第6話
本来、汚染地区で留意すべき危険は媒介者の害意性だけだった。
しかしそこは人間の浅ましさかな。どうやら人間は一度ごみを捨ててもいい、ごみを捨てられると判断すると同じ場所に捨てたがるらしい。
それは個人に限らず、企業でも国家単位でも変わらない。焼却しきれないごみの残渣や扱いの難しい極めて危険性の高い化学薬品、処理費用の掛かる産業廃棄物、汚染の強い医療廃棄物、そして放射性の廃棄物。どれも捨て場がないか、できればそのまま捨ててしまいたいものだ。
その行き先は、言うまでもないだろう。
かくしてごみの最終処分場、管理所となった汚染地区は国際的な治外法権ゆえに解明不可能な文字通り汚染された地域として活動しなければならなくなった。
危険度の低い汚染ではガスマスク、および密閉性の高い服というレベルB、C防護服の組み合わせで対策はできるものの、探索が不十分な未知の領域では十分とは言えない。
特別先行作業員はこういった不明な毒ガス、びらん剤、危険微生物、放射性物質にいつでも対応できるレベルA防護服が好ましい。
とはいえ、このレベルA防護服は完全気密性ゆえに30分から2時間ほどしか着用と活動が想定されていない。
それは何故か、有り体に言えば疲れるのだ。
完全な機密もしくは外気に触れないため気圧が陽圧な防護服ゆえに、重く着心地が悪い。
運動性は当然下がり即ち作業の効率の低下を招き、危険回避も難しくなる。
そうした重量の克服には機能性を鑑みても高出力で頑丈なロボットスーツ、エクゾスレイヴが発想され作られた。
幾多が特別先行作業員として支給されるのはこのうちK型に当たる完全装着式のキロエクゾスレイヴになる。エクゾスレイヴの名前はアポック、a piece of cake <楽な仕事>を略した名前の由来が安直なものだった。
だが名前とは裏腹にアポックの姿は近未来的なごつさがある。身体を自由に動かせつつ強度を保つ可動式の装甲は龍の鱗のように鼓動して息づき、全体はアイアンマンスーツや宇宙服のような複雑な機能を内包したシンプルなデザインに仕上がっていた。
アポックの更なる特徴はデカポッドモデルと呼ばれる多腕多脚多機能作業用デザインがされていることだ。強化外骨格は三軸姿勢制御モジュールだけでは足らない姿勢補佐を、内蔵されている副腕副脚でサポートしている。腕で抱えきれないようなガレキや荷物を保持する場合は背中を沿うように収納されている二節の作業用と移動用の巨大アームを使うことができる。
他にも因子由来物質を採用し、通常ではありえないパフォーマンスを発揮するそうだが。
幾多には、そいつはすげえや、としか理解できなかった。
「副腕は他にもテルミット溶接、アーク切断、薬剤注射や中和剤の散布、金属カッター、更にワイヤーアームによる細かい作業も可能なの。アイオスが管理する携帯型統合医療システム<疑似体内鎧>や大気中の元素濃度や電磁波重力の変動を計測して媒介者がもたらす異常を感知する<事象変動計測装置>とか―――」
「そこらへん面倒は全部アイオスに任すわ」
幾多はそっけなくそう返して、着用したキロエクゾスレイヴ、アポックの具合を確かめていた。
鎧のような外見とは裏腹に、動きはパワーアシストがあるせいか制御されず、腕を振ってみても蹴ってみても威力が抑制されている様子はない。
「支給されている防護服よりもでかいのに、動きやすい。外から掛かる力がわかるから違和感もほとんどない。大したスーツだな」
「圧力伝導センサだけじゃなく、他の様々なセンサも身体にフィードバックされているからスーツを着ていない状態と大差はないでしょう。支給品とはいえ、最先端なんだよ最先端」
最先端かはともかく、幾多は本来身体に存在しない副腕副脚も動かしたり、自動可動式に被るヘルメットを意味もなく開閉させたりして動きを確かめていた。
「2週間で快復するなんて化け物じみているな。もしかしたら幾多も私と同じ媒介者じゃないのか」
急に降って湧いた若い声は、ミタカだった。
「俺は黒いげろを吐いたり、身体のところどころから口を生やしたりできねえぞ」
「どうかな。実害が判明するまで時間がかかった媒介者もいるわけだし、有害性なんてよく観察してみないとわからないものだな」
「ぬかせ。例えそうであっても俺の性格上そこまでこらえ性はねえよ」
久しぶりに会った幾多とミタカは向かい合い、穏便に噛みつきあった。
「ミタカはともかく幾多はもうちょっと当たり障りを優しくできないかな」
山城は部下の情緒教育について悩みながら手短な普通の椅子に座った。
「ちょうどよかった、2人とも。幾多の全快記念、と行きたいところだけど。上から新しい任務が下りてきた。2人とも準備ができ次第出てもらう」
幾多はやっとか、と身構え。ミタカは相変わらずかと余裕の構えをした。
「内容は、2人ともよく知っているタブチのとこのコミューン、ナンセンの支援だ。ナンセンはサンクタムという場所を拠点にしているが、その周囲で不穏な動きがある。具体的には敵対するコミューンが陣地を作っているんだって」
そうして山城は説明を続けた。
ナンセンに敵対する所属不明のコミューンは拠点であるサンクタムを襲撃はせずとも、その周りである輸送路や輸送船を頻繁に襲い、実際に被害が出ている。
企業側としては救援依頼を受けた以上、そして先日助けを借りたため、コミューン側に企業がコミューンを見捨てないという当初のスタンスを証明するためにも助け船をださなくてはならないらしい。
「それで、サンクタムに行くにはどうする。タブチに聞いた話じゃ、ムントの感染者対策であそこに行きつくまでの橋は落とされているし、聞いた話の輸送船はその橋渡しのための装甲屋台船じゃねえのか」
「鋭いね。正解。陸路はないし、川からもいけない。それならば行く方法はだいたい2つ。そのうちのひとつを私はおすすめする」
そして山城は2人の目線を誘導するように人差し指を下へと伸ばした。
「地下だ」
地下、正確には地下鉄道を含む地下通路は放射状に街へ広がっており、今ではライトと地図片手に潜ったとしても、落盤や感染者との遭遇でまともに渡れないといわれている。
更に不思議な話、地下通路には様々なうわさや都市伝説が続々と生まれている。
例えば、地下鉄を走る亡霊列車。例えばパイプの隙間から聞こえる死者の歌。
どれも眉唾物でありながら、何故か説得力のある話だった。
それはおそらく恐怖が実際地下通路の中にあるからだろう。
「早くしな。置いてくぞ」
それでも危険を冒して地下を通らなければならないのはたどり着ける道がそこだけだからだ。どうにも、ミタカには地下通路からサンクタムに向かう道に心当たりがあるらしく、アイオスもまた幾多のバイザーに詳細な道案内を表示していた。
AR、拡張現実とでもいうのだろうか。ホログラムの広告がない代わりに崩壊前の映像と現実の違いがサブリミナルのように挿入され、それはそれで不気味に幾多の道を示している。
「… …」
かれこれ半刻ほど歩いているが、幾多から声をかけることはなく。ミタカがかける声も急げ急げ、ばかりで味気ない。
ここは年長者として何かきっちりうまく話をしなければと、幾多の中で謎の使命感が生まれ突き動かされた。
「ああ、ミタカは、何か好きな食べ物ってあるか?」
「んん?」
「いや、嫌いな食べ物とかもあるかなとか」
「… …どうした幾多、いつも噛みついてきたアンタらしくないな」
ミタカは振り返り、けげんな顔を見せた。
幾多はしまったと思った。ここ3年ばかり汚染地区にいる期間が長く。少女と、しかも自分よりも年下と話したことが久しぶりすぎてよい話題が浮かばなかったのだ。
とりあえず汚染地区での一番の娯楽について話せば間違いはないと判断したのは早計だったらしい。
そんな幾多の突拍子のない質問に対してミタカは仕方がないと答えてくれた。
「一応言っておくけど、媒介者は変異前と食生活は変わらないから当たり前の物しか食べないぞ。私は、そうだな。バームクーヘンが好きだ。甘いものはだいたい好きだけど、優しい甘さとでもいうのか、そういうのが好きだな」
以外に乙女チックな答えに驚いたものの。ミタカもまた媒介者に変異していなければ、年相応の少女だ。<毒の意思>に侵されていなければ好みや趣味嗜好が変わるわけではないようだ。
「嫌いなのは生ものだ。刺身、っていうらしいけど食べたことはない。でも臭そうだし嫌だな。それくらいだ」
幾多は当たり前で普通な回答で逆にどきまぎしつつも、次の質問を思いついた。
「な、ならミタカにとって媒介者ってのは何なんだ」
ひどくあいまい、だが幾多の持つ疑問に的を得た質問だった。
「だから何でそう藪から棒になんだ。媒介者と人の違いなんて私にはわからないからな。なんたって私は生まれつきの媒介者、他とは違うんだ」
「生まれつきって、そんなことがあるのか」
「エンブリオはね。言葉通り私が胎児だったころから私を包んでいたんだな。だから、実質私の母親になるはずの女性はエンブリオの毒にやられて死んじゃっただろうけど。でも関係ない、私にとっての母親はこのエンブリオだけだ」
「因子が母親? そんなことが」
「私にとっては媒介者を個人ととらえる方が馬鹿げてる。媒介者は因子と個人、別々だな。だから<毒の意思>なんてものが通じるのだし、因子にもその意思がある証明だ。私は胎児の時に死んだと思われて破棄されて、育ててくれたのはエンブリオだけだった。私はエンブリオを母親に育った媒介者ってことだな」
幾多は正直驚いていた。あくまで脅威として、化学物質か知性のない病原体だと思っていた因子に、育児といった高機能な行動をなしえたこと。それはにわかには信じがたい話だった。
だが些細な日常のことのように話すミタカの言葉に全く偽りはなく脚色もないことが察せられ、彼女の言葉を飲み込む他なかった。
「そんな与太話を話すのなんて何ともないけど、注意しろ。ここのトンネルはよく人が姿を消す。道に慣れた、ガラクタあさりのスカベンジャーだってたまにいなくなる。もう汚染地区の深淵のひとつに私たちは触っちまってるんだな」
「おいおい、所長はそんなこと言ってなかったぞ。地下は安全な道じゃないのか」
「安全とは誰も言ってない。通れる道とは山城も言ったけど。元々選べる道がないなら余計な情報はいらないと思ったんじゃないか」
ミタカはそんなことをぶっきらぼうに言った。
『それについては大丈夫です』
突然二人の会話に割って入った第三者は、姿は見えずとも幾多の延髄に住まうアイオスのものだった。
『道は私がナビいたしています。正確にはミタカがいつも使っている道を確証された道だという設定です。途中はぐれても後から合流できます。それに、もし何かありましたらすぐさま事象変動計測装置が働いて危機を報せます』
「ありがてえな。ついでにココアかホットコーヒーでも淹れてくれれば言うことなしなんだが」
『でしたら、幾多の身体を直接操作してお教えすることもできますが?』
「やり方がわからないわけじゃねえっての。いいから、もう黙れ」
そんな幾多とアイオスのやり取りを見ていたミタカは、遠目でほくそ笑んでいた。
「今度は何だ、お前か。ミタカ」
「私はからかってるわけじゃない。ただアイオスとの会話が傍目から見て可笑しくて、腹話術しているみたいで面白くて」
「お前も、黙ってろ」
はっきり言えば気恥ずかしい。化け物といわれている相手の見た目は少女なのだ。照れ隠しのひとつもしたくなる。
だが、こうして会話をしてみてわかる。ミタカは媒介者の中でもまだコミュニケーションが可能な部類だ。こうして普通のやり取りができているのがその証拠だ。
その結果は幾多の胸の内を安堵させるには十分な収穫だった。
しばらくはアイオスもミタカも黙々と先の長さのわからない暗いトンネルを進む。
道は単調だが、そのくせ尖った瓦礫やガラス片が落ちていることが多く。常に気を張って休まらない状況が続いた。
それに疲れか、変な緊張感からか。耳鳴りが少しする。トンネルのせいなのか、気圧の変化で耳が詰まったような違和感を感じた。
けれどもアイオスが事象変動計測装置とやらの変化を告げないということはここでは日常茶飯事のことなのだろうと、幾多は問題を飲み込んでおくことにした。
そうして進むこと半刻かあるいは数時間か。時の流れがあいまいになりかけた時、そこに着いた。
「おい、どういうことだ。これじゃあ先にいけねえじゃねえか」
トンネルの先は倒壊していた。岩盤から滑り落ちたのか正確にはわからないが、トンネルの天井の一部が崩落して見事に幾多達の目の前を塞いでしまっている。
瓦礫の多さはとても取り除いて進める量ではないと素人目にも分かる。
『はい、進行ルートを再検索。再検索中、再検索中、error、error』
アイオスの受け答えがおかしい。幾多は壊れかけたテレビにするのと同じ調子で延髄部分をガンガンと殴った。
『error、error、error … …』
「壊れちまったのか? ええと、再起動は」
幾多はヘッドディスプレイに目をやった。再起動の方法は音声認識かアイオスのカメラ部分をカバーごと直接長押しにするか。反応があればディスプレイも同時に再起動されるはずだ。
慣れない手つきで操作を行おうとするとき、ふと画面の片隅のレッドマークに気付いた。
それは事象変動計測装置のアラートだ。よく聞けば、水中で耳に膜が張っているような感じではあるものの、警告を示す音も聞こえてきた。
見逃す、聞き逃すはずもない。なのに今の今までそれに注意を引くこともなかった。
「俺の感覚まで、ぶち壊れちまったのか。勘弁してくれよ。ミタカ、異常事態だ」
そうしてミタカの姿を探す。しかし彼女はいない。ついさっきまで目の前を歩いていたはずなのに、最初からいなかったのかのように痕跡すらない。
「幻影、幻覚、か。俺は一体、何を追いかけていたんだ」
頭が締め付けられる。耳鳴りがひどい。上と下がはっきりとしない。
耳が、身体が平衡感覚を失い。墜落する航空機の中にいるように足腰が経たず、バランスを崩して幾多は地面に倒れこんだ。
地面に伏した後も景色がぐるぐると回転する。
倒れ伏していると、幾多の耳にトンネルの局面の壁に反響して足音が聞こえる。その足音だけがクリアに、鮮明に、ペタペタと湿り気のある薄っぺらな音を出していた。
幾多は直感する。そいつが今の異常の正体、媒介者であると。
足音は手を伸ばせばすぐのところで止まる。代わりに衣擦れの音、呼吸の音が聞こえてくる。もしかしたら、心臓の拍動する音まで聞こえてきそうだ。
幾多は熱にうなされるような意識の中で、確かにその媒介者の気配を感じた。
「失せろ、俺はお前とは違う」
幾多は最後の抵抗とばかりに言葉だけ強く、はっきりそう告げた。
瞬間、幾多を惑わすめまいと押し付けるような圧力がはたりと消えた。
そこに何かいたという気配は隙間風で霧散し、音はこだまのようにトンネルの奥へと消えてしまった。
通りすがりの災害が過ぎた後、幾多はスーツの中で汗だくになりながら呼吸を落ち着けた。
そしてそのまま、目を閉じていつの間にか眠ってしまっていた。
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