第11話 スーパー平安ボーイ
日没後、スーパーの照明は遠くまで届く。
「あれが、スーパーだよ」
駅から距離がある分、スーパーの駐車場は広い。数え切れないほどの車が止まっていた。この様子では店内にも多くの人がいるだろう。
マロの姿が注目を浴びることは必定だった。
「マロ、外で待ってる?」
麻奈は一応聞いた。
「いや、付いていく」
そう答えるのだろうと、思っていた。マロからすれば、一人で取り残されているほうが、心細いに決まっている。
自動ドアが開く。明るい店内は楽しそうなBGMであふれていた。
「すごいな!なんだ、ここは、並べられているこれは全て食物なのか」
マロは生まれて初めて見る光景に興奮を隠せない。麻奈がカートに籠を乗せて野菜コーナーに向かって歩き出すと、慌てて付いてきた。
「大体ね。日用品とかもあるけど。あ、歯ブラシとかも買わなきゃだね。下着も。あるかなぁ」
やはり、弟のスウェットを貸せても、下着は貸せない。
あれはなんだ、これはなんだとマロが聞いてくるため、いちいち立ち止まらなくてはならず、店内を回るのに時間がかかる。可能な限りの説明をしてやりながら、商品を次々とカートに入れていく。
店内に人は多いが、マロと麻奈の周りにだけ、寄ってこない。遠巻きに二人を見ている。
あたりを頻りに見回しているマロはそのことに気付いた。
「……やはり、僕の姿を皆が見ている」
「珍しいからねえ」
狩衣烏帽子姿の男がスーパーにいるなど、なかなかない光景だろう。自分が他の人の立場でも見てしまうだろうなと思う。
「本当に、それだけなのか?なぜ、こうも皆が振り返る。都にいた時も、民に振り返られ、道を開けられることはあった。しかし、それは僕が貴族だったからにすぎない。僕が車に乗っていたからに他ならない」
前左大臣の子、というのがどれほど偉い人物なのか、麻奈にはよくわからない。総理大臣の子のようなものなのだろうか。とにかく相当なお坊ちゃまだろうということは彼の言葉や行動の端々に感じられる。
「君は、君はどう思う?」
「何が?」
考えている間にマロの質問を聞き流してしまっていたのだろうか。
きょとんとしている麻奈に対し、マロは不安そうに眉を顰めている。
「僕といて、恥ずかしくはないのか」
恥ずかしいか、恥ずかしくないかと問われれば、当然、注目を浴びてしまうことは恥ずかしい。
しかし。
「私は、別に……知り合いに会うわけでもないし」
マロを知る人がこの場にいないのと同様に、麻奈のことを知っている人もいない。近所の人はいるだろう。会った時に挨拶をする以上の人は、この町にはいない。
「このあたりに知り合いはいないのか?そういえば、君はあそこに一人で暮らしているのか?家族が近くに住んでいるのではないのか」
麻奈は首を横に振る。
「私、地元じゃないもん。学校に通うため上京したけど、学生の頃は別の所に住んでいたし。だから、このあたりに私の知り合いはいないんだよ。弟は千葉に住んでいるけど」
「地元じゃない?ちば?」
「ここより、遠くってこと。両親と、妹はまだ地元にいるよ。妹はもう結婚しているから両親と一緒に住んではいないけど」
マロは窺うように麻奈を見る。
「君の、ご主人は?」
いいところを刺して来た。麻奈が今一番突かれたくない場所だった。
「……いないよ」
「先立たれたのか?すまない」
「先立たれたっていうか、結婚してない」
妹は幼馴染と結婚し、昨年には甥っ子も生まれた。妹の方がかわいいと、昔からよく比較されていた。
成績優秀で、両親の自慢の種だった弟は大学院で勉強を続けている。これからも、弟は両親の期待に応え続けるのだろう。
一方、自分は。
自分は、七年間付き合っていた男に去られ、平安貴族だという男の世話をしている。
改めて確認した自分の状況に肩が重くなった。
なぜ、きょうだいの中で自分だけが、幸せになれないのだろうか。
「……行き遅れたのか」
ぽつりとマロは言った。麻奈は眉尻を吊り上げてマロを睨む。
「別に、まだ、そんな遅すぎるわけじゃないでしょ。まだまだ、これからだし」
自分に言い聞かせるような言葉だった。
「二十くらいまでには皆、一度は結婚するものだろう」
「ん?」
(二十くらい?一度?)
「僕が結婚した時は、十七歳だったぞ。女性はもっと早いだろうが…」
さも当然、という口ぶりだった。
「はぁ?!」
二十とはやはり年齢のことだったのか。
「驚くようなことじゃない」
十七歳と言えば、高校生にあたる年齢だ。つまり、横にいる男は。
(待って待って)
「マロ結婚してたの?」
(人の夫を家に泊めていたの?まずくない?だめなやつじゃない?)
やましいことは全くしていないと誓って言えるが、人の夫を独身女性が家に泊めたなど褒められるものではない。
「していた。親が決めた相手とな。その妻も既に亡くなっている」
「……それは、ごめんなさい」
家庭持ちではなかったかと少し安心すると同時に、マロの心の傷に触れてしまったかもしれないと、麻奈は申し訳なく思った。しかし、当のマロはあまり気にしている様子がない。
「別に。君が謝ることは何もない。……他にもいくつか通ったが、結婚となると煩わしくて、適当な所で通うのをやめた」
「通うって?」
マロは首を傾ぐ。
「通うは通うだろう。女の寝所に忍んで行く」
こともなげに言い放った。
麻奈は持っていたレトルトカレーの箱を思わず取り落とす。カレーの箱が床に落ちる。
(それ、現代日本じゃ犯罪にならない?)
自分よりも年下の男が辿って来た恋愛遍歴に頭が混乱する。
常識というより、文化などもっと大きな次元でこの男との間には溝がある。埋めようがないほど深い溝だ。地の底まで続く、深い亀裂。
千年の時間は、思っていた以上に大きい。
「……それって、まずいんじゃないの?」
麻奈は動揺を隠し、平静を装う。落ちたカレーの箱を拾い、カートに入れる。
「僕はちゃんと、返事をくれた相手の所にしかいかないさ。後が面倒だし。……急いだやつの噂もよく聞いたが」
同意の上であれば、良いのだろうか。
マロの元居た場所では、当たり前のことだったようだが、麻奈の知る恋愛過程とは大きく隔たりがある。
(思っていた以上にやばいやつだ)
つまり、麻奈が昨夜拾ってしまい、今日の夜も泊まる予定の王子様は。
元居た場所で、少なくとも一回以上の婚姻歴があり、やもめで、現代日本では犯罪になるかもしれないことをしてきた男ということだ。
眩暈がした。
「どうした?」
「……いや、なんでも」
(これ、拾わないほうが良かったんじゃない?いや、それは勿論、そうなんだけど。家に泊めるって言わないほうが良かったんじゃない?こっちが襲われるのもごめんだけど、他の人襲って、私が家に置いていたってなるのもまずいし……)
「……マロ、こっちでは、そういうのって場合によっては罪に問われるかもしれないから、絶対、絶対しちゃだめだからね」
マロは不快そうに眉根を寄せる。
「僕はちゃんと相手を選ぶ。手順も踏む」
「あ、そう。なら、いいんだけど」
麻奈など歯牙にもかけていないという口ぶりだ。
(マロはああいう人が好みってことなんだろうな)
麻奈の知る平安時代の女性像といえば、教科書に載っていたような引き目鉤鼻おちょぼ口で下膨れの顔に長い髪だ。今の麻奈とは似ても似つかない。現代日本に彼のお眼鏡にかなうような平安美人などいないだろう。ひとまずは安心して良いのか。
(私は、少なくとも、普通の人がいいな)
普通で、常識があって、自分を裏切らない人であれば。少なくとも、この男ではない。
「……あとは、お肉と冷凍食品かなー」
精肉コーナーへカートを運ぶ。
「これは?」
マロが焼肉用にパック詰めされた牛肉を指差した。
「牛肉は高いからちょっと今日は…」
「牛肉だと!?」
マロは大きな声を出した。距離を取りながらこちらを窺っていた人達の視線が一斉にあつまる。
「しっ!マロ、声が大きいよ。なんでそんなに大きい声出すの」
「牛肉、牛の肉だろう?」
「牛肉はおいしいよ。高いから家ではそんなに食べないけど」
「罪人に罰として食べさせることはあっても、牛の肉など口にしてはならないんだぞ!」
マロは信じられない、と首を振る。
牛肉にここまで拒否反応を示す理由が麻奈にはわからない。しかし、牛肉がいかにおいしいかなどをこの場で悠長に説明する余裕もない。
「わかった!わかった、買わないから!鶏肉とか魚ならいいんでしょ?」
もともと買う予定もなかったが。
レジで精算を終え、スーパーを出る。
ただの買い物だというのに、どっと疲れてしまった。
けっこうな量を買い込んでしまった。麻奈はレジ袋いっぱいになった荷物を両腕に下げている。
(牛乳とか、今日買うんじゃなかった)
マロから、手伝おうか、片方持とうか、との言葉は出てこなかった。当然のように、麻奈に荷物を持たせている。
(いいけど、別にいいけど)
「重そうだな」
「まあ、しょうがないよね。二人分だし」
棘のある言い方になってしまった、と麻奈は口にしたあと反省した。
しかし、マロは、
「そうか、励め」
言って正面を向いた。手伝おうなどという気は皆無のようだ。
手伝ってくれるのかと期待した自分が愚かだった。反省した自分が悪かった。
平安貴族の王子様には、現代庶民への配慮などない。荷物など、庶民が、下々の者が、下働きの者が運ぶものと思い込んでいる。
(私のお金で買って!自分も食べるんでしょーが!私の家に泊まるくせにー!)
なぜ、神様は自分のもとへマロを送り込んできたのだろう。
何度思ったかわからない問いを、記憶の中の神社に投げた。
自分の理想とは全く重ならない。
(神様のいじわる!)
買い物にかかった時間も長かったが、家までの帰り道も長く感じた。
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