其の四「高原」
ガスはさらに濃くなったので、俺はやむなくフォグランプに加えてヘッドライトを点灯させた。
奈美を消した今、この峠道を登っていく必然性はなにもなかったけど、俺は登り続けた。予想できない目的地ながらそこに着かなければならないような気がしていたし、第一、道路幅は狭く、引き返すためのスペースはなかった。
どんなに走ってもこれでもかと言わんばかりに傾斜は続き、道は曲がりくねった。ずいぶん気がつかなかったけど、道路が白いのは、コンクリートのせいではなくて雪のせいだった。当然ながら俺の車はノーマルタイヤだったからさらにスピードを落として走らなければならなかった。
「くそう… 奈美は、雪が降っているなんて一言も言わなかったぞ…」
俺は、真っ暗な小さい画面に向ってそうつぶやいたけど、当然、何の返答もなかった。
ふと見ると、前方にやたらと急勾配、急カーブの道がちらりとのぞいた。天にも登るのかと思える道だった。“まさか、あれは本線じゃないだろう。枝道の林道か何かだろう。” と思ったけど、近づいてみると、他に道はなかった。ここで滑ったらひとたまりもない。天どころではなく、地獄の底までも滑り落ちていきそうだと思った
傾斜がなくなって平坦な道になったなと思ったら、俺を待っていたかのように、見る見るうちに真白な空は晴れ渡り、この険しい道の頂上の全貌が明らかになっていった。驚くことに、そこには広々とした高原が広がっていた。
俺は、しばらく、高原の広々とした中の登るでもなければ下るでもない道を進んだ。すると、方向感覚がなくなり、一体峠はどっちの方角にあるのかさっぱり分からなくなってしまった。見えるのは木一本生えていないなだらかな丘陵ばかりで、この先の道筋がまったく予想できないのだ。
少しためらったけど、俺は、画面のボタンを押した。
♪『…美です。間違えないでくださ… あ… 失礼しました』
「ははは、さっきの消される前の言葉の続きか。奈美、頂上に着いたよ」
♪『そ… そうですね。はい。頂上の高原に着きましたね』
「ところが、奈美、しばらく走っているのだけど、どこをどう走っているのかさっぱりわからないんだ」
♪『はい。そうでしょう』
「そうでしょう、じゃなくて、ここからどう行けばいいか教えてくれ」
♪『橙さん、まだ、思い出せませんか?』
「ん!? 思い出す!?」
♪『はい。4年前に来たこの高原を』
「さっき、ここには独りで来たって奈美に教えてもらったけど… 思い出せないなあ」
♪『そうですか。4年前の今日、橙さんは、この車で、今まで聴いてきたあの曲を繰り返し再生しながら、時には、橙さんも歌いながら、この峠道を登り、途中で雪道になり、『くそう、雪道だなんて…こっちはまだノーマルタイヤなのに…』とつぶやきながらさらに登り、この広い高原に出ました』
「そうだったのか… 今日とまるっきり同じで… 」
♪『はい。4年前の橙さんは、その日、なぜ、お一人でこの道を走ってきたのでしょう』
「4年前… 前の仕事を辞めた年だ」
♪『はい、そうです。橙さんは、すっかり憔悴して。でも、何かを諦めきれずに、この道を走ってきました』
「 … そう… 俺は、利用者のためにと思って働いてきたのに、いつからか、社内の上下関係やら、ポストやら、そんなことばかりに頭がいって、こんなんじゃだめだ、と思って辞めたんだ」
♪『はい。そして、橙さんは、この何もない高原で何かを見つけませんでしたか?』
「ん!?」
♪『この先の、あの丘陵の上で、です』
「あ… 」
♪『目的地に近づきました。運転おつかれさまでした。ここまでの所要時間は… 』
「奈美… 」
♪『はい、橙さん。思い出しましたか』
「かけてくれ」
♪『曲をですか?』
「そうだ。そのとき、曲を聞いただろ。4年前に」
♪『思い出されたのですね、橙さん』
「ああ… 奈美、頼むよ」
♪『わかりました』
「それから… 」
♪『はい、なんでしょう?』
「申し訳ないけど、また、しばらく、独りにしてくれないか」
♪『はい、わかりました。また、ご用事がありましたら呼んでくださいね』
「ああ、そうする。ありがとう」
名もない草と真っ白な雪だけのこの高原に、4年前に俺が見つけた“希望の木”がそこに、あった。
♪PSY・S 「Wondering up and down ~水のマージナル~」
https://www.youtube.com/watch?v=3Jjy20poF-Q
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