第2話 保護
非現実的な光景を目のあたりした次の日の朝、俺は何故か普通に出勤した。当然殴られたところはパンパンに腫れ、蹴られたところはズキズキと痛む。周りの人は俺を見るとヒソヒソと何か言いながら、時には心配そうな目で、時には気味悪そうな目で、時には憐れみの目で見てきた。最悪の時は指を差されて笑われた。それでも電車に乗り、嫌いな会社に行くのは、非現実的な出来事から目を逸らしたかった…つまり現実逃避するために普通の日常に戻ろうとしたのだ。だがそんな満身創痍な状態で仕事させてくれるわけもなく(こういう時一応ブラックではなかったのだと改めて思い知らされる)、いつもうるさい上司に門前払いされ、「今すぐ病院にいけ!そしてしばらく休め!」と怒られた。まぁ恐らく父親が背後にあるのだろうが。
「はぁ。労災出してくれるのはありがたいけどなぁ、しばらく休みとか何すればいいんだか…何も出来ないのに。」
取り敢えず病院に行き、痛み止めと湿布を貰って俺はとぼとぼと街を歩いていた。幸いにも入院しないでいい怪我だったが、医者には何故すぐ来なかったのかと怒られた。あんな物を見たら誰だって錯乱して適切な行動なんか取れるはずがない。とはいえ、『MAVERICK』が関わっていると言えば、警察沙汰になるので適当に誤魔化した。
「親父に頼るのは、もう懲り懲りだ。」
どうせ表沙汰にならない程度で犯人を締め上げたり、あの青年に嫌という程事情聴取するだろう。普段は俺に関心を示さないくせに、自分の名が傷つくような事にはすぐ手を出してくる。俺はそんな父親を昔から毛嫌いしていた。まぁ俺があの父親に見合う長男じゃなかったのが悪かったのだが。
「……ん?雨?」
どうも天気予報が嘘をついたのか、突然大粒の雨が降ってきた。病院が混んでいたため今は夕方なのだが、それでもまだ明るかった世界は急に暗くなり、街は慌てて人工の光を灯し始めた。傘を持っていなかった俺は走って近くのコンビニに入り、ビニール傘を一本購入した。
「ったく、ついてないな…。」
俺はベタっと張り付くシャツの感触に気分を悪くしながら傘をさして再び外に出て歩き始めた。雨は次第に視界を曇らせ、不気味な街を作り出した。俺は昔から湿気が増えるのと、この不気味な街を作り出されるのが嫌で雨が嫌いだった。あと靴の中に水が染みて靴下がぐっしょぐしょになるのが。
「……あれ?」
そんな嫌いな雨の中傘もささずに、ガードレールに座ってじっと空を見つめている青年の姿があった。服装が全く同じだったため、すぐに昨日の『MAVERICK』の青年だと分かった。俺は少し遠目で立ち止まり、どうするかものすごく悩んだ。いくら腕から刃を出していたとはいえ、見知らぬ俺を助けてくれたのだ。そんな人に礼も言わず、手を振り払って逃げてしまったことには罪悪感はあった。とはいえやはり恐怖心は拭い切れない。ここで礼を言いに行くか、そのまま通り過ぎるか…恐らく五分も経っていないだろうが、俺の中ではかなり長い時間考えた結果。
「……な、何してるんですか、こ、こ、こんな雨の中。」
「ん?」
俺は必死に恐怖心を抑えながら青年を傘に入れながら話しかけた。青年はゆっくりと振り返り、相変わらず綺麗な顔で俺のことを見つめてきた。よく見れば唇と耳にピアスを開けていて、首には二つの首飾りを付けていた。
「……あぁ、昨日のお兄さんか。今日記念すべき十回目の職質かと思った。あれからちゃんと生きてるのか心配だったんだ。見たところ病院帰り?骨は折れてなかった?大丈夫?」
今日だけで職質を九回もされた事実を知って思考が停止している俺など気にもせず、青年は優しげな笑みを浮かべながらペラペラと話した。
「え、あ…お、お陰様で…。と言うか、き、昨日は助けてくれたのに逃げてしまって、本当にすみませんでした!!」
「別にそこは気にしてないけど、何でさっきから敬語なの?お兄さんの方が明らか年上じゃん。」
意を決して言った俺の謝罪はあっさり終わってしまい、恐怖のあまり敬語になっているところを突っ込まれて俺は動揺した。「あまりにも昨日のことが怖すぎて、舐めた真似したら殺されるかと思って!」なんて言えるわけない。
「ま、多分俺が刃出したまま手差し出したからだね。ごめんごめん、怖かったでしょ?俺もお兄さんが逃げた後に気がついてさ、やっちゃったなぁと思って。しかもこんなナリだから、すぐ不審者だと思われて警察に職質されるし。お兄さんが怖がるのもわかるけど、別に切ったりしないから安心してよ。俺、頭の方はまともだから。」
『MAVERICK』のまともな頭がどんなものかは分からないが、少なくとも青年から殺意が感じられないことから俺は警戒を少し解いた。
「い、いや、ごめん。怖くないとか言ったら嘘になるけど…。」
「慣れてるし、気にしなくていいよ。それより元気そうでよかった。」
俺の恋愛対象は普通に女性のはずだったのだが、眩しすぎる青年の笑顔に俺はキューピットに矢で心臓を射抜かれたような感覚を覚えた。
「……で、こんな雨の中傘もささずに何してたんだ?」
俺は必死に平常心を保ちながら、もう一度問いかけた。青年はんーと少し回答に困ったような素振りを見せた。
「別に何してたって言えることでもないけど…俺、雨の中で光る街の灯りが好きなんだ。それを見てただけ。」
なるほどわからん、と思わず言ってしまいそうだった。確かにぼんやりとした視界の中で光る灯りは綺麗だが、それをずっと見続けられるかと言われたら一分が限界だと思う。一体彼はこの何の変哲もない雨の中の景色をどう思っているのだろうか。まともな頭だと言っていたが、やはりどこか変わっている気がする。
「まぁ行くところもないし、ウロウロしてたらまた職質されるからじっとしとこうかなぁって。そしたら雨が降ってきたから街を見つめてたってわけ。」
「……ん?行くところがないって…家は?」
「ないけど。」
「……失礼ですけど、ご家族は?」
「皆死んでて、親戚もいない。」
「オーマイガー…。」
なんて事だ。こんなに綺麗で美しい青年が住む場所もないなんて…。しかも天涯孤独。どこのドラマだこれは。
「まぁ金は一応あるけど、極力使いたくないし、別に家なくてもこうやって生きていけてるし。心配いらないよ。でも、友達もいないから、少し寂しいかな?」
青年の少し悲しそうな微笑みに、俺の心は爆発寸前だった。やめろ、やめてくれ、これ以上悲劇のヒロインを演じさせないでやってくれ!そう誰に言えばいいか分からない叫びを俺は必死に抑えた。
「さてと。お兄さんに話しかけられるぐらいという事は、多分ここに居続けたら警察もまた職質してきそうだし、俺はそろそろ行くよ。お兄さんもまた絡まれないように気をつけて。」
やっぱり逃げたこと、少し根に持っているので?と問いかけたくなるような言い方で青年は一方的に別れを告げてガードレールの上に立ち、とことこと歩き出した。俺は思わず青年を引き止めた。
「い、行くとこないなら、うちくる!?」
思わず大きな声で言ってしまい、青年も驚いてキョトンとした様子で振り返って固まった。
「え?」
まぁ当然の反応だ。いくら助けた相手とはいえ、「恩返しに家に泊めてあげましょう」と言われてホイホイとついていくやつがいるだろうか。ましてや弱そうなサラリーマン、しかも家は親から与えられたもの。どの口が言ってんだ!という話だ。
「ほ、ほら。助けてもらった恩もあるし…君未成年だろ?いくら強くても流石にほっとけないというか…。」
「いやでも…。」
青年に変なやつだと思われないように必死に正当そうな言い訳をして逆に青年を困らせていると、俺の後ろから誰かが声をかけてきた。
「やぁ、こんな雨の中何してるの君?名前聞かせてもらえるかな?」
「……記念すべき十回目。」
振り返るとそこには二人の警察がにっこりと笑って青年の方を見ていた。青年はうんざりした様子でガードレールから飛び降りた。
「おじさんらさ、その通信機で情報共有しないわけ?「明らかに怪しい黒フードの子がいますが、何もしてませんでした。」って。何回職質すれば分かんの?」
「君があからさまな格好してるから悪いんだろ?そんな不審者みたいな格好して、口にピアスまで開けて…それで悪いことしてませんって言う方が難しいだろ。」
「おじさんらに俺のファッションどうこう言われる筋合いないし。そもそも格好で不審者って決めつけるのよくないと思うんだけど?。」
先程までの優しい笑顔はどこへやら、と言うほどに青年はキレた様子で警察に喧嘩腰で反抗していた。警察も警察で、何もしていない彼にしつこく職質していた。俺は思わず嘘をついた。
「あ、あの!」
「何?君は部外者だろ?部外者はあっちいっといてくれ。」
「お、俺はこの子の保護者なんです!年の離れた兄貴の子だったんですど、兄貴が事故で亡くなったんで最近俺が引き取ったんですよ!でも東京来るの初めてだったんで、もうしょっちゅう迷子になって…だから今やっと見つけて一緒に帰るところなんで!警察の方はお引き取り下さい!!」
警察の威圧にも負けず、俺は精一杯の嘘を淡々と言った。青年はポカンとしていたが、そんなことは気にしない。確かに不審者っぽい格好で、怪しくないと言えば嘘になるが、それでもこんな綺麗で優しい子を疑うなんてどうかしている。(一応『MAVERICK』なのだが。)
「しょ、証明できるものはあるんですか?」
少し警察が怯み、控えめな感じで問いかけてきたが、俺はそれをも渾身の嘘で返した。
「あのね!こちとら毎日働いてるんですよ!そんなすぐすぐ手続きが終わるわけないでしょうが!この子だって不幸があったばかりで戸惑ってるんです!見た目だけで判断しないでください!さ、帰ろ!」
俺はこれ以上警察に聞かれないように怒りながら唖然とする青年の手を掴み、早歩きでその場を逃げるように去った。警察もしばらく唖然としてその場に留まっていたが、やがて諦めて街のパトロールに戻っていった。そうして俺は名も知らぬ救世主の青年を、勝手に保護したのだった。
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