第2話



 汚染地区を俯瞰すると西を向く熱帯魚に見えることから、その場所をハラワタ川と呼び、渡す橋をハラワタ橋、延長線上の大通りをハラワタ通りと名付けられ元々の地名はほとんど使われていない。


 そんなハラワタ橋には白いシミのようにふつふつと、まばらの口を持つ感染者たちが集まり始めていた。


 大多数を占めるのはイヌガタだが、2メートルを超える人に似た体系をした感染者のヒトガタも数体見える。


 橋のたもとに見えるだけでも数十体、奥にはおそらく更なる感染者と、彼らを束ねる媒介者もいるはずだ。


「射撃準備!」


 突如掛け声が上がったかと思うと、廃車群の隙間から銃口が一斉に顔を覗かし各々の狙いを引き絞った。


 「斉射!」


 23の筒から1丁で1分間に600発に相当する速度で弾を吐き出し、点ではなく面の弾丸が戦闘にいたイヌガタとヒトガタの群れをハチの巣に変えた。


 一斉全弾射撃を行ったため数秒で弾が切れ。皆が弾倉を取り換える中、3つの影がハラワタ橋の南側から感染者の群れの中に突入した。


 その中の大柄な影は先頭を行き、上半身だけをなんとか起き上がらせて腕を伸ばすヒトガタの肩を、スコップの腹で叩いて払い後続の二人を先導していた。


「幾多、もっと左だ左。流れをまともに受け止めるとこっちが潰される。リデルも左側を集中しろ、近づく奴は俺がやる」


「わかりました」


「うっせーな。目の前に来た奴をやればいいだろ」


 3人はただやみくもに正面突破するのではなく、感染者の群れを右に誘導してやりながら進む。さらに言えば敵の圧力を受け流すだけではなく、すぐ目の前に現れたある大きな落とし物を拾うためにはちょうど良かった。


それは一見してただのブルドーザーだった。だが基本構造は同じでもその装飾は些か異なっていた。


 操縦席は鉄板とネットフェンスを何重にも重ね、横からではなく上からハッチのような特殊な出入り口を新たに備え、簡単に重機に乗り移られないように折れてとがったパイプをハリネズミのように生やし、追加装甲としてコンクリートをもつ見込んでいた。


 更にドーザーブレードは追加で2枚溶接されており、ニコイチ修理よろしくエンジンもどこかで手に入れた戦車のエンジンを内蔵し、元々の巨体が膨張したような不格好をしていた。


 これはコミューンからジャンクと呼ばれて親しまれているニコイチ重機であり、主に重機の部品を中心にして破壊された戦闘機、戦闘ヘリや戦車などの軍需品の無事な部分と接続させ、びっくりどっきりキマイラ民間兵器を作り出すという物資の少なさから苦心して出来上がった逸品だ。


 ただジャンクを利用するのはなにもコミューンだけではなかった。


「おい、このジャンクうちの会社の重機じゃねえか」


 3人が感染者をやり過ごし、ジャンクのエンジン後ろまでたどり着いたとき。近くに来て初めて、幾多はそれの出所に気付いた。


「くっくっく。何と幾多のところの社長と直接交渉してな。撤退に間に合わなかった一台を一時的に借りたのさ。ほら、この通り」


 タブチが右手をリデルに差し出すと、その手にはおそらくジャンクのエンジンキーと思われるカギが握られていた。


「代わりに俺の魔法のステッキがAKなんぞに変わっちまった。少し一緒に行動したが、あんな銃器になれたばあさんなんぞ初めて見たぜ」


「そんなこと言われても俺は社長なんて一度も見たことねえよ…」


 会社の備品を勝手に、と思いつつも今は幸い。これなら、感染者の正面突破も無茶ではない。


 改造されたジャンクは総排気量20000cc以上、最大出力700PS/2000rpm。第二世代主力戦車級のエンジンパワーをもってしても追加された装備と装甲により時速は40キロにも満たない。一方で、低速度から放たれる大質量の破壊力は他の追随を許さず、軽く小突いただけでも建物の壁程度は粉砕できる。それが生き物ともなれば、下敷きになったものはたちまち挽肉になってしまうだろう。


 元々、これは1人乗りになるため他2人が轍を随伴する必要があり、速度を出す必要がないのは好都合だった。


 もちろん、速度が出ないということは回り込まれる可能性が大、ということになる。


「幾多は俺とジャンクの後方を守る。絶対に梯子に乗らせるな。リデルは運転を任せる。しくじるなよ」


「ペース配分はどうします?」


「アクセルはフルスロットルだ。感染者といえども例外なく轢き殺してやれ。橋の向こう側に辿り着いて封鎖するまではノンストップだ。たとえ俺か幾多の、どちらがが倒れても止まるなよ」


「… …考えておきます」


 タブチのきつい注文にリデルは答えを濁すように視線を落とした。


 幾多はそんな彼女を元気づけるつもりか、背中を思いっきり叩いて喝を入れてやった。


「心配するなっての。俺もタブチも悪運だけはここサイト21じゃ1、2位を争う悪さだって」


 背中をたたかれて驚いたのか。リデルは肩で分かるような怯みを見せ、抗議の目線を後ろの幾多に送った。


 その眼はわずかばかりうるんでいた。


「うるさいですね。私が信用しているのはお前なんかじゃありません」


 濡れた目元を見え透いたごまかしのように拭うと、リデルはあれだけ躊躇していた梯子をさっさと登ってしまった。


「… …なんだい。あの言い草はよお」


「当然なんだよな。幾多の、お前リデルに嫌われてるっていうの分かっててやったのか」


「アイツは誰とも仲良くはないだろ。タブチを除けばさ」


「まあ、リデルとはナンセンに誘った2年前の中だからな。それとは別にしてもただでさえリデルは男性恐怖症なんだよ」


「それこそなんだよ、だ。生来か、壁の外での原因なんざ俺には関係ないだろ。第一、外から逃げ出した奴なんて気にしてちゃ数え切れねえよ」


 コミューンのようなある種の難民が一方、自分から好き好んでコミューンの一員になる壁の外側の人間もいる。たいがいは犯罪者なり家出人なり世捨て人なり、自分勝手な理由や必要に迫られてやむなしという者もいる。


 リデルがどちらかの人間であるにしても、少なくとも積極的に人に危害を加えるタイプではないどころか逆に奉仕するタイプの人間だ。


 悲しいのは、その奉仕の対象を計り違えている人物が目の前にいるためおそらく報われていないのだろうということくらいだ。


「俺の顔に何かついてるか?」


 幾多がしげしげとタブチの顔を伺っているとどうにも怪しまれたらしい。


 その疑問も、ジャンクが吐き出す巨大な排気煙とエンジンを蒸かす発動音に掻き消された。


「いこう」


 どちらかが発したともわからぬ声に引きつられ、各々の武器を構えた。


 ジャンクは轟々とした駆動音で空気を震わせ前に進む。アスファルトを破砕しむき出しの土を押し固め、頼りがいのある巨体は感染者の群れと相対した。


「来るぞ!」


 想定した通り、ジャンクと直接対峙しては敵わない感染者は自然とその周囲を回り込む形で幾多とタブチに接敵した。


 二人の戦闘には幾多が先頭を切り、最短距離で近づき重機の角から出てきたイヌガタの顔をひっぱたく。


 イヌガタがひるんだところで無防備に身体をさらしたイヌガタの胴体に指切りで3発の銃弾を正確に打ち込む。


「次、左だ。幾多」


「おう」


 声を出して連携し、マグロを解体する作業のように淡々とイヌガタの感染者をバラシていく。ただジャンクが着々とビルに近づくにつれ、その作業量もすぐに許容限界が来た。


 「っ! ヒトガタ」


 ヒトガタと呼ばれる巨躯の感染者は身長3メートル以上、イヌガタのように身体の所々に様々な顎を持ち、ものによってはワニのような明らかに無理のある口腔まで存在し、それは腕を伸ばすように二人の眼前をかすめた。


「下がれ、幾多。ここは銃で仕留める」


「そうはいかねえ。デカブツごときでひるんでたら媒介者に出会ってもやられたい放題じゃねえか」


 言っても聞かない幾多は腕もワニの口も掻い潜り、懐に入る。


 ヒトガタの右を通り間際、スコップの刃で右膝を振りかぶりからの一撃、振り戻しからのの二撃目でついにヒトガタは片膝をついた。


 幾多はしめたとばかりに踵を返すとヒトガタの腰、背中、肩を駆け上がり頭にスコップの追撃を入れた。


 だが、これが硬い。関節は柔軟性を失わせないためか顎が少なくダメージが通ったが後頭部は違った。重要機関に変わらないがそこには打って変わって猛獣系の強靭な顎が鋭い牙が白い歯肉がスコップの刃を受け止めた。


「ここもかよ。なら」


 幾多はヒトガタを飛び越えるとその目前に降りた。当然ヒトガタはその隙を見逃すわけはない。


 本来口がある場所は見た目が似ている人間のそれをはるかに上回り小型の恐竜といっても差異のない肥大した顎を、幾多の頭部めがけて振り下ろす。


 幾多は慌てた様子もなく、更に一歩近づく。すると、かがんだ拍子にできた顎と胴体の隙間にするりと身体を滑り込ませた。


「よく曲がる首なら、当然口は生えてねえよな!」


 狙いは頸動脈、スコップの刃にありったけの力を加えて一文字に薙いだ。


 ヒトガタの首がぱっくりと割れると少しもがいてすぐさま倒れた。幾多はその下敷きにならぬように離脱したが頭からヒトガタのやや灰色がかった血をもろに被ってしまった。


「今度は血か。きたねえな」


 粉塵と瓦礫が多いため着けていたマスクと安全ヘルメットだが、正直に言えば戦闘では邪魔で仕方なかった。


 幾多は重荷を捨てるように血を浴びたそれらを打ち捨てると、後ろ髪にくっきり見えるエクステのような白髪をなびかせた。


「っかあ! 空気は新鮮じゃねえが何もつけねえほうがやっぱ楽だぜ」


 吊り上がった双眸に宿る熱い炎を照らして、幾多は再び重機に追随して走り出した。


「そろそろ渡りきるぞ。逆封鎖する。幾多も前に来い」


 タブチの号令と共に重機が旋回をはじめ、慌てて二人とも重機の前へと体を滑らせた。


 作戦はうまくいったようで、橋の上の感染者は南側に締め出され、重機を乗り越えようとするものは尖ったパイプに阻まれリデルの銃弾に倒れている。


 しかし大型なヒトガタは倒れるまで時間がかかるため、数によってはそう長くかからないだろう。


 幸い橋の北側にいた感染者も誘い出せたらしく、物資の駐屯地は比較的静かだった。


 それに媒介者の姿もまだ、見当たらなかった。


「渡ったらすぐに媒介者が出るかと思ってたが、違うのか」


「俺が待ち伏せするなら、橋を渡りきって引き返すまで猶予が必要な程度には引き付ける。しかし、媒介者にそこまで知能があるかな。元は人間で会話もできる個体がいるが、身体の構成はまるっきり感染者と同じだからな」


「話ができりゃ。戦う必要もないだろ。馬鹿に決まってるって」


「いいや。幾多。それは外の人間と同じ勘違いだ。今は抑制剤で媒介者との意思疎通可能なレベルの個体も増えたが、基本媒介者は<毒の意志>に蝕まれている。こいつは薬物中毒者と交渉するより厄介だ。なんせ妥協なんて鼻っから頭にないんだからな」


 <毒の意志>とは媒介者がアーヴィタ因子の作用により媒介者に代わる際、より感染を広げるための身体の変化の最終段階である。手足、内臓が感染者を生む道具にされた後、媒介者個人の意識もまた感染のために変容する。それは吸血鬼の吸血衝動と同じような道徳や倫理を棄却するような強い渇きであったり、あるいは無機物や現象が人格を持つような新しい意志もしくは意思を持たすような驚くべき例も存在する。


 これにより近年に至るまで媒介者との意思疎通は不可能とみられていたが、ある発見により<毒の意志>による意識の変化を軽減する術を得た。


 抑制剤、正式名称は海馬生成型アーヴィタ因子脳内浸食抑制剤と呼び。アーヴィタ因子学を研究する因子学の元権威である阿原雄二郎が行った果敢な実地調査つまり媒介者との意思疎通の試みをし、または媒介者になる過程を経過調査した結果から性格や欲求は変化するものの媒介者になる以前の記憶は劣化や変質が起こらないと推測した。


 そこから阿原雄二郎はこの反応を起こす物質もしくは機構が海馬に存在し、これを利用すれば脳全体を<毒の意志>から守ることができるのではないかと仮説を立てた。


 そこで阿原雄二郎はあらゆる動物の海馬の細胞片を用い、媒介者に投与する実験を行った。


 非人道的に思われるかもしれないが、時代の背景上では媒介者のロボトミー実験や当時の精神病患者に行うような治療と称した拷問をベースにした改良治療と比べれば生ぬるいといえるような方法だった。


 しかして実験は失敗するべくして失敗した。理論が間違ってるわけではない。阿原雄二郎が予想していた通り、猿・イルカ・ゾウなど知能の高い生物の細胞片では媒介者が一時的に敵対意識を解いたような反応をした。


 それでも反応自体はほんの瞬きをするほどの、無関係なノイズといってもいいような結果だった。


 だが阿原雄二郎はこの方法を今度は人間の海馬の細胞片で行い、投与後のカウンセリングから、数時間意思疎通可能な状態にすることに成功し、実験は目的を達すことができた。


 世界はこの実験に対して称賛を浴びせる一方、移植が一般的でないことも含め人間の生体を利用したことから科学者として人間として倫理にかけているのではないかという評価も受けた。


 実験の成功により、今度は同博士が精製した人工物質が発見されこれが抑制剤として媒介者に用いられるが、同研究は時代の移行を経て人道にもとる研究とは言えず。研究プロセスの難しさ、危険性から研究は下火になってしまった。


 残ったのは作用機序のわからない薬と汚染地区とセットで<管理された災害>として媒介者を飼いならすために必要な必需品として民間の会社に使われるようになった。


 その民間の会社も何も善意で媒介者を管理しているのではなく、OMFRとよばれる国際的なアーヴィタ因子のリスクを管理する組織を通じて国家から金銭援助を受けて委託している。


 ほかにもアーヴィタ因子は媒介者や感染者由来の非感染物質になった因子物質を利用して様々な商品利用がされており、ほとんどは一般向けではないが特殊な作業や工程において利用され希少価値が非常に高い。


 また、交渉によっては媒介者を利用し抑制剤を投与されていない媒介者の捕獲を依頼する場合もある。


 その例が適用されるのは今まさにこの状況なのだが、幾多のような下っ端にはそのような情報は回ってきていない。


 そのうえ、幾多はこれまで会社勤めの媒介者というものにあったことはない。


「ところでうちの会社の媒介者ってどんな奴だ。タブチは稲荷とその媒介者に会ったことあるんだろ」


 稲荷とは幾多にとってタブチとともに兄貴分に当たる親友のことだ。元々は幾多と同じ汚染地区の清掃・除染を行う作業員だったが、自分からすすんで特別先行作業員になった。


 特別先行作業員、あるいは特先は企業が清掃作業の計画を立てる際、事前に不明な地域に対して斥候として調査と事前作業を行う役職のことだ。


 多くは元軍人や警備会社社員など、戦闘に腕のある者が先行調査を行うものの。作業量は膨大であり、希望する場合に特先として任命されるのだ。


 内情の不明な場所での作業はプロでも危険であるため、ほとんどの場合致し方ない事情が存在するときだけと考えられ。通常時は形骸化された制度という認識が一般だった。そのため、幾多も稲荷が立候補したと聞いた時には驚きを隠せなかった。


 それが、もう半年も前のことになる。


「ああ、稲荷が特先になってから何度かな。4ヶ月くらい前か、コミューンを狙った誘拐事件が頻発したときにな」


「事件はあのロシア系海外マフィアの生き残り達もいたんだろ。噂くらいは聞いてたが大変だったんじゃねえのか」


「だからこそ、稲荷とミタカにてつだってもらってな。ところでミタカってのは媒介者の名前なんだが、登録名のエンブリオって呼ぶと怒ってよ。見た目は―――」


 タブチがそう言いかけて、導線を引き直し起爆装置を探し出し、発破の準備作業の手を止めて。提げていた機関銃を構えなおして遠くに狙いをつけた。


「―――準備急げよ。どうやら敵の方が到着は早くなったらしい」


 幾多が遠方へと目をやると、ぽつりぽつりと感染者の集まりが見える。どうやらこちらへ歩を進めているらしく、橋のたもとに到着するまでそうかからない。


 タブチは近い感染者から優先して銃弾を浴びせ、数を減らしにかかり始めた。幾多は点火準備の終えた起爆装置を片手に、そこから延びる導線を片手に、急いで橋へ戻る。


 今度はジャンクを反転させ、橋の南側に渡りきり橋の発破を行えば晴れて任務完了だ。


「リデル、ジャンクを出してくれ!」


 リデルもタブチも定期的にトリガーを絞っているため、銃撃の音がビルを反響して幾多の声を遮る。それはリデルの側でも同じで、リデルが何かをわめきながら降りてくるのを、幾多はけげんな顔で迎えた。


「何だあ!?」


 幾多は突如リデルに襟元と腕を引かれ、左へと引き倒された。素っ頓狂な声で驚いていると、今度は重量級の重さがあるジャンクがこちらに向かって浮き上がり二度驚かされた。


 幸い、幾多とリデルは横へ。タブチは距離が離れていたため押しつぶされることはなく。事態を掌握することができた。


 ジャンクの向こう側、橋の上に一人の女性が立っていた。


 まず目立つのはその右腕で、恐竜のような巨大な顎を模した形に膨張しており、華奢な本体にふさわしくないほどだった。まるでそれを証明するかのように、次に女性は右腕の一部と自分とを切り離した。


 切り離された一部は変形し始め、すぐにヒトガタの形態に代わった。どうやら女性はヒトガタの身体を吸収することで巨大な腕と剛力を一時的に得ていたらしい。


 そんな芸当ができるのはおそらく一個体だけだ。


「あれが媒介者、個体名ムントか」


幾多にも名前とおおよその外形だけは伝えられていた。その聞き知った印象はムントの今の身体と一致していた。


 白い肌の上にかさぶたが無数あるかのごとく、多種多様千差万別ありとあらゆる口が口角を上げ、笑っている。人間らしい口と目の位置には童顔な微笑が浮かんでいて逆に不気味さを漂わせている。


 肌と同じくがさがさな白い髪は短く切られており、どこかの病棟から逃げ出したかのような病的に痩せている身体も特徴的だった。


「おにいさん、おねえさん」


 ムントの口からは見た目とは裏腹に精神的に幼児退行した口調で話しかけてきた。


「むーとおともだちに、なろう」


 はく離した肉塊の繋ぎ目は皮膚を編み込むように急速に回復していく。更に新しく露出した部位からは再び顎と歯が生成され口の形を成した。


 どうやらムントには感染者にはない強力な再生能力を持っているらしい。


「おい、リデル」


 応戦するぞ、と幾多が声をかけようとしたものの。リデルは果たして、意識を失っていた。


 幾多は慌てて外傷を確認したが、目立ったものはなく。するりと長い髪を避けて脈を測ると、それはまだあった。


 仕方なしに、幾多は使い慣れない機関銃を握った。


「おうおう、おおおお!?」


 幾多は気合付けとばかりに意味不明な怒声を吐いて銃弾をばらまいた。しかし、両手で握っただけの撃ち方では狙いも定まらず、目の前を銃痕が線をなぞっただけでかすりもしない。


 そこに、ほかの感染者を相手にしていたタブチが戻ってきた。


 タブチは手本とばかりに脇をしっかり閉めて銃床を肩に食い込ませ、軽く腰を落として引き金を指切りした。


 タタン、と小気味よくも正確な射撃により。ムントの膝の皿は撃ち抜かれ、膝を崩した。


「適当に撃つな、幾多。媒介者は殺したら囲っている意味がないんだ。説明は受けているだろ」


 媒介者は殺してはいけない。正しく言えば殺してしまえばもっと面倒なことになるだ。


 因子学では、まだ媒介者が媒介者に代わるシステムがよく分かっておらず、基本的に殺さなければ新しい個体は生まれないとされている。


 それもただ単に統計学的な長い計測による数値でしかなく、同じ特質を持った媒介者も存在し個体名の判断のためα、β、γと識別記号が振り分けられているくらいなものだ。


 それでも、過去媒介者の乱殺による媒介者の再発生頻度は確実に抑えられ、機序はよくわからないけど発生率を抑えられているので良し。という状況だ。


 ワンマン主義の大国や秘密主義の独裁国家ではこの規則、法則に反して自分の国の領土を守れれば問題ないと汚染地区の数を増やしているという噂もあるが、定かではない。


 兎にも角にも、汚染地区のコミューンであるタブチは新たな汚染地区を作る原因を生むつもりはないし、幾多もタブチの意向に反するつもりもない。


 だが、むず痒いのだ。


「相手のご機嫌を伺いながら喧嘩するなんざ器用な真似をしろって? それこそ道理じゃねえっていうんだぜ」


「だから俺にあたるな。殺せなくてもやり方はいくらでもある。それにムントはほかの媒介者と比べてもタフだからな。方法はかなり多い。ただ―――」


 ただ人手が足りない。そう続けるまでもなく、状況はよくない。


 ムント本体の動きを止めても、感染者に何らかの方法で指示を出しているらしく、周りに集めて橋を渡らせない陣形を取っている。どうやら隙を見て逃げ出すには感染者の群れも同時に捌かなければならないようだ。


 それに加えて媒介者からの直接感染も気を付けなければならない。ムントは媒介者らしい手段の特化により、口が主な感染源だ。更に詳しく言えば、唾液こそが感染物質になっている。この唾液には少量のプリオン体が含まれ、これに触れることで生体をムントの体細胞と同じ組成に変化させられてしまう。つまりがん細胞のようなもので、いつの間にかムントの細胞が体全身に置き換わって感染者という存在にさせられてしまうようなものだ。


 ならば感染者もムントのように媒介者の感染能力を持つと考えるかもしれない。しかし厳密には違うらしく。身体から切り離せばすぐに感染能を失うらしい。


 つまり先ほどと同じく因子学上よくわからないのだ。


「あああ!? クッソめんどくせえな!」


 いらだった幾多が周りにあたる。ちょうど目の前にあった青い塩化ビニルのゴミ箱があり、これが幾多の蹴りを受けた。


 ところがどうやら中身が充満していたらしく、逆に幾多の方が足をおさえて悶絶した。


「んん? うるさいな」


 そうすると、どこか眠そうな間の抜けた声がゴミ箱の中から聞こえた。

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