第11話



 俺の指示は正しかったのだろうか。早計ではなかっただろうか。


 誰も殺さず、傷つけずなどと聖人ぶったことを言うつもりはない。ただあの時、少ない脳みそを少しでも活用できたなら、もうちょいマシな選択肢があっただろう。


 ミタカに命じた殺戮の要請、だがあそこまで人間を羽虫にのようにちぎるほど容赦がないとは幾多にとって最大の誤算だった。


 いや、本当は違う。期待はしていたのだ。ミタカがあの脱出困難な状況を一点、圧倒的勝利の状況にしてくれることを、封鎖作戦の時と同じようにタブチらを救うため自分を助けるため、力を発揮してくれると。


 どちらにしろ、媒介者という道具に頼らざるを得なかったのだ。


「元々、媒介者を管理するというのはそういうことよ。単純に戦力になるし、汚いお仕事もお手の物。罪悪感を感じるのは任せておいて自分のことにするような本末転倒じゃない」


「なら自分でする方がまだましだ」


「手を汚させるくらいなら自分がって。まるで騎士のように誠実だこと。ミタカは喜ばないだろうけどね」


 あれから、タブチらと別れミタカと共に山城のいる施設に戻ってきてから1日が経った。


 今は所長室の備え付きの台所で、コーヒーメーカーを使い炒った豆から贅沢にコーヒーを淹れ。山城にはブラックを、幾多にはミルクを少し入れて、それを味わっている。


 幾多は薄茶色になった液体をいただきながら、苦みの中にある小さなご褒美みたいな甘みを味わっていた。


「所長、ブラックだけで飲んで旨いのかよ」


「苦いだけだけどおいしいよー。こう、目を覚ましてくれる味がね」


 そういう戯言みたいな世間話をできるのも、こうして無事に戻ってこれたからだった。


「結局、あのまま拠点を放棄したみたいだけど、あのコミューン達は何者だったんだ」


 幾多は思い出したかのように、タブチらと共に襲った敵対コミューンのことを考えていた。


 ほとんど情報収集をせず、破壊工作ではなく殲滅してしまったため目的は分からず。リーダーらしき男に弐部という謎の人物がいたくらいで、潤沢な資材の供給元も不明だ。


 あれだけ装備を揃えられたなら、黒幕に大きな組織がいてもおかしくないのだが、何もわからないと言っても違わない。


「特定の企業を狙っているなら利害関係から背後を探るのはできるけど、他の場所でもそんな兆候はないのよね」


 山城はそう言う。


「サンクタムの近くだけじゃないのか」


「それがどうやらそうでもなくて。サイト21中で非特定企業に対して、もしくは企業に友好的なコミューン組織に対して、敵対するコミューンがいくつか拠点を設けているみたいなの。仮称で彼らをレイダーと呼んでいるけれど、目的も不明で拠点を作ったり妨害行為をするばかりで何がしたいのやら」


 山城はこめかみを押さえた。


「元々、企業に対するコミューンの好感度はよくないの。労働契約を結んでいるわけではないし、働かせるだけ働かして対価については無視を決め込む悪質なところもあれば、説明もなく二束三文で危険な作業をやらせるとこもある。恨まれて当然なんだよ。うちらは」


「恨まれる宛てがありすぎるってことか」


「そういうこと。ただ、なんで今更って感じもするけどね」


 不満が爆発するなら、こう悠長に拠点を作ったりして下準備をするよりは決起して企業の駐屯地そのものを襲う可能性の方がもっと高い。と、山城は告げる。


「でも被害が大きくなると、72時間法も発動しかねないから無視できるのもこれまでかもね」


 72時間法ってなんだ? と幾多が訊くと山城は懇切丁寧に教えてくれた。


 72時間法、本来はもっと長い名前の国際法なのだが通称はこちらが良く使われている。


 発令にはOMFRという因子関連を一括して管理する団体の調査決定をもとに、決定から72時間後限定的な隣接国家の介入が行われるという法案だ。


 汚染地区の治外法権を許す代わりの最低限度の緊急処置、そのおかげでこれまで汚染地区を中心にしたテロや革命といった動きは外へ大きく波及することなく鎮圧されている。


 だが、72時間法は企業によっていい面だけではない。軍隊が動くということはそれだけ作業員も巻き込まれて死に、軍隊の管理下に置かれるということはそれだけ清掃作業も滞る。そうすればOMFRからの清掃代行の賃金も減る。


 いつまでも経営に支障が出れば資金繰りがうまくいかなくなり、不渡りを出して弱いところであるほど企業は倒産する可能性があるわけだ。


 ところでこのOMFR何故ここまで権限を持ち合わせているかというと、国家の代わりに汚染地区の範囲決定、決定後の縮小・洗浄を行っている機関なのだ。


 OMFR、正式名称をorganatisation for the managiment factiogical riskといい。つまり媒介者の元となるアーヴィタ因子のリスクマネジメントをする機関であり。一番のリスク、因子による国家間紛争の可能性を排除するための機関と思ってもらっても相違ない。


 日本のような海洋国家では疎いが、もし媒介者が国家と国家の境界線に現れた場合、当事者だけではどちらが事態を収拾しその後管理するのか国家の軍事力と外交という大きな時間的ロスを伴う。


 それを解決するため、国際法上、汚染地区はどの国にも属さないこと。汚染地区の絶対的権限をOMFRに持たすことによって外交的な問題を一度棚上げにし、誰の責任にもしないという判断をした。


 当然、人道上の国民の救助はもうひとつの汚染地区ができるまでの72時間法で軍隊を動かすことも可能だが、大半は当該地の全国民を逃がすのに間に合うことはない。


 それがタブチ達のコミューンのような例だ。


 また当事者国家は一度汚染地区を治外法権として責任を逃れるものの、今度は汚染地区の隣接国としてOMFRに汚染地区の収縮を依頼する。つまり、復興も行われる。


 一度、汚染地区を設定したとはいえ媒介者、感染者の捕獲や殺害。不当に運び入れられた危険廃棄物の清掃を終えれば、媒介者を他の汚染地区で管理させることができ、そこは実質安全な汚染地区に変わる。


 いくつかまだ問題は抱えるものの。この試みは抑制剤によって媒介者の気性を変えられるようになってから爆発的に効果を上げており、8割がた元の国土に還り、国民が住みなおすという実績も聞かれている。


 事実、このサイト21でも3割がた清掃作業が終わり。仮の壁でレッドゾーンとグレーゾーンが分けられている。


 だからこそ、OMFRのイメージ向上を維持するため、この下請けを様々な企業がOMFRに清掃権限を委譲されたうえで行い、その手当を払い。両者win-winの関係を築けているのだ。


 そういうわけで。異常事態の緊急措置は困るのだ。


「だからアイオスの分析も待って、次の企業の連合会議でレイダー討伐の提案を出すくらいはしないとね」


 山城は、とほほ、と面倒くさそうにため息をついた。



 しばらくして、山城はコーヒーを飲んだにもかかわらず怪しい錠剤も飲み、いつもの安楽椅子に沈んでいた。


 とはいえ、久しぶりに長期活動をして疲れている幾多も客用のソファーにゆったりと座り込み、疲労とあくびを噛みしめていた。


 今日与えられた任務も特になく、突然与えられた休日に何をしようかと空っぽの頭で考えていた。


「邪魔するんだな」


 所長室を突然開けて来日したのは、なんとミタカだった。


 急な来訪に山城を見る幾多だったが、当然彼女が答えるはずもなかった。


「私は元々ここの出入りを許されている。それにちゃんとエンブリオも仕舞っているし、嫌なら今から隔離するか」


 自分の権限では命令さえすれど、規則を作って拘束していも良いのかと考え、幾多はわずかにひるんだ。


 その隙にミタカはとっとと台所に入り込もうとした。


「せめて、好きなものは持ってきてやるから座ってろ」


 これが最大限の妥協とばかりに幾多が示すと、ミタカはむすっと感情を隠すことなく不平を漏らした。


 しかし言うことを聞き届けたらしく、何も言わずに幾多とは別の客用ソファーに座り。


「ココアとバームクーヘン」


 とだけ答えた。


 幾多は山城にコーヒーと茶菓子出し要員にされていたので、大体の食材飲料の場所は覚えており、お望みの物はあっという間に揃えられた。


 そして、チョコ色のコップとバームクーヘン半周分のお皿とお供のフォークがミタカの前に置かれた。


 ミタカはありがとう、と言うこともなく。フォークを掴みバームクーヘンを口に運び入れた。


「考えていたんだが」


 幾多がそう口を開き、ソファーに座り込む。ミタカはそんな幾多の深刻そうな雰囲気にも気にせず、口に入った甘く柔らかいシフォンを味わっていた。


「どうしてミタカはあの時、俺の了解を求めたんだ。加減がきかなくなることが事前に分かっていたからなのか。俺に権限があるからか。それとも、別の理由があるからか」


 ミタカはごくりと咀嚼したそれらを嚥下し、続いてココアを流し込んだ。


「俺はあの時、命令しなくともミタカが仕事の延長線として勝手に暴れることもできたと、後になってから思ったんだ。違うか」


「違わなければ、幾多の罪悪感は消えるのか」


 幾多は自分の心中をぴたりと言い当てられて、ぎくりとした。


「違っていたらもっと人が死ななかったと思ったか」


「そういうわけじゃない。俺はただ―――」


「答えてやる。私はエンブリオの衝動で人を殺したくないからだな」


「はっ?」


 幾多は、ミタカが人を殺すことを喜んでいたように見えたのでその言葉は意外だった。


 あれほど殺戮にはしゃぎ踊り、結晶の森を跳ね回ったのは望みじゃなかったのか。


「私はちゃんと抑制剤を打ってる。パッチを見ろ。グリーンだ。ってことは脳はエンブリオに侵されていない。そうだな」


「じゃあ、あんなことを言ったのは」


「あるじさま。は言い過ぎだったな。でも私はエンブリオに命令されて人を殺したんじゃなく、ミタカがミタカのために人を殺した。それだけは覚えてくれ」


 意外だった。だが、その通りだった。ミタカが抑制剤によって媒介者としての因子、<毒の意思>は入り込んでいないわけだ。なら、あの恐ろしいさまもミタカの素の状態だったのだろうか。


「私は生まれつきエンブリオと一緒にいたから考え方が媒介者に似ている。でも私には殺しを選ぶ権限がある。それが私の個人意思だし、理性の証明みたいなものだな。だから命令を待った。」


「殺しを選ぶ、殺戮も選ぶ。だからエンブリオじゃなく、ミタカの選択だと」


「飲み込みが早いな。ふっふっふ。恐ろしいだろう」


 ミタカは幾多を怖がらせるつもりで両手を垂直に上げ、幾多に覆いかぶさるようにした。


 だがそれでも幾多はひるまなかった。それ以上に、心に去来したものがあったのだ。


「何だよ。殺戮機械だと思ったら、自由にする権利もあったんじゃねえのか。優しさもあったじゃねえか」


「や、優しさ?」


 ミタカは素っ頓狂な声を上げた。


「選んだということは迷いがあったんだ。命令を欲した。理性を感じたということは守りたいものがあるからだろう。お前は化け物なんかじゃない。優しさを持った殺人鬼だ」


 幾多は、自然な形でミタカの頭に手を当て。そのまま髪を軽く掻くように撫でた。


「そ、そうなのかな。いや、違、わないか。あれ?」


 ミタカは頭を撫でられ満更でもなさそうだ。ただし、それが正しいのか悩んでいるようだった。


「俺は誤解していたのかもしれねえ。怖くても、恐ろしくても、少なくとも俺を敵だと思わないでくれた。それだけでも感謝すべきだったんだ」


「敵、敵か」


 ミタカはもういい加減十分だと、恥ずかしそうに幾多の手を払いのけると、気落ちしたかのように目線を下げた。


「でも、もし私に抑制剤が消えて。エンブリオの意思になったら、それはもう私の殺戮ではなくなる。そうすると、理性。私の大事なリデル、タブチ、山城。にも攻撃してしまうかも。人類の本当の敵になってしまうかもしれない。私はそれだけが怖い。私の母親なのに、私の母親のすることが怖い」


 ミタカは矛盾したような恐怖を吐き出して震えた。


 それを確認した幾多は、当たり前のように解決策を提示した。


「なら、その時は俺が止めてやるよ。人類の敵になる前にまず俺を、俺が抑制剤の次の抑止になってやる。これでも俺はしぶとくてな。頼りにはなるぜ」


 これがお前を道具代わりにするお返しだ。とばかりに、幾多は約束した。


「その前に、パッチや抑制剤はちゃんとしような」


「なんだ。やっぱり怖がってるじゃないか」


「うるせえな。こちとら生身の、いや違うか。でも普通の人間なんだよ」


 2人はお互いを攻撃するような、意気地なしの喧嘩仲間がするような指切りゲンマをして、仲たがいを止めた。


 それが結果的に正しいのか。冷徹でいることが最善ではないのか。遠ざけることが最適ではないかという問いも。殴り飛ばしてやるみたいに。

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