第3話 孤独の零斗

「…お、お邪魔しマース。」


警察から逃げるように青年を家に連れ帰った俺は、人生でついたことの無いような大量の嘘を言った緊張がほぐれ、思わず廊下で座り込んでしまった。慣れないことをするのは本当に気が疲れる。


「大丈夫?なんか、ごめん。」


「いや…何も悪いことしてないのにしつこく職質してくるのは酷いし、理由も理不尽だからなんか許せなかっただけだから。言ったら俺の勝手なお節介だ。」


そう言いながら俺は微笑み、ネクタイを緩めながらゆっくり立ち上がった。


「腹、減ってない?何か適当に作るから、ソファーにでも座ってゆっくりしてて。」


「いや、俺多分汚れてるし…お世話になるわけにも…。」


青年は見た目に反して本当にいい子だった。いや、助けてくれた時点でいい子に決まってるのだが、ソファーにそのまま座るのさえ躊躇するなんて、きっと亡くなったご家族の教育は良かったんだろう。


「別に俺もいつも帰ってきてそのままダイブするからいいんだけど…気持ち悪いなら風呂でも入る?着替えは適当に出しとくから。」


「…お兄さん、優しいんだね。こんなヤバそうな俺を庇ってくれて、家にまで上げてくれて…。今まで俺にここまで接してくれた人はいなかった。けどやっぱりそこまでしてもらう訳には行かないよ。」


青年は申し訳なさそうに微笑んだ。確かに見かけは怖いが、友達ぐらいこの歳だとすぐできると思うのだが…青年は本当に独りぼっちだったのか。


「別にこれぐらい普通だろ?君は命の恩人だし、さっきも言ったけど、未成年の子を一人で野宿させる訳にもいかないし。てか親に与えられた家だからそんな偉そうに言えないけど…、ホント寛いでってよ。」


「んー、命の恩人って…別にそんな大層なことはしてないんだけど。」


「いやいやいや!あの時助けてくれなかったら俺マジで死んでたから!別にやり残したこととか成し遂げきれてない夢とかあるわけでもないし生きてても何の利益も産まないけど!!お礼ぐらいさせて!!!」


もはや恩返しという名目でいいからこの綺麗な青年を守りたい精神が抑えきれない俺は、必死に青年を説得した。思わずネガティブ発言も飛び出し、完全に引かれてしまったかと思ったが、青年は暫くキョトンとした後、フッと吹き出し笑ってくれた。何度も言っているが、その笑顔が本当に眩しくて美しかった。


「ありがとう。じゃあお言葉に甘えることにするよ。俺は五十嵐零斗、お兄さんは?」


「え、あ…俺は、泉和彦。」


輝かしい笑顔に見惚れてる時に急に名前を聞かれて、俺はしどろもどろしながら答えた。


「じゃあ…泉さんでいい?」


「別にそんなさん付けしなくていいって。和彦とかでいいよ。」


「んー…じゃあ、かずがいい。俺の事も好きに呼んでくれていいよ。」


そう言って青年、五十嵐零斗はニコッと笑った。今までかずとは散々呼ばれたあだ名だが、ここまで胸が苦しくなったことはあっただろうか。よくツ〇ッターとかで尊い画像などを見て心臓発作を起こして救急車で運ばれる画像を載せる人を見かけるが、リアルでそうなりそうだ。なんだよ、「かずがいい。」って、可愛すぎかよこの野郎。


「じ、じゃあ…れいにしよっかな?でも女の子っぽいか。」


かずに合わせる感じでれいにしようと思ったが、〇波レイみたいで嫌がるかと思ってやめようとした。すると彼は首を傾げて不思議そうにこう言ったのだ。


「…?女の子っぽいって、どこが?」


「え?いや、普通れいって女の子のイメージじゃない?」


俺の常識が間違っているわけではないと思う。確かに男でもれいは普通にいるし、もっと女の子っぽい名前の人もいる。大抵は「女っぽい名前で嫌だ」というものだと思うのだが、彼はどうも違うらしい。


「んー。俺、そーゆーのよく分からないんだよね。男にこれは女の子っぽいからよくないとか、女の子なのに男っぽい喋り方はよくないとか…何で駄目なの?」


「そ、それは…一般的に女は女らしく、男は男らしく生きてほしいもんだからじゃない?」


「そうしないと駄目なの?」


「いや、駄目ではないけど…ちょっとイレギュラーな感じだから?」


「んー、やっぱよくわかんないけど、れいって呼んでくれていいよ。」


彼は何が理解できないのだろうか。一般常識ではそういうものだと思うのだが。取り敢えず呼び名は決まったので、これからは『れい』と呼ぶことにした。


「わかった。よろしく、れい。」


「こちらこそお世話になります、かず。」


それから俺は零斗を風呂に案内し、服を預かって浴室を後にした。雨で濡れてはいるものの、特に汚くもなく、嫌な臭いもなかった。むしろいい匂いだった。


「これ、俺の柔軟剤で消したくない匂い…って変態か俺は!」


思わず服の匂いを変態のように嗅いでしまっていた俺は、慌てて服を洗濯機に投げ入れた。その時ふと思い出した。零斗は警察に職質された時、不審者みたいな格好と言われた時も不服そうにしていた。彼は「普通はこういうもの」という固定概念が不服で理解できないのだろうか。それとも、本当に「わからない」のだろうか。ともあれ零斗という人物は、少し考え方が変わっている。それは『MAVERICK』の特徴のものなのか、それとも彼特有のものなのかは俺にはまだわからない。とにかく今は命の恩人をおもてなしすることに専念することにした。いい香りの服を俺のごく普通の洗剤と柔軟剤で洗濯機で洗い、その間に着替えを用意した。だが大した服もなく、ダサいパーカーとジャージのズボンしかなかった。休みの日も遊びに行くことも無いからこういうことになるのだと、少し反省した。かといって一人で遊びに行くのも寂し過ぎる。


「…すごい申し訳ない。」


取り敢えずそのダサいパーカーとジャージのズボンを浴室に置き、俺は夕飯を作り始めた。それもまた大したものは作れるわけでもなく、簡単な炒飯ぐらいしか作れなかった。少し誤魔化すために卵スープも付けておいた。


「……すっごい申し訳ない。」


何故この状況で家に泊めようとしたのか、一時間前の自分を殴ってやりたかった。

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