第7話



 目覚めると、そこは変わらずかび臭いコンクリートの傍だった。


 幾多は周りを確認するように身体を起こそうとすると、すぐそばに誰かがいるのに気付いた。


「大丈夫ですか」


 心配の声をかけているくせにそれは事務的で、ちっとも親身になっていない。幾多はその声の主に聞き覚えがあった。


「俺はまだガラクタじゃないぜ。スカベンジャーのリデル」


 そこにいたのは封鎖作戦で肩を並べたリデルだった。今もガスマスクとセーラー服という奇抜な格好で、おまけに機関銃まで背負っている。


「ミタカと会いまして、貴方のことを聞きました。無事なら案内する用意があります。何かあったのですか」


 何かといったら言うことはある。例えば、幻覚と音に襲われたという世迷言だ。


 結局正体もつかめず、見逃されたようなもので極度のストレス性発作と馬鹿にされても仕方がない。


 だが、リデルはそれの素性を知っていた。


「トンネルの声に誘われましたね。ここはノクトと呼ばれる音の媒介者が徘徊しているのですが、基本的には近づかない限り症状はでません。近づいた場合生者なら皆感染者にされてしまい、近づくほどに音による苦痛と幻覚を見せられるそうです」


 私はまだ見かけたことはありませんが。と、注釈をいれるリデルはガスマスクで伺えないものの、どことなく得意げな気がした。


「兎にも角にも運よく気絶したまま通り過ぎたのは運が良かったです。ここでは幻覚を見たまま深層まで行ってしまい、帰ってこない者も多いのですよ」


「気絶で済んだか。確かに、あのまま気が狂うまで近くに居座られたらたまったもんじゃなかった。それでここは」


 と幾多が被りを振ると、そこは塞がれていたはずの道の手前だった。だが今は瓦礫で道は塞がっておらず、誰でも簡単に素通りできるようになっている。


 どうにも幻覚を見たのはほんの瞬きするほどの時間だったらしい。


 幾多がリデルの手を借りて上半身を起こし、再びアイオスの再起動を開始した。


『再起動します。こんにちは凩幾多。何か御用でしょうか』


 今度は問題なくアイオスの起動を確認し、ヘッドディスプレイやアクチュエーターにパワーが供給されるのを感じた。


「やっぱりだらしない男だな」


 立ち上がると、視界の端に地面に座っているミタカを見つけた。ミタカは首を傾げ、キシシと幾多のことを嘲笑していた。


「そうだな。ミタカがしっかりしてくれれば未熟な俺も大丈夫だったろうけど」


 そう返すと、ミタカは焼き立てのお餅みたいに頬を膨らませて、面白いように反応した。


「2人とも止めてください。これからサンクタムに向かいます。ミタカはいつものところで待機を、申し訳ないけどサンクタムまで連れて行くわけにはいかないの」


「分かってる。私は媒介者でリデルも幾多もただの人間、一緒にされるのはこちらからごめんだな」


 酷なようだが、これから行くのはサンクタム、コミューンの住処だ。コミューン達の境遇を考えれば、媒介者に対する反応は過剰とは言い難い。


 汚染地区に囲まれ、差別や迫害を受けているのは元々媒介者が原因だ。例えこのサイトを作った媒介者じゃなくとも、ミタカが表立って出歩くのは避けるべきだった。


 ミタカもそれを重々承知らしく、名残惜しさもなくさっさとトンネルの奥へ行ってしまった。


「用があれば戻ってこい。私からリデル達を見つけるのは造作ないことだからな」


 そう言ってトンネルの影より濃い水を纏って暗闇に消えた。


 残された幾多とリデルはミタカとは逆、サンクタムへと続く出口を目指した。


 通路はいつの間にか下水道につながり、他の排水管と下水の流れを追って下る。しばらくすれば、目の前に明かりがこぼれ下水の終着駅にたどり着いた。


 川だ。立ち並ぶコンクリートジャングルにある憩いのオアシスのように水が揺蕩い、心が洗われる。どうして同じ水だというのに地下と地上でこうも違うのか。その理由は幾多にはわからなかった。


 河川に出てから、サンクタムに行き着くには間もなくだと言われずとも見当がついた。それは下水道を抜けるとすぐに異様な建物を発見できるからだった。


 巨大な逆三角錐、ピラミッドを逆さにしてその建物を幾重ものワイヤーを束ねて支えている。白いピラミッドともいえる彩色のないそれは色合いだけでは他の建造群にまみれ擬態しているようにも見えた。


 サンクタム、聖域という名前に負けず。それは神秘的だった。


 ソレリ的アーコロジーとでもいうのか。バブル期に人気を博した予算度外視の超巨大建築、サンクタムもそれに端を発している。


 あくまでも試験的という形でスケールもワンランク下がっているものの、その外観と機能は斬新だ。中に埋め込まれた円柱形に基本的な重要機能を埋め込み、外側の三角錐は、パッケージと呼ばれる個別の部屋の組み合わせでできており、火災などできけんな場合は不必要な場所を取り外すことができるという。


 他にも様々な機能を備えているらしく、幾多もタブチからさわりの部分しか聞いたことはない。


 近づいていくと、サンクタムの出入り口らしき所が見えてきた。その前にはサンクタムを傘にするようにいくつものテントがスラム街のように集まっていた。


 賑わいは少し閑散とした出店という感じで通る分には不自由しない。時たま出会う人々は皆最低限のマスクはしており、ここは汚染地区であることを思い出させる。


 出店には食品も置かれており、ホットドックやかき氷はなく、代わりに鳥の足らしきものが売られていた。もしかしたら、ネズミやトカゲかもしれないが食べて確かめる気にはなれなかった。


 もう少し先に抜けると、テント街を抜けて少し道が開けた。


 緩衝地帯のように広がったその先は瓦礫さえも集めて作った丈夫そうな検問所が待っていた。どうやらサンクタムに入るにはここを通らなければならないらしい。


 リデルは遠慮なく検問所の屯所まで近づくとそこに詰めていた4人の男に声をかけた。


「リデルです。通してください」


 そう言うと、リデルは部隊証らしき紙を1人に提示し、確認が取れたのかすぐに通された。


 さて幾多の番になったが、どうするべきか。


 E.A.カンパニーの使いだと言っても通じないだろうし、リデルの連れだと言っても通じそうにない。タブチの知り合いだと言っても連絡はしてくれても通してはくれないだろう。


 とりあえず、顔くらいは見せておこうとヘルメットをカメラのレンズフレームみたく格納し素顔をさらした。


 幾多の顔を見るなり、検問所の男4人は顔を見合わせた。


 まずい対応をしたか。と幾多が肝を冷やすが、それは心配のし過ぎだった。


「再開と来訪を歓迎する。久しぶりだ、われらが同胞」


 4人のうち一番歳をとった男性がそう言い、あまり清潔ではない服で熱烈なハグを幾多に浴びせた。


 よく見れば、その男は封鎖作戦に参加した際に見かけた自警団の一人だと幾多は記憶の中から思い出した。



 サンクタムの内部は採光を考えられており、思ったより暗くはなかった。


 1階は広場のようになっていて、談笑する大人たちや、弾と弾倉を取り除いた銃を持たせてもらっている子供たちもおり、団らんとした雰囲気であった。


 そんな中、幾多はそこで人だかりに囲まれていた。封鎖作戦の当事者やそれ以前から知っている顔に囲まれて、そのまま関係ない大人や子供も巻き込んで何だ何だと野次馬を決め込んでいるうちに人数が膨れ上がってしまっていた。


「おう、幾多しばらくぶりだ」


 囲まれて困っていると、幾多の耳に聞きなれた声が飛び込んできた。


「てっきり来るのはミタカだけかと思ったが、まさかお前が来るなんてな」


「挨拶はいいが、助けてくれ。タブチ。人が多いところは苦手なんだよ」


「それもそうだ。話は向こうでゆっくりと、だ」


 さあ、散った散ったと。タブチが号令をかければ、人ごみも蜘蛛の子散らすようにばらけていき。幾多はあっさりと解放された。


「荒い歓迎だよ。俺は特に何もしてねえってのに」


「何も? そいつは謙遜だ。封鎖作戦に最後まで駆け付けた企業側の人間は幾多だけだったし。あそこに居合わせなければ、リデルも助からなかったかもしれない。こう見えてもリデルだって感謝してるんだ」


 近くにいたリデルに視線をやると、彼女はふいっと目線を外してしまった。


 ただ一言。


「… …タブチの言う通りです」


 と呟いたのは素直なのか照れ隠しなのか、よく分からない。


「それに、幾多への恩義を感じてるサンクタムの住人は封鎖作戦についてだけじゃない。俺たちを救ったブローカーとの抗争はちょいとした古株なら誰もが覚えているぜ」


「あれも、もう2年前か。あの時は今以上に馬鹿をしてたからな。企業とコミューンとの関係をよく知ってたら、俺もどうしたか」


 当時、まだナンセンと企業に交流がなく。ナンセンは逃げ場を求めて密輸関連のブローカー、もとい人身売買ブローカーに騙されもめ事を起こしている最中だった。


 幾多はその喧嘩に勝手に首を突っ込み、稲荷が策謀を巡らせることで何とか企業コミューン企業連合対ブローカーの構造を作った。


 下手すれば責任問題で幾多のなけなしの首が飛んで、おまけに身柄の拘束や引き渡しもあり得た事例だ。稲荷の工作で企業にコミューンを助けるのは利があると考えさせなければ、おそらくその通りになっていた。


「それでも、幾多は手を出さずにいられなかっただろう」


「当たり前だろう。俺は我慢なんてできねえタチだ。今考えても、あの時タブチを救えなかったらと思うとぞっとするしな」


 そういうわけでタブチには稲荷、幾多へ命拾いの恩があり。だからこそ兄弟と言い合っても構わない関係であった。


 3人はそんな思い出話にひたりながら移動を始めた。


「しかしサンクタムは初めて来たが、思ったより設備がそろってるな」


 サンクタムの通路は昼間なのに明かりを灯す電力を惜しみなく使い、奥には建設現場で使うような吹き抜けのエレベーターもある。


 そのすぐそばでは小型の発電機が回っており、やや錆はあるもののすぐに止まるような調子ではなく。元気よくガソリンを飲み、走り回るネズミの呼吸のようにせわしなく排気をしていた。


 エレベーターに乗り、階上へ登っていくと他にもここで暮らす住人の姿が見えた。


 衣服は汚染地区路上で暮らしているコミューンよりも清潔だっており、身だしなみもいい。身体の汚れも少なく、髪の状態からもまともに風呂に入っている証拠がみられる。


 それでもここも危険地帯になりうるのか。大人子供関係なく腰にはガスマスクをかけ、気管支が弱い者は簡易のマスクを既につけている。


「本当は換気装置あたりも欲しいが、なんせ設備も電力も資材も足りてない。しかも今回の強襲で更にガソリンも手に入りにくくなってな」


 タブチはそう独りで愚痴る。


「強襲って企業側に援軍を要請した理由のか? それ以前にこちらには何の情報も入ってないんだ。敵はだれで、どこにいて、どの規模で、いつまでに撃退する必要があるんだ」


「焦るな。幾多。最初から話してやる。あれは1週間前、北に5㎞先のY字路でのことだ。初めこそ目立った動きはなかったが不意にどこの所属か分からないコミューン連中が点々と表れ始め、スカベンジャーか何かか確認しているうちにいつの間にかY字路を拠点化するまでに人と動きが増えやがった。それから、奴らは近づく者には威嚇や実弾攻撃で近づけさせず。中では何をしているか分からない。偵察隊が高所から見下ろした状態では軍事施設並みの設備を揃えていやがるらしい。ただ、それ以上は分かっていない」


「要する。俺たちの仕事はその拠点を掃いて捨てちまうってことか」


「それもできるかぎり徹底にな。安全安心が売りのサンクタムで、勝手に寄ってくるのはいいがいきなり挑発的な我が物顔で居座られちゃたまったもんじゃない。規模が規模なら自警団だけでもやれたんだがな」


「規模がナンセン並みかそれ以上なのか」


「残念ながらそれ以上だろうな。向こうは自動機関銃はもちろん重機関銃、ジャンクもあるらしい。さらに厄介なのはMかGタイプのエクゾスレイヴも1体、偵察で確認されている。おまけに拠点はすでに廃車廃材で要塞化、まともな正面攻撃は塹壕戦の悪手で手が出せないときた」


「正面攻撃ができないとなると、横からの奇襲か」


「よく分かってるじゃないか。正面からじゃ不利だけじゃなく、火力も足りない。うちのジャンクはピックアップトラックもどきの原動付きジャンクくらいだ。火力の集中点を避けるのは基本戦術になる」


 それで方法は、と聞く前に。一先ず座ったらどうだと席を勧められた。


 気づけば3人は椅子と机だけが並べられたコンクリートむき出しの談話室に着いていた。談話室といっても本棚も自販機もなく、本当に座る場所があるだけの部屋だった。


「端的に言えば、横からの攻撃。それも少人数の奇襲を行いたい。少人数なのは気づかれないためもあるが、他の偵察部隊からビル沿いに奇襲できるルートはいくつかあって、そこから哨戒部隊を突破して横っ腹を攻撃したい。ただしこれは強行偵察、威力偵察に近いことを念頭に入れてくれ」


 曰く、これまでの偵察は偵察といっても高所や遠方から敵の様子を見ただけであり。敵の内情、実際の練度、所属先がわかっているわけではない。


 まずはそれらを探り、敵の装備や補給場合によっては人員を削ぎ、更に探ってどう処断するかを決める。


「それに、最近解決したとはいえ人さらいが横行したこともある。その関係性や人質救出も頭に入れなきゃならない。それに同じ時期に発生したムントの抑制剤切れについても原因がはっきりわかってない以上、関連性を疑わなきゃならない。慎重にな」


 ムント、という言葉に幾多は身体を緊張させた。奴には感染者経由とはいえ、今のこの身体になったお礼をたっぷり押し付けてやりたいのと、やられた分だけ倍の支払いをぶち込みたいからだ。


「詳細は現地でミタカに合流次第明かす。それまでは幾多も準備を怠らないようにしてくれ」


 幾多は任せろ、とばかりに自分の手のひらに拳をぶつけ。まだ見ぬコミューン勢力への闘争心を煮えたぎらせた。

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