第六楽章
最終試験の前夜、私はラボのエントランスでハウエバー氏を待っていた。彼から突然の誘いを受けてのことだった。
「ミツルギさん、今夜、お食事でもどうですか?」
シンプルな誘い文句。それは自分を飾ることをしない彼らしいものと言えた。
自分の身だしなみを確認する。おかしいところはない、はずだ。こうやって男性と食事に行くのは初めてではないが、しかし慣れるほど経験があるわけでもない。緊張しながら待っていると、入口からハウエバー氏が入ってくるのが見えた。
「お待たせしてすいません、ミツルギさん」
ハウエバー氏はスーツをかっちりと着込んでいた。彼のこの姿を見るのは応接室で初めて会った時以来だった。やはり、よく似合っている。まるでやり手のビジネスマンのようだ。そんなことを思いながら、
「いえ、こちらこそお誘いいただきありがとうございます」
と返事をした。
「それで、今日はどこに行くんですか?」
私の問いに彼が爽やかに笑いながら答える。
「僕の滞在しているホテルの近くにレストランがあるんですよ。そこで出してくれるワインが美味しいんです。あ、ミツルギさんはお酒は大丈夫ですか?」
「はい、嗜む程度ですが」
「あぁ、良かった。では、行きましょう」
彼にエスコートされながら、私はエントランスを出た。
結論から言って、彼の言葉に偽りはなく、レストランで出されたものはワインだけでなく料理も美味だった。
「お口に合ったようで良かったです。実は、もし美味しくないと言われたらどうしようと、ドキドキしていました」
笑いながら彼は言う。そんな彼に私は切り出した。
「あの、そろそろ聞かせていただけませんか?」
「?何をですか?」
「今日、私を食事に誘った理由です。ネモのことで何か聞きたいことがあるのではないんですか?」
彼がきょとんとした顔をして私を見た。そして数秒の後、再び破顔して、
「ネモは関係ありません。僕は貴女と話がしてみたかったんです、ミツルギさん」
今度は私がきょとんとする番だった。私と?話を?
「単刀直入に言います。僕たちは今はビジネスの上での関係でしかありませんが、この契約が終わっても、貴女とは個人的に連絡を取り合いたいと考えています。そうだな……、いずれは敬語を使わずに話せる仲になりたい」
彼の言葉を頭の中で分析する。理解が追い付かない。私は、
「……それ、単刀直入になってません」
こんな言葉を絞り出すのが精一杯だった。
「そうですね。では、もう一回トライします。チズル・ミツルギさん、僕と付き合ってはいただけませんか?」
今度は正真正銘、単刀直入な言葉だった。
「私で、いいんですか?」
「貴女『で』じゃない。貴女『が』いいんです」
ハウエバー氏はまっすぐに私の目を見ながら答えた。
「……よ、よろしくお願い、します……」
消え入りそうな声で私が答えるのを聞いて、彼はその日一番の笑顔を見せた。
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