第5話
カチャッ、ガチャン、スッ、チャッ、ギー、ガチンッ
繰り返し、繰り返し、その音の過程だけが地下の室内に響く。
それは拳銃を扱う一連の作業、特にリロードと呼ばれる弾倉交換作業だった。
幾多はもう3時間もこの作業だけを続けている。
もちろんこれはリハビリの一環ではない。リハビリは開始してから1週間になるが、すでに杖や歩行補助器具なしに普通に歩けているし間もなく走ることもできそうだ。
山城は幾多の快復力に「ありえない」という顔をしているものの、事実リハビリの片手間に特先に必須な訓練も行えている。
山城曰く。媒介者、感染者、敵対的なコミューンに遭遇することを考えれば脅しで使える程度に拳銃を扱えなければならない、らしい。ただし素人が幾ら拳銃を撃ったところで仕方ないのであくまでリロードの練習とついでに銃の分解と組み立てから清掃まで、アイオス経由でみっちり教え込まれている。
また、拳銃を構える動作はリハビリも兼ねて下半身のバランスをとれ、一石二鳥になる。
「お疲れ様です。凩幾多。拳銃の扱いは大して上達しませんね。しかし、リハビリはとてもよく進んでいるようです」
「相変わらず貶すのか褒めているのか分からない言い方はやめろ」
「それは謙遜です。私はただ、ありのままを述べているだけです」
アイオスの鋭い棘のある率直な言い分はここ1週間で聞き飽きた。どうにも自称万能のAIにとって幾多はのろまな亀らしく、時々に応じて罵倒に近い評価を浴びせてくる。
ただアイオスも自分の言動が他人にどのような反応を及ぼすか心得ているらしく。心が折れるほどは責めてくることはなかった。
「所長がお呼び出しです。いかがしましょう」
「要件はそれだけかよ。分かった。できるだけ早く行く」
「そのように。せいぜい急いでくださいね」
いちいち人の神経を逆なでながらアイオスはそうのたまった。
幾多はアイオスの言葉を振りほどくようにシャワー室へと向かった。
シャワー室は基本的に男女に分かれているため、実質山城と幾多の個人用だった。
幾多は着替え、コックをひねり汚染地区ではありがたい清潔な温水を浴びた。
身体を洗っているうちに、自然と手は背中に伸びた。
そこには幾多の背骨を支える、金属質の部品の手触りがした。
リブ―テーション手術、いわゆる人体回復手術という夢の技術なのだが、これはまだ問題点が多いそうだ。特にこのキールというタイプは人体との調和と恒常性を図るメインテナンスが必要となり、メインテナンス費用は中々馬鹿にならないらしい。
山城はこのメインテナンス問題の解決策としてアイオスを利用している。このキールには延髄部分にメインテナンス用接合部があるのだが、これがアイオスの持つ接合部と一致するのだ。
言うまでもないがその方法とやらはアイオスと接合させてアイオスの演算やキールを直接調整することによってメインテナンスをする方法だ。
場合によっては24時間装着も可能で、大きさもSFの宇宙服に出てくるような巨大なチューブよりはマシな大きさなため、見た目で注目は集めるものの使用に問題はない。
それにアイオスの装着は何もメインテナンスのためだけではない。アイオスを装着することで、エクゾスレイブと呼ばれる強化外骨格群を動かすためのアシスタントが得られる。山城によれば本来必要な細かい操作法や着用方法、バランサーの調節などの面倒をアイオスの演算能力が解決してくれるのだとか。
あまり器用といえない幾多にとっては手軽にフューチャーチックな重機がそんな簡単に使えるなど夢のような話だった。ちなみに免許の方は汚染地区という治外法権がいい意味か悪い意味かで働き、更に国家権力が入り込む余地がないため問題なかった。
リブ―テーションの相性と傷の回復もよく、実際にエクゾスレイブというものに乗れるのもおそらく間近であろう。
「信じられないわね」
山城の呼び出しで、俗に所長室といわれる山城の安楽椅子置き場に向かうと、開口一番そう言われた。
「回復には3ヶ月かかるといった手前、2ヶ月なら褒めてあげるところだけど、1ヶ月をすっ飛ばして1週間で動けるようになっちゃうんだから、化け物じみてるわよ」
そう聞けば、その通りだ。これは回復力が高いでは説明がつかない。リブ―テーション手術のおかげもあるだろうが、リハビリ1週間で快復など骨折治癒よりも早い。
そして、その理由は何となく、幾多には予想できていた。
「黙っていたけどよ。まず最初に言う必要があるのは俺の父親が、あの阿原陽一だってことだ」
幾多はそう憎々しげに自分の父親について話した。
阿原陽一はあの抑制剤を作り上げた阿原雄二郎の子孫の1人だ。阿原陽一も因子学では現代のフィールドワーカー第一人者としてよく知られている。
ただ、幾多が最後に会ったのはだいぶ幼い頃なので父についてはよく覚えていない。
「あれ、幾多って性名は凩じゃなかった」
「阿原は俺のかあさんとは結婚していないんだ。子供だけ作って、自分は世界中に飛び回りやがって。かあさんが生きていたら意地でもとっ捕まえてやるってのに」
「… …そう。お母さんはお亡くなりに、流れとは言え悪いこと聞いちゃったわね」
「言い出したのは俺だ。気にすんな」
ともかく、この阿原という男。研究については貪欲で、幾多の最後の記憶でも何かしらの薬品を注射したり摂取させたりなどの苦々しい記憶しか残っていない。
もしかしたら、自分が他人より怒りっぽいのや身体の快復力ももしや阿原の実験の結果ではないのか、昔から勘ぐっている。
「つまり、俺の身体や性格の異常はもしかしたら阿原が俺に何かの改造手術をしたのかもしれねえ。言い訳かもしれねえけど、それがなければ俺はもっと優しくなれたんじゃねえかって。いつも疑問に思ってる」
実際どうなんだろうか。そう考えるのは幾多にとって怖かった。
だが事実、ヒトと違い個人差では証明しきれない異常があるならば、なかった、ということは言えないはずだ。
「なら、なおさら身体の異変は注意しなきゃ。急にアナフィラキシーを起こして死なれちゃ、貴重な会社の備品を預けた私にも責任問題になるわけだし」
「命を救ってもらったんだ。せいぜい死ぬまでは役に立ってやるよ。所長」
「うんうん。それも含めて幾多には今度から次の研修として新しい訓練に入ってもらいたいの」
そう言って、山城は幾多に紙の資料を渡した。
資料には幾多には難しい作業内容が書いてあるものの、ひとつだけエクゾスレイヴについての項目だけは理解できた。
「私の研究にはリブ―テーション技術とエクゾスレイヴとの融和性に対する検証もあるの。こなしてもらう作業量は増えるけど、きっと将来役に立つはず。それこそ、新しい両手両足が増えて役に立つくらいわね」
幾多も男の子だ。強化外骨格というロマンの塊を使わせてもらえるのは正直胸が躍る。
エクゾスレイブを着れるだけでも、それをほんの少し動かせるだけでも夢にあふれている。これは怪我の功名、不幸中の幸いとでもいうのだろうか。
おそらく普通に生きていて体験できないことに、幾多は飛び跳ねんばかりの喜びを感じた。
「詳しい調節はアイオスにしてもらうとして。ところで、ミタカとはどうしているのかな」
「何だ。藪から棒に」
「いやね。うちの特先は今幾多だけだからね。どうしても人員が足りないの。数少ない、防護服や活動時間を気にせず動ける媒介者とは多少なりともコミュニケーションがとれないと宝の持ち腐れだからね。ミタカの様子、見てほしいんだ」
この通りね。と、あまり真剣そうではないお願いをする山城に呆れつつも。幾多は首を縦に振った。
「いいぜ。媒介者については俺ももっと知っておきたいしな。恐ろしいが話の通じない相手って感じじゃなかったし」
「その点は保証するわ。媒介者は数多いれど、ミタカは抑制剤さえ効いていればおとなしい子よ」
抑制剤さえあればね。と、山城は二度念を押した。
「… …そいつはありがたくない助言だな。そういやミタカは隔離されているのか」
「普通の媒介者はそうだけどね。ミタカは特別、というより隔離する意味合いが薄いの。彼女の<エンブリオ>媒介者としての権能なんだけど、まずそれについて話さなきゃね」
エンブリオ、それがムントと同じく媒介者としての正式記号、ミタカはあくまで個人名で呼ばれたがっていたが彼女の正式識別名はγエンブリオという。
γとつくのは媒介者はおもにその特性によって正式名称が決定する。しかし媒介者の能力が被る、言ってみれば媒介者としての能力が一致する個体が複数存在する場合もある。
そのケースでは媒介者が死亡してしまうと同じ能力の媒介者がどれくらいいたか生まれなおした媒介者はどれか混乱してしまう。
そのため新しい媒介者によって識別名が変わってしまう可能性もあるが、α、β、γ… …と増えるにつれて識別番号を振っている。
そのためミタカの場合は歴史上3個体存在した3番目のエンブリオという媒介者という意味になる。
ただし、この番号の振り方もかなり適当であり。現在αは完全に行方不明の状況で新しい個体は存在せず。βは抑制剤切れにより逃走してしまったらしい。
話を戻そう。
エンブリオのその能力は名前から推察しにくいが端的に言えば一次感染する黒い羊水だ。エンブリオは成人子供であるなし関係なく、肺の中にその感染する羊水を持っている。
その黒い羊水は距離的な要素以外で防ぐ手段がないのだが、それは黒い羊水に浸透圧性を極限までコントロールする権限を媒介者が持っていることにある。
つまりエンブリオは自由に黒い羊水を身体を透過させ、壁や床を自由に通過させることができるのだ。
ただし、あまりに距離が遠いと黒い羊水には保持量に限界があるため量的にあまり遠くまでは伸ばせないそうだ。
また、黒い羊水がエンブリオ本体から切り離されると感染能力は数秒で失活してただの水に代わる。
その前に黒い羊水に感染した場合では感染した側は結晶化してしまい。身体からは水が抜かれ黒い羊水の体積は量は増加するそうだ。
「動いて増える汚染水、って感じだな」
「言いえて妙だね。ただし本人の前で言ってあげないでよ。ご機嫌を損ねて私たちを汚染させてしまうかもしれないし」
山城は冗談めかしにそういうと、何やら机から白い錠剤を取り出し、幾多が止める暇もなく、それを飲み込んでしまった。
「―――急に何飲んでるんだ?」
「どうも効きが悪くてね。気にしなくていいよ。ただの眠剤だから」
市販のは別として、睡眠薬は向精神薬系統じゃなかったか。と幾多は思いつつも。山城はのんびりと自分を支える安楽椅子に深々と腰を落とした。
「媒介者の管理は、酔っていなければやっていられない、かと言って私はアルコールが苦手でね。これでごめんとさせてもらってるのさ」
それでも上司がいつも泥酔しているのは部下の身分としては不安な幾多であった。
他に何かあるなら最後にしてくれ、とキツネのような薄目で椅子に肩まで沈み込ませてしまった山城に、幾多はやれやれと言葉を口にした。
「じゃあ、質問というより疑問なんだが。それでもミタカは隔離するべきじゃないのか。意味がないにしろ、俺たちの最低限の安全はどうする」
「ふふふ。おかしなことを聞くね。最低限の安全、ってものは私たちにではなく会社にとってがここでは当たり前だよ。言うなれば私たちは替えの利く最後の隔離装置、もしくはフェイルセーフ。閉じ込められない以上、管理する人員が最後の最善の危機管理なのさ。使い捨てのね」
「ひでえ話だ。なら俺たちは被曝し続けろってのか」
「いいや。そこは抑制剤さまさま。最初で最後の砦は何といってもミタカの身体そのもの、黒い羊水をため込む華奢なその肉体だ。それだけが私たちの最後の安全装置ならやることは決まっている。せいぜいミタカのご機嫌を伺うのが、遠ざけたり閉じ込めたりするよりもよっぽっど有意義なの」
「それが<毒の意思>とでもいうのか。抑制剤の効果についてよく使われるけど、あれこそなんなんだ」
「<毒の意思>はね。ある意味媒介者本人の意思ではなくてね。媒介者が媒介者として感染を広げるための渇望、洗脳のようなもので媒介者が持つ有害性や感染能力の増加と同じようなものだよ。ただ<毒の意思>は脳に効き脳を侵す。本人の本来の価値感さえ揺らがせる悪質な脳内物質。だからこそ最低限、抑制剤で管理しなくちゃならない。抑制剤は隔週1回、十分摂取できているかはパッチといわれる簡易キットを常に装着して計っている。もしパッチが異常を察知すれば、すぐさまうちの会社の実働部隊が動くようになっている。対策はこれでも十分じゃないかい?」
「… …」
考えなしに批判しているだけの幾多にとっては何も答えを返せなかった。
ただ分かるのは幾多が考える以上に会社は無策ではないということがはっきりと伝わった。
もちろんそれは、自分たちの安全面を抜いての話だ。
「今ここで俺たちの権利や安全性について話し合っても意味がないんだろ」
「そればかりわねえ。幾多が偉くなって労働環境改善してくれるなら話は別なんだけどね」
そう言って、2人は長い溜息をついた。
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