第15話

 四脚のハーミットキューブには頭部前面から乗り込むことも、上部のハッチから乗り込むこともできた。


 幾多は上部のハッチを開けると、迷わず飛び乗る。内部との気圧の差で押し出される感覚を感じつつも、身体をハーミットキューブ内に押し入れた。


 操縦席は吊り上げ式で、座席はフックのように狭く。背骨を中心に身体を掴みあげられる風に座った。


 窓がない代わりに、全天球型のプラネタリウムのようなディスプレイが外の景色を表示する。そこにはトンネルや渋滞している廃車、もちろんムントの巨大な姿も見えた。


 ハーミットキューブを動かすにはハンドルはいらない。インターフェースはアポックに搭載されているセンサとハーミットキューブのセンサが情報を統合し、直感的な操作ができるようになっている。


『だから、素人の凩幾多にも操作が可能です。もちろん、私のサポートもあってですが』


 それらの説明はアイオスが口頭で素早く伝える。


 幾多はアイオスに助言を受けつつも、ムントに備えて最適化を急ぐ。そして指の先から足の先まで、ハーミットキューブにフィードバックされる感覚を確かめるように小刻みに動かす。


 それと同じくアポックで感じたような、センサが錯覚させる、四肢が増える感覚や巨人になったような高揚感を全身に感じた。


「準備運動はこんなものか」


 瞬きするほどの時間で準備を整え、幾多はハーミットキューブを左旋回させて巨大な肉塊となったムントに向い合せた。


 とはいえ、ハーミットキューブにはジョロウグモのような対人武装はない。代わりに採掘用の大型のドリル、保持と解体を行うハサミが左右それぞれ2組存在している。武装の代用としては申し分ない。


 互いに向かい合い。にらみ合い。間合いを詰め。先に仕掛けたのは、ムントだった。


 ムントはその巨大な腹にできた肉食獣にしては大きすぎる2メートル幅もある口で、牙で、ハーミットキューブの頭部を飲み込む。


 ミシリッ、と装甲は歪むが壊れない。ハーミットキューブのカーボンナノチューブと合金の複合装甲はそんなに簡単には壊れない。


 逆にハーミットキューブの両のハサミがムントの肉を摘まみ、拘束し、2体は取っ組み合いになった。


 それはまるで怪獣特撮映画のワンシーンを切り取ったような有様だった。


「ドリル起動!」


『ドリル起動、了承しました』


 岩石採掘もできる凶悪な形をしたドリルが始動し、唸りをあげて回り始める。


 両のハサミがムントの巨躯を引き付けたまま、その地獄のミキサーが接近した。


 ムントもただそれを喰らうわけにはいかない。両の腕をティラノサウルスのような貪欲な口を生成し、迎え撃つ。


 歯と刃が互いを喰らいあい。白い火花が周囲をフラッシュライトのように照らし出す。


 その鍔迫り合いの勝利は、赤い鮮血が報せてくれた。


 二つの紅い華がパッと咲き、肉の蕾が無残にも四散した。


 それに対して、ムントはヒドラのように複数の腕を作り直し、再びハーミットキューブに殴り合いを申し込んだ。


 これは乱打戦であり、消耗戦だ。


 どちらが先に擦り切れるか、折れるかだ。


 殴打殴打殴打。牙のある握りこぶしと刃のある機械が持てる力で潰しあいの応酬だ。


 ムントの腕はもう何本も戦闘不能にされつつも、ドリルの切れ味は一向に落ちる様子はない。


 ハーミットキューブの方が優勢だと、ムントも感づいたのか、やり方を変えてきた。


 ムントはハサミから逃れるように身体をうねらせたかと思うと、その肢体を細く長く変容させる。


 細長い身体は龍のように立ち昇り、ムントは尾の長いラミアのように変わった。


 その筋肉の筒のような胴体を今度はハーミットキューブに巻き付け、生え揃った牙がその装甲を喰らい始めた。


 特にハーミットキューブの頭部には念入りに幾重にも巻き付いて操縦席ごと幾多を押しつぶしにかかってきた。


 しかし、遅い。


「後ろがお粗末だぜ」


 幾多は締め付けられる前に上部ハッチから脱出していた。ムントが変身するのを見定めてから、操縦をアイオスに任せておいたのだ。


 幾多はアポックのスチームブーストを蒸かした。


 ムントは再び触手のように腕を生やして幾多に向かわせる。幾多はそれを人並み外れたフットワークで躱した。


 そのまま、幾多はハーミットキューブのアームを踏み台に三角飛びの要領で跳び、再度ムントの上半身後方へ回り込んだ。


 大振りのナイフが幾多の腰から抜かれる。


 「ここ!」


 幾多はムントのへそから下を狙い、アポックのマシンパワーに任せて乱暴にナイフを振った。それにより、ムントの腰から下は切断される。その代わり、耐用に耐えかねたナイフは根元からひしゃげて同時に破砕した。


 ムントはその短い髪を振り回しながら、支えを失いハーミットキューブの上に鈍い音を立てて落ちた。


「むーの、からだを」


 それでもなお、ムントは生存していた。幾多もまたそれを予期して次の行動に移った。


「切っても切っても死ななくても、身体の構造は基本同じってなら」


 幾多はハーミットキューブの上でのたうち回るムントの顔面を掴んだ。


 身体中に口が生えているムントは、例外的に顔面には元の口以外生えておらず、掴みやすかったからだ。


「寝ていやがれ!」


 幾多はムントの頭部をそのまま、何度も何度も白くてかたい装甲にうちつける。


 最初こそはムントも怒りや痛みによる声を発していたが、幾度も叩きつけるうちに、それは懇願するような悲鳴に変わり、それも間もなく静かになった。


 幾多は気絶したムントを放り投げ、自らは尻もちをついた。


「オーダーリスト・スチームブースト、終了。でいいのか?」


 幾多は全身から吹き上がる白い蒸気に観念し、システムを終了させる。アポックの装甲は名残惜しそうに蠕動しつつも、幾多の口頭命令を聞いてシステムの炉を鎮火させた。


 幾多は身体が冷えていくのを感じつつ、やっと一息をついた。



 念願かなってついにムントを捕まえたのも束の間、ムントには素早く抑制剤を打つ必要があった。


『ハーミットキューブに常備された抑制剤を確認、使用してください』


 アイオスの的確な指示を受けて、幾多はハーミットキューブの内部を調査した。


 中はきれいに整理されていたため、抑制剤を見つけるのにそんな時間はかからなかった。


 残された抑制剤はカートリッジ式の注射で3本残されていた。それを幾多は1本拝借してムントの腕に突き刺し、皮下注射を行った。


 そして念のため、目覚める前にハーミットキューブの中にあった媒介者専用の拘束衣、手枷をムントに着させた。


 胴体の寸断した傷も治療すべきかと思い。調べてみると、既に傷口は塞がっておりトカゲの尾が生え変わるようにまた足が生えようとしていた。恐ろしく早い治癒能力だ。


「媒介者はどいつもこいつも、こんな不死身の再生力なのか?」


『いいえ、ムントは口腔生成という<毒の意思>の設計のため二次的に再生能力の高さを持っています。しかし必要なければ、媒介者の再生能力は人並みしかありません』


 幾多はムントだけが特別であることを聞き、胸を撫で下ろした。


『ハーミットキューブ内部をデジタル含め捜索しましたが、痕跡の発見は不可能でした。ムントの暴走を鑑みて、確認のため抑制剤の検査も行いました』


「稲荷が、中身を取り換えている可能性もあるからな」


 幾多は苦々しくもアイオスに同意した。


『安心ください。結果は抑制剤で間違いありません。成分の詳細は1週間近くかかりますが、抑制剤を見分けるのはパッチと同様の抑制剤特有の官能基を指標にしたため判別できました。例え、その他致死毒があったとしても媒介者の特性ゆえにほとんど無効でしょう。これも毒物の上位者と言われるゆえんです』


 アイオスはそう御高説をのたまった。


 痕跡はない。と言われつつも、幾多はムントが起きるまでの間ハーミットキューブの内部を探索した。アイオスが見つけられなかったものが見つかるとは思わない。ただ手持ちぶたさがそうさせたのだ。


 それに、ムントが起きるまで待つのは彼女に抑制剤が効いたか調べるためだ。


「もしも効かないなんてことがあったら?」


『その場合、重度拘束と重度管理下におく他ないでしょう。殺すという選択は媒介者の再出現を引き起こすので可能ならばあり得ません。もちろん、私は貧弱な凩幾多を守るべく作られているので、いざという時には非情な選択もとりえます』


「はは、そいつはありがたい」


 とはいえ、殺す必要がないなら束縛する必要がないならば、そうしたい。というのが、幾多の本音だった。


「むー。むーは、まけたのか」


 ムントが起きたのはそんなことを話している最中だった。


 幾多は拳銃を握り、事の成り行きを見定めようと努める。


「せかいが」


 ムントはあくびをするように。


「かわった」


 そんなことを口にした。


「変わっただと? どういう意味だ」


 ムントは自分が拘束されていると知りつつも、特に抵抗はしない。暴れていた頃と比べると、まるで泣き止んだ幼子のように大人しいものだった。


「いつもみたいに、おなかがすかない。ともだちがいないのに、さびしくない。こころが、きえちゃったみたい」


「そいつは<毒の意思>ってのが無くなったって意味か」


「わからない。でも、おにいさんがもうおいしそうにみえないのは、たしか」


 その言葉に幾多はゾクリとしつつも、アイオスに耳打ちをした。


「こいつは抑制剤が効いていると判断していいのか?」


『声調からは本当のことを言っている可能性が72%。うそ発見器にかければ9割がた判断がつきます。また抑制剤の効果は皮下注射でも瞬時に効果があり、約2週間は継続するため、影響下にないということは特例でもない限りはあり得ません」


「例えば、抑制剤が効かない特殊な媒介者とか」


『事例はありません。ですが、抑制剤の影響下にありながら個人の意思により危険性が失われないケースは存在します。ムントはその類に含まれないとのデータがありますが、いかがしましょう』


「… …」


 幾多は考えるも、名案が浮かぶわけでもない。ここはとりあえず訓練の最中に教わった妥当なやり方を試すべきだと判断した。


「ムント、これからお前を拘束したまま護送する。もし拘束を破る場合、命の保証はない。巨大化も、なしだ」


「いいよ。おおきくなるのは、おにくがないとだめだし。わたしも、おにいさんとおはなしがしたい」


「話ってなんだ?」


 ムントは警戒しっぱなしの幾多をくすりと笑い飛ばすかのように口にした。


「だって、おにいさんのなまえ、しらないんだもん」


 自己紹介は戦いの後に、というのも奇妙な順番だが、幾多はムントの希望に沿ってやった。


 その時だけは媒介者と人間としてではなく、人と人として心を通わせた気がした。

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