第14話

 トンネルの壁に反響する吠え声は増幅され、不気味な悪魔の釜口を思わせた。


 日も差さない暗闇からは爛々と光る眼玉がひとつ、ふたつ、幾つも増えていく。


 姿こそ見えないものの、この舐めるような威圧感に幾多は覚えがあった。


 イヌガタ、ムントの感染者たちだ。


 幾多はアイオスとの通信を開いた。


「アイオス、ハーミットキューブは起動できそうか。今すぐ」


『いいえ、メンテナンスは終わりましたが、リブート作業はこれからです』


「なら急いでくれ。こちらは緊急だ」


 幾多はそう言い、拳銃を構える。そして廃車と廃車の隙間を縫うように移動するイヌガタの影を目で追い、狙いをつける。


 だが遮蔽とイヌガタの速さで、当たらないであろう拳銃を撃つことはためらった。代わりに幾多は奇襲を警戒しつつ、トンネルの出口から離れた。


 イヌガタはというと、こちらの様子をうかがっているだけで襲い掛かってはこず。トンネルの中から目玉だけがちらつかせている。


 幾多は考える。このままこの場でイヌガタをしのぎつつ、ハーミットキューブを待つのが最善であると。


 なによりこのトンネルは北側を向いているのだ。なら、おそらく出口は―――。


 もし危惧する通りなら急がなければならない。


 しかし、その予感は早々に的中する。


「しにたくないもの、このゆびとまれ」


 幼児退行した独特の甘ったるい声、口足らず言葉の選び方。


「はーやくしないと、ゆびきるぞ」


 幾多は声のする方へ、再び銃口を向けた。


「いち、に、さん、し、ゆびとまれ」


 トンネルの深淵からいざ出てきたのは媒介者ムント、本体の姿があった。


 一度会った時と同じく、百目の妖怪のように口が点々と生え、吹き出物のように唇が歯が飛び出している。服は相変わらず特徴のない白で、細すぎ骨ばったその体と嫌に似合っていた。


「おにいさん、ひさしぶり、むーにすこっぷをぶつけてきたとき、いらいだね」


「人違いじゃねえか。俺はただの善良な特先だぜ。会うのも初めてで―――」


「ちがうちがう、これはおにいさんのくうきのあじ、かおをかくしても、むーはまちがわない」


 幾多はムントを刺激しないように、ヘルメットで顔を隠しているのもあり、他人を装ったが既にばれていた。


 どうもムントの身体にある口から舌を突き出し、揺れ動かしているのは行儀の悪い貧乏ゆすりなどではなく。肉食獣が獲物を追うために鼻を鳴らすのと同じで、大気中の臭いを舌で感じ取ることができるらしい。


 幾多はできうる限りなんとか時間を引き延ばそうと、言葉をつづけた。


「とろけた頭のくせに上手いことトンネルを抜けてきたじゃねえか、どうやったかご教授してくれねえか」


「むーはかしこい、ちかなら、とおれるってしってた」


 シンプルな回答だ。確かに山城も橋や船が使えないならば、地下の通路が使えると言っていた。そう考えると意外にこのムント、頭がいいというか鼻が利くと言ってもいいか。


「トンネルをふさいでいかなかったことを、恨むぜ稲荷」


 幾多はムントに聞こえぬよう小声で悪態をついた。


 しかしその割に、あの封鎖作戦からもう3週間が経とうとしている。すぐさま迂回してきたなら、こうもタイミングよくはちあうのだろうか。


「むーはあたまいい、ちかでまよわないように、みぎてをかべにつけて、歩いた。ずっと、ずっと、ずーっと… …」


 ムントの顔が少し暗くなった。確かに白い服も顔もホコリまみれで灰色に染まりつつあり、その苦労が伺える。それもそうだ。橋が通れなくなった日から延々と彷徨っていたとするなら、2週間から3週間ずっとずっと光も差さない闇を歩いていたことになる。というなら気の毒と思うほかにない。


 逆に言えば、もう何日か放浪してくれていればこの出口も楽にふさげていたかもしれない。そう考えると残念だ。


「こんなに、くらいばしょをあるくなんて、これもそれもおにいさんのせいだ」


 幾多に対する怒りを思い出したのか、再認識したのか。ムントは憤りをあらわにした。


 これはもう話している状況ではない。ムントは一歩また一歩とこちらへ向かってきた。


「待て待て、爆破したのは俺じゃないって」


「かんけいない、おにいさんはむーをじゃました。むーのてき、おともだちじゃない」


 幾多は会話の余地なしと判断し、再度拳銃を向け、今度こそ引き金を引いた。


 破裂音と共に、ムントは胸や腹を腕で庇った。


「いたいなあ、もう」


 ムントは身体のところどころを膨張させて銃弾を受け止め、ひねり出した。やはり、小口径の銃弾ではムントへの対抗は難しい。


 仕方なく、幾多は戦闘中にもかかわらずアイオスへ助言を求めた。


「アイオス、準備の方は」


『リブート作業、完了まで5分』


「今すぐこちらに来てもらわないとだめだ。俺がひき肉になるか、化け物の餌になっちまう」


 幾多は悲痛な弱音を漏らしつつ、後方へ走る。少しでもムントとの距離を取ろうとする悪あがきだ。


『ではオーダーリストの使用を推奨します。オーダーリストは口述認証、現状ではオーダーリスト・スチームブーストの使用を推奨します』


「な、何だって」


『言い換えれば、特殊兵装の使用解放です』


 幾多がそうしてアイオスに説明を受けている合間にも、ムントは自身の身体にイヌガタやヒトガタを取り込みつつ、更なる異形へと変貌していた。


「むーを、むしするな」


 幾多に振り下ろされてくる腕にはメイスのように凶暴な鋭歯が並んでいる。幾多はこれを腰に下げていた大ぶりのナイフを抜き、両手を添えて受け止めようとした。


 それでも振り下ろされた腕の方が威力は強く、幾多は何とか身体を支えようとするも受け流す形で横へ突き飛ばされた。


 針山のように並んだ歯が、丈夫なエクゾスレイヴの食い破ろうとするも、何とか肌まで貫通することはなかった。


「いってえな」


 幾多は辛うじて受け身をとり、反動で身体を起こす。


「少し待ってろ。これから俺様がバシーンガキーンと変形して、お前に目にものを言わせてやるってんだから。好きだろ、変形、合体、最終形態」


 ムントも形を変えることが多いため、男の子的なシンパシーを見出し、何とか説得材料にならないかと、幾多は説得を試みた。


 すると、本当にムントはおとなしくなった。


「… …わかった。むーはかんだいだ。まってやる」


 ムントの表情はドキドキワクワクと新しいおもちゃを待つ子供のように、楽しみで微笑していた。こうまで反応が良いと、幾多も罠ではないかと警戒する。


 だが、こうも都合のいいチャンスを逃す手はない。


「アイオス、少し時間ができた。そのオーダーリストを教えてくれ」


『状況は判断しかねますが、了承しました』


 オーダーリストは常時使用不可能な特殊なエクゾスレイヴのオプションの使用解放のことだ。スチームブーストの他に、モザイク、ピグマリオンなどがある。モザイクも厳密にはこれにあたり、アイオスを通さない場合オーダーリストの使用という形で機能するようになっている。


 そしてこのスチームブーストは因子由来物質を使用した特別なものだ。シュテンディガと呼ばれる、無機物の媒介者の一部であり。その媒介者は周囲の土、砂、岩、金属資源を取り込みながらゆっくり移動し、圧力、水蒸気圧を延々とため込みそれを動力として動き続けているのだという。


 取り込まれている因子由来物質はその媒介者の生成した圧力と熱を交換する永久保存装置であり、任意で熱の調節と水蒸気圧を利用した爆発的運動が可能になっている。


 また、水蒸気となる前の液体は身体中を流れ冷却や保温を行い長期活動にも寄与している。常時スチームブーストを使用できないのはこの体温を守る機構も壊れてしまうからだ。


 幾多は概要を理解した。


「よし、オーダーリスト・スチームブースト」


 幾多が言うや否や、身体の至る所を補助している装甲の隙間からわずかに白い蒸気が噴き出す。全身に新たな加圧が加えられ、いつでも思いっきり動けそうな状態だ。


「むーは、もうまてない」


 ムントの方に振り向くと、彼女の様子が明らかにおかしい。様々な口角からは泡を吹き、どの口も歯ぎしりが激しい。目をむき出しにギョロつかせ、息も荒い。


「むーはがまんができない。むーはともだちがほしい。いや、かみたい。かみたい。そしゃくしたい。にくがかみたい。いきものを、くちにふくみたい!」


 その姿は明らかに<毒の意思>の願望・欲求に引き寄せられてしまっている。これが抑制剤がない媒介者の本性、暴走する管理された災害、歯止めのきかない化け物の姿だ。


「おい、待て。変身時間は攻撃しないってのが鉄則だろ」


 幾多はそうおどけて見せたが効果はない。ムントはもう、どう気を引いても引き留めることができない様子だ。言うなれば、抗い難き空腹、心を惑わす飢餓にとりつかれ突き動かされているようなものだ。


ムントは肉体を脈動させ、肉が膨張する。縦幅2メートル近くまで膨らむと腕も丸太ほど太さになり、巨人のようになった。


「かむ、かむ、かむ」


 ムントはその姿のまま幾多に向かって突貫、この図体の大きさと速さ、とても横に逃げられない。


『上へ跳んでください。はやく』


 通信から入った命令に、幾多はとっさに反応する。スチームブーストが発動し、フルスロットルで走りマフラーから排気ガスをまき散らすかのように、水蒸気が溢れかえった。


 幾多は跳んだ。


 その高さ、優に4メートル。走り高跳び選手の2倍もの高さではムントも手出しができず、はるか下を通過していった。


 幾多は空が反転するのを感じつつ、宙を仰いだ。


 いや、仰いでいるのではなく完全に空中で身体を制御できていない。


 これでは着地はおろか、受け身もとることはできない。そのままでは落ちて骨を折り、肉をつぶしてしまう。そんな高さだ。


 幾多は素っ頓狂な叫びをあげ、今落下しようとしていた。


『お待たせしました』


 その間に割って入ったのは、アイオスそしてハーミットキューブだった。


 ハーミットキューブはトンネルの横の車道から勢いよく飛び出し、急ブレーキをかけ、幾多の落下位置に滑り込んだ。


 何台かの廃車はハーミットキューブに潰されるか、弾き飛ばされる。そのかいもあり、幾多はもんどり打ちながらハーミットキューブの頭部の上で弾んだ。


「いつつ、荒い歓迎だな。それよか出力おかしいだろ、これ」


『本来ならば、試運転からの使用を推奨するのですが、緊急でしたので。ちなみに設定をフルパワーにしたのは私です』


 アイオスは少しも悪気がなさそうに、そうやって機械的に言葉を紡いだ。


 幾多はハーミットキューブからアイオスを取り出して小突き回したい気持ちを抑え、立ち上がる。


「さあ、第2ラウンドだ」

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