ハキダメのミュータント

砂鳥 二彦

第1話

 くすんだ灰色の空の下、傷んだアスファルトの上に放棄された車両が渋滞のままあるいは事故を起こしたまま。車の墓場のようにその塗装が剥げて風雨に晒された地肌を赤さびまみれにして死んでいた。


 さながら車の塹壕、何物にも覆われていないむき出しの土に泥臭い水たまりができ、その様相を一層貧相なものにしていた。


 散発的に銃声がする以外は静かで、細い車間を犬のような動物がしたりしたりと歩く音も聞こえてくるようだった。


 ただその犬のようなものは普通のとは違う。


 一目ではっきりと目立つのは、口だ。無数の口だ。顎で形成された偉業といっても差し控えない。口は所狭しと、頭の頭頂部、脚や膝、腹部や背中、どこにでも上顎と下顎のセットで奇形のいぼのようにいくらでも付いていた。


 さらにその口は犬のものだけではない。猿のような雑食性の口もあれば、ライオンのような大型の肉食獣の牙を有しているものもある。


 更に言えば、奇形の犬はヘアレスドッグのように体のどこにも毛がなく、その素肌はきめ細やかとは言い難い。肌は皮膚病で脱毛してかさぶたのように固く、生の七面鳥のように痛々しい状態だ。


 奇形の犬はぱっくりと開いた空洞な口腔を鼻の代わりにすんすんと、舌で空気をからめとるように舐めまわし周囲の様子を探っていた。


 そうかと思えば、突然駆け始めた。


「うひぃ! 来るな化け物!」


 奇形の犬がひときわ開けた場所を走り抜け、人工的に車が積み上げられた場所の裏に回り込むと、防弾チョッキとヘルメットに加えて防護用のゴーグルと防塵用の簡易マスクまで着ている機動隊風の若い男を見つけた。


 若い男も奇形の犬の接近に視認でやっと気づき。ぬかるんだ土に足をとられ、重厚な装備に邪魔されながらも抱えていたH&KのMP5Kという小型の機関銃を構え、引き絞って掃射した。


しかし狙いはでたらめでたいして弾倉に銃弾が残っていなかったのか、すぐに空薬莢の排出が止まり、コッキング音だけがタイプライターを叩くような虚しい音を響かせた。


 もうだめだ食い殺される。と若い男は跳びかかってくる奇形の犬に対して銃を盾にするように自分をかばい、痛みに耐えるかのようにその双眸を固くつぶった。


 はたして、実際のところその体に焼けつくような痛みが走ることはなかった。


 代わりに奇形の犬は空中で横っ腹にスコップの刃先を叩きこまれ、苦悶の鳴き声を上ずらせて、積み上げられた廃車の中へ投げ出された。


「喧嘩なら俺が買うぞ。いぬっころ」


 防弾チョッキの若い男とは別に。白い作業用の防護服を身にまとい顔をゴーグルと複数束ねた市販のマスクで覆い、邪魔なのだろうか安全ヘルメットは外して腰にかけ、手にはステンレス製のスコップを握る男が、勇み足で現れた。


 周りがよく見える大きなゴーグルレンズからはその男もまだかなり若く二十歳にも届いていないと思われる見た目だった。ただ、その割に後ろ髪の白髪が多いものの、それを除けば歳相応に生意気な鋭い目つきをした男だった。


 スコップ男は目の前の化け物相手にも全くものおじする様子はなく、仁王立ちをして奇形の犬と相対していた。


「下がれ、幾多の。こっちで処理する」


 幾多と呼ばれたスコップ男の後方からはさらに増援らしき4つの人影がある。彼らの手には各々機関銃が握られており、こちらはより使いこまれたらしく表面に擦り傷や汚れが目立っていた。


 彼らは防弾チョッキの若い男とやや風貌は異なり、防弾チョッキの下にはそれぞれラフな格好をしており、マスクの代わりにマフラーを巻き付けているだけの者もおり。訓練された集団行動とは相反する不揃いな見た目は、海外の民間警備会社を彷彿とさせた。


 幾多に声をかけた先頭の男はAK74を正面に構えていつでも斉射できるよう隊列をそろえて奇形の犬に詰め寄った。


 しかし、それを幾多は片腕で遮った。


「必要ねえ。こいつは俺が買った喧嘩だ。タブチは見てな」


 幾多はそう制すると、スコップを後方に大きく振りかぶり、一挙に奇形の犬との距離を詰めた。


 そのままの勢いで振り下ろされたスコップは奇形の犬の頭部に直撃するかと思えた。だがその前に、スコップの軌道上にあった頭部は消え、対象がいなくなった刃先はアスファルトと鍔迫り合いをして火花を散らし、土がむき出しの地面に突き刺さった。


 消えた奇形の犬は幾多の振り下ろしと同時に交差する形で既に地面をけって跳躍していた。


 そして意表を突く形で幾多の喉笛を食いちぎろうと全身の口腔があらわになるほど口を開き噛みつきにかかる。


 幾多はこれをとっさの反応で庇い、代わりに左の二の腕へ深々と鋭い牙が刺さった。


「っ!」


 激痛に幾多は顔をゆがませ息が漏れる。けれどもその痛みは幾多の目に恐怖ではなく、それを掻き消す囂々とした激怒の炎を灯させた。


 かまれた左腕をかばうことなく、右手は奇形の犬の口が生えていない目頭を掴み全体重をかけて二の腕ごと奇形の犬の頭部を地面に突き刺さったスコップの刃めがけてたたきつけた。


 肉の裂ける音、薄い頭蓋の割れる乾いた音、絶命の瞬間に吐き出される悲鳴ともつかない肺をつぶしたような空気の排出音。続くように割れた頭からは水風船の栓を外したかのように、鮮血が噴出した。


 幾多は奇形の犬が絶命したのをしっかりと確認すると、立ち上がって張り付いた下顎を引き離し、牙で固定された上顎もはがして道端に投げ捨てた。返り血は、既に白からアスファルトの黒と土色に代わってしまって汚れている作業着にとっては同じようなもので、新たな迷彩色が増えたと諦めて袖で拭われた。


「また悪い癖出しやがって、堪忍袋が切れたら見境なくなるのはいつもやめろと言ってるだろ」


 タブチと呼ばれた男は幾多に駆け寄ると、つれてきた女性の一人に指示を出して素早く幾多の噛まれた場所の応急措置をさせた。


 幸い太い血管を避けたのか出血は大したことなく、幾多の身体に包帯や絆創膏で手早く処置されていく。


「とろくて力の強いヒトガタならともかく、足の速いイヌガタ相手だ。一匹だけなら銃を使うより接近戦でやりあった方が効率いいじゃねえか」


「だからといって感染者相手にスコップ振り回す奴がいるか。媒介者じゃないからとタカをくくって狂犬病や他の感染症移される可能性を考えないのかよ。ったく」


 媒介者は、ここ汚染地区<サイト21>と外の世界を壁で隔離させる原因となった、ある種の世界に対する毒物のことだ。そもそも媒介者というのは既存の科学では解析できない通称アーヴィタ因子と呼ばれる構造未解明の感染物質に侵され、支配され、因子由来の害意のもとに有毒有害なさらに別種の感染源を持つ個体のことだ。


 媒介者の基本的な特性は発生経路、感染経路ともに現在の統計学細菌学毒性学疫学的な解析を持っても不明であり、必ず一個体しか発生しない。ほぼ同時に似たい発生するケースでもそれぞれの媒介者が持つ毒性や有害性は一致せず、現段階ではアーヴィタ因子と媒介者について研究する因子学学会では媒介者から媒介者は生まれないもしくはその性質が感染しないといわれる。


 一方、媒介者に感染する感染者というのは媒介者由来の生成物、エネルギー、情報、ミームなどに接触することによって生じる特定症状を持つ患者である。何よりも感染者の特徴は前述した一点と更にもう一つ、媒介者と同じ感染性を持たないということだ。


 それに加えて媒介者はある程度感染を広げると活動範囲を限定し、高い感染性を持ちながらも感染者がネズミ講的に広がることはない。


 この特徴は感染者の治療方法がないことも加えて媒介者と感染者を丸ごと世界から隔離し、遠ざけるという汚染地区の基本方針を作る要因になっている。


 そういった難しい事情はさておき。とうの幾多は媒介者うんぬん感染者うんぬんについて初めから頭になかったらしく、とぼけたように相槌をうっていた


「そ、そのくらい分かってるっての」


 タブチの方は幾多の様子を気にも留めず、怯えて縮み上がってしまった防弾チョッキの若い男を助け起こし、元気づけるように肩を叩いた。


「怪我はないか。警備部隊の連中には撤退命令が出た。さっさと退いて他の生き残りと合流しとけ」


「―――撤退とはどういう了見だ?」


 タブチが口にした2文字に鋭くかみついたのは幾多の方だった。


「上の命令も聞かずにあっちこっち出向いてるからだろ。もう警備部隊の本体は第2防衛ラインを諦めて最終ラインまで退くように命令が出た。それが15分前、これ以上ここにいる必要はない」


「最終ラインって、封鎖作戦はどうなった。俺たちがここで命張ってるのもそのためじゃねえのか」


 幾多が言う封鎖作戦は厳密には第2次作戦、つまり既に1度作戦は失敗していた。第1次作戦では媒介者と呼ばれる感染源の生物と、感染者であるヒトガタとイヌガタの進行を抑えるために、北から南に行くルートを閉鎖するべく30メートル近い川幅を渡す橋の爆破が計画されていた。


 しかしその爆破計画は情報不足、人員不足、さらに甘い目算から火薬の量が足りず。結果的には橋脚を破壊するための十分な破壊力はなく、死傷者を多数出しながら橋を倒壊させるには至らなかった。


 今回の第2次作戦は同じ橋を今度は2倍以上の爆薬を用いて実行されることになった。同時並行に橋の向こうでの遅滞戦術と橋脚爆破位置の偵察、火薬量を測量及び計算を行い。やっと前回の失敗から一週間かけて決行されるはずだった。


 なのに2日前から感染者の行動が活性化、偵察から媒介者の接近を感知したものの橋の南側つまり阻止地点を突破されこちらが逆に抑え込まれているのが今の状況だ。


 本来なら撤収後に橋を爆破するはずだったが遅滞戦術の展開のため物資を橋の北側に水上運搬していた都合上、前哨基地も橋の北側にせざるを得ず。点火プラグも導火線もすべて川の向こう側に置き去りにしている。


 作戦を成功させるためにはこの点火プラグを導火線につなぎ点火しなくてはならず、そのために拠点の再奪取が目的のはずだった。


「ざけんじゃねえぞ。2度の作戦でどれだけ死人が出たのか上は分かっていってるのか」


「管轄違いの俺に言うな。作業員からの死者も馬鹿にならないがこっちもかなりやられてるんだ。建前上、共同戦線とうたっているが実際のところコミューンは企業側からただの消耗品だと思われている。結局損害として計上されるのは警備部隊の命と弾薬費くらいなもんだ。イラつきたくなるのは同じだ」


 コミューン、とは単純に言えば元々汚染地区に指定されていた住人たちだ。他にも様々な理由で、主に後ろめたい経歴のせいで、汚染地区に入らざる得なかった者たちもいる。ただし、コミューンたちの多くは汚染地区から逃げ出せなかった者と逃げ出せたものの引き返してきた者たちだ。


 国際法上は汚染地区難民と呼ばれる彼らはその名称を嫌っている。それは名称そのものが国から援助を受けて新しい生活をしようとする者たちを差別し排外する原因となっているし、故郷を逃げ出した負け組達とレッテルを張っているようなものだったからだ。特にここ日本ではこれまで紛争を理由とした難民が出ていなかったため他の国よりも偏見が強い。


 また自分たちから逃げ出さず留まった者は勇気からではなく、住み慣れた土地への愛着や離れることへの不安が大きかったからだ。


 タブチ達はそのコミューンから厳選された武装市民、いわく自警団と自称している部隊だ。土地勘の良さと戦闘経験の差、前述したような使い捨てやすさから企業側と連携を図るコミューンも多く、対価として水食糧などの生活物資の援助を含めた人道的な支援も受けられている。これは存在しない市民とされている汚染地区難民にとっては名誉を回復させる意味合いも強かった。


「だからこそ、なおさら憤るべきじゃねえのか」


 幾多は応急処置をされ終えると、タブチに詰め寄った。


「ここを突破されれば、タブチ達の居住地も感染者たちが到達するルートを作っちまうんだぞ。それを防ぐために俺たちに力を貸してくれたじゃねえか。なのに途中で放り出す? 冗談じゃねえ。昔みたいにまたタブチ達のコミューンが、ナンセンが食い物にされちまう、仕方ねえじゃ済まされ―――」


 幾多は顔をAK74の銃底で殴られた。容赦ない一撃を頬骨にくらい幾多の身体はぐらつく。それでも幾多が倒れることはなく、その眼に宿る怒りの炎は衰えることなく燃えていた。


 タブチは幾多の目をまっすぐ見据え、幾多もまた睨み返していた。


「… …出張っている自警団の皆に意見を聞く。賛同したものだけで援護を、爆破には俺と幾多とリデルだけで行く。これは、妥協じゃないからな。幾多」


 リデルと呼ばれた女性は、女学生の制服の上にマフラーやカーディガンなどを厚着しており、歳は服装相応よりも上といった感じの風体だった。彼女がタブチの言葉にうなづくと、続いて他の自警団員も相槌を打った。


「敵の攻勢が再開する前に一度全員集める。ネストに繋げろ」


 悲鳴と散発的な銃声が遠くに聞こえる中、積み重ねられた車の残骸を目印に開けた場所を臨時の駐屯地とした。


 連絡は小型の通信機を使う。俗にいうスマートフォンというやつだが通常の電波は当然入らない。その代わりにネストと呼ばれる特殊な通信網を構成するアプリを使い自警団全員に連絡が取れ、おかげで短い時間で横の路地や後方の渋滞車群からほかの者たちも続々と集まってきた。


 待つ間も何度かイヌガタと呼ばれる先ほどと同じ奇形の犬の感染者が襲撃してきたものの。これを更に増した銃弾の弾幕で薙ぎ払った。


 もう一種のヒトガタと呼ばれる危険な大型二足歩行の感染者は、見当たらない。どうやら近くにはいないらしい。


 タブチが言うには、これまでの感染者集団の様子を見る限り基本的には集合的に行動はせず、媒介者から何らかの指令を受けた時だけ足並みのそろった群れとしての行動を起こすらしく。感染者の群れが一度引いているのは津波の前兆のようなもので、媒介者が再集合をかけて新しい集団攻撃を開始する前兆のようなもの、なそうだ。


 一方、自警団の集合はネストで連絡してから十分も経たずに終わり、生存と死亡の報告を待っている状況だ。


 見渡してみれば、幾多のように感染者に噛まれたが包帯を巻くだけで済む者もいれば、耳や指を少なからずも食いちぎられた隊員もいる。軽症重症の傷がなくとも、居るはずの仲間や友人がおらず肩を落とす者や、無事を喜び合う人だかりもある。


 そんな中、点呼も終わり幾多を除き総勢23名の現存隊員が確認された。


 タブチは生き残った者たちを一望してから、よく通る声で言葉を口にした。


「まず、生き残った者たちに礼を言いたい。ありがとう、そしてここに来れなかった者たちの冥福を祈りたい。だが、今は十分に弔う時間はない。既に聞いた者もいると思うが警備部隊は最終ラインに撤退した。これが何を意味するかは参加した者たちには言い直す必要もないと思う」


 タブチは皆に確認を取るかのように少し間を置き、沈黙が応えを返した。


「成功の公算や犠牲を考えれば自警団だけの作戦継続は得策ではない。それでも古くから自警団に参加した者も、そうでない者も。この危険な汚染地区の中で得た安住の拠点を奪われる喪失は死の恐怖さえも超えるだろう。少なくとも俺はそうだ。だから提案したい!」


 そして、幾多に語った作戦と同じことを自警団の皆にも聞かせた。ただ幾多に強制させたのとは違い、援護だけとはいえ敵地の真っただ中に置き去りにされる危険性や参加すること自体が無謀であり推奨しないことを、タブチは強調した。


 警備部隊、とはいえどここに集まっているのはほとんど軍事知識を軽くかじった程度の銃を握った一般人に相違なく。国防の義務を宣誓したわけでも鋼の肉体に金剛石の精神力を備えているわけでもない。弱者だ、自分の命すら一人で守ることもできないひよっ子どもの寄り合いだ。そのくせ心構えだけでは一人前の兵士のつもりでいる無謀な子羊達だ。タブチは部隊長としてそれを痛感しているからこそ、強気な一手を切れずにいた。


「―――作戦の内容は以上だ。作戦開始まで時間がない。参加するものは今から3秒以内に挙手を」


 迷ったまま選ばせない、その決意を表すかのようにタブチはタイムリミットを示すように1秒目の人差し指を上げた時だった。


 一切の躊躇なく、その場の全員が一斉に自分の片腕を挙げた。


 中には先ほどまで自分の傷や友人を亡くして歪んでいた顔さえも微笑に変えるほどの、諦観でも楽観でもない、全く澱みのない決意が各々から感じてとれた。


「だから言っただろ」


 幾多はあたりまえのことだと、当然のように笑っていた。


「コミューンを守るためにコミューンの一員になって、更に皆のために最初から今まで先頭になって誰よりも身を粉にして尽くした奴の頼みを断るような奴はナンセンにはいねえに決まってる」


「… …それを見越して煽ってきたのなら、殴って正解だったようだ」


「ひでえこと言いやがる。俺は俺が感じたままに行動しただけでだぜ」


「本当なら、大した役者だ。さあて、これから行くのは死地だ。覚悟だけはしとけよ。幾多の」


「俺はいつでも準備万端だ。後れを取るなよ」


 タブチら自警団達と、がたいの良い白い作業服の男はそれぞれの武器を握り、これより人間を寄せ付けぬ絶海の地となる場所に、足並み乱れることなく歩みを進め始めた。

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