても、ライオンは人のようには生きられない。それは内蔵の仕組みだけではなく、生理作用に引っ張られた生存本能、肉を食み獲物を狩るための脳細胞の行動原理の方もだ。
上辺だけを社交的にしてみても、人と媒介者は相いれない。生きるために殺戮が必要ならば、媒介者はそれを躊躇わないのだ。
ムントは長い長い言葉の先に、そう結んだ。
「ひとがかりをし、しょくじをし、こどもをふやすのとなにもかわらない。とめようがない」
「―――分かった。その<毒の意思>とやらが耐えられるようなものじゃないなら。お前はやっぱり隔離されるべき存在だ」
「それはみたか、ってこも?」
「っ!」
媒介者である以上、ミタカもまた例外ではない。今でこそ大人しいものだが、ムントのように抑制剤が切れれば何をするのかは未知数だ。暴れた結果、ムントのように隔離されるようになるのかもしれない。
ミタカの心情の一端を理解し始めている幾多にとって、それは避けたい事態だった。
「ミタカは、違う」
「ちがわないよ。みたかもむーとおなじ、ひとをころさないではいられないそんざい」
「じゃあ、どうしろってんだ。ミタカもお前みたいに拘束しろってのか?」
「そのひつようはない。むーをゆるすひつようがないのと、おなじ。でもりかいはしてほしいの」
「理解… …」
私とあなたは違います。でも私とあなたが違うことを許してほしい。その罪ばかりは許さないとしても。ムントが言いたいのは、そういうことだった。
「くちでなにをいったとしても、むいみだけど。おにいさんのともだちをうばって、ごめんなさい」
ムントはそこで初めて陳謝した。
幾多はそれですべてを赦すつもりにはなれないけれど、ムントの境遇、ムントの立場を少しは許容する心の余裕はできた。
「ああ、頼むからもう無闇に人を食わないでくれ。今の言葉が本当なら、どこかでそれを証明してくれよ」
「うん、どりょくする」
ムントは子供のように胸の前でファイティングポーズみたいな頑張りますアピールをした。
どこかそこに垢ぬけない、憎めない動きに、幾多はくすりと笑った。
「話は変わるが、その抑制剤が切れたのには何か理由があるのか?」
幾多はおそらくムントの騒動を抑えようとしていた者が誰しも覚えた疑問を訊くことにした。
「げんいんは、むーにもわからない。いつもどおりによくせいざいをうって、ぱっちもかくにんした。もんだいないようにみえた」
「抑制剤が効かない。ってことはないな。事実今、抑制剤は効いているわけだし。ならば周りで何か異常はなかったか」
「いじょう、かはわからないけど。みなれないひとがふえたことくらい」
「見慣れない人間、か。それだけじゃな」
探偵よろしく聞き取りをしてみたが、やっぱり幾多には荷が重かったらしい。さっぱり筋が読めない。
ここは頭のよさそうな山城に任せておいた方が賢い選択であろう。
「ところで、むーもきいていいか」
「あん? なんだ」
「むーはこれからどうなる」
「そんなの、分からねえけどよ。所長が言うには順調にいけばお前の古巣に送られるだろうって話だぜ」
「… …そうか」
ムントは肩を落とし、気を落としたような仕草をした。
それは自分の行く末を案じているようにみえた。
「古巣に還りたくないのか」
「ここのほうがいい。あそこにかえれば、きっとこんどはきびしく、とじこめられる」
一度脱走した媒介者だ。無理もない。幾ら<毒の意思>の仕業とはいえ、個人の思考までは制御できない。もしかしたら、今度は自分の意思で逃げ出さないとも限らない。
一度逃げ出すとはそういうことだ。本人の信頼、媒介者としての信用にかかわる。それに逃げ出し暴れたことを考えれば、対外的な印象も思えばやむを得ないことだ。
ムントは沈んだ顔でため息をつく。しかし幾多にとってはその扱いは当然のことであり、同情の余地などない。
「自分の身の振り方をもっと考えることだ。生きているだけ、マシなことをお前はしたんだからな」
幾多はムントを突き放すような言葉をかけ、席を立ちその場を去った。
そのため、俯いているムントが何か閃いたかのような喜々とした表情を見せたのに気づけなかった。
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