第8話



 空はまだ白んでおり、暁の光がわずかにビルとビルの間から差し込んでいて、やっと指のしわが見えるようになっている頃。朝早くから持ち場で寝ずの番をしていた2人の男は眠たい眼をこすっていた。


 2人とも恰幅が良く、碧眼の金髪で比較的白い肌をしておりロシア系の血が流れていることがわかる。


「―――」


 右にいた男の方がロシア語で何かを言うと持ち場を離れた。トイレだろうか。左側にいた男は特に何をするでもなく、代わりにアメリカ人が好きそうな真っ黒に濁ったコーヒーを無理やりのどに流し込んだ。


「おう兄弟、俺にもよこしなよ」


 左側にいた男の首が、頭が、突如としてゴツゴツとした防護服の腕にからめとられる。男もとっさではあるが、顎に力を入れ頸動脈を締められることだけは回避した。


 だが、からんだ腕は人並み以上の力が加わる。


「堪えるだけ苦しむぞ。今、俺は誰に怒りをぶちまけて脳漿握りつぶしてもいい気分なんだ」


 飲みかけのコーヒーが地を打つコップからこぼれ、腕にかかる力は万力のように側頭部、下顎を締め上げ、破砕数歩手前まで膂力が上がり。男は白い泡を吹きだし始めた。


 もう男には意識がなくなっているようだった。


「やめろ幾多の。もう十分だ十分」


 エクゾスレイヴの剛力をもって大の男を締め落とした幾多を制したのはタブチだった。


「誰が哨戒を殺せと言った! 目的は装備弾薬食糧水、人はなるべくなら殺すなだ」


「後か、先かだろ。ちっ、始めから殺す気でいたらナイフかアックスを使っているっての」


 幾多はエクゾスレイヴの腰と足に装着されたそれらをタブチに見せつけながら、かわいそうなロシア系の男を降ろした。


「ところで、もうひとりは逃がしてないよな」


 幾多がそう言うと、タブチは首をひねってリデルの方を指した。


「こちらは問題ありません。」


 目を向けると、そこには顎を赤く腫らし項垂れているさっきの見張りの1人が倒れていた。そばには銃底で倒したと自分の自動機関銃を偉そうに見せるリデルもいた。


 残りのミタカといえば壊れかけた椅子に腰かけてゆっくりとしているものだった。


「殺していいなら、別に私がやっても良かったのに。殺しに関しては幾多は及びじゃないんだな」


「そういうお前は何してやがった。さぼりか?」


「私のエンブリオは殺すだけじゃなく、神経細胞のように地中に伸ばして周りの様子を見れる、探索にも使えるんだな。私の眼は誰よりも地に深く見通せる。褒めてもいいんだな」


「あー、すごいすごい」


 所長からエンブリオの能力については大体聞いていたが、黒い水には触手のように伸びた皮膚のように周囲を感知する能力がある。


 それは文字通り感触、傍聴そしてもしくは味覚と五感の半分以上を情報として遠くや壁越しに感じることができるということだ。


「それじゃ、ここまで来たけどこれからの作戦を説明する」


 タブチが言うここまで、とは第一目標としていた敵対的なコミューンが拠点としている場所、それの内側に面するビルの一角のことだ。


 哨戒する部隊を避け、ビルからビルへ。あるいは屋上から屋上へ。密かに橋渡しとして作った即席の橋は事務机やホワイトボード、ソファーのような長椅子をビニールテープやブルーシートで無理やり固定してある。


 わずか2メートルそこそこのため簡素だが、タブチ・リデル・ミタカは問題なく通れた。その代わり幾多はアポックを含めた総重量のためやや苦戦した。


 それも、アポックの背中の節状のツインアームを使って重量をうまく分散して何とか通り抜けることができた有様だ。


 そして、これからの話だ。


「見た感じ、プレハブもコンテナもかなりあるな。おそらく住居兼武器庫だろうな。出てる奴らが少ないから、まだお眠みたいだが」


「それに投射機がありますね。パイプを切り分けただけですが、サンクタム方面に打ち出すには十分でしょう。距離は圧倒的に足りないので防衛用ですね。本格的な迫撃砲もあるようですし、正面からの攻撃はさらに無謀になりますね」


「貯水タンクもあるってことは、どこかに食料もあるんだろうな。ったく車両付きの大型発電機まで豪勢に揃えやがって、どこから資金出てやがるんだ」


「そこは後で調べることだ。気にはなるけどな。問題は俺たちの火器だけじゃ、とてもあれを全部掃除することはできないってことだ」


 武器、と聞いて、幾多はところでと思い出した。


「そういえば例の魔法のステッキ、戻ってきてるようじゃないか」


 幾多が指さす先にはタブチが背中にかけているショットガンだ。ポンプアクション付きで自動機関銃よりも弾の排出は遅いものの、タブチはこれをえらく気に入っている。


「社長に持っていかれてたからな。噂じゃ、社長もこいつで感染者どもをバッタバッタとなぎ倒したって自己申告していたけど、どうだろうな。基本的にこいつは接近戦用だしな」


「そいつは社長をお守してるSPどもは戦々恐々だろうな」


 そう言って、幾多は苦笑した。


「話を遮って悪かった。それで、足りない火力はどう補う」


「足りない戦力もな。それは封鎖作戦と似たようなものだ。やり方もな」


 つまり、そういうことだ。


「今回も爆破作戦だ。狙いは敵のインフラ、人死には最小限だ。準備するぞ」


 タブチはそう号令すると詳しい作戦内容を詰めた。



 作戦内容はこうだ。


 まず敵のインフラの中心になるいくつかの場所を目測で決め、4手に分かれる。


 そして手分けして、持ち込んだ爆弾を無線式の点火装置と共にセットする。という簡潔な作戦だ。


 無線式にするのは敵からの発見をより遅らすためであり、設置後安全圏内へ逃げ出す猶予を持たせるためだ。


 その後は銃声などで気を引く。これは銃声を聞いて警戒させることで寝ているコミューンの一員を誤爆しないようにしてより人死にを減らすという算段だ。


 こうした専門的な作戦の隠密を行うのに、少し前までただの作業員だった幾多に厳しいのではないかと思われるが、それは大丈夫。


 幾多にはアポックという頼もしい着る最新機械があり、これは隠れるということにも適していた。


 アイオスも、


『曰く、迷彩とは単一もしくは複数のパターンにより情景に紛れるような装いだと言います。その点この<モザイク>は最新の光学迷彩により、周囲と着用者の境界を曖昧にしてその通りモザイク処理された周囲に馴染んだ異物になることを可能にしているのです』


「説明どうも」


 そういう幾多は今、朝日によって最大に伸びたビルの陰に馴染み。摩擦音さえ、アポックの蛇のような装甲駆動によって抑えられた状態で匍匐前進をしていた。


「まるで歴戦のスパイになった気分だぜ」


 ゆっくりと、ゆっくりと移動する幾多は既に何個か爆薬を設置することが完了し、数メートルほど先の眠気眼の監視をすり抜けていた。


 <モザイク>は動かなければ背景と同化してしまい。動いたとしてもモザイク状に自分と周りの境界を曖昧にしてしまいより複雑な地形であれば、注視しなければバレる心配もない精度だった。


 幾多はそのまま進み、ピックアップトラックが複数駐車されているスペースの、車と地面の隙間にギリギリ滑り込み。その中の1台に爆薬をセットした。


 もう隣のビルに走りこんで入れるほど来てしまった。幾多は、そろそろのこり1つを手近な場所にセットして戻ろうかと考え始めていた。


 すると、ちょうどよい獲物が幾多の視界に入った。


 それは幾多でも立ってみれば見上げるほどの大きさの鉄塊、人型をしている複雑な機械の集合体だった


「こいつは、エクゾスレイヴか。しかもタイプM、前大戦的な奴だが同じ兵器を持たないこちらとしては動かれたら厄介だ」


 幾多はしめしめと、ネズミのごとく忍び寄るとM型エクゾスレイヴ、正式名称をBT-9と呼ばれるそれの脚部と胴体の隙間に爆薬と無線式の点火装置を張り付けた。


 さて、これで大体の任務は完了した。


 幾多はやれることはやったと確認してその場を離脱しようとした。すると、近くで誰かが出入りする音が聞こえ、瞬間幾多は身体をこわばらせて移動をやめた。


 周囲を伺い目を凝らすと近くのプレハブから他とは一風雰囲気の違う男が出てくるのが見えた。


 男は長身細見の色白で、変わっているのは喪服を思わすような黒いスーツをしている。更にサングラスにスキンヘッド、手には手袋とどこか病的な潔癖症を思わされた。


 よく見ればその男の手には何か紙束が握られ、朝日を頼りにパラパラとめくって中身を見ているところと裏面の文字の量から資料に目を通しているようだった。


 ここからでは肉眼で見るには苦しい距離だがアポックの拡大機能を使えば横から覗き見して簡単な文字列を判別するだけのことはできた。


「供給停止…偽物…媒介者… 何だか取り留めもねえ話じゃねえか」


 小言を呟くとアイオスが反応した。


『今は解析でも一部の文字しかわかりませんが、詳しく調べれば録画映像からかなりの情報を抽出することができます』


 と注釈を入れてくれた。


 そのため情報解析のために、盗撮者よろしく黙ったまま頭のスキンヘッドの男を後ろから視姦するという不名誉な役回りを演じていた。


 そうしていると、今度はスキンヘッドの男に動きがあった。どうやら携帯に電話がかかってきたらしい。


「アイオス、音声は拾えるか」


 文字の羅列よりも会話の方が情報量が濃縮されているだろうと思い。幾多はアイオスに声をかけた。しかし禿げた男は最初の2・3言話しただけで携帯を切ってしまい。その指示は間に合わなかった。


 そしてスキンヘッドの男が携帯を切った途端。その視線がぐるりとこちらを向き、隠れているにもかかわらず幾多は本能的に危機感を覚えた。


 それはどうやら図らずとも当たりだった。


「賊が侵入しているぞ。警戒態勢! 連絡を密にして居場所を特定しろ」

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